電子書籍の厳選無料作品が豊富!

経済制裁もハルノートも、柳条溝以降の日本の中国侵略に対する欧米からの数々の警告を無視しつづけた結果だと思います。つまり封鎖されるべくして経済封鎖され、突きつけられるべくしてハルノートを突きつけられたのに、なぜ自存自衛だったといえるのでしょうか。

A 回答 (16件中11~16件)

柳条溝のころは別に警告も非難もされていません。

諸外国も満州については日本の権益を認めていました。同じく第1次上海事変にせよ、それは日本の権益を守るものであり、すべて諸外国は認めています。対立が生じるのは日華事変になってからでしょう。支那に権益を持っていた、あるいは持とうとしていた国々の対立にすぎません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

遅くなりましが、御回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/08 10:24

日本が朝鮮半島や旧満州地域に植民した政策は、第二次世界大戦後に中国がチベットやその他少数民族居住地に漢民族を植民させて支配していく過程や、旧ソ連がバルト三国(ロシア革命後に独立していた国家です)を占領しロシア移民を大量に送り込んだ例と変わりありません。



これら全て「自衛のため」の行動です。占領された国には迷惑な話ですが、自衛という概念は拡大していけば、仮想敵国を殲滅するまで行き止まりがないものです。

日本だけ問題になって、中国やソ連が国際的に見逃されているのは、その他の国にとって、中国やソ連に干渉することは、政治的リスクに較べて大した経済的メリットがなかったからに過ぎません。

第二次世界大戦に関して言えば、日本にとって「自存自衛」だったことは間違いはありません(明治維新そのものが、欧米の脅威から身を守るために体質を変えた自衛的内戦で、それ以降もずっとこの路線です)。

実際に、欧米の警告は別に人道的なものではなく、彼らの経済的メリットが減ることからの行動でしかなかったわけですし、自虐的になる必要はないでしょう(第二次世界大戦後にベトナムにあらためて進駐したフランスや南ベトナムにてこ入れしていたアメリカを見たら、彼らの行動が自国の利益に忠実で、人道的見地から行動していないことに気が付くと思います)。

負けたことは恥ずべきことだと思い、それについての反省は必要だとは思いますが、戦争や国際的な緊張関係を「善悪」のプロパガンダで分けることは危険ですよ。まず100%経済的利害対立が本当の理由なのですから。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

遅くなりましが、御回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/08 10:24

戦争は最悪(後)の外交手段と言われますが、殆どの戦争が自衛を名目に始められています(直近の米国のイラン攻撃も「大量破壊兵器の脅威からの自衛」が名目でした)。

日本の場合も、最後の局面だけを見て判断すれば、ハルノートの受け入れは「既得権益の放棄により、大変な経済損失と政体の不安定化を招く」ものだったと言えるでしょう。しかしその「既得権益」自体が日清戦争以来に、他国を侵食し割譲させて来たものであった訳です。もっともある時点までの権利は国際的に認められていたのですが、国際連合脱退以降において、その後の利権を不当とされた事で、今回のイランの様な目に会い、明治当初の領土さえ一部侵食された訳です。当時の日本は事実上軍事独裁政権であり、フセイン政権・金政権と同様に国体(支配者)の維持が第一目標で、そのために既得権を譲れないから自衛だと言う「三分の利」的理屈を述べて、誤った戦争に突入したと言う事が大方の見方であり、一部の断片的意見をもって誤りを正当化して見ても意味がないのではないでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

遅くなりましが、御回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/08 10:23

私よりも詳しい方々があとでいろいろと詳しく説明してくださると思うのですが、「戦争」というのは必ずしも“善対悪”の構図で始まるものではなく、むしろ経済的な衝突など各国それぞれの思惑(主としてその国の経済を支えている財界と政界の人々との間でのカラミ)があって始まってしまうものが多いです。

この戦争に関していうならアメリカなどの立場は「勝者の側」に位置する訳ですから、その主観が世界的に通用しているのはある意味“当たり前の話”です。この件に限らず常に歴史というものを深くみれば明らかで“一般的な「歴史」”というのはその多くが「勝者側の論理・価値観・都合」でその後に“後付け”で出来上がったものが多いのです。

「欧米からの数々の警告を無視しつづけた結果」という視点で見れば確かに約70年前の日本の存在は、それまで世界を永らくリードしてきた欧米諸国からみれば“悪”です。…だけど、「日本」としてまた「日本人」としてみたら自らの生活の価値を高めたいと思い、またそれを規範して行動するのは人間として当然のことです。またそのように考えるのは日本人のみならず世界であれば基本的にどこの国々の人々だって同じです。

故にそのような観点から逆の意味で故意に“戦争を起こしたい国・企業・人々”だって存在している訳です。戦争が起きれば経済は潤うし、またそこで勝利できれば「利権」が転がり込んできます。最近の例で言うと、今回のブッシュ大統領によるイラク戦争だってアメリカは戦後モノの見事に「石油利権」を手に入れていますよね。

日本は明治以後、急成長を果たして「列強」の仲間入りをし、次第に東アジア(特に「中国」に対して)で影響力を発揮するようになりました。現在でも中国はマーケット(市場)として非常に魅力的な地域です。それは昔も今も変わりありません。当時の日本はそれらを勢いあまって半ば「独占」しようとしたのです。しかしそのような状況は旧来から影響力を持っている欧米諸国、またそれらに属する財界・企業の人々からすれば“非常に面白くない”ものでした。故に新興勢力である日本に圧力を掛けて、自ら(西洋諸国)が都合の良いようにしていこうと画策した訳です。また、できることなら「戦争」という手段が当時としては“儲ける為には一番手っ取り早い方法”でもあった為、日本が“暴発しやすいように”手を買え品を変え様々な部分で「封鎖」していった次第です。

別に過去の戦争を私は「賛美」しているつもりではありませんが、見方を変えれば事実そのようになる訳で日本としても致し方なかった部分は大いにあります。


例証としてアメリカなどによる「ワシントン会議」「四カ国条約」「九カ国条約」などを挙げておきます。当時、アメリカは第1次大戦に参戦し、旧来の英・仏を凌ぐ大国になっていました(それだけ戦争による特需は大きいのです)。しかしながら戦争が既に終わってしまい、経済界は既に“尻すぼみ”になりかけていました(その数年後には「大恐慌」が発生します)。それ故にアメリカの政府・経済界としては“次の戦争”を徐々に意識し始めました。そこで選ばれたのが「日本」だったのです。圧迫を加えることは勿論ですが、同時に海軍力の削減などを求めることによって徐々に“弱体化”を推し進めていく訳です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%B7% …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

遅くなりましが、御回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/08 10:23

アメリカが戦争を仕掛けないと読んで、上海や仏領インドシナに兵を出したと思います。


決してアメリカと戦争して、勝って、ワシントンに日章旗をあげようという気はなかったと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

遅くなりましが、御回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/08 10:22

昭和26年5月3日の「米国上院軍事外交合同委員会」におけるD・マッカーサーの証言。



「日本は8千万に近い膨大な人口をかかえ…(中略)…その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。…(中略)…これほど巨大な労働能力を持っているということは、彼らには何か、働くための材料が必要だということを意味します。
…(中略)…日本は、絹産業以外には、固有の産物はほとんど何もないのです。彼らには綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない。そのほか実に多くの原料が欠如している。そして、それら一切の物が、アジアの海域には存在していたのです。
もし、これらの原料の供給を断ち切られたら、1千万から1千2百万の失業者が発生するであろうことを、彼らは恐れていました。
したがって、彼らが戦争に飛び込んで行った動機は、大部分が、安全保障の必要にせまられてのことだったのです」

日本と戦い、GHQ総司令官として日本を占領マッカーサー自信が、こういう本音を証言しています。

あの東京裁判でさえも、インドのパール判事が、「ハルノートと同じ内容をつきつけられて、イエスという国家はない。ハルノートをつきつけられたら、モナコのような小国の国民でも、剣をとって宣戦布告するだろう」と語った話もまた有名です。

多分われわれの先輩たちは、戦争を避けることはできなかったのだと思います。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

遅くなりましが、御回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/08 10:21

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!