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ロナルド・レーガンは昔のアメリカの大統領でしたが、このときからイラク・イランへの支援をしていたと聞いたのですが、特にイラクのサダムフセインはレーガンと仲がよかった・・というよりレーガンの言うがままに動かされていた?サダムが。それはなぜでしょうか?当時のレーガンとサダムの関係(アメリカとイラクの関係)を教えてください。またその後サダムはなぜイラク民から嫌われたのでしょうか?アメリカと支援していたからでしょうか?アメリカがイラクと手を組もうと考慮していた時期はいつごろからだったのかなど詳細なことも教えていただけると幸いです。お願いします。

A 回答 (4件)

No.2です。

補足します。

諜報機関についてですが、政権掌握後に反対派(シーア派・クルド人および支持基盤のスンニー派も含む)に対する数々の粛正を行っているサダム・フセインなので、そういった機関があり、自国民に対するスパイ行為を行っていたことは間違いないでしょう。手持ちの資料では具体的な機関名までは分かりませんが・・・。
イランで起こった革命は、ホメイニ師率いるシーア派が主導したもので、さらに湾岸諸国にいるシーア派に対して革命を煽動しました。これに対し、イラクで政権を握っていたのはサダム・フセイン率いるスンニー派でした。シーア派はイラクでは多数派で、しかもフセインから虐げられており不満も強く、イラン・シーア派革命の波及はフセインにとって脅威だったわけです。
同じイスラム教なのだからシーア派もスンニー派も仲良くすればいいと思うのですが、いったん抗争に入ってしまうと憎しみが連鎖してしまってうまくいきませんね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。サダムといえ、この頃の政治家は最悪でしたね・・、まあ今も変わりはないですけど。抗争がなくならない日々はこないですね・・・。とにかく回答どうもでした。

お礼日時:2006/02/16 11:21

ちょっと長いですが、以下のURLの記事を読めば、アメリカとイラクの複雑な


関係について理解できると思います。
(蜜月から憎悪へ…本当に複雑な関係ですよ。ブッシュとビンラーディンにも言えますが)

産経新聞-国際欄-イラク情勢-サダム・フセイン集中講座
 http://www.sankei.co.jp/

参考URL:http://www.sankei.co.jp/
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パーレビ国王時代のイランはアメリカとの関係が比較的良好で、ソ連から領空侵犯してくるMiG-25に対抗するためF-14戦闘機を輸入したりしています。

しかし、レーガンが大統領に就任する2年前の1979年、イランではイスラム革命が勃発し、アメリカを帝国主義の総元締めと見なしたため、一気に関係が敵対的になりました。このイスラム革命が中東全土に拡大した場合、アメリカに石油が入ってこなくなる可能性が高いため、アメリカとしては何としてもこれを阻止しなければならなくなりました。ここでもう一カ国、革命の拡大を阻止しようとした国がありました。1979年のソ連のアフガニスタン侵攻以後、穏健派と強硬派で分裂しかかっていた湾岸諸国の支配権を握ろうとしていたイラクです。こうして、1980年にイラン・イラク戦争が勃発。アメリカの他、フランスやソ連などもイラクを支援して大量の武器を送ったほか、クウェートやサウジアラビアなど、一部の王族が富を独占している湾岸諸国も自国へのイスラム革命波及を恐れて財政支援を行いました。イラン・イラク戦争は1988年7月に停戦し、レーガン大統領は1989年に任期を終えていますので、レーガン政権時代は親イラクであったといって差し支えないと思います。ただフセインがレーガンのいいなり、とまではいかず、フセインの中東支配の野望とレーガン大統領の革命波及阻止という目的がたまたま一致したから協力しただけ、といったところでした。その関係が覆ったのが湾岸戦争で・・・というのはご存じと思います。
フセインがイラク国民から嫌われたのは、恐怖政治を行っていたからです。フセイン時代の政治権力は、国民の30%しかいないスンニー派教徒に握られており、60%のシーア派教徒は虐げられていました。この時代にシーア派教徒全体の指導者が現れなかったのは、シーア派有力者をフセインが抹殺していたからだといわれています。残りの10%はクルド人ですが、彼らはさらに虐げられており、毒ガスまで浴びせられました。さらに、政権内部でもフセインの地位を脅かす有力者は抹殺されてきました。また、湾岸戦争直後、シーア派の多く住むイラク南部で反乱が起きましたが、苛烈に制圧されました。こういった背景があり、イラク戦争で失脚した後は嫌われてしまったのです。ただし、フセイン政権下で有力な地位にあったバース党員などは未だフセインに忠誠を誓い、イラク戦争後にテロを起こしたりしています。

この回答への補足

詳細にわたってありがとうございました。補足なのですが、サダムの政権のやり方は、諜報機関というのを設けていわゆるスパイですが、これを普通の国民の中に紛れさせ、フセインを本当に支持しているかを確認させていて、もしそれを裏切るような行動をした暁には、追放されると記憶しているのですが、これは本当のことだったのでしょうか?またサダムはイスラムですが、隣のイランもイスラムですよね?これは同じイスラムなのにイランのイスラム主義が拡大して、サダムのバース党が崩壊されると思いイランを敵視したのでしょうか?お願いします。

補足日時:2006/02/10 23:03
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敵の敵は味方です。


イランにイラン革命が起こって,アメリカ大使館員を監禁する事件が起こりました。
イランの宗教革命が拡大するのをおそれて隣のイラクを援助し,イランイラク戦争をおこしました。

ロシア革命のときに,アジアが赤化するのを防ぐために,欧米がアジアの番人として日本に期待したのと同じです。
用が済めば潰したのも同じですね。
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