No.3ベストアンサー
- 回答日時:
以下に信長のクーデターを光秀が防ごうとしていたという回答があります。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2247977.html
また「信長は光秀に不意をつかれたのか?」という視点からの検証番組がありました。それによると、光秀の軍が行進することで発生する騒音はかなり大きいもので、信長が気付かないはずもなく、光秀はクーデター計画に沿って行動していたので、信長に近づけたと結論づけていました。
そして、織田信長は朝廷を見下していて、それは、不要で邪魔な存在だと思っていたそうですから、「公家朝廷殲滅計画」はまさに合理主義の彼が考えそうな計画です。
ただし、そのクーデター計画が日本の人々にとってどういう印象を持たれるかというと「信長は天皇家に刃向かう大悪党」となる可能性も大きいです。
それを防ぐために、信長の行動記録(日記)の改ざんもされたようです。また光秀は、「天下を狙う」という欲望は全然無かったと記しています。
「光秀に不意をつかれて殺された間抜けな信長」よりも「朝廷撲滅のクーデターを計画して実行寸前に腹心に裏切られて殺された信長」というほうが彼にふさわしいと思いますね。
本当のところは分かりませんが、個人的にはその説が正しいと思っています。
この回答への補足
光秀の辞世の句
逆順二門なし 大道心源に徹す 五十五年の夢 覚め来たり一元に帰す
「孟子の放伐の論理の実行」(童門冬二)と言う意味では、「天下を狙う」という欲望はなかったのでしょう。
No.12
- 回答日時:
日本の将来を左右する、大事な瞬間だった様に思います。
これより後の権力者は、国民を生かさず殺さずで、今に至っている様に思うと、信長に新しい日本の方向性を、示して欲しかった様に思います。
日本はリーダーが不在です。丸暗記だけが出来る‘考える力‘のない東大出が、他大学出をイビリ、出る杭を打ち、国を食い潰しています!。
この回答への補足
>信長に新しい日本の方向性を、・・・
信長が天下を取っていたら、どんな日本になっていたでしょうね?
想像するだけで大変興味深いところです。
結局、狸親父が日本の方向性を決めてしまったと言う事ですかね。
私は、実のところ信長の人間像をまだ十分把握仕切れて居りません。
斉藤道三の肝を冷やし、今川義元の寝首をかいた、だだならぬお人であることは確かですが・・・。
No.11
- 回答日時:
殲滅計画、というまでのものでは無くても、信長は朝廷を不要なものとみなせば廃止をやりかねない、古いものの価値にとらわれない思考とそれを実施する実力の持ち主でした。
信長が頭角をあらわすまでは、朝廷や将軍家には利用価値があり、光秀は織田家中で旧勢力との交渉には他に替えのきかない随一の人物でしたが、信長が第一人者となってからは光秀の礼儀作法や朝廷の扱いに関する諫言を一喝して退けることもあったように、もはや利用価値はありませんでした。
信長は安土城に自分の偶像を作らせたり、ルイス・フロイスに自分こそが神のような存在であろうと語っていたとも言われますが、こうなってくると旧勢力との架け橋である光秀はもはや信長の障害にも近くなってきます。
漢の韓信も、天下統一されてから冷遇され、謀反を起こしていますが、無実の疑いで最初に兵権を剥奪されたときに言った「狡兎死して良狗煮られ、高鳥尽きて良弓蔵され、敵国敗れて謀臣亡ぶ。」ということが光秀にもあてはまり、それを察知しての保身・大義両面からの謀反だったのではないでしょうか。
戦国時代には謀反はつき物といえ、自分が先にやるか、やられるかを考えれば、誰でも前者でしょう。参考になりました。ありがとう御座います。
No.10
- 回答日時:
自説ですが。
。。信長晩年の所領替えなどの光秀イジメの原因は、信長は実は光秀の才能を恐れていたからではないでしょうか?
光秀の(源氏)という家柄とそこにも劣らない武将としての器を、あるいはいずれ自分の存在を脅かすかも?という疑心難儀からの恐怖心がそうさせたように思います。
叡山の焼き討ちや石山合戦による本願寺攻めも、恐怖という心理の裏返しのように思います。
一方の光秀は、光秀で「信長をこのまま生かしておくのは危険」と判断したのでしょうね。
信長が朝廷を滅ぼそうとしたかどうかは、これは無いと私も思います。そこまで、短絡的ではなかったでしょう。ただ、歴史的に多くの権力者がやったように朝廷を自分の支配下に置こうとしていたことは疑いようがないですね。
No.9
- 回答日時:
光秀に叛意を決断させたのには直前の所領変えの影響が大きかったとおもいます。
永年かけて経営してきた近江や丹波という中心都市京都近辺の領地から遠い岩見、因幡という地方に(いまだ毛利領)移され、しかも近江、丹波からの年貢の徴収も禁じられて、いわば裸一貫で戦地に赴けという命令でしたから光秀は進退に窮した筈です。
当時の戦国大名は戦費は自分持ちですから、勝敗も不明な毛利攻めの行く手は信長の出陣が決まっていたとしても不安でしたろう。
光秀にはその他にも信長の信任を疑う点はおおくありました。
この追いつめられた心理のため謀反を決意したのだと思います。
それでも愛宕山で数回も籤を引くなど迷いはありましたが決意してからは行動は早かったので事前の手配りなどはかなり杜撰でした。
信長打倒の一念で固まってしまったので、本能寺で勝利した後呆然として華々しい指揮も出来なかったといいます。
彼がその後後手後手の対策しか打てなかった原因です。
No.8
- 回答日時:
わざわざ信長が朝廷や公家を殲滅するとは考えにくいんだけど....
一説には「自分の領分 (政治・軍事) に口を出さない限り放っていた」ともいわれてます. 比叡山の焼き討ちなどでも, 「坊主は坊主らしく念仏でも唱えとりゃえ~のに, わざわざ口出しするもんだからだちかんのだわ...」とか思っていたかもしれませんよ. 実際, 尾張の一向宗に対しては「何もしていない」ですし.
あ, 歴史の教科書とかでは「本願寺 vs 織田信長」ではなばなしく書かれてたりしますが, 実際にはほとんどの地域で「一向宗 vs 戦国大名」という戦いがおこってます. もちろん一向宗の背後では本願寺があおっているわけですが, 尾張では「信長 (というか大名) に対抗しろ」という本願寺の命令よりも「悪いことはいわないからおとなしくしとけ」という信長の要請をのんでおとなしくしてたらしいです.
ちなみに本願寺主導で信長に対する包囲網が作られたときには, 「一向宗にはおとなしくさせるから信長に対抗しろ」って取引したらしい.
この回答への補足
確かに、「信長公記」巻四ー5六天魔王には、比叡山焼き討ちの際『このたび残念ながら聖域に馬を打ち入れることを決めた』とあるので、無闇やたらに制裁を加えていなかったようです。
補足日時:2006/11/11 22:02No.6
- 回答日時:
信長の苛烈な性格や自分の気に入らぬ権威をすべてぶち壊してしまった所業から、「公家朝廷殲滅計画」は考えられないことではないと思いますが、いかんせんハッキリとした証拠がありません。
公家朝廷殲滅の考えについて、まあ、信長の頭の中をかすめたことがあったかも知れませんが、具体的な計画はなかったんじゃないかと思いますね。
もし光秀がその阻止のために立ち上がったのであれば、光秀はその大義名分のPRをやったでしょうし、なんらかの史料が残っているはずと思います。
この回答への補足
その計画の証拠は現在の所はまだ見つかっていません。いわば状況証拠となり得るものがどれとどれなのか精査していかなければならにいということでしょうか。
補足日時:2006/11/11 22:35No.5
- 回答日時:
私個人としては別の説を考えています。
光秀は信長の比叡山焼き討ちを後悔していたのではないでしょうか?
比叡山焼き討ち自体は織田政権の地盤を固める上で効果的だったとは思いますが、光秀は信長に比べて保守的で旧世代的なインテリだったので、比叡山焼き討ちに対して後悔と重責の念があったとて不思議ではありません。
光秀が焼き討ちの最中に叡山の貴重な文化財を運び出して保護しようとしたのを信長に咎められた、という話もある程です。
こういった宗教的な自責は精神的な圧迫となりノイローゼとなったり狂信てき行動をとらせたりするのも珍しくありません。
光秀は叡山焼き討ちの走狗となった自身の贖罪、そして叡山の敵討ちの意味で信長を討ったのではないでしょうか?
また、本能寺の変当時、織田軍は高野山を包囲していました。
高野山は信長の死によって救われたのです。
すると
光秀は、比叡山を討った罪滅ぼしに高野山を救うつもりで本能寺を攻めたのかもしれませんね。
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