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「すこぶる」という言葉の語源をご存知の方、ぜひ教えてください。

A 回答 (6件)

 あれから、「すこぶる」の語源についてネット等で探索してみてはいるのですが、ほかに、これといった解説を見つけられないでいます。


 他の方の書き込みがあるか、と、何度かここをのぞいてもみたのですが……。

 というわけで、新しい情報ではなくてyuccckyさんには、申し訳ないのですが、neil_2112さんのおっしゃっている件について少々。

 言語学の専門家でもないので、詳しいことは分からないのですが、まず、「頗」を漢和辞典を見ると、「偏」なんかとも関係のある字で、確かにneil_2112さんのおっしゃるとおり、「偏っている」ことを主たる意味とする漢字のようですね。
 
 しかし、『大漢和』で「頗」を見ますと、「一」は確かに「かたよる」ですが、「四」の(一)に「すくない」を挙げ、『廣雅』の「頗、少也。」を引用しています。また、「四」の(三)には「すこぶる」として「(イ)やや。すこし。ほぼ。(ロ)かなり、よほど。おほく。はなはだ」の両義を挙げてあります。

 また、『日本国語大辞典』も見てみました。
 「すこぶる」の項には、「(1)多くはなく、やや。すこしく。〔以下略〕」の義を挙げ、「大鏡」の「老の気のはなはだしき事は、みなこそわすれ侍にけれ。これはただ頗おぼえ侍なり。」を例に引いています。これについては幾つか「大鏡」の現代語訳を見てみましたが、どれも確かに「頗」を「少し」の意に取っています。
 同じく「大日経義釈(延久六年点)」の「如来の腰は亦頗〔スコフル〕綻り曲がること数珠鬘のごとくせよ」が例に挙がっています。これについては私のいる環境ではすぐには調べられないのですが(もしかしてneil_2112さんのご専門はこの近辺でしょうか?)、素人考えでこの文を見る限りでは、「はなはだ」ではなく「やや、少し」に解した方がいいように思います。
 さらに、日葡辞書の「Sucoburu(スコブル)〈訳〉少し、ほんの」も例に挙げてあります。

 私がご紹介した辞書の説の是非を云々するだけの力量は、先にも申しましたように私にはありませんが、以上のことから、少なくとも、「すこぶる」という和語が「少し」の意味で使われていた場合があるのは確かでしょうし、「頗」という漢字字が「少し」の意味で用いられたケースもあると言えるのではないのでしょうか。
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 またまた、すみません。

m(__)m

 ともかく、yuccckyさんの質問の回答に関しては、neil_2112さんがご紹介下さったように、
  (1)「少ない」から「少なからず」への直接転換説。
  (2)「頗」という漢字経由説
の両説があって、「学会でも定説なし」、と理解しておいてよいようですね。

 neil_2112さん、むずかしいところに再度引っ張り出してしまい申し訳ありません。(^^;)
 あれこれと書き込んだので、すっかりお手を煩わせてしまったようですね。

 neil_2112さんがご紹介下さった、

> 「頗」が「すこぶる」と読まれるのは一部であることと、
> 「少し」いう意味は、少なくとも仏典においては使われていないということ

ということもよい勉強になりました。
 確かに『大漢和』の用例などから、『史記』なんかをのぞいてみても「頗」が「少し」の意味で使われているのは(精査したわけではありませんが)少ないように思います。

「大日経義釈」の例に関しては、如来像を作る場合か、如来の御姿を思い浮かべるかする際の話かなと考え、薬師寺の日光・月光菩薩の腰の曲がり具合なんかからすると、「少し」かなと思ったのですが、原典に当たらないことには何とも言えませんね。

 また、ほんとに、yuccckyさんには申し訳ないのですが、回答のアフターケアということでお許しいただきたいと思います。
 もし、人の質問を利用して何をやってるんだとご不快にお感じでしたら、質問を締め切ってくださいませ。(^^;)
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再度失礼します。

場所をお借りするようで恐縮ですが…。

むずかしい所に首を突っ込んでしまったな、と反省している最中です…(笑)。
実は前に書きこんだ後、責任上私もいくらか調べてみまして、「大漢和」のご指摘の項も目にしていました。確かに「少し」という意味が用例と併せ記載されていますね。#3の回答は修正させて頂きます。

小学館古語大辞典をみてみると、本来「少し」の意味であった和語「すこぶる」が現在の意味を持つに至った経緯について、2つ説があげてありました。
ひとつは漢字「頗」を経由せず、語のニュアンスが「少ない」から「少なからず」という意味に転換したという説。
もうひとつが、usagisanさんの提示された漢字経由説ですね。どうやらこの「すこぶる」の意味の変遷は学会でも定説なしということのようです。
ただ、末尾に「漢字をあてない用例は少ない」ともされていますので、それから考えれば、確かにやはり後者に説得力があるのでしょうか。

さて、以下は先の回答の補足になるのですが…
私のフィールドは仏教書関連ですが、改めて調べてみました。先の回答は専ら私の印象によるものだったので…。
古今の仏教典籍に使われる漢字を網羅した中村元「仏教語大事典」(東京書籍)によりますと、「頗」の意味は、
(1)phaの音写
(2)~であろうか。もし。
(3)「すこぶる」と読む。ある程度。
(4)「~すべからず」と読む。~できない。
の四つが載っています。
「頗」が「すこぶる」と読まれるのは一部であることと、「少し」いう意味は、少なくとも仏典においては使われていないということが確認できます(個人的には何とか顔がつぶれなくてほっとしました)。

usagisanさんが例に出された「大日経義釈」の用例はちょっと微妙…ですね。もう少し前後を読みたいところです。これは確か9世紀の著作で、「大日経」という仏典のいわば注釈書のような存在のため、実は私もさほど詳しくはありません。ただ、直接の仏典ではないものの、この「義釈」はその前に書かれた「義疏」と合わせて空海、最澄らにとって重要な典籍ですので、そこにおける用法は先の「仏教語大事典」にも当然収められていると考えるべきでしょう。前後の関係はよくわかりませんが、上の(3)の意味と解したい、と個人的には思い(願い?)ます。

これ以上になると私の手には全く余る世界なのですが、同じ漢字で大小という対立概念を同時に表す言葉の存在は(確か他の外国語にもあったと思いますが)、不思議な存在ですね。
最終的には意味強化が働いて今のようにどちらかに落ち着くのでしょうが、同時に両方の意味が並立していた時期は案外短いのかなと思えます。恐らく仏典の意味がそれこそ「偏っている」のはその辺の理由があるのでしょうか。
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失礼します。


語源ではないのですが、#2の漢字の件についてちょっと異論をはさませてください。

「頗」という漢字に「少し」「多い」の意味があった、とされていますが、ちょっと疑問に思います。
この漢字の成り立ちはもともと「偏っている」という意味で、
偏っている→量や程度が普通より偏っている→はなはだしく、
という風に意味が派生してきていますが、直接に量の大小を指す言葉ではありません。

用例を見ると、例えば9世紀頃までに漢訳された仏教の経典にこの字はたくさん出てきます。その和訳におけるこの字の用例は、

(1)~だろうか、という疑問を表す
(2)すこぶる、と読んで「ある程度」「かなり」を表す(頗有=かなりある)
(3)~すべからず、と読む(頗算=数えられない)

のどれかにだいたい分類されます。

中世に和語に翻訳した時点で「すこぶる」と読みをあて、「ある程度」という意味が持たされていたことからすると、この時代における和語の「すこぶる」は「頗」という漢字を経由せずに「かなりの程度」という意味を持っていたことになると思います。
言いかえれば、「少し」という本来の意味が現在の「かなり」という意味に変化した要因は、「頗」という漢字ではない、ということではないでしょうか。
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 No.1の補足です。

済みません。

 「すこぶる」はもともと「いささか、ちょっと」の意味ですが、まず、「少し」の意を持つ漢字「頗」の字の訓読みとして用いられ、一方で「頗」という漢字には、「多い」とか「甚だしい」とかの意味もあるせいで、「非常に。大変。」という意味でも使われるようになったのではないか、ということです。
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「すこし」「すくなし」などの語根「すこ」に、「ひたぶる(=ひたすら、すっかり、まったく)」などの「ぶる」(そのようなようすである、という意味の接尾語)が付いたものだそうです。

(小学館『国語大辞典』)
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