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「王政復古」とは政権が天皇に戻ることを意味する言葉ですよね。
日本に於いては、王とは天皇より格下を意味する言葉だと思いますが、
この点を踏まえると「王政」という言葉は天皇に対して失礼な言葉だと思うのですが、
当時からこの言葉を使って「王政復古の大号令」などと呼んでいたりのでしょうか?
それとも後世の歴史家が名づけたものなのでしょうか?

A 回答 (5件)

あくまでも私見ですが…。



当時の「王政」という言葉自体に、明確な帝・王の区別がなかった為に不遜という認識は生まれなかったのではないでしょうか。

確かに天皇は皇帝に相当されていしますし、日本の制度から見ても天皇は親王・王とは明確に区別されます。
ですが「王政復古の大号令」の当時は「王政」という言葉の概念はなかった・・・それ以前の日本の歴史の中に「王政」という文言はなかったと思うのです。
過去にも建武の中興(建武の新政)の折も一時的に政治権力を天皇に戻す事がありましたが、「王政復古」という言葉は用いられていなかった様ですし。

江戸幕末~明治維新にかけては、漠然と天皇=帝=日本国王という概念があっただけではないのかと感じています。
(この場合、「日本の国王」と皇族の「王」はイコールではないという認識はもちろんあります。)

明治以降、学問が進み、帝と王の違いが非常に大きい事が、明治政府の役人や一般の国民にも理解され始めはじめて「王政復古ではなく帝政復古の方が良かったかなぁ~」と思い直しても後の祭りという事で。

「君が代」にしても、(もともと恋の歌であり、「君」は愛しい人の事であったとか。それを「君」=「天皇」という概念に摩り替え)「天皇の世が千代に八千代に続くよう」と国家としたのだと聞いておりますが、それも妙な話です。
天皇は「大君(おおきみ)」のはずで「君」は地方豪族や大王(天皇)家から分かれた一族に与えられた姓でもあり、それをイコールとして扱う事は、天皇を神格化した時代では不遜際りないものだと思います。

明治政府の公文書や国璽の押された文書にも当て字や略字・俗字が用いられることもあります。今の感覚では信じられませんが、文字に対する厳密さも当時はそんなものです。

「王政復古の大号令」とうじは天皇は天子様、尊い方という認識はあっても、後の神格化された神聖にして冒さずといった絶対無二という程の差を持たせてはいなかたのだろうと思います。

補足:もちろん天皇は天子様でもあり、明治以前から神にも等しくされてきましたが、古来の日本の神(八百万の神)は俗世的で、絶対的な神聖さを求められるキリスト教等の唯一神・絶対神としての神の概念とは異なると思います。
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幕末の時代の支配単位は藩で、その主は藩主であり、それを束ねるのが将軍、その上に征夷大将軍を任命する名目的国王としての天皇が居ました。


元々、一つ一つの支配単位が大きい、中国の三国時代の魏・呉・蜀や、欧州の仏・独国に対して、それらを束ねる権力者が皇帝や法皇を称した訳です。
日本の様な小国で、戦国時代の「国」や江戸時代の藩を国とし、その上に皇帝を置くのはかなり誇大妄想的な価値観と言う気がします。
本当の意味で世界帝国であった大英帝国も、国際的にはその頭は(連合国)国王と称しています。
ちなみに世界史の教科書上では、ナポレオン一世後のルイ王復権は「王政復古」とされ、その後政権をとったナポレオン三世は仏国だけの王なのに皇帝と称されています。
皇帝と王はそれ程厳密に使い分けられている訳ではない様ですね・・・。

この回答への補足

いつも質問の仕方が悪く、何度も回答していただき申し訳なく思います。

まず確認させていただきたいのですが、言葉の意味として
 皇帝>王>将軍
という価値基準は正しいのですよね?

回答いただいた内容についてですが“別の面から見たら”ですよね?
>本当の意味で世界帝国であった大英帝国も、国際的にはその頭は(連合国)国王と称しています。
これは「本当の意味」と「国際的には」の2つの面で見ているわけですし、
ナポレオンの例にしても「実際」と「教科書」という2つの面で見ているわけです。
しかし私がお聞きしたいのは「『王政復古』とは天皇による政治を復活させること」という
こんなに短い文の中で矛盾が生じているのではないか、ということなのです。
つまり、回答していただいた例を用いるならば「大英帝国は王国だ」とか
「ナポレオン皇帝は国王だ」と言っているのと同じではないかということです。
後世の歴史家が西洋の王政と混同して名付けたのではないのか、とすら思えてしまうのですが…。

補足日時:2006/08/21 21:31
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No.2です。

   昔「大王」がまつりごとの中心であったように、大王にあたる「天皇」を中心にした政治体制にしようという事です。   実際は自分たちに都合の好い政治にする為の、お題目にしか過ぎませんが。
額田王のように皇族に「王」をつけたので、これと差別をつける為、「大王」と呼んだのかも知れませんが、一方「大王」の下に、王国が複数あった可能性も棄て切れません。(豪族と云ってしまえばそれまでですが)  関東に王権があったとの説もあります。  蘇我氏は皇族でないのに「王」「王子」を自称していました。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
>蘇我氏は皇族でないのに「王」「王子」を自称していました。
であれば尚更「王」の文字を使うのは天皇に対し失礼だと思います(私は失礼だろうがどうでもいいのですが)。
「王政復古」とは、天皇を尊敬しようという動きなのに、そんな失礼な言い方をしていいのか、という疑問なんです。
「皇政復古」とでもすれば良かったと思うのですが…

補足日時:2006/08/20 18:14
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昔は今の天皇のことを「大王」と呼んでいました。

  稲荷塚古墳より出土した鉄剣の銘文より明らかです。  「王政」とは「大王」の政治です。   昔大王の下に王がいたかは、明らかではありませんが。

この回答への補足

>昔は今の天皇のことを「大王」と呼んでいました。
>稲荷塚古墳より出土した鉄剣の銘文より明らかです。
古墳時代の「王政」を復古しようということだったのでしょうか?
「王政復古の大号令」の時代は「天皇」という呼び方ですか?

>昔大王の下に王がいたかは、明らかではありませんが。
額田王や以仁王など、名前に「王」のつく人は沢山いると思いますが…。

それと質問文とは直接の関係はありませんが、
「天皇」は「皇帝」よりも格が上だということも聞いたのですが(英語ではどちらも同じemperorですけど)…。

補足日時:2006/08/20 07:41
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王が皇帝より格下というのは欧州の話です。

我が国及び中国の統一国家は中央集権国家であり、魏志倭人伝の時代は別として、天皇が統治する我が国の内部に王国が含まれていたことはありません。従って、我が国においては、王は天皇より格下という観念はありません。
また、「王政復古」という表現は、討幕派のクーデタ宣言の原文に明記されています。

欧州の歴史に関する知識をそのまま我が国の歴史の解釈に用いると、大きな誤りを犯すおそれがあるので注意が必要です。

参考URL:http://www.spacelan.ne.jp/~daiman/rekishi/bakuma …
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