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授業で、英米の政治を学んでいます。
そこで『孤立主義』について勉強しました。
先生の話ではあまり意味が分からなくて・・・。
ただ興味があるので、しっかり研究したいと考えています。
どなたか詳しく教えていただけますか?
詳しく載っている本など、何か媒体になるものをお教え願いたいです。
宜しくお願いいたします。

A 回答 (3件)

1796年の初代大統領ジョージ・ワシントンの告別演説および1801年のトマス・ジェファソンの第一次大統領就任演説によって強調された「孤立主義」は、1823年に発表された「モンロー・ドクトリン」において改めて確認された。

これ以後、アメリカは1917年の第一次世界大戦への参戦まで、19世紀末から20世紀初頭における東アジア政策を除いて、ヨーロッパ大陸の問題に干渉することはなかった。

 第一次世界大戦後、ウッドロー・ウィルソンのように国際協調主義への転換を唱える動きもあったものの、「平常への回帰」を望む世論により、1941年の真珠湾攻撃にともなう第二次世界大戦への参戦まで、アメリカはヨーロッパ大陸に対しては再び孤立主義的外交政策をとりつづけた。

 第二次世界大戦後の1947年に発表された「トルーマン・ドクトリン」および「マーシャル・プラン」においてヨーロッパ大陸への介入が政策化された。以後40年以上にわたる冷戦において、アメリカはヨーロッパおよび極東などの緊要な地域に兵力を展開する前方展開戦略を採用し、伝統的な孤立主義的外交政策は完全に放棄された。

リベラル・デモクラシーの政治文化
http://www.nakanishiya.co.jp/books/ISBN4-88848-8 …
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この回答へのお礼

とても詳しいお話、本当にどうもありがとうございました。
「孤立主義」と「モンロー・ドクトリン」とはまた別のことなのでしょうか?

『リベラル・デモクラシーの政治文化』という本、
検索してとても気になっていたんです。
是非読んでみようと思います。
本当にどうもありがとうございました。

お礼日時:2006/01/22 18:25

 こんにちは。

 No.1さん、No.2さんに付け加えさせていただきます。

 “孤立主義”とは、御二方の指摘通り、かつてのアメリカ合衆国がアングロ・ラティン両アメリカ大陸に対するヨーロッパ諸国の干渉を嫌っていたことを指します。独立国・新興国の中でもある程度の大国となりつつあった自国の発言力を高めたかったわけですね。先輩として政治・経済分野等で、新興諸国をリードしたかったのでしょう。

 合衆国がこれだけ強気に出ることができたのは、大西洋をはさんでのバランス・オブ・パワーが、いわば“西高東低(合衆国等>欧州諸国)”になりつつあったことや、広大な領土、未開の資源等が背景にあったと考えられます。

 参考までに、ウィキペディアさんより“孤立主義”のURLを貼っておきます。言葉足らずで申し訳ありませんが、お役に立てれば幸いに思います。

>>

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A4%E7%AB%8B% …
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この回答へのお礼

なるほど。背景、分かりやすいですね。
そう考えれば先生が話してくれた事にピンときます。
とても参考になりました。
回答してくださって、本当にどうもありがとうございます!!

お礼日時:2006/01/24 14:12

モンロー・ドクトリン


1823年、アメリカのモンロー大統領が、ラテンアメリカ諸国に対するヨーロッパの干渉を拒否すると宣言したことに基づくもので、後に適用の機会が増えて、ラテンアメリカに対する政策の基本原則となった。当初は、国際的中立を守り、同盟国との紛糾を避けるために、主張されたものであったが、次第に、モンロー主義は、アメリカ大陸における政治的な優越性を主張するために使われるようになった。

孤立主義=他国の施策に干渉しない、逆に他国の干渉も許さないとする主義であり、米国が旧欧州から独立時から、新世界である米国は旧社会の欧州とは距離を置き干渉しないしされない=中立的立場という外交路線をとっていた。

コレを具体的に国際問題の中で発言し米国の立場を優位にしようとしたのがモンロードクトリンという解釈をされればいかがでしょうか・・
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この回答へのお礼

はぁ、なるほど・・・。
素晴らしく参考になりました。
先生より詳しく教えていただいて。。
心から感謝いたします。
本当にどうもありがとうございました!

お礼日時:2006/01/22 18:48

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