こんにちは。
地球上に存在したもしくはしている国で、最大の領土を誇る国と、最古の歴史を誇る現存する国を教えてください。

A 回答 (3件)

#1の回答補足に日本の天皇の血統に触れていたので、ちょっとフォロー。

回答ではありません。あくまで日本はどれくらいの歴史を持っているのか、ということだけ。

神武天皇(初代天皇)は存在はまぁ確かでしょうが、いかんせん文書として残る最古の資料「古事記」「日本書紀」の年代よりずっと古い時代のことで、それまで口で伝えられてきたのと、またこの2冊で書いてあることが微妙に異なること、古代人なのにやたら長生きなことなどから、正直即位年はあやしいです。一応下記URLを参考に紀元前660年としましょう。今年で2660年の歴史を誇っています。
また、26代継体天皇はその前までの血統を実はひいていないのではないか、という説もあります。継体天皇からカウントすると、西暦507年からになります。この場合、今年で1496年の歴史を誇ることになります。

参考URL:http://www.hoops.ne.jp/~sado001/list/list_01.htm
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
教えてくださったページに行きました。
かなり面白かったです。

お礼日時:2000/12/21 12:56

歴史上最大の領土を誇る国はやっぱりモンゴル帝国。


元代になるとモンゴル帝国は
4つに分裂してしまうんです。

最古の歴史を持つ現存する国としては
エジプトだと思います。
紀元前6000年前の文明はエジプト文明をおいて
他にないとおもいます。

この回答への補足

最大の国について
 でしょうね・・・やっぱりモンゴルですよね。
 元はフビライがチンギスから受け継いだ土地と 
 中国本土を支配したわけだから・・・チンギスが
 得た土地のほうが広大ですよね。
 元が最大という説を聞いて、「うーん地図といえば
 メルカトル図法の地図を思い浮かべる人間の盲点を
 ついてるのかしら?」とも、ちょっと納得しかけたり
 したのです。

 エジプトは国名の観点で最古でしょうか。
 あそこは王朝が変わっていったから。

 

補足日時:2000/12/20 11:20
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最大の図版を記録したのはチンギス・ハンのモンゴル帝国だと思います。

「最古の」となると一寸難しいですね。いろいろ見方がありますから。

この回答への補足

モンゴル帝国と元のどちらかと思うのですが
(自分はモンゴルだと・・・)「元」という答えも
あるのです。元だと中国南部まで南下して、北部を
失ってるわけだから・・・プラスマイナスどちらが
多いのだろう?微妙にモンゴルの勝ちな気がするな~。

最古の の観点は、
(1)王家、もしくは国家代表の血統がもっとも古いもの
(2)国名が変わらないもの 
の2つとしましょうか。

(1)だと実は日本でしょうか?
(2)はギリシャ?

補足日時:2000/12/19 18:25
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一応領土の分る地図を添付しました。
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専門家じゃないんで(^0^)多分そうだと・・・。

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建てられた王朝だったのでしょうか?

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幕府は変わっていても、歴史は続いたといえるのでしょうか?
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乱文すみません、私自身、日本を愛したい思いで質問させて頂きます。
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大変申し訳ありません。

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Aベストアンサー

>日本は世界最古の国だと聞いたことがあります。

その命題に関しては肯定も否定もする立場にはありません。最古とは?国とは?定義と解釈によってどうにでも結論は変わりますし、仮に最古だからといって誇らしい理由にもならない。

>それは、王朝が2000年以上続いたことが理由でしょうか?

まあ、そう解釈しても間違いではない。そもそも日本という国と日本人という概念は、天皇の存在を抜きにしては定義できません。日本の歴史において、天皇の信任を得ないで日本を統治した政権は一つも存在しないのです。鎌倉幕府、室町幕府、徳川幕府は天皇に任じられた征夷大将軍という肩書きがあったからこそ、統治権の正当性を主張できたのです。「平氏にあらずんば人にあらず」とまで謳った平氏政権が倒れたのは、天皇の信任を失ったからです。平氏を討てという呼びかけに応えて、鎌倉幕府を立てたのが源氏でした。南北朝時代の本質は、そこにあります。鎌倉幕府が統治を続ける為には、鎌倉幕府を討てと主張する後醍醐天皇に変わる鎌倉幕府を信任する別な天皇がどうしても必要だった。そこで鎌倉幕府は後醍醐天皇が譲位したことにして、北朝の光厳天皇を即位させました。ところが、それはあまりに強引すぎるやり方だったので、後醍醐天皇は自分は退位していないとして光厳天皇の即位を否定しました。天皇の信任を得ないと日本を納めることなどできない。だからこそ鎌倉幕府は、そんなインチキみたいなやり方を発明してまで、鎌倉幕府を信任する天皇の擁立にこだわったわけです。もし、天皇に関係なく日本を統治できるのなら、そんなことはしないで済んだはずです。足利尊氏は、鎌倉幕府を討てという後醍醐天皇の命令に従って鎌倉幕府を倒します。しかし足利尊氏は、その後醍醐天皇から離反し、北朝の光明天皇を擁立し、光明天皇の任命によって征夷大将軍に就任し室町幕府を開くのです。室町時代は、戦国時代、安土桃山時代を経て江戸時代に変わる。1603年徳川家康が後陽成天皇から征夷大将軍に任命される。このように日本を統治するには常に天皇の信任が必要だった。日本を店に例えれば、時代によって番頭が変わっただけで、この原則は一環しています。それはGHQ統治時代とて例外ではない。それまで日本のことなど何も知らないマッカーサーは、日本に上陸した途端に日本がそういう国であることを理解しました。外国人のマッカーサーが理解できることが、日本で生まれ育った日本人にどうして理解できないのだろうか。現代の民主党政権だって同じです。歴代の総理大臣がどれほどそれを意識しているか分かりませんが、天皇に任命されたという事実があるからこそ、馬鹿だの阿呆だのと罵倒されても倭国大乱にならずに済むのです。イラク戦争後のイラクを見てください。もう5年ぐらいになるのだろうか。いまだに爆弾テロが収まらない。それは政府の正当性が認められていないからでしょう。しかし戦後の日本でGHQ統治時代に爆弾テロを起こした日本人など一人もいません。天皇が武器を置けと命じれば、日本人は必ずそうするのです。個人的な思想として天皇の権威を認めないという考えの人がいても構いません。しかし、そうであっても誰にも日本の歴史を否定することなどできません。

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>現在の中華人民共和国が4000年の歴史ではないと聞きました。
>中国は王朝がよく変わりましたが、それは異民族により、
>建てられた王朝だったのでしょうか?

世界一単純な歴史を持つ日本人に、世界一複雑な中国の歴史を理解することは不可能です。中国には天命思想があります。中国の統治権は天の任命によるという思想です。王朝として政権を続けるのも、別な政権に政権を移譲するのも、別な政権に討たれるのも、全部天命として理論的に正当化されてしまいます。だから異民族による統治を受けるという選択肢も否定されないのです。王は皇帝によって任命される。では皇帝は誰が任命権者なのか。それが天なのです。といわれても天とは何ぞや。天の意思はどうやって表現されるのか。これが難しい。中国は必ずしも統一王朝だったわけでなく五胡十六国、五代十国など短命王朝が分立していた時代もありますが、それも天命に基づくと言われれば、外国人である日本人に異を挟む余地などありません。なんせ中国大陸は、地続きで周辺異民族との明快な国境など存在しないのです。只の草原が続くばかりで自然の境界など皆無に等しいのだから、いくらでも侵入できてしまう。だから歴代王朝の最大の任務は万里の長城の保守と維持であった訳です。日本に例えれば、樺太からウィルタ、ニブフ、アイヌが頻繁に南下して日本に侵入し、襲撃、略奪、統治などをするようなものです。中国では毎年のように元寇が起きているようなものです。幸い、日本は海に囲まれているし、樺太には犬はいても馬は居なかったので、史実ではそういったことは全く無かったわけです。そもそも中国とは何ぞや。中国という概念を提唱したのは孫文が最初です。孫文が中国同盟会を結成する数年前の義和団事件では義和団は、扶清滅洋というスローガンを唱えて、排外テロを正当化していました。清を助けて、西洋を滅ぼすという意味なのでしょう。このスローガンに漢民族の国家観が表現されていると思う。先に太平天国の乱の際には太平天国は滅満興漢と唱えました。人民にとっては王朝が漢民族だろうが満州族だろうがモンゴル族だろうが善政を施してくれるなら誰でも良いというのが基本的な思想だということなのです。だから、太平天国はあえて滅満興漢と唱えて漢民族の民族意識を呼び起こして内乱を正当化しようとしたわけです。また清に対する方向性は逆ですが、義和団は扶清滅洋と唱えて、排外テロを正当化しようとしました。どちらにしても中国人民の王朝観は同じなのです。統治する側と統治される側という区別があるだけで中国人には国家意識など存在しなかったということです。だから清が英仏に連戦連敗でも、なんだふがいないなあという感慨はあっても自分たちの国が負けたという観念も生まれない。孫文が提唱した中国という概念は、もう漢民族や満州族といった意識に囚われる時代ではない。西洋と伍していくためには皆同じ中国人という意識を持って助け合っていこうという呼びかけなのです。現在の中華人民共和国は基本的にこの孫文の思想を継承しています。共産党の指導を国家運営の根本としていますが、民族意識としては孫文が提唱した中国人という概念を認めているのです。そういう国家観は中国の歴史を肯定する為の概念でもあるのです。つまり元や清は異民族王朝ですが、中国人という概念を発明したことによって、それも中国の王朝であって、異民族に支配された屈辱の歴史でもなんでもないのだという論理が成立する訳です。

ここで方向を変えて西洋を見てみましょう。西洋では皇帝や王の任命権はローマ教皇にあり、皇帝には王の任命権がありました。つまり王権は、皇帝かローマ教皇かどちらかに任命されることによって正当性が主張できたのです。元は古代ローマ帝国に遡る。古代ローマ帝国がキリスト教を公認したのは、ローマ教皇の信任によって皇帝の統治権を正当化する必要性に迫られたからでもあるのです。イングランド国王は現代に至るまで、ウェストミンスター寺院で戴冠するのが慣例です。インドランドはヘンリー8世が宗教改革によってイングランド国教会を成立させるまではローマ教皇の信任を得て、王位に就任していた。イングランド国教会の長はイングランド国王ですからイングランド国教会の成立というのはローマ教皇から完全に縁を切るということです。ローマ教皇の干渉を排除するという政治的動機がイングランドの宗教改革の動機であり、カトリックから見れば政教分離でありイングランド国教会から見れば政教一致の体制です。

ここで西洋を引き合いに出したのは、西洋のローマ教皇の役目を果たしているのが中国では天であり、日本では天皇なのだといいたいからです。といって天皇は宗教界の長というわけではありません。ローマ教皇が果たしてきた役割の一部を歴代の天皇が受け持ってきたと訴えているだけです。当然ながらローマ教皇と天皇を同一視しているわけではない。ローマ教皇が西洋の複数の諸国家に横断的な普遍的権威を持っているのに対して、天皇は日本だけですから。例えば、大航海時代にスペインとポルトガルはトルデシリャス条約を結んでお互いの勢力圏が衝突しないように事前に協定を結んで新世界を分割しましたが、それを仲介したのがローマ教皇です。お互い不満もありましょうが、私の顔に免じて、これで納得してくれといった話です。こういったことが権威の価値なのです。お互い鉾を収めなければ戦争になって共倒れになる。だからお互い妥協できるラインを見つける。

日本国内において、こうした役割を果たしてきたのが天皇という存在なのです。それが日本という国です。念のために付け加えれば、天皇はいつの時代も絶対的権威を誇っていた訳ではないし、権威を振りかざそうとしていた訳ではないということです。例えば、正親町天皇は秀吉の朝鮮出兵計画を諌めようとしましたが、秀吉は耳を貸さずに、史実通りのことになって豊臣政権の寿命を縮めてしまった。
で文字数政権で御終い。

>日本は世界最古の国だと聞いたことがあります。

その命題に関しては肯定も否定もする立場にはありません。最古とは?国とは?定義と解釈によってどうにでも結論は変わりますし、仮に最古だからといって誇らしい理由にもならない。

>それは、王朝が2000年以上続いたことが理由でしょうか?

まあ、そう解釈しても間違いではない。そもそも日本という国と日本人という概念は、天皇の存在を抜きにしては定義できません。日本の歴史において、天皇の信任を得ないで日本を統治した政権は一つも存在しないのです。鎌...続きを読む

Q男爵国、伯爵国はかつて存在した?

公国 (公爵)
Grand Duchy of Luxembourg

侯国 (侯爵)
Principality of Liechtenstein
Principality of Andorra
Principality of Monaco

なら、男爵の治める国や伯爵の治める国が歴史上に存在していたと考えても不思議ではないでしょう。

男爵国、伯爵国はかつて存在しましたか?

Aベストアンサー

公国は、王または、皇帝以外の君主国家を指します。
(西洋において)
ですから、伯爵や侯爵などの場合でも、独立国家となった場合は、公国となります。

リトワニア公国やキエフ公国など。

ですから、リヒティンシュタインにおいても、独立国家となった時点で、公国(principality)となります。
principalityを名乗る国家としては、モナコ公国、アンドラ公国、(セボルガ公国)があります。

一方、ルクセンブルクは、大公国(grand duchy)で、公国よりも各上になります。

皇太子、王太子などを、プリンスとするのは、イギリスにおいて、王位継承者が、ウエールズ公(プリンス オブ ウエールズ)の爵位を受ける事が、慣例となっている事から生じました。

十字軍国家の、エデッサ伯国や、トリポリ伯国は、実質的には独立していましたが、形式的には、エルサレム王国に属していました。

したがいまして、独立国家と認められた段階で、公国とみなされるため、男爵国、伯爵国は存在しません。

アンドラ公国は、フォア伯とウルヘル司教の共有地であったのですが、独立国家となった段階で、公国となりました。

公国は、王または、皇帝以外の君主国家を指します。
(西洋において)
ですから、伯爵や侯爵などの場合でも、独立国家となった場合は、公国となります。

リトワニア公国やキエフ公国など。

ですから、リヒティンシュタインにおいても、独立国家となった時点で、公国(principality)となります。
principalityを名乗る国家としては、モナコ公国、アンドラ公国、(セボルガ公国)があります。

一方、ルクセンブルクは、大公国(grand duchy)で、公国よりも各上になります。

皇太子、王太子などを、プ...続きを読む


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