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最近話題になり始めている事で
「戦国時代は武田家でも騎馬隊はなかった」
といったような事が言われています。
これは日本の馬が小型だった事や
戦国時代のシステムが騎馬隊を組織できなかった事が原因だったようです。
では日本では合戦で騎馬が使用された事はなかったのでしょうか?

例えば日本刀が湾曲しているのは騎馬戦に合わせた為であったと言いますし
昔は騎射が戦闘の中心であったととも聞きました。

では戦国時代は殆ど使われなかったとして
それ以外の時代の戦争ではどれぐらいどのような用途で使用されたのでしょうか?

A 回答 (14件中1~10件)

合戦に騎馬がもちいられたというのはどういうことを言うのかでことなりますが、武士が誕生してから南北朝時代に入る頃までは騎馬で戦うのが普通でした。


ただし、それは馬に乗って弓で戦うという騎馬弓兵であり、馬上で刀や槍を振り回して戦うようなことはあまりありませんでした。
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この回答へのお礼

なるほど、昔は違っていたのですね。
しかし時代は違っても馬が高価な物で
入手も容易ではないという事はその時代も同じですよね。
となると運用していた軍団の規模自体が小さかったのでしょうか?

お礼日時:2006/06/01 21:00

「戦国時代は武田家でも騎馬隊はなかった」という誤解は、


騎馬隊と騎兵隊の区別が付かない人が流した間違った俗説です。
騎馬隊が騎乗兵だけで構成されるなんてことはありません。
モンゴル軍でさえ部隊行動単位のなかに騎乗兵と徒歩兵が混在しています。
機動部隊と支援部隊は両方そろってひとつなのです。

この「教えて!goo」で検索しても
その話はごまんとでてきますから
過去の投稿を振り返ってその間違った認識をまず改めるべきでしょう。

日本の和馬が小型だった事は、西洋のように衝撃戦法を
使うなら不利ですが
日本では西洋とは別の戦術が用いられ
武器の発達も違う方向にむかったということです。
馬上の有利さは、数十キロもある鎧兜をつけて
歩かないでいいだけでなく
そもそも大鎧のようなものを付けて何時間も活動することは不可能で
高い位置は、それだけで位置エネルギーを与えるので
武士の主武器である弓にとって好都合で
太刀や薙刀で切りつける際にも有利に働きます。
日本の槍は他国のものよりも刃が長く
刺すだけでなく切ることができるものも多い。

和馬が小さいとはいっても、
人間が騎乗すると騎兵の全長は2メートルを優に超えるわけで
その心理的効果は無視することはできません。
源平合戦は個人戦でしたが、
南北朝の戦乱以降は集団戦となって
以後古今の記述に騎馬兵を先頭にした突撃の記述が随所に現れます。

戦国時代においても、長槍部隊が主力となったがゆえに
逆に側面の護衛や、その機動力を活かして敵の乱れに乗じるには不可欠な存在でした。

イッソスの戦いその優位性を発揮して以来、
世界各地で重火器と内燃機関が登場するまで
騎乗兵は偵察から奇襲、強襲、伝軍、追撃等々、
戦闘のあらゆる局面に利用されれてきたというのが
実際のところであって
日本も例外ではありません。
ネット上の両極端な意見、(ゲーム的発想の)騎兵の絶対優位性と
その反動で(根拠の不確かな「○○ではなかった」論の)騎兵は無力と考え、
両方とも全く馬鹿げた説なんです。

要するによく知りもしないで間違って
一部分だけを自分勝手に解釈しているわけです。
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この回答へのお礼

「騎馬だけで構成された」部隊はなくても
「騎馬と歩兵の懇請した」部隊は普通にあったわけですね。

しかしこちらの「教えてgoo」で「騎馬隊」で調べた時に見たのですが
「当時の騎馬は輸送には使えても鎧武者を乗せて突撃するには
小型過ぎて筋力も足りなかった」
といった回答が多く見られました。

また騎乗槍というのは実際に可能だったのでしょうか?
手綱を取りながらとなると片手で槍を振り回す事になりますよね。
まして馬上となるとバランスを取るのも難しいでしょうから
相当な技能が要求されたと思いますがどうでしょう?

お礼日時:2006/06/01 21:13

騎馬隊がなかったというのと馬の利用はなかったというのは異なります。


ご質問はこの点について誤解があるようです。

多くの質疑で騎馬隊はなかったとされるのは、騎兵だけの部隊編成は戦国時代ではなかったというのであって、殆どは歩騎連合の部隊編成だったのです。

追撃戦で騎馬武者が機動力を利用して集団のようになっても、あくまで個々の集合で部隊として指揮運用されてはいませんでした。

この為日本では戦国時代、騎馬隊はなかったとされるのです。

合戦で馬は乗馬用と駄馬用(輸送用)に使用されました。
乗馬用はそれに適した体力、体格、訓練を行った馬が用いられ、駄馬は馬であればよしとしたのです。
従って乗馬用の馬は高値であり得難かったのです。
名馬伝説はそれを物語っています。
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この回答へのお礼

合戦用の馬と移送用の駄馬とは違っていたという事ですね。
なるほど、それなら多数の騎馬のみの部隊を運用できなかったというのも分かります。

お礼日時:2006/06/01 21:18

日本に騎兵が無かったというのは、騎馬兵の集団による偵察や急襲といったヨーロッパでの騎兵の概念にあてはまる騎馬兵の運用が日本ではほとんど無かった、という意味でしょう。


日本の合戦では騎馬武者と歩兵が協働するのが常識でした。(主人が騎馬で、徒歩の家来はその周囲を固めて主人の戦闘を助ける。)

日露戦争の準備段階で陸軍の秋山好古が中心となって初めてヨーロッパ的な騎兵の運用を取り入れはじめました。
それまでは、源義経による一ノ谷の戦いが、騎馬の集団運用(ヨーロッパの騎兵の概念に近い騎馬兵の運用)の唯一の例外と言ってもいいと思います。
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この回答へのお礼

なるほど義経が英雄として扱われるのには
そういう実際の特異な戦略の運用があったのですね。

ありがとうざいました。

お礼日時:2006/06/25 20:42

戦国武将の軍は、「馬に乗った武士と徒歩の従者数名」を基本単位としていたようです。



どのようにして戦うのかというと、

* 武士は鎧兜に身を固め、馬に乗って行軍。従者は弓矢・槍・鉄砲といった武器を持ち、食料などの物資を載せた駄馬を引いて従う。武士は、武器も食料も自弁が原則でした。

* 戦闘の際は、武士は馬から下りる。従者から槍を受け取り、徒歩で戦闘。武士の乗馬や荷物を積んだ駄馬は後方で待機。

* 武士が槍で戦う際は、従者は武士を援護。

鈴木真哉氏の本に書いてありましたが、武術と馬術の心得のある人に言わせると、「馬上で槍などの両手で使う長柄の武器を扱うのは極めて困難。落馬する可能性が高い。片手で使える武器しか使えない」ということです。
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この回答へのお礼

なるほど下馬して戦ったのですね。
要するに輸送、移動用に使用したと。
馬上槍というのはやはり難しいんですね。

ありがとうざいました。

お礼日時:2006/06/25 20:46

多分おっしゃってる騎馬戦とは騎馬武者同士の一騎打ちの事とおもわれます。

元来武者は馬を一騎打ちの際の格闘用の道具として考えており、その速さを十分に生かして集団で戦う概念はありませんでした。
それを変えたのは源 義経でしたが、その後も騎馬の集団運用が合戦の中心にならなかったのは、他の方も言っておられる”騎馬武者の周りに従者が付き従う”家単位のシステムがあったためです。(手柄の証拠として敵の首をあげるには家単位の方が有利)
ですから、戦国時代に限らず合戦では殆ど騎馬の集団運用はありませんでした。

No.4の方が答えられていた秋山 好古の騎兵第一旅団ですが、ロシアのコサック騎兵に比べ規模が小さかった(ロシアは騎兵軍団)事、司令部に騎兵の集団運用を知ってる人がいなかった事等もあり、結局偵察と後方かく乱活動以外は下馬しての陣地防衛戦が主体でした。
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端的にいえば鈴木真哉の主張には根拠が希薄で


方々から批判を受けていて、問題提起というよりも
自分の著作を売り上げることが最大の目的ではないかなという気もするので
あまり真に受けないほうがいいと思います。

騎乗兵が十分な訓練を要するのは当然です。
だれでもできるものではありません。
馬も高価ですし、維持費も高く、騎乗者の技能もいるために
軍隊における騎馬兵の比率は歩兵よりも低いのです。
これは世界的な傾向です。
クラウゼビッツなどは戦争論でわざわざ最適な歩兵と騎兵の比率を論じているぐらい。
戦士・騎馬文化を持つ民族では中世以前に
ゲルマンでもモンゴル、中世日本の武士でも
子供の頃から訓練を始めて、
育成に独特のやり方があるのが普通で
日本には流鏑馬という伝統がまだありますが
あれはまさに両手を離して矢を射るという技術の訓練のためのものです。

馬上で手綱を放せば落馬するなんてのは
鐙という発明が古代においてなされたということを
知らないのかなとしか思えません。
騎乗の仕方には大別して、両足を突き出して踏ん張るタイプ(フランス風)と
両膝をまげて股に挟むタイプとがあるそうですが
どっちにしても騎乗者は下半身をつかって
馬を制御します。

日本の馬上用の槍は片手でも扱える長さですが
基本的には両手を使います。
ただ誤解しないでほしいのは
馬で全力疾走しているときに
槍を使うような状況にはまずならないということです。
馬をよくマシーンのように誤解する人がいますが
馬のスピードは概して人間の移動速度よりも遅いぐらいで
戦場でもギャロップさせるのは僅かな時間、僅かな回数です。
(酷使すると馬は簡単にへばって死ぬ)
そして白兵戦が始まったら馬は
その騎乗者が戦っている相手がある場合は動かないでいいわけで
敵味方が入り混じっている周りで馬の移動はわずかですから
足で馬を制御できるわけです。
馬寄せして敵騎乗兵につかみかかって落馬させて
短刀で刺すというのは源平の頃からの戦法ですが
逆に言うと落馬しない技術がある者ほどすぐれた乗り手ということです。
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「日本の馬上用の槍は片手でも扱える長さですが


基本的には両手を使います。」

戦国時代を描いた屏風などの絵画資料で、「馬上で槍を振り回して敵と戦っている」様子を示すものは存在しないと思います。そのような事例があればぜひお教えください。

なお、欧米の近代騎兵は確かに長い槍を装備していましたが、この槍は両手で振り回すものではありません。まっすぐに構えて、何かに「ぶつかる」方法で使うものです。

近代騎兵が振り回して敵歩兵などを倒す際の武器は、片手で使う「サーベル」です。これは、多くの絵画資料などで確認できます。
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古今東西、刃物は”振り回して”使うものではありません。


刃物を振り回すのは頭のおかしい犯罪者が事件を起こしたときの描写ぐらいです。

馬上で槍を振り回すといういう行為自体が無意味というか
力自慢を誇示する程度の余興というか、
漫画的発想と言えるでしょう。

振り回して使える武器といったら
多節棍とか連接棍棒の類ぐらいでしょう。
日本でいうところの乳切木とか鎖鎌のようなものです。

当然ながら、地上で徒歩で戦っても槍は振り回したりはしないものです。
振り回したら、相対する敵から刃先を遠ざけるだけなので
その隙に敵に簡単に突かれてしまいます。
殺してくれといってるようなものでしょう。
振り回すという行為と戦うという行為が一致しないのに
どうしてそれが描かれるでしょうか?

それから近代騎兵の槍はそういうものではありません。
それは中世騎兵の話でしょう。
重装甲騎兵の衝撃戦術が流行した時代、
馬上試合が行われていた時代の話。それは近代以前のこと。

”近世”(言い換えると中世が終わるとすぐ)になって
ヨーロッパでは銃砲が主武器となったので
重装甲も護拳のついた馬上用長槍も廃れました。
以後は槍騎兵自体が少なくなりますが、
ナポレオン戦争でちょっとした槍のリバイバルがあって
一部の軍隊で再び採用されるようになりますが
その槍は突き刺すもので、ぶるかるものではありません。
まっすぐに構えてぶつかるというようなやり方は
十字軍前後の話でしょう。

あとサーベルも振り回しては使いません。
というか、「振り回す」という表現の使い方を間違ってるのかな。
振り上げている絵はあっても、振り回してる絵ってのは
ないと思いますよ。
サーベルを振り回して敵を倒す???
厳密に考えると変な行為だと気づきませんか。
これが変なんだから槍でも変だってわかるでしょ。
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「槍を振り回す」と言う表現に拘っておられるようですが、では


「戦国時代を描いた屏風などの絵画資料で、「馬上で槍を用いて敵と戦っている」様子を示すものは存在しないと思います。そのような事例があればぜひお教えください」
と修正しますので、改めてお答え頂けますか?

なお、「徒歩の武士が槍で戦っている」様子を示すもの、「馬上の武士が兵を指揮している」様子を示すものは多数存在すると認識しております。

なお、槍の主機能は「相手と相手の武器を打ちのめすこと」、即ち棍棒機能であり、刃で突いたり斬ったりすることは副機能であったようですが。
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