dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

 私は中国人で日本語を勉強しています。古典文法についての本を読んでいますが、理解できない例文があるので、質問させてください。

 「がくや姫と申す人ぞおはすらむ。」と言ふ。(『竹取物語』)(「がくや姫と申し上げる人がいらっしゃるのだろう。」と言う。)

 『竹取物語』を読んだことがないので、上記の例文の敬語の使い方が分からなくて困っています。なぜ謙譲語である「申す」と尊敬語である「おはす」は同時に使えるのでしょうか。話し手と、聞き手と、がくや姫との三人の上下関係を説明していただけないでしょうか。

 よろしければ質問文の不自然な部分の添削もお願い致します。

A 回答 (11件中11~11件)

「申す」は、『竹取物語』の語り手がかぐや姫に対して、かぐや姫のことを言う行為について「へりくだっている」ことを示しています。


図式すると
かぐや姫>語り手
となり、語り手が自分自身をかぐや姫より、身分の低いものであり、かぐや姫が貴い存在であることを示しています。つまり、謙譲語ですよね。

「おはすらむ」は、そういう人が「いらっしゃった」という存在に対して、尊敬しているわけです。
かぐや姫>一般人(聞き手)

こんな関係です。

質問文はおおむね問題ありません。

この回答への補足

 申し訳ありませんが、まだよく理解できません。

 「かぐや姫>語り手」なら、「かぐや姫」に尊敬語を使うべきじゃないでしょうか。たとえば、「お名前は何とおっしゃいますか。」。あなた>私なので。「お名前は何と申し上げますか」とは言うのでしょうか。どうして、自分より上の「かぐや姫」に謙譲語を使うのでしょうか。

 また、この例文の最後にある「と言う」は「だそうです」の意味でしょうか。

 もう一度教えていただければ幸いです。よろしくお願い致します。

補足日時:2006/01/08 01:16
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 早速のご返事ありがとうございました。

お礼日時:2006/01/08 01:26

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!