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教師の負担が重くなった事は本当のことなのでしょうか?
それならそれでなぜ教員の数を増やそうとはしないのでしょうか?それに以前のままと同じく狭き門にしているのでしょうか?
何故そういう矛盾があっているのかわかる方の回答を待っています。この矛盾の謎が解決しないとどんどん死者が増えていく一方ですから。

A 回答 (11件中1~10件)

はじめまして。



教員ではありますが、教育行政についてはあまり詳しくありません。
一般企業の状況などもよく分かりませんので、比較できません。
という立場で、少し考えてみます。


教師の負担が重くなったことは、おそらく事実でしょう。
No.4の方が現状の一例を詳しく述べていらっしゃいますが、昭和以前の時代には、子供は集団統率が比較的容易だったかと思われます。また、軽度発達障害も見つかっていませんでしたし、それに対応するための個別指導計画のような書類作成も不要でした。保護者が学校に出す要望も、私が児童や生徒として通っていた頃と比較すると、量も増え内容も多種多様になっていると感じます。
よしあしは別として、負担増については、私も同感に思う部分もあります。


質問者の方がおっしゃっている死者というのが児童生徒を指すのか教員を指すのか、両方なのか分からないのですが…死者が増えることは、よくないことです。
ただ、死者が増えた原因が1つに限らない以上、教員の増員が解決策になるかどうかは分からないでしょう。


教員配当の法的根拠についてですが、児童生徒の人数によって学級数が決まり、学級数により教員の配当数が決まっています。それぞれの地方自治体により若干の違いはありますが、大体同程度の配当状況だと思われます。さらに次年度の教員配当予定数や退職予定などを加味して、新規採用数などを決めるわけです。
この制度自体は一般企業とそう違いはないでしょう。ただし、法的根拠という動かしづらいものが根本あるため、大幅増員もなければ一斉にリストラされることもないわけです。この部分は教員に限らず公務員の特徴といってよいでしょう。


No.1の方の回答と、それに対する補足ですが…

>>レベルを下げるわけにもいかず、
>>金もない、ということで簡単には
>>増やせないのだと思います。
>
>中には能力のないだめ教師が本採用
>されている例があるのですけれども
>・・・逆に能力はあるけれども試験
>に通りにくくてあぶれている人たち
>もたくさんいるのですが・・・人件
>費にしても上の人たちは遊びなどに
>使って無駄遣いが多い気がするので
>すが・・・ということはこのまま死
>者の数が増えてもいいとおっしゃっ
>ているわけですね?解決策を聞きた
>いのです。

採用試験のやり方は少し置いておくことにして。
一般的なことを言えば、採用数を制限することで倍率が生まれます。倍率の高さは競争率の高さにつながり、レベルの高い人材の採用が可能になることを意味します。逆に言えば、採用人数を増やすことは一時的にレベルの低下をもたらすと思われます。

国や地方自治体のお金の使い方は少し置いておくことにして。
採用数を増やせば人件費がかかることは、当然のことですね。そして公務員の特徴として、簡単にやめさせることができない現状もあります。企業が経営改革のために大幅な人員削減をするのは、人件費コストがバカにならないからです。そして目の前で人員整理をされていく現状を目の当たりにすることは、職場に緊張感を生み、残った人がより洗練されていきます。別の言い方をすると、一人ひとりの負担が増えても文句を言わせない状況を作り出すというか。

一概に、人がいれば仕事が効率アップすると言えるわけではないですね。8:2の法則なんて使い古されていますが、そういう集団心理は、確かにあります。かといって、人がいなければ回らないこともたくさんあります。…この辺が、一概に言えない事情なのでしょう。


近年の教育環境は、簡単に解決策が見出せる状況ではありません。
それでも、現実的に改善できることはないかと、私もたまに考えます。
お金も手間もかけず、知恵を使って解決できる方法はないか、と。

○教員養成にあたり、数年のインターン期間をおきます。数ヶ月単位で、様々な校種を経験し、授業研究を行います。定期的に専門性を高める講座を受講したり、グループ研究などを実施します。各大学の大学院という扱いで行います。課程修了者は1次試験を免除するなど、採用を明確に優遇します。

○講師登録をデータベース化します。勤務評定の結果をデータベースに加えていきます。講師経験の年数や勤務評定の程度により、特に優秀な講師は優遇し3年程度まで同一校(地域)で複数年契約できるようにします。


上記の2つはあくまで、よりよい教員を残すための優遇策です。
ここからは、予算措置が必要な対策です。

○校務運営の簡素化・スリム化を図るためのアドバイザーを企業コンサルタントの方を呼び、実践していきます。気づかずに無駄な作業を続けていることも少なくないからです。企業的なアイディアでカイゼンをしていくわけです。各自治体に1名いればよいでしょう。3~5の実験校で2年、全体に5年程度継続して取り組んでいきます。

○就学前のお子さんがいる家庭について、育児支援を行えるような体制を整えます。特に軽度発達障害が疑われるお子さんをスクリーニングし、発見後ただちにフォローする教育相談体制を充実させます。予算措置が必要になりますが、発見後のフォローができる病院や学校に補助金をあてること、専門家を保育所や幼稚園に定期的に巡回させることで対応できそうです。

○具体的な教育実践を全国的に共有するための研究発表を、文科省主催で行います。応募する研究実践は、他の団体/教員にも検証可能な内容とします。すぐれた実践発表を3~5つ選出し、それぞれの実践について検証する実験校を公募し検証し、数年後に検証発表をします。それらをデータベース化していきます。
内容は、より具体的なことが望まれます(学級崩壊から立て直した実践や、不登校を減らした実践、校務運営の効率化など)。文科省のお墨付きのすぐれた実践を共有していく試みは、各学校/個人の枠を超えて有効にはたらくのではないかと思います。


最後に。

いじめ自殺について、質問者の方は考えたいのかも知れませんね。
教員の数を増やせばどうなるとお考えなのか分かりませんが…少なくとも、管理強化することは直接的な解決にはつながらないと思います。
中学生位になれば、ある程度の自主性は必要だと思うのです。ただし自主性が増せばいじめのリスクも増えます。また、心に余裕があって、毎日が充実していれば、人はいじめたりしないものです。余裕のなさがいじめの発生を助長していることもあるでしょう。

教員の数を増やして負担を減らそうというお考えかも知れませんね。確かに一人ひとりの負担は減るでしょうが、自殺の減少と直接リンクするかどうかは、ちょっと確信がもてません。以前、占い師の細木数子さんが、学級担任は教科を教えないで、クラスの担任に専念すればいい、みたいな趣旨の発言をされていました。確かに人が増えれば、そういう体制をとることも可能でしょうね。質問者の方も、そういう意図でしょうか?


質問者の方に対して否定的な意見を言うつもりではないのです。
ただ、教員の数の話だけでなく、今後の改善策を求めていらっしゃるようなので、質問者の方のご意見も伺いたくなったのと、論理的な飛躍(すきま)を埋める説明も補足などで述べられると、より有益なのではないかと思ったのです。

長くなりました。
失礼します。

この回答への補足

長い回答ありがとうございます。
>質問者の方がおっしゃっている死者というのが児童生徒を指すのか教員を指すのか、両方なのか分からないのですが…死者が増えることは、よくないことです。
>ただ、死者が増えた原因が1つに限らない以上、教員の増員が解決策になるかどうかは分からないでしょう。
死者は両方です。
勿論教員の増員だけが解決策にはならないと思います。しかし教員の数が足らないのは事実だと思います。それがゆえに目が行き届きにくくなっている事は事実です。教員の配当数は増やさないといけないと思います。採用人数を制限する事はレベルの低下に必ずつながるとは思いません。ある程度の緊張感はいると思いますが必要以上の過重を与えるのは先生側にも負担がかかりすぎると思います。みんながみんな体の強い人だといいけれどもそうでない場合のときもあると思います。
改善策についてはいいと思っています。このようなことを文部科学省が少しはやっていってくれたら教師自身の質の向上につながっていくと思います。今の現状からしたらまだ教師の数が足りないと思いましたから質問しました。自殺については教師の数が増えたら少しは減ると思います。教師の質と数とのバランスが大事だと思います。今の状態だとそのバランスがまだ取れていないと思います。

補足日時:2006/11/23 17:14
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 No.4です。

死者が出ないように、という観点で書きます。冷静に簡潔に書けるかどうか分かりませんが、もう一度おつきあい願えませんか。

子どもの自殺者を防ぐには、
 子どもに逃げ場をつくることが最善です。いじめが原因の場合、その他がすべてうまくいっている場合はまずありません。ある部でいじめを受けていても、そのスポーツが生き甲斐なら何とかやっていけます。親が「テストで○○番以上じゃなければやめさせる」といいました。(勉強どころでなくしたのは誰のせいだといいたいです。)テストの当日に自殺しました。最高の逃げ場は家庭です。

教師の自殺者を防ぐには、
 教師を孤独にさせないことが最善です。「加害の生徒や保護者にまで配慮しているのにどうして」と思ったら、すべて自分の能力のなさと受け止め追いつめられます。教育的な配慮は仕事ですが、人間関係(友達関係、家族関係、地域でのつきあいなど)の複雑なゆがみが全部弱い教師に乗っかります。自分でこんなこと言って同業の教員に怒られますが、給料を3分の2にして、2人分で1人を雇った方がいいと思ってしまいます。でもそんなことしたら、みんなやめてしまいますかね。

 すいません。結局具体的ではありませんでした。また長いし。

この回答への補足

簡潔な文章ありがとうございます。確かに子どもには逃げ場が大切ということがわかります。確かに学校での苛めは親が守る部分があると思います。そうすることで子どもにも安心感が出てきて自殺する可能性が減ると思います。
教師の方はやはり人数を雇った方がいいかもしれないですね。だから教師の採用を増やして欲しいと思います。優秀な教師の卵の人たちがたくさん眠っていますから。

補足日時:2006/11/24 15:56
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改善策について書き込みます。



1.根本的改善策
(1)教育予算の抜本的な増額
 軍事費や大企業減税、赤字必至のゼネコン優遇公共事業の縮小で十分な予算が確保できます。
(2)(1)を背景にした教員増
 1クラスあたりの生徒数が欧米の2倍近くあるのは異常です。せめて30人学級の実現が必要です。
(3)教育委員会の公選制復活
 政治の影響をモロに受ける、現在の任命制を、選挙によって選ばれる仕組みに戻さないと、実態も知らずに現場をふりまわす教育委員会がなくなりません。

2.中期的改善策
(1)学習指導要領の弾力化
 世界一しめつけの厳しい学習指導要領を、もう少し幅のあるものに変えないと、内容のひどいものが出てきたときに、それがストレートに子どものストレスになります。
 現在の指導要領は、行政に近い人たちでさえ、かなり批判した内容ですが、結局無修正で実施し、さらに、その内容と矛盾する指導を加えるという二重のふりまわしを現場に強いています。
 いじめ自殺のいろいろな原因のうちの大きなひとつと考えて良いと思います。
(2)教育委員会の学校訪問の簡素化
 教育委員会が学校を視察に来ることが年に1~4回あります。
 普段の様子を見るだけなら良いのですが、いろいろな書類を新しく作らせて、先生たちの仕事を増やしてくれます。
 ひどい地域では授業を自習にさせて全員の先生を集めて訓辞を垂れるという有様です。
 少し前までは、公費でお土産を持たせていた地域もあったようですから、神経を疑います。
(3)部活動指導の軽減
 中学校では、強制ボランティアというべき部活指導で、ろくに休めない教員が少なくありません。
 若手は結婚もできにくいし、流産の率も看護師なみ、家庭をもっている教員は、まじめに部活をやるほど家庭崩壊のリスクを背負うという傾向があります。
 せめて、平日は勤務時間内、土日は片方だけ、という程度には規制をかけてもらいたいものです。

3.短期的改善策
(1)自治体の下請け事業の撤廃
 公民館まつりに小中学校の先生と生徒が動員をかけられるのは筋違いというものでしょう。自治体主催の講演会とかコンサートでお客が集まらないと困るから、生徒を無理矢理参加させろというのも、非教育的ですね。
 別に、自治体からお情けで予算を恵んでもらっているわけではないのですから、余分な仕事を引き受けるのは問題です。
(2)研修・研究発表の削減
 教育委員会主催の研修は、企画する側に指導力がないことが多いので、「時間のムダ」というものがきわめて多いと思います。
 また、文部科学省や教育委員会にテーマを与えられて「これを研究しなさい」という指定を受ける学校が毎年決まった数あります。
 10年前のいじめ自殺問題で、一時期減少しました。事件のあった学校が、ほとんど研究指定校だったからです。
 再び増加している地域がありますが、もっと減らして良いと思います。
(3)数値目標の見直し
 最近、やたらと数値目標を出させるのが流行りです。
 しかし、数値目標は、かえって「くさいものにフタ」という傾向を生みだしていることが、最近のいじめ自殺事件で、あらためてはっきりしました。
 職員集団が協力し合えるように、個人責任の判断のための数値目標は見直すべきです。

この回答への補足

丁寧な改善策ありがとうございます。
根本的な改善策は自分も同感です。その改善策をすることが今後につながっていく基本だと思います。
中期的改善策も学校システムの改善するためには必要な事だと思います。指導要領の変更や教育委員会も現場の実態の苦労をよく知っておかないといけないと思うし、部活動の指導も自主性でやらせて指導をする先生には給料の金額を上げるとかをすれば良いのかなと思います。
短期的改善策は余分な事に強制的に参加させるのなら参加させるなりの報酬が必要なのではないかと思います。人が集まらないのならやる必要はないのかなと思います。研究発表などをやらせるにはそれなりの先生ができる体制を増やす必要があるのではないのかなと思います。やはりそれも人手不足により起こっているものだと思います。いじめの自殺については本当のことを言っても学校側が苦にならないような環境をつくる事が必要だと思います。
 みんなが協力しないとできないことだと思います。少子化のため人口が減ってしまうと一人一人の力が減少してしまうのだと思います。それ故に人手が足りなくなってしまい、協力者が減ってしまうのだと思います。勿論教育以外にも多く問題を抱えている事だと思うしそれ故に人数が必要なのではないのかなと思います。それなのにちょっと前まで不景気の影響で目先のお金だけにとらわれすぎてしまってこういうことが起こってしまうのではないかと思います。教育というものは目に見えるものではありません。それ故に教師に予算を掛けないから負担が重くなってしまいそうにもかかわらず人数が増えないといった矛盾が生じると思います。

補足日時:2006/11/24 20:49
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自分の考えを加えつつ、少し整理してみたいと思います。



1 教師の負担は増えている。
  具体的には、今までの回答者が色々答えているとおりです。
2 予算がないので教員は増やせない

でも、色々な意味での犠牲者が増えてくるので何とかしたい。
そうしたとき、私の考えでは、他の方とだぶるのですが、
3 増えている負担の多くは、本来学校教育の範疇ではない。
これがポイントになっていると思います。

すなわち、学校教育で効果が上がらないことを
学校現場でやろう(やらせよう)としていることが多いのであれば、
当然教員を増やしても効果が上がりません。
それは、システムを改革して何とかなるかと言うことと別問題です。
唐揚げを作るには、フライパンでもなべでも良いかもしれませんが、
油がないとできません。水だったら蒸し焼きになってしまいます。

これが、主質問に対する答えです。
矛盾はしていないと思います。


でも、他の方へのお礼を見ても、質問者様が本当に求める答えは、
他にあるように思います。
もうちょっと具体的に何に対する答えを求めているのか、
死者とはどのような人を指すのか、補足をお願いします。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
矛盾を解決するにはどのようにすればよろしいと思われますか?(例えば家庭との連携の仕方や教師への人件費配分など)
死者とは生徒や教員です。

補足日時:2006/11/23 18:11
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再びですが、身近にいい例があります。



20年前、何人の人が日本サッカー界がこんなにも盛り上がることを想像した人間がいたでしょうか?

我々が子供の頃、サッカー部がある小・中学校なんかマンモス小・中学校にしかありませんでした。が、現在では田舎の小さな小・中学校にさえサッカー部があります。

また、そういう状況下だったゆえに、昔のJリーグの前身であった日本リーグの試合では、今のように警備員など(天皇杯などのような大きい試合は除いて)不在だったし、観客もかなりまばらだったので、サッカーの試合を見に来ていた人は結構グランド内に入って、選手にサインをもらえたりしたのですよ。それぐらい、20年前以前はサッカーというスポーツはマイナーなスポーツだったのですよ。

話を教育にもどすと、私のお婆さん(=90歳以上)の時代は日本の全人口に占める大学出の人間は1%にも満たなかったのではないでしょうか?それに比べ、今は人口の半数は大学出の時代を迎えつつあります。それだけサッカーの話じゃないけど、教育もサッカー以上に身近なものになってきていると思います。

だからサッカーでも教育でも共通していえることですが、世間話でおばさんとかおじさんだけじゃなく、子供たちでさえも「カズのあのパスはないだろう?」とか、「平山はあそこでシュートを外すかぁ?」っというのと同じように、みんなが教育のことを指摘するようになっている時代になり、国民みんなの目がサッカーにも教育に対しても厳しくなってきていることも一要因なのではないでしょうか?

90歳代の方々で、私の知っている限りでは政治家や教員、医者ぐらいしか大学出の人なんかいないので、昔は教育に対して先生へ丸投げしていたのですが、今は「中途半端に先生に任せて、中途半端に親がかかわる」時代だからこそ、難しい側面があるんですよ…そのくせ、学校に企業論理(=成果主義・数字主義など)なんかも入ってきて、余計面倒なんですよ、今の教師を取り巻く環境は…

私的には「気の毒」以外のなにものでもないですよ…

この回答への補足

確かに気の毒な感じがします。だからこそ教師の負担がかかりにくくする必要があるのではないかと思います。二度の回答ありがとうございます。

補足日時:2006/11/23 18:19
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元教師で、現在は家庭教師派遣会社勤務です。



はい、昔の教師よりも重くなっていますね。その理由を箇条書きすると、

1.少子化に伴い、じっくりと親が教師のことを見るようになった。
2.女性の社会進出が進んだため、教師が親の代わりに躾を求められるようになった(←これが一番教師サイドとして大変)
3.2の事実のその一方で、学歴偏重の親は増加しており、勉強もさらに求めている
4.2を求める割には手をあげるなどの粛清(≠体罰、=愛の鞭)が禁止されているため、生徒たちの舵取りが大変(←これも同様に大変)
5.現代日本の訴訟社会化にともない、はっきりと(特に進路指導など)いえないような状況下になっている
6.教師よりも高いレベルの大学を卒業しているインテリ両親の増加で、文句が昔以上に増えている。また、マスコミ・インターネットの普及などもあって、情報が氾濫している。苦情も言い易い環境下になっている。

の六点ですかね。狭き門にしているのは少子化傾向なんでしょうがないんですよ。そして、その分教師は昔以上に精神的に追い詰められているんですよね、生徒だけじゃなく、同僚、親、世間、マスコミなどなどにね。私はそれが嫌で、教員にはならずに教育産業に乗り換えましたから。塾は勉強面だけをやればいいので、教員に比べて職務内容が明確なんですよ。教員はいろんなことを求められるんですよね…だから自殺したくなるんだと思いますよ、追い詰められると…

正直、私一個人としては、学校の責任もあると思いますが、一番のおおもとはやはり『親』なんだと思います。それと、やはり都会の場合特にいえることですが、自宅に子育てに熟練した爺さん婆さんが不在(=自分たちの実家である地方には居るが)なため、親に対してモノ申す人がいないことも特徴的なのではないでしょうか?データ的にいじめで自殺している子の80%強は自宅に爺さん婆さんが不在の核家族です。

やはり日本の家というのは、「兄弟がいて、爺さん婆さんがいて、そして当然両親がそろって!」というのが最高の環境だと私は思います。が、都会では「両親がいて」で終わっているのがなぁ…っと思います。

先生うんぬんだけじゃあないと思います。

この回答への補足

回答ありがとうございます。理由からしても規制や求めるものが厳しくなった分負担が重くなるのは当然だと思います。確かに少子化傾向はあると思います。少子化になると本来は先生の目が比較的に行き届きやすくなり問題の発生も少なくなってくると思います。しかし実際には教師の負担増が増えています。これに関してはやはり矛盾があると思います。負担が重くなっている分教師の目が行き届きにくくなっておりそのために死者が出たりして問題になっていると思われます。仕方がないでは済まされない部分があると思います。
確かに核家族化が増え家庭内教育がしにくくなっている状況にもあります。このことに関してはgwkaakunさんのおっしゃるとおりだと思います。親も子どもがシグナルを出していたらそれを察知すべきだと思います。(簡単な事ではありませんが)学校教育と家庭内教育との組み合わせが大事になってくると思います。

補足日時:2006/11/23 16:26
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No.4の方が怒りを込めて書いておられます。


まったく同感です。

もともと、日本の公務員・教員の数は他の先進国と比べるとかなり少ない部類です。

しかし、「構造改革」路線は、さらに教育・福祉・医療の水準を後退させることで、大企業への優遇策(軍事費も)をとっています。

そのことをマスメディアは深く掘り下げず、劇場型政治の後押しをしているために、問題が国民に理解されていないというのが個人的な感想です。

教員採用試験を何年も受けている講師の人たちの中には、即戦力になる優秀な人材がたくさん見られます。
しかし、採用数が少ないために、不安定なパートタイム教員を続けなければならず、本当にもったいないことだと思います。

この回答への補足

確かにそうですよね。もったいない人たちが多いから困る事も多いのだと思います。試験では能力があるかどうかを見抜くのはなかなか難しく大変なことだと思います。死者を出さないようにするにはもっと改善が必要だと思いますがどのような改善が必要だと思われますか?

補足日時:2006/11/23 00:01
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負担感が増しました。


1 世の中の変化に対応しなければならない。
 ただし今の世の中、他の業種でも一緒なので理由にならない。
2 テストだけで評価する時代は終わった。
 絶対評価になり、その子の成績が5段階のいくつであるか判定しなければならない。それがどれだけたいへんなことか。通知票を書く段階で、「うーん、4!」などとやっているわけではない。毎時間の評価の積み重ねである。では毎時間、何十人の生徒の「関心・意欲・態度」「考え方」「表現処理」「知識・理解」の4観点を50分の間に判断できるか。
3 様々な形態の授業が当たり前に行われる。
 ティームティーチング、少人数制、習熟度別(能力別といわない)、モジュール(最小単位の時間を50分とか45分にしない)、特別支援学級の子どもへの指導、・・・。時間割ぐちゃぐちゃ。時間変更係は不可能に近い中、でも「やれ」といわれ、やったらやったで、「時間数が多くなった」と同僚から恨まれ・・・。
4 生徒指導で家庭を当てにできなくなった。
 家庭指導までせざるを得ない場合もある。それも子どもにいい影響を期待するから。ただしほんの一部です。
5 何でも学校を当てにする。
 「囲碁や将棋の案内の紙を○○地区の子どもに配ってください」
6 生徒の数は減少しているが、やることは一緒
 学級が1つ減ると、教員が2人減る。むしろ、例えば清掃は、少ない職員と少ない生徒で同じ空間をやらなければならない。
7 複数校兼務の教員が増えた
 免許のない教科は持たさない方針になりつつあるので、技術や音楽などの教員は複数の学校をかけもちせざるを得ない。自校に週1回や2回程度顔を出す職員に、清掃担当や生徒指導や・・・、そういうものを分担させられますか。結局常勤の教員が負担せざるを得ない。また曜日が決まっているので時間変更のブレーキにもなり、また自習監督だあ。

教員の数が増えないのは、予算が足りないからです。今でも「少人数加配」「生徒指導加配」「特別支援加配」「介助員」「指導補助員」「カウンセラー」など、特別に必要な学校には配置されていますが、一向に負担感が解消されません。

この「負担感」。日々新しいことを現場に導入しているので、「システム」「責任の所在」諸々のものが流動的で、手探り状態です。だから、厳密に1人の負担量が多いかどうかより、「負担感」の解消がうまくいっていないと思われます。

さらに、その「たいへんだー」の叫びを誰に言えばいいのでしょうか。誰にすがればいいのでしょうか。結局「聖職」の誇りにつぶされ、孤独でいるように思います。

まず、教育は誰が行うのか。なぜ教育の問題=学校になるのでしょう。私は学校は「学校教育」(この定義は大いに議論してください)をする場だと思います。それ以外の教育(生涯教育、食育)は別の機会があると思います。体力が落ちたのは学校のせいですか。では週何時間体育をすればいいのでしょうか。1日2時間、週10時間やりますか。
そして、保育は誰がするのか。いわゆる「しつけ」は誰がするのでしょう。

テレビで言っているような、そんな単純な話ではありません。

こちらサイドだけの話と受け取ってもらってもいいですが。
長文ですみません。沸々とわき上がってきてしまったもので。

この回答への補足

長い文章ありがとうございます。家庭内教育と学校教育とでは違いがたくさんあることがよくわかりました。予算が少ない予算が少ないという事はよくわかりますがそれでも負担軽減には人を増やすかもしくは学校のシステムの改善が求められると思います。死者の数が増える一方どのような対策がされるかが必要になってくると思います。どのような改善策があると思われますか?

補足日時:2006/11/22 23:58
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 重くなったと言うより,正確にはもともと重いんだと思います。


 結局,教員の数を増やすという事は,それだけ余計に税金がかかるという事です。
 学級数を増やすと教員数を増やさなければいけないため,一クラスの人数が多いままなんでしょう。
だから,教員の負担が重くても,お金の事があるから上はすぐに教員の数を増やせないんでしょう。
むしろ,おかみは教員数を減らすことばかり考えているのが現状です。「特別支援教育」がいい例です。いい事ばかり言っていますが,実際はますます教員の負担が増えて,子供が犠牲になります(長くなりますし話がそれるので詳しくは割愛しますが)。
教員数を増やすことは,莫大な赤字を抱えた日本ではまず考えないことだと思います。

 狭き門というのは悪くないと思います。でも,ただペーパー試験の結果だけで切り捨てるのではなく,人としてどうかというのをもっと吟味してもらわないと,「難関をくぐり抜けて採用された奴がこれか?!」って感じでは狭き門の意味がないと思います。
 不景気なご時世で公務員を求める人が多く,特に教員になりたい訳じゃない人なども試験を受けています。だから,狭き門は仕方ないにしても,試験官の質を考える必要はあると思います。面接のマニュアルだけを学んでその場限りで尤もらしい事を言えるような人間が採用されても税金の無駄です。
結局,学校に不適格教員が一人でもいれば,その人が使えない分ほかの先生の負担も増えます。人数がいればいいというものでもありません。

 どの職場もそうでしょうが,学校は子供の将来がかかっているわけですから,教員の質と量が重要だと思います。でも,莫大な税金の無駄遣いのせいでそれが賄えず,教育に大きな影響が出ていると言えます。

この回答への補足

教師の質と量を高めるにはどのような策があると思いますか?またどのようにすればよいと思いますか?

補足日時:2006/11/22 21:56
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 教師を1人雇うと何百万円という予算(人件費)が必要です。

教師の給料は都道府県と市町村が折半して負担しますが、いずれにしろ1人採用すれば何百万です。簡単に人を増やせないわけですね。

 「狭き門」というのは採用者数に対して受験者数が多いときに言われる言葉です。つまり合格者の質の高さを表します。

 さて、教師の仕事は年々忙しくなっています。今まで問題にならなかったようなことまで問題になっているからです。例えば、平気で宿題を忘れてくる生徒が10年前に比べて倍になったとします。放っておけないので放課後に1人1人呼んで指導したとします。どれだけの時間が必要になるか。
 またケンカを起こす生徒が倍に増えたとき、その指導にかかる時間は?また加害者側の保護者に連絡した時、以前ならすぐ事情を飲み込んで被害者側に謝罪してくれた保護者が今は半分になったとします。説得にかかる時間は?
 などなど、以前と比較にならないほどいろんな事案の処理速度が鈍っている訳です。
 現場の教師が色んなことに必死に取り組んで何とか現状を維持しているいるというあたりを理解してほしいと思います。マスコミで取り上げられるとでもない教師が「標準」と思ってほしくないです。私達から見ても信じられないのですから。

この回答への補足

お金と人の命はどっちが大切だと思われますか?そしてお金を削ってまで死者を増やしたいということでしょうか?どうでしょうか?

補足日時:2006/11/22 21:53
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