アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

大学の授業で裁判員制度について学ぶことになりましたが、どこのサイトや本を見ても反対意見しか見つけられない、または賛成意見でも反対意見に比べると弱い印象を受けるものしかありません。

今考えられるメリットとして
(1)裁判時間と費用の短縮
(2)市民の司法への関心が高まる
(3)判決に市民の常識が反映される

があるのですが、
(1)については、外国と比べて特別裁判が長いわけではない。そしてこの制度が適用される犯罪は非常に限られているからたいした効力はないなどの反対意見でつぶされてしまいそうです。

(2)については関心が高まったところでどうなる?という単純な問題です。より犯罪をしないようにという抑止力になるのでしょうか?

(3)については、これは何を持って常識とするか、逆に市民が感情で判決を出してしまわないかという意見もあると思います。

このほかにメリットといえるものがあるのか。
上記の賛成意見(1)(2)(3)をもっと説得力のある説明はできないでしょうか。

A 回答 (4件)

1.これは運用上の問題であって、「非常に限られているからたいした効力はない」のであれば、限らなければ効力はあるという理屈が成立してしまいます。

これは反対なのではなく、条件付賛成ですよ。
が審理時間そのものが、裁判員制度の導入により短縮させる効果はそもそもないとは思いますが。裁判員制度を導入するなら、否応なしに短縮せざるを得ないという構造になっているだけです。
裁判員制度の導入にあわせて「裁判の迅速化に関する法律」というのも成立しており、時間・費用の話はこちらで解決すべき問題でしょう。

2,3の問題の方が本質的な話です。
法律の趣旨にあるように「司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資することにかんがみ」ることが本質的なテーマです。
http://www.ron.gr.jp/law/law/saibanin.htm
要は司法が民主的基盤を得ることが良いことなのかどうか、この手法にてそれが得ることが出来るのかどうか、あるいは(このような手法で得るものには大した意味がないので)そもそも必要がないのかという話です。

ただどこのサイトや本を見ても反対意見しか見つけられないというのは言いすぎというか何も調べていないだけでは??と思いますが・・・「裁判員制度 メリット」辺りで検索すれば幾らでもみつかります。

で細かい話はそういったサイトでご自身で見てもらうとして。根源的なな話をしておきます。
「犯罪をしないようにという抑止力」「市民が感情で判決」「何をもって常識」という辺りについてははそもそも民主主義のあり方について誤解されています。
民主主義の大原則は"自分のケツは自分で拭く"です。拭き方が甘いと不潔だから機械にやらせようというのが従来の裁判制度、陪審制なり参審制は、例え不潔でも自分でやらせることそのものに意味があるとする立場です。
100人の投票により、結果的に後で振り返ってみれば誤った道を選択していたとしても、民主主義の原則ではそれでOKなのです。正解でも不正解でも多数決の結果が常識となるのです。感情論が多数派ならそれが民主主義的正解です。
※だからこそ民主主義社会ではその構成員は自身の判断、選択に対して責任を取らなければならないし、逆に公的機関は、文字を読める、理解できる、合理的判断が出来るように構成員を育て、且つ常に情報を公正・公平に公開しなければならないとなる訳です。
この世の理は感情論で判断してオールOKとする社会なら、感情論で何もかも裁いても何の問題もありません。そこに理性や建前を入れるのはおかしいと皆が納得して同意している社会では、そこに理性や建前を入れる方が反民主主義となります。

もちろん従来の裁判制度でも、裁判は機械にやらせようと民主的に決まったわけですからそれも民主主義の原則によれば正しい道なのですが、間接的よりも直接的の方がより民主主義的であるというのも大原則なのです。機械にさせても人力でやっても同じ結果になったとしても、それでも人力の方がより良いものがあるとするか、同じ結果なら機械でもかまわないとするか、そもそも人力だと一貫性が無いなどのデメリットが、良いものというメリットよりもはるかに大きいと思うのかどうかぐらいの違いがあるだけです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

大変参考になりました。 ありがとうございます。

もう少し、ネットや文献でメリットについて調べて生きたいと思います。

お礼日時:2007/06/15 11:03

私見ですが


(1)裁判時間と費用の短縮
  現在でも、特に刑事事件では
  検察側に不利な証拠や証言が
  認められないケースがあると聞きます。
  冤罪が起こったり、それをを覆すことが難しいのは
  この証拠能力の評価の偏りがあるためです。

  裁判員制度では、裁判員の負担軽減のために
  実際の審議に入る前に、論点の絞り込みとして
  採用される証拠を決めてしまうそうです。

  現在は(一応)裁判の公開性が保たれています。
  今後は、論点の絞り込みが非公開の場で行われても
  それを知ることは出来なくなり、
  結論の決まったシャンシャン総会のように
  形式的な審議となる可能性をはらんでいます。

  このとき、証拠の絞り込みに偏りがあったとしても、
  結果に対して『市民感覚』のお墨付きを与える一方
  責任を拡散させてしまう恐れがあります。

(2)市民の司法への関心が高まる
  大半の人は、関わりたくないと思っています。
  ワードショー的におもしろおかしく傍観する分には
  法律番組も面白いでしょうが。

  ある程度の関心は多くの人が持っています。
  しかし、裁判員制度というのは、
  「司法判断をプロ以外の人がする」ことですから
  ほとんどの人は二の足を踏みます。

  見るのは良いけど、自分が判断の当事者には
  なりたくないというのが普通の感覚でしょう
  関心というのは、後付の理由で無意味だと思います。


(3)判決に市民の常識が反映される
  市民の常識と法が相反する場合、
  どうなるのでしょう。

  民事でも、当事者の性別が逆だったら
  判断が変わったりするのが一般的ですが
  それは裁判の場でもよいのでしょうか?

  知財案件の場合は、国益・判例などを鑑みて
  総合的に判断する必要がありますが、
  一般の人にそこまで期待できるでしょうか。
    • good
    • 0

現在の裁判は制度では、司法試験合格者だけが関与して判決が決まります。

裁判官(判事)、検事、弁護士、皆人間なので、時には誤りも犯します。専門職だけで決定している制度に、矛盾はないのかと問いかけても答えは出てこないように思います。彼ら以外の一般人は裁判について殆ど知らないのですから当然です。

現在の制度を変更したくない人達(特権階級とは言い過ぎでしょうか)は反対するでしょう。しかし、一方で、判決が不自然だと考える人、裁判の迅速化を願う人、様々ですが、このような人達を裁判制度の改善・改革を願っており、その一端として裁判員制度を受け止めているように思います。

裁判官、検事、弁護士の原告・被告に対する態度(言い過ぎですが実に横柄な態度を示します)から、かれらの実態を、一度、一般社会人に見て貰い判断してもらういい機会になるかと思います。法律の解釈も、専門家と一般人との間で幾分異なるかも知れません。

最終的には、警察での取り調べ・検察での取り調べも、一部始終録画にしないと駄目な時代がくるかと思います。そうしないと、冤罪は回避できません。裁判官の多くは、検察調書を鵜呑みにしているように思います。取り調べに立ち会っていないので、書面に矛盾が無ければ、それで話しのつじつまが合うので、異論は差し挟まないと思います。

司法試験合格者が多くなれば、判事一人の仕事量が減り一つの事件に掛ける時間も増えます。また弁護士が増えれば、競争が激化して適当にしていた仕事も一生懸命やるようになります。我が国の司法制度全体を改善・改革するという観点からは、デメリットは少ないようにおもいますが、如何でしょうか。支離滅裂な点もありますがご容赦下さい。
    • good
    • 1

この前、ある検事の講演を聴いたのですが、


「裁判員制度はやってみてだめだったら廃止されるでしょう」
と言ってました。たぶん、その方向へ向かうでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。参考にさせていただきます。

お礼日時:2007/06/08 12:27

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!