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1871年に金本位制をたてまえにして、新貨条例がでます。しかし、政府はこの頃、金貨をほとんど持っていなくて、貿易に使っていた江戸時代の銀貨も含めた金銀複本位制をとった。ここまでの理屈は間違いなくわかっているのですが、政府はなぜ金貨をほとんどもっていないのに、国内の金保有量と紙幣量がバランスをとっていかないとやっていけない金本位制を実施しようとしたのかわかりません。

私の予想としては、次の3つくらいなんですが、、、

1、欧米諸国が金本位制で取引をする場合、銀の需要が低くなり、銀の価値が低下して、日本は金貨一枚分の品物を買うのに、銀貨を最初は5枚、価値が落ちる毎に6枚→7枚→8枚→9枚というふうに、銀の価値が下がっていって日本国内の銀流出が進むから。金本位にしようとした。

2、欧米が金本位制を実施するので、ただ日本もそれを真似した。

3 金本位制はあくまでたてまえであって、実質的な金銀複本位制になるのはわかっていた。しかし金本位をたてまえにし「日本は金本位制です」ということを欧米に示すことで、貿易を少しでも有利にしようとした。

どうでしょうか。

A 回答 (1件)

4.太政官札や民部省札などが増えすぎ、また藩札の整理も行わなければならなくなった。


これらに対する対策として「正貨」を発行するが、実物の裏付けがなければ流通しなかったので、金本位制を採用した。

というのが私の理解です。
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Q兌換紙幣と不換紙幣って??

高3です。
日本史の授業で今日先生が言っていた「兌換紙幣」と「不換紙幣」の意味がよくわかりません・・。
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こんな私にもわかるようにかみ砕いて説明して頂けませんか?
よろしくお願いします(>_<)

Aベストアンサー

 再び失礼します、No.7です。

 不換紙幣の発行理由ですが、自信がなかったので検索をかけてみたら、こんなページを見つけました。下の方に書かれています。

 このページは分かりやすいと思います。(わからない部分があれば、また補足をください。可能な限り回答します。)

 以上、参考にしてくださいね、これで失礼します。

参考URL:http://www.findai.com/yogo/0013.htm

Q太政官札

太政官札とは、初の全国通用貨幣であるということと習いましたが、
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何か検索すると江戸時代の貨幣が存在していたから、その貨幣との兼ね合いで発行されたという感じのことが書かれてあったのですが、
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ちょっといまいちなので教えてください。

Aベストアンサー

#2です。お礼ありがとうございます。

大政奉還が為されたといっても、まだ幕府と新政府は戦争をしていました。例えは悪いですが、今のイラクと同じ状態です。

この時点では、幕府→新政府と外国への窓口は変わりましたが、各藩はどちらにつくか決めかねていました。もちろん軍事力も温存しています。

新政府としては、とにかくはやく日本国内に主権を確立しなければなりませんでした。そのために太政官札を発行し、通貨と経済をコントロールできるようにしたかったのです。これが第1段階です。しかし、太政官札には信用がありませんでした。
その後、天皇の勅旨と各藩がそれに准じるという約束を経て、ようやく太政官札に信用が生まれます。ようやく国内通貨としての地位を確立するのです。これが第2段階です。
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そして、日本銀行券(今の日本の紙幣と同じ)の登場です。ここまで15年かかっています。

最初の太政官札は、どちらかというと借金のために発行したという意味合いが強いのです。新通貨体系に成ってから発行した太政官札は、確かに金や銀の兌換を保障し、藩札の回収や金本位・銀本位をひとつの枠に収めることに成功しました。これは政府に信用があって初めてできることです。
そして、お金(紙幣に限らず)を回収することが出来て初めて、殖産興業にお金を回すことができます。最初は太政官札だけでなく国民銀行券(日銀ではない)もあったようですが、これも政府の信用があって、お金を回すことがでるということに注意が必要です。

#2です。お礼ありがとうございます。

大政奉還が為されたといっても、まだ幕府と新政府は戦争をしていました。例えは悪いですが、今のイラクと同じ状態です。

この時点では、幕府→新政府と外国への窓口は変わりましたが、各藩はどちらにつくか決めかねていました。もちろん軍事力も温存しています。

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