No.15ベストアンサー
- 回答日時:
戦国時代の勢力争いが膠着化していたのは、武力闘争の構造が変化してしまい、いずれの勢力も決定力が持てなくなった事によります。
例えば源平時代や南北朝時代の戦いでは、動員何万人という軍記がありますが極めて疑わしく、実際の戦闘人数は少ない形で行われていました。
足利尊氏が自分の本拠地から京都に出て、関西で後敗北して九州に逃げ、その後巻き返して九州から京に攻め上ったのは、補給線等の問題が戦国時代とは全く異なっていた事を示します(世界史的にはアレキサンダーの転戦もそういった面がある)。
戦国時代には各国が戦いに明け暮れていましたが、戦闘員の大半は農業従事者であり、田植え・稲刈りの期間に大規模な戦闘を行うには困難が伴いました。
今川が単に隣国織田家を飲み込む戦争を企画したのと同様に、力により全国を征服する(天下布武)を考える様な大名は皆無であったのが実情の様です。
従って、軍事専門集団を活用した信長の制覇事業が、ある程度実現していった中で彼がいなくなった場合には秀吉・家康の様な後継者が現れたでしょうが、桶狭間の時点で信長が敗れていれば、全く違った大名が機会と才能に恵まれて統一を実現するまではかなりの期間がかかったでしょう。
No.14
- 回答日時:
>信長が桶狭間で負けていたら天下はどうなっていたのでしょうか?
今川義元は馬にも乗れず、蹴鞠(けまり)に興じ、公卿趣味だった由。 とても乱世を治める器量の持ち主とは思えません。
信長に代わる強くて賢い武将が、中原に覇を唱えてやって来るでしょう。 場所的には上杉謙信ですが、彼は鉄砲を上手に使っていない。
私は西国の毛利元就が、水陸両面の武力を背景に京に登って来るとみます。 彼が倒した大内義隆は副将軍と呼ばれ、足利家からも篤く奉じられていた名門です。 安芸周防一帯を治めていた大大名で、知恵者としても名高い元就ですから、上手に日本を平定したと思います。
No.13
- 回答日時:
度々すみません。
2訂です。
今川義元は、1回目の奇襲は、不成功でしたが、いくらなんでも、用心深くなったはずですので、2回目は、成功するとは、思えなくなりました。
故に、12番さまに同意します。
ミクシィには、120余人の「織田信長」がいるそうですから、今でも支持のある、魅力のある人物だと思います。
「デスノート」でも持っていたんじゃないかと、疑いたくなる、大量虐殺、粛清が長政さんにできるだろうか。
は、かすかな、疑問です。
No.12
- 回答日時:
―歴史のIFですから、楽しみつつ読んでください―
人物の器と京都に近い土地に根拠を持つ点から考えると、浅井長政と徳川家康でしょうか。
浅井長政が、朝倉氏について織田信長に反旗を翻したのは、歴史の定説とはかなり違いますが、浅井長政に戦国大名としての野心があったからだと考えています。
徳川家康が、後に天下をとることが出来たのは、織田信長と同盟を結びつつ、今川義元が死んだ後の今川領を自力で切り取っていったからです。
同様に、浅井長政は織田の支配する畿内と反対側の北陸へ進出することを考えていたと思います。そのために、織田家が朝倉氏を攻めない約束を結び、自分が朝倉氏を自力で滅ぼすつもりだったのだと。
朝倉氏が、織田信長に滅ぼされると、浅井領は周りをほぼ織田の勢力圏・織田領に取り囲まれることになり、浅井家が領土拡張する方向が失われます。つまり、織田の一部将として家来扱いとなり、徳川家康のような未来への可能性が失われます。そのため、信長に敵対するという一大勝負に出たと考えるのです。(もし、浅井長政の決断の理由がこれであっても、これからの織田信長と戦いに朝倉氏の援助が必要な以上、朝倉氏に恩義を持つ父親の浅井久政に同調したという態度を取らざるを得ません。)
明智光秀・豊臣秀吉・滝川一益を抜擢し、徳川家康を同盟相手に選んだ織田信長は、当時にあっては武将・政治家の器量を見抜く、超一流の選定眼を持った人物といえます。
浅井長政は若いまま織田信長に殺されたため、その器量は歴史の上で明確にはなっていませんが、織田信長が見込んでその妹の結婚相手に選んだ人物ですから、徳川家康級の人材である事は間違いないでしょう。
信長が桶狭間で負けていたら、徳川家康(そこそこ有能であったといわれる今川義元の部将として、それ以上目が出なかったかもしれない。)よりも、京都に近く凡将朝倉義景の下に納まらない(織田家と同盟を結んで朝倉家と距離を置く事が可能であったくらいですから。)浅井長政の方が天下統一に近かったと思います。
信長がもし今川義元に殺され、美濃の斉藤氏を浅井長政が滅ぼして、美濃を領することになっていれば、彼は天下に最も近い大名の一人になっていたでしょう。
No.11
- 回答日時:
答えを訂正します。
「第2の信長が現れて、私たちの知っている通りのシナリオが進む」
に、します。
前回の推理は、私たちが知っている人物だけで、構成しようとしたので、無理があります。
自分でも「甘い」とこぼしています。
戦国時代は、特に顕著に「天は、うまい配材をしたな」と、思わずにいられません。
あの局面では、どうしても信長は、必要です。
第2の桶狭間は、第2の信長が奇襲に成功します。
その人物に心あたりがないので、その人物は、本物の成功によって、天から、不要と判断されたのか、才覚を世に出すチャンスに恵まれず、野に埋もれたままなのです。
No.10
- 回答日時:
桶狭間の戦いは後から見ると一大転機になっていますが、その当時は単に三河遠江を
支配する勢力と尾張の勢力による国境紛争だったと言われています。
今川義元は上洛の意思はなく、従って桶狭間で勝ったとしても武田信玄、長尾影虎と
後背地の北条氏を含めた4者で東国の勢力争いをしていたことでしょう。
信長が天下を意識するきっかけになったのはやはり足利義昭の接近によるものと
思われますので、仮に信長が出て来なくても細川幽斎、明智光秀が信長に代わる
足利幕府再興に使える有力武将を見つけ出したのではないでしょうか。
No.8
- 回答日時:
現在の我々から見ると戦国大名たちは誰もが天下取りを目指していたように思い勝ちですが、実際にはほとんどの大名は、自分の領土を守り、隣国に攻めこんで領土を広げるということだけを目指していただけと云われます。
上洛しようとした今川義元にしても武田信玄にしても自分が天下人になろうとした訳ではなく、単に足利将軍家を助けて幕府を再興することが目的だったように思われます。
当時、明確に自分で天下を治めようと目指した武将は織田信長だけではなかったのかと思われ、信長の天下取りに刺激されて、他の武将も勝った者が天下人になるという風潮になったように思われます。
信長のように旧体制を全て無視し、否定できるような人が現れない限り、誰が上洛しても精々足利幕府体制を再興する程度のことしか思いつかないように感じます。
したがって、信長が早い時期にいなくなっていれば、当分はこのまま戦国時代が続いていたと思います。
No.7
- 回答日時:
勝手に歴史を変えてしまうと、現在の私たちが存在しなくなるし
「歴史の管理者」の逆鱗にふれますので、信長の不慮の死を
なんとか繕わなければなりません。
信長が桶狭間で滅亡した後、戦乱は続く。
今川の配下にいた松平が名を「徳川」と改めて、今川義元の上洛に
従い室町幕府再興を誓い、(同時に大儀名文を得て)三河・尾張・美濃
と着実に支配地を広げる。
そのころ、九州を征服した「島津」と中国を征服した「毛利」四国を
征服した「長曾我部」は、武田と北条を滅ぼし強大な力を持った
「徳川」に対抗するために、連合を組む。
1600年、京・大坂に入るために大軍を引き連れてきた「徳川」と
「島津」「毛利」「長曾我部」連合軍は、関が原で激突。
元来、無理な連合を組んだ西軍は、「徳川」の老獪な切り崩しにあい
敗北する。
「長曾我部」は滅ぶが、「島津」「毛利」は統一を急ぐ「徳川」から
領地縮小だけで滅亡は避けたが、250年後に復讐を誓う・・・。
これで、とりあえず歴史の大筋は崩さずに済みます。
あっ!朝鮮への侵攻とそれによる明の衰退は、どうしよう・・・。
No.6
- 回答日時:
結局、ここでああだこうだと出るようにどの大名も「決定打に欠く」事となり、戦乱の世が続くのではないでしょうか。
今川が上洛して天下に号令する可能性は高いと思いますが、新時代を拓くという可能性はないでしょう?室町将軍に変わって天下に号するだけであって、それまでと何ら変わることのない乱世が続くと思います。
ただ、そんな中で松平、北条、毛利などが頭角を現す可能性は高いと思います。
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