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 太平洋戦争の開戦時において、政府・陸海軍の間で、アメリカへの宣戦布告の通達を真珠湾攻撃の前にするか後にするか一騒動がありました。その結果宣戦布告は攻撃開始30分前にすると決まったにもかかわらず、実際には外務省の不手際で攻撃開始後になってしまったのはよく知られています。
 疑問なのはここからです。真珠湾攻撃開始に先駆けること約2時間前にはすでにマレー攻略作戦が始まっていましたが、当時のマレー半島はイギリス領でした。ということは、アメリカへの開戦前宣戦布告を決めた日本政府は当然イギリスへの開戦前宣戦布告をも考えていたはずだと考えられます。しかし、リメンバー・パールハーバーの陰に隠れてか、そのことについての話は聞いたことがありません。もしかして日本政府は、イギリスに宣戦布告しなくてもアメリカにだけ宣戦布告すればそれで十分だし、奇襲の効果が少しは増すと考えて、アメリカへのみの宣戦布告で米英蘭との戦いを始めようとしたのでしょうか。
 ということで、質問は以下の通りです。
Q1、日本政府はイギリスなどアメリカ以外の相手国に、攻撃開始前の宣戦布告をする予定だったのか?
Q2、もしそうする予定だったならば、実際には宣戦布告を攻撃開始前にしたのか、それとも何かの事情があって攻撃開始後にしたのか?
難しい質問だと思います。できれば回答する際その回答の根拠となる文献や情報源も添えて下されば幸いです。

A 回答 (6件)

昭和16年(1941)12月8日午前11時45分に情報局が発表した「宣戦の大詔」には、「…朕茲ニ米國及英國ニ對シテ戦ヲ宣ス」とありますが。

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この回答へのお礼

これはこれは… 不覚にも見逃していました。確かに戦争開始後にイギリスにも宣戦布告したと明記していますね。これでQ2は解けました。
ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/01 20:12

 アメリカについては、アメリカ本人が中立でることを国際的に公にしていましたので、敢えて日本からの宣戦が必要と考えられたものと存じます。

(結果的に「不意打ち」に近い形なってしまいましたが、それを以て戦争状態が無効であるとは言えません。)
 これに対して、イギリス等については、1940年に日独伊三国軍事同盟が締結されていますので、ドイツが対イギリス戦等を始めた時点で、日本は自動的にイギリス等の公式な敵国になります。

 問題は、そのような場合にもあらためて「宣戦布告」が必要であるかどうかですが、国際法上は、必ずしも必要とはされていないと解するべきでしょう(事実上の戦争が始まってしまったら、布告もへったくれもありませんし、「宣戦布告がなされてから24時間の間をおいて正々堂々の戦争が始まった」という例の方が遙かに少ないのが歴史の事実です。)。
 あくまで個人的には、既に公敵となっている相手へ、わざわざ宣戦する必要性を感じたとは思えません。

 ただ、これは一般論でして、「実際にそのときは宣戦するつもりだったのかどうか?」は知りません。すいません。

この回答への補足

 確かに太平洋戦争開戦当時アメリカは中立国であったのに対し、イギリスは日本と同盟国であるドイツとの戦いの真っ最中でしたから、アメリカとイギリスの立場は全然違います。だから日本のおのおのに対する対応も異なるのは当然といえば当然です。
 回答中にある『イギリス等については、1940年に日独伊三国軍事同盟が締結されていますので、ドイツが対イギリス戦等を始めた時点で、日本は自動的にイギリス等の公式な敵国になります。』という内容についてですが、日独伊三国軍事同盟が締結されたのはご指摘の通り1940年なのに対し、欧州戦線が始まったのはその前年の1939年です。そして日独伊三国軍事同盟には「三締結国中何れか一国が、現に欧州戦争または日支紛争に参入しおらざる一国によって攻撃せられたる時は、三国はあらゆる政治的・経済的及び軍事的方法により相互に援助すべきことを約する」とありますので、日独伊三国軍事同盟締結時点から太平洋戦争開戦時点までの間においては日本は『イギリス等の公式な敵国』にまだなってはいないと思います。

補足日時:2006/11/01 20:33
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先日読んだ吉村昭さんの本「大本営が震えた日」にこの辺り(マレー半島攻略作戦、香港侵攻、と真珠湾電撃攻撃作戦)の微妙な時間差を描いた場面が有ったような気がしてます、再度調べてからお返事するということでいいですか?



真珠湾攻撃の方はギリギリだが隠し通す見通しが付いた、しかしマレー半島攻略の方はベトナムとマレー半島の間で大艦隊が半日前に英国哨戒機に実は見つかっていた、その哨戒機を護衛機が撃墜したが、これが「事実上の開戦」となるのかどうか、果たして、その撃墜を英国は単なる墜落として無視したのか云々。。。開戦時の一刻一秒が描かれていました。

吉村先生のご冥福を祈ります。

この回答への補足

 私も吉村昭さんの著作は大好きで、回答中にある「大本営が震えた日」も実は読んだことがあります。確かその中にはイギリスへの宣戦布告に関する内容はなかったように思うのですが、なにせその本を読んだのは5年ほど前ですし、今手元に本がないので記憶はあいまいです。

補足日時:2006/11/01 20:39
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『文芸春秋』7月号に、「外務官僚たちの真珠湾攻撃」という記事があります。


副題は「通告なき開戦は彼らの計画どおりに実行された」です。
外務省の外交資料館に収められている資料を筆者が丹念に精査されたものです。
外務省が開戦の手続きについてどのように検討していたか、ハーグ国際条約をどう認識していたかなど、詳細に分析されています。

ご質問に関する部分だけをピックアップします。
外務省南洋局は11月中旬ごろに、「対米武力発動ニ至ル各種経路(就中開戦宣言ヲスベキヤ否ヤノ問題)という文書を起案しています。
宣戦布告のいろんな方法とその長短が検討されていますが、その中に、宣戦布告なき戦争開始も含まれており、「実際に陸軍が英領マレーで採った戦争開始の方法は、無通告開戦だったのである」とあります。

Q1については、「予定」はあったが「予定は予定にすぎない」です。
Q2については、攻撃開始後に宣戦布告しましたが、その事情は端的に回答できるような単純なものではないことが上記記事で理解できます。
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この回答へのお礼

 明確で詳しい回答ありがとうございました。
 私も何とか『文藝春秋』7月号を手に入れて読んでみようと思います。

お礼日時:2006/11/01 20:48

国際法上ですが、宣戦布告は戦闘の前でも後でも構いません。

宣戦布告の後に戦争を起こした事例の方が珍しいです。

この回答への補足

 すいません、元の質問内容とはズレます。回答中に『国際法上ですが、宣戦布告は戦闘の前でも後でも構いません。』とありますが、国際法に違反するかどうかということについてのみに絞ってみれば、宣戦布告に関する取り決めをしている「開戦に関する条約(ハーグ陸戦法規)」の第一条「締約国は理由を附したる開戦の宣言の形式又は条件附き開戦宣言を含む最後通牒の形式を有する明瞭かつ事前の通告無くしてその相互間に戦争を開始すべからざることを承認す。」に従うと、戦闘開始後の宣戦布告はこの条約に違反すると思います。まあ、戦闘開始後に宣戦布告したからといっても、批判されるだけでそれによる物理的損害を被ることはないし、戦争そのものは無効になるはずもありません。しかも第二次世界大戦の欧州戦線においてもドイツ(対ポ、対ソ)やソ連(対フィン)は事前の宣戦布告なしに戦争を始めていました。さらに太平洋戦争開始以前の日本自体も、対米貿易存続のために中国での争いは「戦争」ではなく「事変」で通し、アメリカと開戦するまで重慶政府に宣戦布告しませんでした。だから、だまし討ちを防ぐという宣戦布告の本来の意義が無視され続けている以上、戦争を始めるにあたって宣戦布告を戦闘開始前にするか後にするかとかいう話は実際のところナンセンスだと思います。それでも当時の日本政府がアメリカに対し戦闘前の宣戦布告をするか否かにあんなにこだわっていたので、じゃあイギリスに対してはどうするつもりだったのだろうと思い、質問をしてみたわけです。
 

補足日時:2006/11/01 21:35
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>Q1、日本政府はイギリスなどアメリカ以外の相手国に、攻撃開始前の宣戦布告をする予定だったのか?



>Q2、もしそうする予定だったならば、実際には宣戦布告を攻撃開始前にしたのか、それとも何かの事情があって攻撃開始後にしたのか?

 太平洋戦争開戦に当たり、日本の当面の交戦国である「アメリカ」「イギリス」「オランダ」に関して簡単に説明します。

 まず、41年当時の国際情勢を概観するに、日本はドイツと軍事同盟を結び、ドイツはすでにオランダを占領し、イギリスと戦争中でした。従って、日本とイギリスとは臨戦状態であったということです。事実、マレー半島上陸戦では夜間にも拘らず日本軍が舟艇から上陸すると同時にイギリス軍は一斉射撃で迎えています。
 
 したがって日本はイギリスに対し、事前の宣戦布告を通達していません。

 つぎにオランダは前述のように本国がドイツによって占領されていたので、布告の必要はありませんでした。また実質には6月17日の「日・蘭印会談」決裂によって日本とは敵対関係となっていました。

 アメリカは、表向きは中立の立場でしたが、これも同年の3月に「武器貸与法」の成立によって欧州の戦いに参加していたとみるべきですし、「ABCD包囲陣」ですでに対日臨戦状態にはいった、といえるでしょう。それでも日本は戦争するに際し、アメリカに対して事前通告をすることと決めていたのでした。(宣戦布告は事前通告の義務はない)

 
 
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