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特に大学関係者・出版関係者の方に伺いたいのですが、
A教授著の教科書・専門書が発刊されているとして、「実際にはA教授ではなくて実は弟子のBさんが書いたものだと」まことしやかな噂を聞く事がたまにありますが弟子の講師や助手がゴーストライターをする事って結構あるものなのでしょうか?それともそんな話の大半はデマなのでしょうか。
学説や大筋は教授の考え通りだとしても、実際に草稿するのは弟子というケースは皆無に近い事なのでしょうか。

A 回答 (6件)

 大学関係者です。

私の在籍した大学ではありませんが、二本で誰もが知っているトップクラスの大学で、ゴーストライターをやっていたという知り合いがいます。最近、博士の学位論文を提出された方ですが・・・。実際には、教授が弟子筋にこのあたりをまとめておいて!と依頼し、先生にまとめましたと持っていくとそれが本になっていたという話です。あるいは学生の研究ネタを教授の名前のみで提出してしまうということも実際ありますよ。その代わり、口止め料?というか、謝金はきちんと出ているようです。また、その教授は、自分の弟子の就職場所も確保する方なので(しかも、条件のよい大学へ弟子を送り込む)、今のところ院生達の愚痴は内部で止っているといったところです。
 別の例では、弟子の研究を(全く弟子の指導をしないにも関わらず)、共著(共同研究者)として名前を入れさせる教授もいます(このパターンは、残念ながら非常に多い)。弟子が論文が完成した際に、教授論文を持って行きチェックを受ける。通常は修正もせず、じゃ僕の名前を入れておいて・・・と。
 上記、2例とは違う例ですが、社会学者のG・H・ミードの例は非常に有名です。彼は、自らが望んで弟子達にゴーストライターを頼んだわけではないのでしょうが、彼の著書、例えば「精神・自我・社会」は、著者名こそミードの名前になっていますが、実際には、彼の弟子達が、ミードの講義録を集め、まとめたものが著書として出版されています。(日本語の文献では、アマゾン等で精神・自我・社会で検索してみて下さい。ミードの著作として紹介されているはずです)

関連URL
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/forbidden/thesis1.htm

ミードの覧を参照(人物紹介)
http://www.wink.ac/~simanami/socio/person.html

(参照URL HP内に記載)
During his more-than-40-year career, Mead thought deeply, wrote almost constantly, and published numerous articles and book reviews in philosophy and psychology. However, he never published a book. After his death, several of his students edited four volumes from stenographic records of his social psychology course at the University of Chicago, from Mead's lecture notes, and from Mead's numerous unpublished papers. The four books are The Philosophy of the Present (1932), edited by Arthur E. Murphy; Mind, Self, and Society (1934), edited by Charles W. Morris; Movements of Thought in the Nineteenth Century (1936), edited by Merritt H. Moore; and The Philosophy of the Act (1938), Mead's Carus Lectures of 1930, edited by Charles W. Morris.

参考URL:http://www.iep.utm.edu/m/mead.htm
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
トップクラスで誰でも知ってるとなると旧帝大の中でも限られてきますね。首都あるいは古都の大学でしょうか。
日本を代表する大学でも弟子が代わりに書いて師の名で出版する事ってあるのですね。確かに弟子なら師の学説の細部に至るまで熟知しているかもしれませんが、その本を教授本人の著作だと信じて買う立場としては騙された気がします。

ミードの英文の転載、ありがとうございます。
弟子が書いた事が周知の事実なら良いですが、#4さんのお知り合いの2例の様に、弟子が書いたものを自分の業績として発表するのはどうかと思いました。弟子はご褒美が貰える分良いですが、教授本人の著作と信じて高い本を買った人はある意味被害者ですね…

お礼日時:2006/04/20 13:33

私の関係分野では多いです。


読んでいると文体が変わってきますので.著者が代わったことがわかります。
私の先生はコーストライターでした。後書きの部分に運良く名前が載りましたが。

翻訳物ですと.学生に課題として「これ約しておけ」と出して.自分の訳として出版する方もいます。

先生にもよりますが本人は「監修」ということで先頭に載りますが実際に書いた人を全員著者欄に記載する方もいます。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
#6さんの関係分野では多いのですね。
共著や監修、○○編の扱いなら良心的ですが、まるまる弟子に書かせて自分の著作として発刊するのは読者に対する裏切りというか欺罔行為ですね。
教育者がそんな事じゃ困ったものですね・・・

お礼日時:2006/04/20 13:40

ごめんなさい。

下記、誤字がありました。二本は、もちろん日本です。自分で誤変換に気づき、笑ってしまいました。では。
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この回答へのお礼

わざわざのご訂正ありがとうございます。

お礼日時:2006/04/20 13:34

 皆無とは断定できませんが、そうそう起こることではないのではないでしょうか。



 ゴーストライトというのはその内容も含めて、あたかも著者となる第三者が書いたように、文章を考え組み立てること、を指すと考えます。
 つまりこの場合、お弟子さんが自分で研究して纏めた文章をあたかもA教授が研究して纏めたように書くこと(書かせられた)ことです。

 ゴーストライトの意味にはもう一つ、文章初心者や文章が書けない(苦手な)人に替わって文章を組み立てる(作成する)という意味も含んでいます。

 自伝や自費出版のなかの自分史などでも「ゴーストライト」と言い表されます。しかし一般の方にそうそう文章を組み立てられる方はいません。それこそ自分で小説を書いていたり、俳句や詩歌など文章に関わっていれば別ですが、ほとんどの場合、ライターさんが本人からお話しを聴いて、それをふくらませ、肉付けをして一冊の本に纏めます。この場合「口述筆記(資料の提供も含む)」や「代筆」などと言います。

 ですので、研究のテーマ、方針、論証などを教授がやっているのであれば、この場合いわゆる「ゴーストライト」ではないと思います。

 ここでちょっと外れますが「教室」ということについてお話しさせて下さい。

 大学などは教室(教授を筆頭とするチーム)ごとに研究テーマがあります。当然教授の得意分野や専門分野にテーマが絞られており、その内容に興味を持つ、あるいは勉強した人たちが、そのチームの一員(講師、助手といわれる人たち)として同じ、もしくは派生する研究に着手します。
 なので基本的にその教室の研究は「A教(授)室(チーム)による研究」だったりします。

 zzz33301さんがその教科書、専門書を利用する方ならこんなことはご承知かと思いますが。

 「お弟子さんが書いたもの」とありますが、「A教授の教室で研究していたテーマ」を「その中の弟子の方が文章を纏めた(書いた)」のか「この研究に関係していない弟子が書いたのか」でも意味が違ってくると思います。
 ゴーストライターという意味と同時に、この「書いた」という意味プラス、その研究にお弟子さんがどう絡んでいたかにも因りますので、一概に著作権を含むゴーストライトとしてとらえるのはどうかと思います。


 あまり的確な回答ではありませんが、ご参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
>そうそう起こることではないのではないでしょうか。
そうなのですね。
ゴーストという書き方が正鵠を射てなかった点、お詫びします。

「教室・研究室」については学部によって扱いがかなり違うのではないでしょうか。
私は法学部の学生ですが、法学部に関しては教室制を採ってないと思います。
その為、同じ大学で同時期に、A教授とそのの弟子筋のB・Cが3人とも同じ学問分野(例えば民法学)の教授をしている事もあるでしょうが、その場合も研究テーマは3人とも違うと思います。
それに、その分野の専任教員は教授だけで助教授も専任講師もいないケース(特に実定法以外の分野)も少なくないようです。
法学部は卒業論文がない大学が多いので、学部生が研究棟の方と関わる機会が少ないのでもしかしたら間違っているかもしれません。

#3さんのおっしゃる通り、ケースによってかなり違ってくることと思います。
ありがとうございました!

お礼日時:2006/04/18 16:40

どこまでかの線引きが難しいところですね。


しかし意外と多いと思いますよ。

学術論文でファーストオーサー(筆頭者)がその研究、執筆をした人間ではなく、教授や助教授なんてのはたまに見かけます。もちろん監修程度はしますが、教授が筆者、しかも筆頭者になると言うことは不思議なことではないです。

というのも、例えば学生や院生、講師にしても、その出版物にまでこぎつけた根源(発想など)にあるのはその教授であり、資金的、人的援助を受けていること、教授からの指示で行われていることが多いです。
また弟子の『B』の名前で出しても、世に認知されないということも原因でしょう。

この現実を踏まえた上で、『教授の右腕としてした仕事=ゴーストライター』と呼ぶか否かはあなた次第です。
そのような現実があっても噂にならず、それが当たり前なのが大学と言う施設です。もし自分だけの名前で出したいのなら、自ら独立するしかありません。
ですから草稿するのは弟子というケースは、皆無ではないはずだと思います。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
意外と多いですか。

出版にこぎつけた根源ですか。そういう考えはあるでしょうね。特に教授を筆頭にチームの中で研究している学問分野だと尚更でしょうか。

私が想定していたのは「A教授は著名教授で多忙なので、そろそろ新しい教科書・専門書を書く時期なのだけどとにかく忙しいので、自分の代わりに弟子筋にあたるB講師に書かせて自分の著作として発刊した」といったケースだったのですが、そういう事例はあっても稀有なのかもしれないですね。

お礼日時:2006/04/18 16:49

助手や弟子や学生が書いた原稿を監修して自分の名前で出すことはないでしょう。

そんなことをしたら、噂になって、クビが飛びますよ。
上の場合は、日本一太郎教授著でなく、日本一太郎教授監修となります。そして、目次に、章ごとに執筆者の名前が記されます。監修者は前書きとか後書き、あるいは、一章だけ執筆する、などです。これは立派な著作活動ですよ。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
○○監修ではなくて○○著の方です。
確かに万が一表沙汰になれば首が飛ぶでしょうね。
学術論文の場合はたまに学者の不正問題が明るみに出ますから、著作に関しても全てが全て与太話でもないんじゃないか?と思ったのですが実際には皆無に近いのでしょうか・・・

お礼日時:2006/04/18 13:32

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