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すごく形は似ているのに、全然反対の意味になってしまうのが不思議です。「口」だと「ゆるして」、「又」だと「おこる」のは何故でしょうか。
くだらない質問で恐縮ですが、どなたかよろしくお願いします。

A 回答 (2件)

下記URLにそれに因んだ説明が少ししてあります(^^)



参考URL:http://www11.ocn.ne.jp/~gorou/colum22.htm
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この回答へのお礼

ありがとうございます。「怒」→「恕」or「怨」という流れを国際問題を例に説明されており、わかりやすかったです。勉強になりました。

お礼日時:2006/03/19 09:17

恕は女に心を寄せない(ロ=ゼロ)こと


怒は女に心を寄せる(又=股をかける)ことです。

女、ロ(又)、心は、神の育ての仕組みの母で苦労、結ぶ、真魔の間で苦労を引き受ける人の三位です。

苦労は他人を通しても自分に与えられます。一切を神の声として心を素直(口空にして)に受け入れることが恕(ゆるす)の原義です。これを信仰といいます。

アダムに肉のイヴ(異部、穢場=全ての母=女=凹)が与えられて、仇務(父=凸)の仕事ができて育つ(子魂作り)チャンスが与えられたとアダム(心=精神=男)は喜んだのです。

ヌで結ぶことのヌは、神の吹き降ろす負の風を受け止めて闘う首の働きです。ヌ=×で、受け止め方に間違いがあることです。ヌは股に通じ物質的に受け止めることで悪に錨をあげる、です。怒りは無信仰者の表わすものです。

ヌをスに改めることが×が人になることで、三位をI愛で統めることで、王→主になることです。
ス(ゝの主神)の錨を上げると正義感を表わすことになります。
怒らないことは、母主神の与える人生の苦労を恕して、精神のイカリを天に勃起させることなのです。
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この回答へのお礼

丁寧な回答、ありがとうございます。

お礼日時:2006/03/19 23:05

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