プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

戦国時代において以下の3つのIFを想定した場合、どういう展開が考えられるでしょうか?

1.織田信長が今川に負けて滅びていた場合、天下を統一したのはどの大名か?

2.信長が本能寺の変で死ななかったら?

3.関が原の合戦で西軍勝利(家康も討ち死にしたとして)の場合の天下の形勢は?

A 回答 (12件中1~10件)

今川義元の上洛戦とされるのは、三河を完全に掌握し、尾張西部を支配下に組み入れるためのもので、美濃や近江の諸大名に対して何らかの働きかけをしていないことから、織田家を破った後に引き上げたと思われます。


今川家も含めて、多くの大名は自分の領土を広げることしか考えておらず、戦も農民をかき集めて戦う古いシステムですから、万一信長が桶狭間で倒れれば、次の世代に持ち越されると考えます。
有力なのは伊達政宗ですが、信長との関わりで歴史の中で死んでいった、松平信康(家康長男、信長により切腹)や武田義信(信玄長男、弱体化した今川家との関係で自刃)、上杉影虎(北条氏秀、謙信の養子で、お館の乱で敗死)なども殺されずに一国の主となりますから、どうなるか判りません。
例えば上杉影虎が謙信の跡を継ぎ、実家の北条氏と義兄の上杉景勝(史実では影虎を殺して上杉家を継ぐ)の後押しで北国街道を下って京都に入ることもありえますし、松平信康が氏真に見切りを付けて今川から独立し、名将といわれた弟の秀康(越前松平)とともに東海道を制圧して京都に上る可能性もあります。
ダークホースとしては、信長の命で九州遠征中に戦死した、四国の長宗我部信親も可能性が出てきます。
私の予想では、信長の次の世代が有力と考えます。

本能寺の変ですが、信長が死んだこと自体は問題ではなく、長男の信忠と一緒に死んだことが問題です。
どちらかが生き残れば、織田家が揺るぐことはありません。
例えば信忠が二条城を脱出すれば(叔父の織田有楽は無事に逃げてますから)、そのまま難波に走って四国遠征軍を掌握します。
それから光秀勢力の細川・筒井などの諸大名に味方に付くように勧告すれば、これらの大名は史実でも日和見してるので、光秀から離反し、ほぼ互角の勢力となります。
後は負けないように戦線を膠着させれば、各地の織田大名が続々と集まってきますから、問題なく「織田信忠」が天下を取り、信長の路線が継承されたはずです。
この時点でも信忠は織田家の当主で、尾張・美濃の国主で、実力・人望もありますから、問題はありません。
信長が無事だった場合も同様で、信頼した部下の裏切りで、警戒感も強まり、手堅さが加わると思われます。
恐らく天下を統一した後に世界に眼を向け、中国の華僑に類似する「倭僑」という武装商人がマニラなどの東南アジアに展開し、オランダのような貿易立国になったのではないかな。
関が原で家康が敗れた場合、次男の結城秀康が信州から逃げ帰る秀忠の軍と合体して、関東を固め、伊達の出方次第となります。
また九州では、黒田孝高(如水)が暴れ回り、信州の真田も秀忠を破った功で、信濃・甲斐を領する大大名になり、北陸の上杉も加増されます。
つまり、九州は黒田・島津、中国は毛利、四国は長宗我部、北陸は上杉、中部は真田、東海を織田、東北は伊達が割拠し、近畿が石田三成が抑えることになります。
徳川も関東を中心にした大大名として残り、秀康は豊臣家とも仲がよいので、彼を中心にまとまっていくと予想されます。
三成では統一は難しいので、暫く戦乱が続き、伊達政宗か徳川秀康などが再度天下を握る可能性があると思います。
豊臣秀頼や織田三法師(秀信)は史実では無能な面が強調されてますが、環境が変われば案外有能かも知れません。
こうなるとどうなるか?
    • good
    • 4

1の場合今川義元がそのまま京に上洛おそらく足利家の後ろ盾位置で室町幕府は滅ばさないでしょう。

今川義元の軍師 大原雪斎が存命だったら、足利家も今川家もお飾りにして大原家が鎌倉幕府の執権北条家みたいに全国に権力を振るうのではないのでは、ないでしょうか。
2いつかは信長は失脚するでしょう。柴田勝家も女癖の悪い信長を実力行使で諌言してます。比叡山焼き討ちでは秀吉も不快感をおこしているし、浅井朝倉滅亡の時は複数の諸将からヒンシュクを買ってます。じゃあ誰が天下を獲るかやっぱり秀吉か家康でしょう。
3毛利輝元は坊ちゃん大名なので無理。石田三成は人望がないので乱世もどるか。ただあの男が不気味。もしかして黒田如水がドサクサにまぎれて天下統一するかも。
    • good
    • 1

1 当面は義元は同族の足利義昭を立てる。

義昭は、足利幕府の再興を願い、義元もこれに応えようと一時的に美濃、近江をおさえ、京に上るが、古い制度の幕府は短命に終わり、やはり実力でのし上がる下克上の時代が長くのである。 
2 信長は、生きていても味方が200名あまり。やがて安土城も明智方に落ち、街道も押さえられ、行き場を失う。近江国内に潜伏か?
3 西軍勝利とあらば当面は、三成が豊臣の家臣の中心として秀頼を補佐し、大名の配置替えなどを行う。臨時的に小早川秀明(最後まで西軍で戦った)が関白。大坂城の輝元は、秀頼の後見人か。三成の手腕次第で、確固とした豊臣政治体制が確立された。
    • good
    • 0

1.織田信長が今川に負けて滅びていた場合、天下を統一したのはどの大名か?



織田信長が天下統一を達成寸前までいったのは、本人に天下を統一する意思があったこと、そのためには農業のみに基盤を置く当時の常識を捨て、商業にも基盤を置くことにした、実際に尾張/伊勢/美濃/近江と所領が幸運にも商業の発達した地域だったという2点が大きいと思います。

織田家滅亡後、統一の意思を誰が持ったか分かりませんが、武田/上杉/北条/毛利/島津などは商業に基盤を置くという発想がなかった点、徳川家康も家康自身にそれほどの非常識路線を歩める人物に思えないし、拠点の三河がそれほど商業の盛んでなかったことを考えると、苦しい気がします。

しばらくこうした地方大名が覇権争いをしている中で、突然変異的にヒーローが出てきたのではないでしょうか?

ヒーローが出てくる地域としては、やはり美濃/近江/摂河泉など、農業生産も大きく、なおかつ商業も発達していた地域が確立としては高いと思います。

ということは、斉藤、六角、三好の中で、家のごたごたをまとめることができた大名家がじわじわと統一に進むことができた気がします。



2.信長が本能寺の変で死ななかったら?

当時、石山戦争も終わり、毛利も決戦をしたら負けは必至の状態。北条は徳川と結んで半屈服の状態であったことを考えると、毛利・上杉が降伏した段階で、地方の諸大名はなだれを打って織田家に臣従し、統一されたと考えます。

ただ、本能寺の前にも、信長自身の思想や行いは、明智光秀だけでなく、重臣のほとんどにも恐れられていましたから、1代で織田家の支配は終わり、群雄割拠の後に徳川家康が最終的に天下を取るような気がします。

信長としては、秀吉などの家臣よりも、終生裏切らなかった同盟者家康の待遇を最優先したでしょうし、そうなると自力の違いで秀吉も家康に勝てないと思います。



3.関が原の合戦で西軍勝利(家康も討ち死にしたとして)の場合の天下の形勢は?

東軍の中でも、豊臣家に忠誠を誓う大名は多かったですし、建前上の西軍大将毛利輝元は大阪城にいましたから、東軍の大半はあっけなく西軍に降伏したと思います。

その後は豊臣家を中心とした国になると思いますが、地方の大名が強すぎて、常に不安定な世の中だったと思います。

そのままいけば、黒船来航時も国がばらばらで、欧米に付け込まれて近代化に遅れたかも。
    • good
    • 1

1、織田を滅ぼしたとしても、(信長と同じルートとして)斉藤、浅井、六角って、いますからねぇー。

滅ぼすとしたら、時間かかりますし、友好関係気付いて、一時期足利幕府を保護するのが精一杯じゃないでしょうか。結局、息子が息子ですから・・長持ちしないでしょうね。家康は、せいぜいその重臣で終わるでしょう。
でも、足利継続って意味で統一に一番近い気がします。
他の勢力は、史実からすると、島津が九州、長宗我部が四国をほぼ統一するんでようけど、それ以上望まない気がします。北条・武田・上杉もあれ以上領地増えないでしょう。
もたもたしていると、伊達が東北で領地増やしてくるわけですが、どこまでいけたものか。上杉や佐竹でもたついてるようだったら、むずかったと思いますが、若いですから、うまく勢力を傘下にしていけば、可能性はあったのではないでしょうか。
そうすると一番近いのは、毛利ではないでしょうか。
中国地方統一して、京までいけたと思います。

2、また謀反されるでしょうし、どっちにしても年ですから・・。信忠が、うまく政治すれば、持つでしょうし。早死しようものなら、史実と同じように、重臣に乗っ取られる。

3、秀頼政権続く。ただ、結局、重臣に乗っ取られたり、不安定な政権になりそうです。秀頼の教育がいまいちそうだし・・。
    • good
    • 0

1.当時の大名で明確に天下統一を思想したのは信長だけのようですから、信長が早くにいなくなれば当分は誰も天下統一などは考えず、そのまま戦国の世が当分は続いたかと思います。



2.信長が本能寺で死ななければそのまま天下統一した筈です。
信長は他の武将と異なり経済観念が非常に優れており経済重視の人ですから、国内を平定すれば他国と貿易を進め、場合によっては朝鮮半島には進出したかもしれないですね。

信長は“武家の棟梁”を目指した訳ではなく、日本国の王になろうとしたみたいですから、天下統一後は自分の上の存在である朝廷や公家を抹殺したかもしれないですね。

3.徳川軍が負けて家康が亡くなった状況であれば、徳川家はすぐに巻き返すようなことはできない状態かと思います。
天下は豊臣家(秀頼)を担ぎ上げ、実際には大老や奉行による合議制の政権になるのでしょうが、中心になると思われる石田三成は求心力が無いでしょうから、大名達の様々な思惑が絡み合い結局は安定せずに、また不安定な状態になってしまうのではないでしょうか。
    • good
    • 0

1.そもそも信長は「天下布武」を掲げて、天下を武力を持って平定する。

と明確な意思の元に行動していました。
 当時の大名には天下統一という考えはあまりなかったように思えます。ありえるのは京に上り、将軍の後ろ盾となり高位の官位を戴き、他国の大名に対し有利な立場をとる。といったところではないでしょうか?
 諸大名は信長のように将軍を追放し幕府を転覆させようとは思わなかったのではないでしょうか。なので天下統一ではなく、日本で一番強大になるであろう大名は武田や毛利ではないでしょうか。上杉は実子がいませんし徳川は今川の属国のままでしょう。伊達や島津は地理的に京から遠すぎると思います。やはり当時としては上洛するという意味が大きかったからです。

2.まず間違いなく天下統一を成し遂げていたでしょう。大勢力とは融和政策を打とりながらも抵抗する者は徹底的に弾圧し本州、四国、九州を完全に支配下に置いていたでしょう。北海道や琉球は実効支配はしないものの統制化に置き、完全に日本掌握を成し遂げます。信長は経済感覚に優れていましたしクリスチャンに対しても寛大だったので徳川幕府のように鎖国などせず外国との貿易を積極的に行っていったと思います。

3.たとえ家康が死亡したとしても徳川の主力は健在ですし徳川250万石は他の大名と比べ圧倒的な石高です。関ヶ原で東軍が敗れたとしても残存兵をまとめ一度江戸に戻って態勢を整えれば数年は戦いが続いたでしょう。
 ただ、秀忠の諸将を繋ぎ止める求心力や政治力はまったくの未知数です。また豊臣220万石(240万石という説も)がどのような対応を取るのかも大局を決定づけさせるでしょう。秀頼がまだ幼少のこともあって三成や輝元が政治を進めていくでしょうがどれだけ大名を懐柔できるかが形成を左右すると思います。(関ヶ原以後も戦いが継続していると仮定して)
    • good
    • 2

 こんばんは。

面白そうなので、参加させてもらいます。
1.織田信長が今川に負けて滅びていた場合、天下を統一したのはどの大名か?
 地理的、勢力的に見ても毛利だと思います。武田は距離がありすぎるし、徳川はまだ弱小だと思います。
2.信長が本能寺の変で死ななかったら?
 四国、九州と順に制圧できたと思います。二条城で死んだ信忠は、かなりの武将だったとありますので、関東、東北と徳川他を先方にして制圧できたと思います。その後、徳川も吸収してしまうのではないでしょうか。
3.関が原の合戦で西軍勝利(家康も討ち死にしたとして)の場合の天下の形勢は?
 五大老が中心に動いていくと思いますが、地理的、勢力的に見ても毛利だと思います。
 
    • good
    • 0

1.地の利から考えて、そのまま今川義元が上洛。

ただし、彼には倒幕の意志は無いので、足利義昭を補佐して足利幕府の延命に寄与。やがて、無名の新興大名の中から倒幕勢力が現れる。

2.意外と全国統一にてこずったのではないでしょうか?各地の有力大名相手に融和的な対応を取ったからこそ、秀吉はあんなに素早く全国統一出来たのですが、信長の場合対抗勢力は根絶やしにしていきますから時間がかかったと思います。特に、北条、伊達を含む東北勢、島津の制圧にはてこずったのでは無いでしょうか?しかも、この種の独裁支配者は身内に暗殺されるか早死にが多く、その死後は後継者も滅ぼされるケースが多いですから、やっぱり全国統一前に死んだ気がします。そして織田家は彼一代で滅んだでしょうね。

3.とりあえずは、三成主導の合議制政権となるでしょうが、彼はあくまで官僚タイプのようなので、別の有力者が現れて豊臣家をお飾りにした実質支配を行うでしょうね。
    • good
    • 0

1.甲斐の武田、小田原の北条あたり?ただ、やっぱり「織田!」のようにははっきり言いにくいところが弱い・・・。



2.想像もつかない・・・。

3.太閤が支配する世がどんなものか判らないが、間違いなく首都は大坂になっていたでしょう。三成と言うよりも太閤秀頼の支配する世になっていた事と思います。まあ、これは「かなりあり得ないIF」ですけど。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!