アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

ディスカバリーチャンネルで「兵士が語る硫黄島決戦」の戦いを見ました。
アメリカ軍から見た硫黄島の戦いの様子がよくわかりました。
ところでこの番組では日本軍は穴に隠れていて、ゲリラ的に攻撃してくるだけでした。
日本軍の作戦はどういうものだったのでしょうか?
2万人も動員したわけですから、勝つための作戦があったはずです。
どのようにして勝利を得る予定だったのでしょうか?
また補充などは行われていましたか?

よろしくお願いします。

A 回答 (10件)

硫黄島での日本軍の抵抗戦の原型は第1次世界大戦に於いて、ドイツ、仏英軍両方で実行ずみの戦術でした。


この戦いでは双方が戦線の300メートルに1門の割合で大砲を集中し、集中弾幕射撃の後、歩兵が前進する戦法をとりましたが、ドイツ軍は10メートル以上の地下掩蔽濠に隠れて敵を待ち、敵歩兵の前進につれ弾着点が後方に移動するのを待ち機関銃座について敵兵を掃射して大損害をあたえました。

硫黄島で猛烈なアメリカ軍の集中砲火や爆撃に生き残り反撃するにはこれしかないと司令官は徹底してこの戦法を使ったので計画どうり遅滞戦を戦い抜いたのです。
第1次大戦でこの戦法を破ったのは、戦車の登場でした。
機関銃ではビクともしない装甲の戦車は機関銃座を踏みつぶして歩兵の前進を助けましたが、硫黄島でもアメリカ軍戦車が活躍しました。  有効な対戦車兵器を持たない日本軍はそれを阻むことは出来ませんでした。
    • good
    • 1

質問者さんの回答にはなりませんが……。


私は硫黄島で戦死した日本兵の孫です。
皆さんの回答を読んで思いました。
他の戦場での日本軍のように無謀な作戦ではなく、
勝つ望みはないにしても有効な戦い方をした戦場に祖父がいたかと思うと、少しは祖父も浮かばれるような気がして、嬉しく思います。
私も死ぬまでに一度は硫黄島に慰霊に行ってみたいと思います。
    • good
    • 3

制海権や、制空権の失われた硫黄島では、本土からの補給や補充の期待は出来ませんでした。



ここで取れる唯一の戦法は、小銃1丁、弾丸1発を、最も有効に使用する戦法でした。

露出して攻撃をすれば、爆撃や艦砲射撃であっと言う間に消耗してしまいます。

ここで、栗林中将は、戦車を埋め、砲塔化し、更に土嚢で防衛し、弱い装甲を補い、
あらゆる火器を移動可能にしました。
歩兵も、1発打ち、撤退し、他の穴から狙撃する事を繰り返し、消耗と戦死者を極限まで抑えました。

米軍は、直径2キロ足らずの硫黄島に数万発の爆弾投下と砲撃を繰り返しました。
普通の作戦では、1週間も抵抗すれば奇跡の作戦でしょう。

すり鉢山の形が全く変わる程の砲撃ですから、
硫黄島の洞穴を利用した戦法が、
いかに敵の砲弾を無力化したかが分かります。

洞窟同士を直結させ、連絡網を作成し、
更にコンクリートや土嚢で強固な要塞に変えた訳です。

結果的には、米軍の死傷者が2万5千。
日本軍死傷者をやや上回る結果になりました。
これは、日本兵の1兵が必ず1発は米兵に当て、
一矢報いた勘定になります。

他の諸島攻略時の米兵の損害の数倍~10倍の損害です。

米軍の作戦では、1週間~2週間で作戦を終了する予定で、被害は、数千人程度の死傷と見ていました。

実際は、100m前進するのもままならない状態で、
爆撃、砲撃も効果が薄く、予定使用量を大きく上回り、補充の為に、1度体勢を立て直さねばなりませんでした。
(失敗して撤退するのは太平洋戦争後期では滅多に無い)
その後、航空機と艦船、歩兵を数倍に補充して大々的な攻撃に入りました。

直径2キロの島で、1ヶ月近い抵抗戦を敢行するなど、夢にも思わなかったのです。
ましてや、陸軍が、1万人以上死傷するなどあり得ない小島作戦だったのです。
    • good
    • 0

硫黄島における日本軍の作戦は太平洋戦争全体での位置づけ



遅滞行動

というもの。アメリカ軍の進撃をなるべく遅くさせるというものであり、単純にアメリカ軍を撃滅させる事が目的ではありませんでした。
    • good
    • 1

硫黄島は、当時の米空軍の最前線基地であるグアム・サイパンと日本本土のちょうど中間に位置し、大型爆撃機の発着が可能な飛行場の設定に都合の良い地形の島です。



米軍のB-29爆撃機はグアム・サイパンの基地からでも日本本土を爆撃できましたが、往復5000キロ分の燃料を搭載すると爆弾の搭載量が減ってしまいます。また、戦闘機は航続距離が短いためB-29に同行できません。このため、B-29は日本の戦闘機に食われないよう精度の低い夜間・高高度爆撃を行っていました。
米軍は、B-29の爆弾搭載量を飛躍的に増加するとともに、戦闘機の護衛をつけて精度の高い昼間爆撃を行うために硫黄島を必要としていました。
一方、日本軍は、当面、本土に対する爆撃がより激しくなるのを防ぐとともに、来るべき本土決戦準備の時間を稼ぐため、1日でも長く持ちこたえる必要がありました。硫黄島(と沖縄)の戦いにはそのような意味があったのです。

硫黄島作戦における日本軍の作戦目的は、究極的には時間稼ぎです。つまり、勝ちはありません。兵士の命と引き換えに1日でも長く持ちこたえる持久戦、これが硫黄島の戦いでした。
もちろん、大本営も指を咥えて見ていたわけではなく、可能な限りの支援はしました。米軍の上陸前には、人員の補充、弾薬・食料・医薬品などの補給、傷病者の後送などを行っていました。米海兵隊が上陸した後も、米軍艦船に対する特攻(第2次御盾攻撃隊)、上陸部隊に対する空爆、補給品の空中投下、潜水艦による艦船攻撃などを行っています。しかし、圧倒的な物量を誇る米軍と比較すれば、所詮、焼け石に水でした。

硫黄島作戦に先立ち、日本軍は、ギルバート諸島・マーシャル諸島・サイパン島などにおいて米軍の上陸を迎え撃ちました。しかし、日本軍は、激烈な艦砲射撃と爆撃のため地上部隊の上陸以前に大打撃を受けた上、米軍の態勢確立前に逆転を狙った夜襲・白兵突撃は火力を伴なわないために失敗して兵力の大半を失い、予想外の短期敗北を喫しています。
米軍と互角に戦うためには、先ず激烈な艦砲射撃と爆撃から生き残り、火力を伴なわない白兵突撃(バンザイ突撃)の代りに神出鬼没・変幻自在の歩兵戦闘を行う必要がある、硫黄島の最高指揮官、栗林中将はそう考えました。

このため延べ17kmにも及ぶトンネル陣地を掘り(何と、ほとんど手掘りです)、これによって米軍の艦砲・空爆を堪え抜きました。その効果は絶大であり、ある米軍の将官は「この島にはアメリカの爆弾は効かないのか」と嘆息したといわれています。しかし、トンネルに篭もっているだけでは戦闘になりません。

米軍は、友軍相撃を避けるため、地上部隊が前進するとその分艦砲や砲兵の射程を延伸します。日本軍は、トンネル陣地に篭もって艦砲射撃をやり過ごし、射程が延伸されるとトンネルから出て陣地につき、米軍に小銃・機関銃同士の歩兵戦闘を挑みました。
このような戦法は極めて効果的でしたが、米軍は砲弾のカーテンの後ろからジリジリと前進し、少しずつ、確実に硫黄島を攻略していきます。日本軍は、弾と食料、そして水まで欠乏して半病人状態で戦いました。こんなに苦しい思いをするくらいなら、いっそ突撃してしまおうか、と考える指揮官もいましたが、栗林中将は決してバンザイ突撃を許さず、持久戦の続行を厳命しました。

結局、硫黄島守備隊は玉砕し、島は占領されました。しかし、硫黄島においては攻撃側(米軍)の死傷者数が防御側(日本軍)のそれを上回っています。これは通常の戦闘では起こり得ない非常に珍しい現象であり、世界の戦史にも類例がありません。栗林戦法のすばらしさを証明する何よりの証拠といえるでしょう。
    • good
    • 5

No.3です。


これは大変参考になると思います。

参考URL:http://www5f.biglobe.ne.jp/~iwojima/
    • good
    • 0

かなり、昔に読んだ本であやふやですが、申し訳ないのですが、


日本軍の作戦は、
硫黄島の司令官は連合艦隊とともに行動するつもりで、硫黄島を浮沈空母にして作戦を考えていたみたいです。(しかし、当時日本の機動艦隊は壊滅していました)
司令官自身もマリアナ沖会戦や台湾沖での航空戦の大本営発表を半分は信じていたらしい。海軍と陸軍の連絡不足が原因です。

また、サイパンなどの戦訓で上陸地点で迎え撃つよりも敵を引き込んで迎え撃った方がよいと考えたようです。
むやみな万歳突撃を禁止したそうです。

また、敵の上陸地点にドラム缶ぐらいのロケットを打ち込んだり、大口径の対空砲を対戦車砲として使ったり、米軍に恐怖させたそうです。

>どのようにして勝利を得る予定だったのでしょうか?

それは確証はありませんが、援軍を期待していたようです。なるべく持久戦にするぐらいしか作戦の選択肢はなっかたみたいです。


>補充などは行われていましたか?

補充は全くおこなはれていません。父島から、航空機での援護はありましたが、
    • good
    • 0

持久戦です。


地下等に18kmもの壕をつくり、兵力を温存しました。
そして敵を上陸させてから戦いました。
>どのようにして勝利を得る予定だったのでしょうか?
実際は無かったと言えると思います。
相手は圧倒的な兵力(約25万人)ですから。
全滅覚悟、最後の1兵まで戦う覚悟で、できる限り敵に損害を与える事だったのだと思います。
>補充などは行われていましたか?
硫黄島自体への補充はありません。
周囲の敵艦船に対するカミカゼ特攻や硫黄島への援護爆撃等はありました。
    • good
    • 1

それまでの日本軍は機械力も砲兵も格段に強力なアメリカ軍に対して正面きって戦い、すぐに壊滅していましたから硫黄島では正面切って戦うのではなく、塹壕やトンネルなどの野戦築城を充分に行って砲兵の攻撃にも耐えられるようにして兵力を温存して、上陸してきたアメリカ軍を消耗させる計画でした。


その計画はそれなりに成果を挙げたのですが、もともと勝つということは考えておらず、本土決戦に備えての時間稼ぎとアメリカ軍の消耗をさせるための作戦でした。
補充はもともと出来ないことを前提に作戦計画もつくられていましたのでそれなりの準備はしており補充はありませんでした。
    • good
    • 1

日本軍守備隊の小笠原師団長は圧倒的な物量の米軍の攻撃を前にして部下にむやみに突進・反撃することをやめさせ地下に大要塞を掘ってもぐり、ゲリラ戦で戦うように命じました。

したがって上陸した米軍は姿の見えない神出鬼没の日本軍と戦うことになり大変な損害をだしたということです。硫黄島は火山島ですから地熱も高く、将兵は過酷な環境でよく耐え忍び米軍の本土攻撃を遅らせるという戦果をあげたということです。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!