プロが教えるわが家の防犯対策術!

ここでの質問に適しているかどうかわかれませんが、
心がせまいのは私だけなのか確認したいので
コメントお願いします。

あきれていたのは私だけなのでしょうか?
昨日の電車の中、車椅子の人が乗っていたんです。
それはいいのですが、なんとドアのすぐのド真ん中に
乗ってるんです。連れの人もいて
移動とかも可能だったと思うのですが
その連れの人がドアの横にもたれかかっているんです。
ふつう車椅子の人をそこに居させるだろう!

土曜日だったけど9時まわっていたので
だんだんと混みだしてきて、それぞれ駅に停車して
ドアが開くたびに、乗ってくる人たちみんな
一瞬入るポジションを考える顔(「おっと~!」てな感じで)をしていました。

お年寄りに席を譲るとか、障害者(この言葉嫌いだけど)の方に
手を差し伸べるとか、車内だけでもいろんなボランティア
ができますよね。そういう方々を私たちが助け合うということは
とても大切だけど、彼ら(本人と連れ)はそれに甘んじてるんじゃないでしょうか?
私は無言で怒っていました。

これを非常識だと思うのはわたしだけなのでしょうか?

A 回答 (5件)

私の考えを述べさせてください。


kukikukiさんのおっしゃる通りの考えの人もいますし、甘く見ている方もいます。
私が思ったことは、通路のど真ん中に止める人の気持ちも良く分かります。それは、
kukikukiさんが見かけたときの状況などは分かりませんが、
1.ラッシュの時間帯などで、乗車(車椅子の方)したとき、たまたまドア側或いは壁側に人がいたので、空いている場所に止めた。
2.もちろん下車する際、普通は車椅子を方向変換します。壁側に寄せておくと方向変換がしにくくなります(後から乗車してくる人たちも居て)。真ん中に止めておくと、比較的バックでも下車がスムーズに行えます。電車のドアが開いている時間など考慮した上でそうしているのではないでしょうか。
わたしも車椅子の方と電車に乗ったとき、目的の駅に降りたくても、後から乗った人がドア側に沢山いて、「降りますから、空けてください」といっても、なかなか空けて貰えなかったし、乗車する人もいたので乗り過ごした経験があります。その時は乗り降り口の真ん中を陣とろうかと思ったこともあります。(それは行き過ぎですが・・・)


また私が思うことは、シルバーシートに座りたいと思っている方(障害者・老人)を見ますが、先客(高校生やOL)などが寝たふりや本などを呼んでいる光景を見ます。足の不自由な方で、何回も「座らせて下さい」言っているのに、座っている方は知らん顔。そして最終的に「うるせ。アホ」と述べられました。このようなアホ人間もいるんだと実感しました。
あなたがおっしゃっていることも分からなくでもないけど、困っている人を見かけても、無視する方のほうが、もっと非常識ではないでしょうか?
どう思われますか?
席を譲るのもボランティアです。

それともし、逆と立場であなたが車椅子でしたらどうしますか?
1.下車しにくくなるげど、周りの人のことを考えて端に寄せる。
2.下車しやすい状況にする。

期待はずれの回答になったかもしれませんが、よく考えてください。
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非常識だとは思いません。

ただ一般に保護されるべきとされている人全てが、そういう甘えを誇示しているとは思っていませんが、それはkukikukiさんも一緒ですよね。その方は、もし車椅子を使わない生活をしていても、きっと同じように回りに迷惑をかけても省みない行動をしていたのではないかと思われます。

それを「障害者の方だから文句は言わない、注意しない」という姿勢は、私は嫌ですねー。それを考えると、kukikukiさんと同じように、私もその場にいたら、同じように思ったと思いますよー。

ちなみにわたしは、身障者といわれる方に手を差し伸べるのは、転びそうになった健常者の方に手を差し伸べるのと同じ感覚です。非常識な人が身障者/健常者のどちらであれ、不愉快に思うことも、ごく自然だと思います。
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質問の状況から判断した勝手な推測を元にお答えしますので、すべての障害者に対する偏見とは受け取らないで下さい。



私は、ボランティア活動の中で重度の障害者の方と共同生活を営む機会があります。
集団離村した廃屋に食材だけを持って入り、燃料などは現地で薪を調達するという原生活の体験のためにです。
健常者だけでも大変なところに、重度の障害者の方が半数を占める約100名ほどで数泊します。
数十人の障害者の方と一度に接すると、個々の認識の違いが良く見えます。
障害者であることを「権利」として主張する方がいることは事実です。
一部ではありますが、ボランティアは自分達の世話をするためにボランティアとして参加しているのだと思い込んでいる方がいます。
ボランティアとは日本語で「奉仕活動」と誤訳されることが多いのですが、実は「奉仕」の精神は必要ありません。
日本のボランティア活動の草分け的存在の方からお伺いした日本語訳は「手弁当」だそうです。
全く悲壮感や、義務感など無く、自分のできることをやるために弁当持参で参加する。これがボランティア活動の本質なのだそうです。

電車の車内で、通路をふさいだ方を障害者としてみることは適当でないと思います。
まずは社会生活を営んでいる大人としてみるべきです。
非常識な大人がたまたま車椅子に乗っているだけでしょう。
これは障害者という範疇とは関係なく、単なる自己中心的な大人の行動と取るべきでしょう。
ただ、社会から保護されることが常になると、いつのまにかそれを権利と誤解してしまう方がいてもおかしくありません。
そのような行動を見たら、やはり注意するべきでしょう。
常識的に見て、社会の迷惑となる行動をとっている場合は「障害者」というパスポートは通用しません。
障害者である前に、健常者も含めてすべての社会人は大人の常識を身につけている必要があります。
このような場面に遭遇しても障害者という目で見ることは好ましいことではありません。
そのような見方が「偏見」の表れとも取れます。
一人の社会人の自己中心的な迷惑行動として注意していただけるようにお願いします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
一人の人間として非常識なんですね。
普通の人でも、電車のドアの前で
出る人の邪魔している人を
よく見かけます。
それといっしょなんですね。
勉強なりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/11/25 23:29

 私は、日常生活の中では障害をお持ちの方と接することは少ないですが、仕事柄、福祉の勉強や体験をする機会があります。

障害をお持ちの方と接し、いろいろな話を聞くこともありましたし、施設で働く方のお話をうかがうこともありました。
 その中で学んだことは「お世話してあげる」という発想は間違っている、ということです。ボランティアというと、「何かしてあげること」と思っている人が多いと思いますし、私もそう思っていました。
 でも、違うんです。「助ける方も助けられる方も、そのことによって人間として成長する。それは障害者だとか健常者だとかいう垣根以前のこと。人として当たり前のこと」だと。「心のバリアフリー」という言葉を聞き、本当に勉強させられました。
 ボランティアという日本語訳は「奉仕」以外に見つからないけれど、本当は「人として当たり前のこと」という訳のほうが近いという話も聞いたことがあります。
 
 前段が長くなりましたが、したがって、「世話される立場なのに、それに甘んじている」という考えは、「お世話されてるのに……」「助けられてるのに…」というところが強いのであれば、違うと思います。もちろん、kukikukiさんは、そうではないのですよね。
 わたしは、この車椅子の方の行動は、障害者として非常識なのではなく、人として非常識だと考えます。どんな環境に置かれた人間でも、困っている人がいれば手を差し伸べる、自分が何か他人から助けてもらったときには感謝する。人として、同じ社会の中で互いに気持ちよく生きるために大切なことだと思います。
 もしかしたら、その車椅子の方は、まだ自分の境遇を自分の中で消化しきれていないのかもしれません(かってな想像ですが)。これから、いろいろな場でいろいろな人と接し、成長していって欲しいと思いますし、もちろん自分も、成長していきたいなと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
心のバリアフリーですかー。
簡単なことのようですが、
自分がこうあの方々に愛想を尽かしているのは
きっとまだどこかで特別な人
と考えてしまうんでしょう。
考え方は、人として非常識なんですね。
でも知らない人に注意をすることは、
むずかしいです。
ものの考え方を勉強しました。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/11/25 23:21

そんなことはありません。

その車椅子の人と介助者の行動が間違っていると思います。

障害者であっても街に出る事はあります。健常者に比べて動作が遅かったり、出来ないことも多くあります。
健常者はそういった人たちが困っているときは手をさしのべ、障害者もそれを受け入れる。
障害者は、自分で出来ることは自分で行い、他人の迷惑にならないようにする(健常者にもいえることですが)。

そういうものではないでしょうか。
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