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 靖国のことを質問されている方もおられましたので、批判も覚悟で質問することにします。

 私が一番問題だと思うのは、敗北が決定的になったサイパン陥落後も戦争を続けたことです。
 その時点で戦争がやめれれば、一般国民の被害もずっと少なくて済みました。
 
 19年中にやめることができれば、大空襲も沖縄の悲劇も原爆も満州の悲劇もなくてすみました。

 沖縄が陥落した後に、戦争をやめることができれば、原爆も満州の悲劇もなくてすみました。

 広島の原爆のときに戦争をやめれば、長崎の原爆も満州の悲劇もなくて済みました。
 
 A級戦犯と言われる人は、自分たちが始めた戦争だったから、命をかけて戦争を終えるべきであったと考えます。

 無意味な、勝ち目のない戦争を継続させることは、それだけで重大犯罪だと考えます。

 戦争を終結させる努力もしなかった。また、玉音放送を聴いて、責任を感じて自殺した軍人も多い中、逮捕直前に自殺未遂をした元首相。

 日本人でも、厳罰を与えたい気持ちでいっぱいです。

 それにもかかわらず、A級戦犯の方をフォローする人が多いのには、少し驚いています。

 私に言わせれれば、何らかの形で裁かれなければならない人たちだと思うのですが、なぜ不当に裁かれた言われるのですか?

 教えてください。
 

A 回答 (17件中1~10件)

 戦争責任って、いち個人の責任を追及して済むべきものなんですかね?「善良な」国民だって、鬼畜米兵のスローガンの下、非常に好戦的だったじゃないですか。

大陸の民族に対する差別的思考も、現代の比じゃありませんよ。責任取るなら、いわゆる戦犯と同一にとまでは言いませんが、日本人全体が背負わなければならないもんですよ。

 A級戦犯をフォローするというより、A級戦犯を糾弾することが、国民全体の責任逃れと捉えられかねないんじゃないでしょうか?つまり、民衆も被害者ヅラしちゃいけないということです。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございました。

 ただ、国民が好戦的になっていたのは、指導者の影響だと大だと考えます。それに一般の国民は、少なくても大国との戦争は望まなかったのでは、と思います。

 

お礼日時:2006/08/16 20:54

戦犯を裁いた極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判には数多くの問題点があり、公平さに関してもかなり疑問が残る、一方的な裁判であった可能性が指摘されているからです。



平たく言えば、日本の罪は罪としても、連合国も犯している戦争犯罪が裁かれないのは不公平である、という理屈です。

詳細は参考URLを。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E6%9D%B1% …
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この回答へのお礼

 極東国際軍事裁判について詳しく説明されたホームページを紹介していただき大変ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/19 19:00

まぁ別にどのような意見表明をするのも自由なんで、その事自体で責められることは無いですが、するならするできちんと勉強をした上でしましょう。



まず根本的に勘違いされている点はA級戦犯と呼ばれる人たちは、戦争を継続したことではなく、戦争を始めたことを断罪されているということです。
ですので仰るような主張は根本から方向性が大きく間違っています。
例えば東條英機は1944年7月に造反により辞任させられています。仰るような責任の取り方はできません。他には東郷茂徳は開戦時の外務大臣ですが、終始和平派でした。早期講和を計るために敢えて辞職せずに勤めあげましたが東条首相とと対立したために1942年に辞任、1945年に敗戦処理のために再登板しています。広田弘毅だって一貫とした反戦派だし。
入っているべき人が入っていない、あるいは断罪の理由がおかしい、、入るべきでない人が入っているとまぁ色々あるわけです。

無能だったとか愚かだったという意味での断罪は日本国民がするべきだとは思いますが、意味もよくわかっていない人がA級のAという文字をみただけで思考停止しているのは見ていて気持ちがわるいです。何か言いたいのであればもう少し背景を理解して、自分なりの解釈でまとめた上でがんばってみましょう。夏休みも暇なのででしょうから。良い勉強になると思います。
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この回答へのお礼

 たしかにご指摘のとおり、戦争を始めた責任と戦争を継続した責任とは異なることは確かです。

 ただ、短期的には戦局を有利に進めることができるかもしれないが、長期的にはとても勝ち目のない戦いを、どのように終局させるか考慮することなしに戦争を始めたのは、いかがなものでしょうか。

 

お礼日時:2006/08/19 19:06

>ただ、国民が好戦的になっていたのは、指導者の影響だと大だと考えます。


 その一面は否定しません。つまり、無知な国民が一部頭脳明晰でカリスマ性のある指導者に騙されて戦争に突入したということですね?無知を自慢しちゃいけません。

>一般の国民は、少なくても大国との戦争は望まなかったのでは、と思います。
 だから、「鬼畜米英」は大国との戦争を鼓舞したスローガンに他ならないんじゃありませんか?

 東京裁判史観は確かに問題あり、です。この裁判は、我々が現代かかわっている裁判とは趣を異にし、いわゆる「戦勝国」が一方的に敗戦国を裁く、極めて不公平なものです。つまり、「勝ったもん勝ち」というものです。だから原爆投下が裁かれることもなかった。

 だが、あまりこれを主張しすぎると、日本も戦争犯罪を肯定するような「開き直り」と捉えられかねないので、「いけないことはいけない」というベースは持っておく必要があると思います。

 最後に、A級だのB級だの、どうやって区別するんですか?A級が悪くてB級はまだいい、などという曖昧なものではいけません。やはり、戦争責任を問うというのは簡単なことじゃありません。
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この回答へのお礼

 たしかに戦争責任を問うのは簡単なことではありません。

 また、原爆の投下、無差別爆撃などの責任が問われないのが問題なのも、ご指摘のとおりです。

 ただ、戦争を開始し、多数の国民が死亡しているにもかかわらず、戦争を開始した人たちがのうのうをいき続けるのは、やはりおかしくないですか。

お礼日時:2006/08/19 19:12

A級戦犯の全員に本当に重大な戦争責任が有ったかどうかは客観的に見ても疑問とするところです。

このことが只でさえ議論の多い極東軍事裁判の評価を更にややこしいものにしています。

日本人の手による戦争責任の解明は近年ようやく著に着いたばかりです。客観的な評価を行うために60年の歳月を要したと言えます。マスコミでは読売新聞が今年の8/13と8/15の朝刊で同社としての見解を出していましたが、たぶん大手マスコミでは初めての試みであり、勇気ある行動だと思います。(自社の見解ははっきり示さないくせに、識者の意見や読者の声を借りて陰口を叩かせる手法に徹している某新聞とはえらい違い。)

太平洋戦争の勃発・進行に何の問題も存在しなかったと解釈する人はさすがに少数派でしょう。死者に鞭打つと言うことではなく、歴史における責任の所在を明確にすることは日本の将来を過たないためにも重要なことです。読売新聞の結論も単なる一私見にすぎず、賛否両論は当然あるでしょうが、東京裁判史観と異なる判断を日本人自身の手で発信していくことは靖国問題の解決にも役立つのではないかと思っています。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。
 言われるとおり、日本人の手による戦争責任の解明が一番大切だと思います。

お礼日時:2006/08/19 19:14

 「A級戦犯」というものがどういうものか、知っているとは思えない発言ですね。

「何らかの形で裁かれなければならない人たち」なんて糾弾するのなら、よほどの覚悟と調査をもってするのが、人の道というものです。極めて重い罪をその相手に課そうということなのですから、間違いや勘違いなどがあってはたまったもんじゃありません。
 ちなみに、「A級戦犯」とされた人たちは、既にサンフランシスコ講和条約に規定されたルールに則って、占領解除された後さっさと名誉回復されています。従って、現在の日本には法的に「A級戦犯」という人は存在しません。そして、この名誉回復は、国会決議で行なわれたものです。その際の堤ツルヨ議員(社会党)の演説は、それなりに勉強した人にとっては常識です。つまり、彼らが不当な罪を GHQ に負わされたというのが、当時の国民の意思としても常識としてもあったということです。
 このことを、ご存知でしたか?

 今、あなたのように知識が無い人が大量生産されているのは、GHQ の公職追放によって要職に入り込んだ左翼思想の持ち主によって教育がゆがめられた結果です。あなたに今この瞬間知識が無いのは、あなたのせいではありませんが、関心を持ったときにもきちんとした知識を持たないのは、時と共にあなたの責任になってきます。ちゃんと、調べて下さい。

 最近の良書としては、参考 URL の本などもあります。

 ちなみに、「国民が好戦的になっていたのは、指導者の影響だと大」なんて話は物事の一面でしかありません。ヒトラーのような扇動政治家が巧みなアジテーションで戦争を煽ったという現象は、日本にはほとんどありません。
 そして、日本は大正時代から民本主義と呼ばれた今で言う民主主義国家の形を持っていたので、国民の意向を政府が無視して好き勝手をすることもできませんでした。圧制的で独裁的、などというイメージは、戦前の日本に対してすら誤りなのです。そのイメージもまた GHQ の洗脳教育の賜物だということは、知っておきましょう。
 南京が陥落したときは、「国民」は自発的に提灯行列などして祝ったものですし、日露戦争での終戦の条件が甘いといって日比谷焼き討ち事件を起こしたのも「国民」です。で、主に「国民」を煽っていたのは朝日新聞をはじめとする民間の報道機関、要するに「国民」たちです。

 下記の本、読んでみることをお勧めします。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4094028862/sr …
 あなたの認識が、GHQ の工作通りであることが、よく分かると思います。GHQ の洗脳プログラムは、War Guilt Information Program と呼ばれたものですが、大日本帝国のナイーブな情報操作など、足元にも及ばない代物だったのです。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/gp/product/4344011910/re …
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この回答へのお礼

 ありがとうございました。
 紹介された本については、図書館などで探して読んでみようと思います

お礼日時:2006/08/19 19:17

普通、領土の45%を失い、国民の多くを死傷させるような失策をしたならば、国民から吊るし上げを喰らって当然ですが、戦後の日本人は自らの手で指導者の責任を追及するといったことは行いませんでした。



これは自虐的歴史教育の賜物なのです。

一億総懺悔、つまり日本国民全員が戦争の責任を負って反省すべきで個人に責任を負わすべきではない、という考えから指導者たちは免責されたのです。
A級戦犯が擁護されるのはそうした理由からです。
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この回答へのお礼

 一億総懺悔は、よく聞きます。
 だけど、何を懺悔するんだろう。何に反省をするんだろうとは、感じています。

お礼日時:2006/08/19 19:21

いわゆる「戦争犯罪者」についてはもう充分かと思います。



別の勉強不足をお教えしましょう。
沖縄で戦闘停止が実行された(つまり実質「沖縄が陥落した」)のは、9月に入ってからです(降伏調印日が9月7日)。原爆が落とされ、満州の悲劇の後です。

そもそも、一般国民の被害を第一に考えるのであれば、開戦そのものが誤り。ただし、開戦を決意したのは「我々国民の総意」です。翼賛選挙などと言われますが、現代の「低い投票率」で戦前の選挙の何を糾弾しうるのでしょうね。
戦前も今も、政治に対する意識の低い日本人。それが開戦理由ですし、ある意味では「自業自得」とも言えます(確かに幼児たちには罪はありませんけど、その前の世代が「次の世代を考えた政治」を行わなかったのは間違えようのない事実でしょう)。

A級戦犯は「戦争を始め、遂行した罪」。B級戦犯は「いわゆる戦争犯罪者」。C級戦犯は「人道に対する犯罪者」(ただし、そう決めたのは「戦勝国の人間」の一方的な判断でしかない。B級、C級の戦犯者は戦勝国にもいるはずです)。
なぜあなたが「A級戦犯者だけ」をことさら糾弾するのか理解しかねます。
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この回答へのお礼

 私がA級戦犯について糾弾するのは、私は戦争を始めたことを問題視しているからです。

 それはともかく、
>開戦を決意したのは「我々国民の総意」です。

 という部分がよくわかりません。

 戦争を決意したのはA級戦犯の人たちではないのですか。

 もしよろしければ、教えていただけませんか

お礼日時:2006/08/19 19:25

こんばんは。



非常に難しい問題ですよね。私もkeikakuさんの仰る事は十分に理解出来ますし、私自身もA級戦犯をフォローする方が多いのには少々驚いております。

そもそもA級戦犯とは『平和に対する罪』を犯した戦争犯罪人の事を呼びます。そして、A級戦犯の中で死刑になったのは7人ですね。この中で最も有名なのは恐らく東條英機元首相だと思います。東條は日米開戦論者であり、日米衝突の引き金を引いた張本人です。(東條が首相にならずとも、開戦は避けられなかったかもしれません。開戦の予兆は近衛の時から十分感じられます)そう考えますと、東條の平和に対する罪は非常に重いと考えます。同時に東條を時期首相にと強く推薦した木戸幸一とこれをご採用になった昭和天皇の罪も恐れ多くも重いと考えます。現に木戸はA級戦犯として終身刑となっています。極端かもしれませんが、ここで東條と同じA級戦犯で死刑となった広田弘毅元首相を引き合いに出したいと思います。広田は急速に対独同盟を推進していったところから『平和に対する罪』を犯した形になっているかと思います。東條と広田を比較した場合、明らかに東條の罪の方が広田のそれよりも重いのではなかろうかと私は考えています。

戦争犯罪人を裁いたのはいわゆる東京裁判でありますが、その裁判自体、『公平』というものからかけ離れて、勝者が敗者を裁いたという印象を個人的に感じます。この裁判で東條と広田は何故、同じ刑で処される結果となったのか、私は解せません。広田は明らかに不当な扱いを受けたと感じます。(ただし、一分の戦争責任は広田にもあるでしょう)

余りに長くなっても申し訳ありませんので、今回は一つの例を挙げてみました。上記のように、東京裁判は良識を持った価値観をもとに考察すると、若干でも疑問が残る裁判であります(ただし、戦争におきましては勝者が敗者を裁く事は当然なのでしょう)A級戦犯を少しでも擁護したくなるのはその辺りの疑問点から湧き出てくる感情なのではなかろうかと推測します。

今の価値観で考察しても、東條は極刑に値すると思いますが、あくまでも彼らが裁かれた裁判への疑問だと思います。
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この回答へのお礼

 とても丁寧な回答をしていただき、大変ありあがとうございました。

お礼日時:2006/08/22 21:09

 根本的な勘違いされているようですので…



 まず昭和20年8月15日ですが、日本では終戦記念日といまでは呼んでいますが正確ではありません。日本が一方的に軍事行動を中止した日です。この日を境に日本軍が組織的な軍事行動をしなくなっただけです。これに対して連合国側は一部を除いてポツダム宣言の受諾として、組織的攻撃を止めただけです。

 昭和19年7月のサイパン失陥でもし、日本が組織的戦闘行動を止めたらどうなるでしょうか?連合国は止める意思がありませんので、それこそ日本全土が無差別に空襲され、上陸を受けた上に国家降伏(9/2は軍の無条件降伏でしかありません)に追い込まれ、日本は植民地ないし信託統治地域(プエルトリコやガグアムの状態)になります。

A級戦犯を擁護する考えはありませんが、戦争は相手と合意があって初めて止められるものというのを理解してください。起こすのは簡単ですけど。
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この回答へのお礼

 どのように戦争を終結させるか、を考えずに戦争に突入するのが問題だと思うわけです。

 私も詳しいことはわかりませんが、無条件降伏の提案をすれば、連合国は受け入れてくれたのではないでしょうか

お礼日時:2006/08/22 21:13

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