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手掌紋D線3型出現率から求めた朝鮮人との距離

近畿 0.007
中部 0.012
中国 0.035
九州 0.035
四国 0.038
東京 0.048
東北 0.068
南西諸島 0.092
アイヌ 0.118

山口敏「日本人の顔と身体」より

上のような資料を見ましたが、
実際、朝鮮人と日本人の祖先というのは、どの程度
混血しているのでしょうか?
1000年、2000年単位で考えた場合、
今紛れも無い日本人として暮らしている私達が、
実ははるか祖先が朝鮮人だったという可能性はどれぐらい
あるのでしょうか?
また、上の資料では、関西が一番朝鮮半島の人達と近いと
いうデータになっていますが、そういった、祖先が朝鮮人である人の出現率も、関西が一番多いという事になるのでしょうか?

A 回答 (5件)

 縄文人は日本全国で20~30万人くらい住んでいたとか。

そして西日本はそのうち10万人位。

 弥生時代に日本列島に住んでいた人間は300万人以上。人口は西日本が多い。
 また、住んでいる場所は、軍事的性格が強いといわれる高地性集落は別として、縄文時代には人の住まなかった低湿地で、水稲作のできる場所。

 大和朝廷ができ、口伝の歴史が出来るようになってから朝鮮半島から渡ってきた人も多数いるだろうが、そもそも弥生人自体が、朝鮮半島出身者を中心とし、南方海洋民族(沖縄系?)・越の国を中心とした渤海人・縄文人(アイヌ?)との混血でしょう。
 
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縄文時代は、現在より平均気温は2度程高く、



人口は、
東日本の方が高く、
西日本の方が低かったようです。

>実際、朝鮮人と日本人の祖先というのは、どの程度
混血しているのでしょうか?

1個人が海渡するのは困難です。
集団で来れば攻撃を受けるでしょう。

つまり、
互いに利益のある交流。
問題の無い流入。
日本語と言う言語。

または、日本人は支配を受けたかもしれませんね。

国は元々は宮崎の高千穂に都があり、
ここでは統治出来ないので、
大分で1年、広島あたりで8年滞在した。
(大分を1年で破る。出雲があるので広島あたりは反撃がすさまじい。8年を要した。)

大阪から上陸。敗走する。
熊野から背後を衝く。熊野は味方につき、大和に入る。

因幡の白兎では、天皇は荷物もちをしています。

鍵は、
銅鐸勢力圏、銅矛勢力圏。
この付近です。
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日本人は、在来の縄文人と渡来系の弥生人という2系統の祖先をもつ「民族」であるという説が有力です。


この縄文人のルーツは中央アジアにあるとの遺伝学上の論文があります。
縄文時代は、日本列島以外との関係がきわめて希薄で、日本列島の中で縄文文化は発達しています。
2300年前ごろ、東南アジアからと思われる別の人たちが中国・朝鮮半島経由で西日本、主に北九州に入り、近畿地方へと進出し、弥生人となったとされています。
日本列島は稲作に適した住みやすい所ですから大挙してやってきた形跡があります。
弥生人の勢力が強く縄文人は、一部は南九州へ、他方は東北へと追い払われたとされていますが、縄文人と弥生人の混血も始まったのでしょうね。

さて、日本と呼ぶ国ができて、そこに住む人々を「日本人」と呼ぶわけです。
西暦700年ころのことです。
同じ民族でもここで「日本人」と「朝鮮人(朝鮮という国は当時はなかったが)」の区別ができて、結婚すれば「混血」というおかしなことになります。

今上天皇は平成13年度記者会見の中で
「私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。」
と述べられています。

そこで結論。
弥生時代のみならずそれ以後も、新羅や百済の国の人たちが近畿地方中心に大勢やって来ました。おそらくこの人たちも、先にやって来た「弥生人」と同じ民族でしょう。
近畿地方の多くの人たちは、過去に遡るほど半島から来た人たちと祖先は同じ民族である確率が極めて高くなります。ということは、いまの日本人の大多数にも当てはまります。
そのことを山口氏は形質学の面から発表されたのですが、古い論文です。

参考URL:http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ip …
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朝鮮人と一口に言いますが、朝鮮民族も単一民族ではありませんよ。



極端な歴史学者によると「朝鮮民族などはない。古代朝鮮の王国は全て中国からの亡命者が建てた」と言っています。もっとも、王族が中国からの亡命者としても国民に比べれば率は少ないと思いますが。

昔ですが、血液型の分布を調べて、西日本は朝鮮との相関が高く東日本は低い、という研究結果を発表した人がいました。対馬は非常に相関が高かったと思います。現在ならDNAを調べるんでしょうね。どこかで研究していると思います。
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まず、日本人のルーツから。


日本人は大陸各地からの寄せ集めであると考えられています。北方ブリヤートモンゴルや中国一帯、朝鮮半島、東南アジアといったあちこちの混血です。

はっきりいって1000年以上まえの先祖が朝鮮人であったかどうかはわかりません。そもそも日本人の場合、顔が細長かったり丸かったりと千差万別なのですが、これはいわゆる「混血」のためなので、もともと「混血の塊」である日本人は、そのルーツの段階ですでに朝鮮系も混ざっているため、純粋に「日本人と朝鮮人の混血」では割り切れないのです(そもそも、朝鮮系というのはいわゆる遊牧騎馬系でして、後述する天皇家との関係上、さらに割り切れないのです)。

そういうわけで、母方の父母、父方の父母、その父母・・・とたどっていけば、相当数(統計は取る術がありませんが、おそらくほとんど)の人は朝鮮系の血が入っているはずです(濃いか薄いか、つまり朝鮮系に遠いか近いかはともかくとして、dですが)。

で、その資料の距離についてです。まずアイヌ。この民族は日本で言うところの縄文系の血を色濃く残しているほか、サハリンといった北方系との交わりもあり、明らかに朝鮮系とは別です。次に似たようなものが色濃く残っているのは沖縄でして、この2系列は明らかに朝鮮系とは離れています(つまり朝鮮系とは遠い)。

で、近畿、中部に朝鮮系に近い人が多いのは、これは大和朝廷の影響です。まず、大和政権と同盟関係にあった百済滅亡時にこのあたりの地には相当数の亡命移民が移り住んだほか、それ以前にも朝鮮系の人が多く住み着いていたようです(いわゆる渡来人というやつです。政治の中心地に外国人が多く住むのは今も昔も同じ)。
そもそも大和政権は朝鮮半島に橋頭堡である加羅という地域を保有しており、そこからの行き来も当然あったはずです。
豪族にも朝鮮半島から移ってきたと思われる人の墓、つまり古墳は数多いです。
また、天皇家にも朝鮮人の血は入っています。桓武天皇の母方ですが、彼女は百済よりきた王族の子孫である、と歴史書に記されています。

さらに天皇家自体(その支流も含めて)、もとは遊牧騎馬民族ではないかといわれるほど遊牧騎馬系の血(朝鮮系も遊牧騎馬民族がルーツと考えられています)を残しています。つまり、渡来人といった有史以前に朝鮮人にルーツが近い遊牧騎馬民族が流入した可能性は捨てきれないのです。騎馬民族征服王朝説ですが、一理あると私は思っています。

ついでにいうと、こういった風に上流階級にある血筋というのは、一夫多妻制だったりのせいで繁殖力が下層階級よりもはるかに強いのです。これも朝鮮系の血が多くに混じっている一員なのかもしれません。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/騎馬民族征服王朝説
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