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「原爆を落とさなければ日本は降伏せず、本土決戦で壮絶な抵抗にあっていただろう。」ということを紹介した記事がありました。
http://www.asahi.com/column/wakamiya/TKY20050726 …

終戦当時はすでに武器やガソリンもろくになかったので、大した抵抗はできなかったと思うのですが、どうでしょうか?
組織的な抵抗としては、やはり万歳突撃でしょうか?
特攻隊の飛行機はまだありましたか?
日本の考えていた本土決戦の青写真を教えてください。

よろしくお願いします。

A 回答 (11件中11~11件)

連合軍が九十九里浜に上陸する事を想定して、関東平野北部に、温存していた戦車部隊等の精鋭を配置し、これをもって利根川の線に誘引された連合軍上陸部隊を側背から攻撃する積もりだったようです。

作家の故司馬遼太郎氏も、このための部隊に戦車小隊長として配属されていたそうです。相模湾に敵が上陸した場合、葉山に造営した観測所の指示を受けながら横須賀港に繋留された戦艦長門が艦砲射撃をする準備をしていたそうです。
これらの作戦を指揮するために、長野県の松代に皇居、大本営、政府主要機関を疎開させるための巨大な地下壕を建設していました。

参考URL:http://www.aswe.jp/shashi/histry/MATU/
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