マンガでよめる痔のこと・薬のこと

今日学校の宿題として
松尾芭蕉、もしくはおくのほそ道について
調べなければいけなくなりました。
先生が言うには…

「教科書に載っていることは書くな。
みんなが思わず、"へえ~"と口にしてしまうような
面白いことや関心してしまうことを書け。」

だそうで、
調べても調べてもでてくるのは普通の内容ばかり…

なにか面白い情報、噂等、
知っている人がいたらぜひお願いいたします。

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A 回答 (7件)

No.4です。

追加。(あまり硬くないものを....)

(1) 芭蕉の一番有名な句:古池や蛙飛び込む水の音
この句の英語訳は100種類以上あります。

Old pond
Frogs jumped in
Sound of water (Lafcadio Hearn)

The old mere!
A frog jumping in
The sound of water (正岡子規)

など....

昔、学生時代に流行っていた(?)訳は、
Free care
Cow was to become
Me is not. (おふざけです)

(2) 閑さや岩にしみいる蝉の声
この蝉はニイニイゼミとの説あり。

(3) 塩にしても いざことづてん 都鳥
芭蕉の初期の作品で、軽い面白みがあり個人的に好きな句です。
これは『伊勢物語』東下りにある「名にしおはば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」(在原業平)を前提とした句で教科書にも解説があるかと思います。
都鳥は「ゆりかもめ」という鴎の一種。いま東京都の新交通システムの愛称となっています。(乗ったことありますか?)
隅田川河口を通るのも風情があっていいですね。(埋立地ばかりだけど)

以上 おそまつでした。
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この回答へのお礼

ニイニイゼミは前調べたら
でてきて知っていたのですが
英語訳などものすごくおもしろいです!
引き続きありがとうございました。

お礼日時:2007/06/20 18:32

 絶対教科書に載っていない事だけ書いて、まさに噴飯かつ抱腹絶倒、そしていつの間にか「奥の細道」の懐に飛び込んでいる自分に気づかされる、そんな素敵な本があります。



    小林信彦「ちはやふる奥の細道」(新潮文庫)

    「古池や芭蕉飛こむ水の音 仙崖」
  
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調べものは順調ですか?


芭蕉も『奥の細道』も私は詳しくないのですが、個人的に好きな句の一つに

「象潟(きさかた)や雨に西施がねぶの花」

というのがあります。季節柄もいいでしょ。
象潟というのは秋田県にある地名で、芭蕉が訪れた当時は多くの小島が浮かぶ入り江状の潟で、仙台の松島と並ぶ美景を誇った、ということです。
文化元(1804)年の大地震で海底が隆起し現在は陸地となって田園が広がっているそうです。一帯は国の天然記念物に指定されています。
この句では太平洋岸の松島の明るく雄大な景色と対比させることを意図したうえで、中国古典の蘇東坡の詩「西湖」を引用して伝説の美女西施(せいし)と雨にぬれている合歓(ネム)の花の姿とを重ね合わせることによって、女性的とも言えそうな象潟の陰りを含んだ、しっとりとした風土が表現されています。

西施というのは中国四大美人の一人とされ、春秋時代、越の王が争って負けた呉の王への仕返しに、たぶらかして倒すため彼女を差し向けて夢中にさせ、ついには呉の国を滅ぼしてしまったということですが、この西施は滅んだ呉の国の者によって最後は湖に沈められてしまったという話も伝わっているそうです、ここでも象潟の水の風景とをオーバーラップさせているのですね。
しかも、そのうえに「ねぶの花」というのは合歓(ねむ)の花のことで、羽毛を思わせる白に淡く紅を含んだような、なかなか綺麗な花ですが、日当たりのいい湿地を好んで自生する植物だそうですから、ここでもやはり水のイメージを強調しているわけです。

ここから少し、お色気話になってしまいますが(笑)この合歓の木というのは夕方になると葉と葉をあわせて閉じるため日本語では眠りの「ねむ」を連想させるとともに漢字の合歓には男女が、いっしょにおねんねをするという意味があります。ですから、ここでもまたまた象潟の風土の「しっとり」感を強調しているわけですね(笑)
なお中国の「兵法三十六計」中の第三十一計に「美人計」という兵法(いくさの仕方)が、ちゃんとあるそうです。
これは余談ですが
「顰(ひそみ)に倣(なら)う」という中国由来の有名なことわざを御存じですか。
或る日のこと西施が街を歩いていると北風が吹いてきて、あるいは病気のために、思わず顔をしかめた/眉をひそめたところ、これがかえって、ますます美しく見えたものだから、物陰から見ていた醜女が、まねをした。でも、それでなくても醜い顔なのに、しかめ面では逆効果、二目と見られぬ恐ろしさに、襲われるのではないかと男はもとより犬猫まで逃げ出したという故事が伝わっているそうです。現代でも、こういうことをやる人いてそうですね(笑)

このように、こんな短い一句のなかに、かくも何重にも効果を上げるための表現のくふうが込められているわけです。和歌でもそうですね。
さて最初の句では
「象潟の雨や西施がねぶの花」
となっていて宝暦13年(1763)建立された碑にも、句の最初の形が彫られているそうです。
どうでしょうか。

「象潟の雨や西施がねぶの花」

「象潟や雨に西施がねぶの花」

たった「の」と「や」の違いだけでも、ずい分、印象が変わってきませんか?なぜでしょうか。また「合歓の花」と「ねぶの花」ではパッと見た感じの印象が違いませんか?どういう違いを感じるでしょうか。

こうして見ると、ことばの意味や由来を重ね合わせたりするだけでなく視覚的な効果をも計算しているようですね。たいへんなテクニックでありながら、ちっとも無理にこじつけた感じがしない。しかも気品があってスケールの大きさが立ちのぼってくる。
ドイツの作家Hヘッセは著作のなかで「日本の和歌や俳句を読んだあとに我々の詩を読んではいけない。」というふうに述べています。日本の誇るべき文芸の一つですね。

ところで先に申し上げた「の」と「や」の違いのように、最初の句と最後に完成した句とでは表現が変わっている句は他にも、たくさんあるそうです。
参考URLでは、有名な「閑さや岩にしみ入る蝉の聲」「五月雨をあつめて早し最上川」などの最初と最後の違いが挙げられていて、おもしろいですよ。丹念な推敲の跡がうかがえます。そして、やはり芭蕉の、ことばを選ぶセンスがすばらしいものであることもわかります。

なお『奥の細道』は西行五百年忌という年、西行はじめ和漢の古典に基づき、歌枕となった名所を巡礼して数年後に書かれたものであり、歩いた道筋と季節だけが確かな、虚構の世界なのだそうです。そして永遠に変わらないものと常に新しくなっていくものを求めて虚実を取り混ぜ、時代も当時の社会も超越して新しい「文学」を作ろうとしたところに芭蕉の大きな意図があったのだろうということが
謎解きおもしろ授業方法論シリーズ(3)『奥の細道』「象潟」の謎にいどむ
という秋田県の高校の先生の資料に述べられています。
ついでと言っては曽良さんに失礼ですが、芭蕉先生の、しっとりした風情を感じさせる一句に比べて

「象潟や料理何くふ神祭」

というのは、いかにも色気ないですね、食い気マンマン?(笑)
(実は、象潟汐越の熊野権現社の祭では魚を食べることを禁じているという。それでは何を食べればよいのか?という意味だそうです。)

このコンビ、旅の道中、けんかしたりもしたそうですが、実はホモだった。という話を何かで聞いたことがあります。これが一番 のトリビア ネタかもね(笑)でも、そんなこと発表したってホントに"へえ~"で終わってしまいそうですよね(笑)

まずは御自分の好きな一句を見つけて、そこから追究なさってみてはいかが?間に合わないかな?

参考URL:http://www.isis.ne.jp/i/991/27.html
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とんでもない先生ですね。

学生にこんな無茶な宿題だすなんて、よっぽど何かストレスでも溜まっているのでしょうか。

超学術的なテーマ:
(たぶん、「お前が考えたことではないだろう、ネタモトはどこだ?」と聞かれること間違いなし?)

濁点で意味がまったく違ってくる句

『奥の細道』遊行柳
田一枚植ゑて立ち去る柳かな

これは、一枚分(一区画分)田植えをして柳のもとを立ち去る、という状況の句です。主語をすべて芭蕉とすると、芭蕉自ら田植えをしたことになるので、通常は、(芭蕉が田植えしたとするとなんとも滑稽な解釈ですし、事実芭蕉は田植えはしていないようですので)前半の主語はお百姓さん、後半の主語を芭蕉と解釈します。つまり、芭蕉は、農家の人達が田植えするのを柳のもとで見ていて、その田植えが一枚分終わってから、柳から立ち去った、という状況を想定しているのです。
学術的には、この主語が前後で変わる「て」の用法についていろいろ議論があるようです。(詳しくは図書館で参考書を見てください)

ところが、近年、芭蕉自筆本の『奥の細道』なるものが発見され(岩波書店刊行)、そこには

田一枚植ゑで立ち去る柳かな

とあります。
そうすると、田一枚(すら)植えないで柳のもとを立ち去る、という状況の句となり、主語は一貫して芭蕉となり、とてもすっきりします。「て」の特殊用法なんて解釈をする必要もなくなります。また、句の意味も非常に西行との関連で深いものになり、より芭蕉の句らしく感じます。

この「で」については、「それは濁点ではなく本の汚れだ。」という意見もありますが、それは実は本質的な問題ではありません。江戸時代には濁点をうたなくても濁音で読むというのが通常でしたから、仮に文面に「て」とあったとしても、論理的には「て」「で」の両方の可能性があるからです。

したがって、一旦このような解釈のアイデアが出ると、どちらが妥当か句の鑑賞法に関わる重要な問題となります。

学術的過ぎて、あまり面白くないですか....?
[詳細なネタモトは幾つかありますが、興味があれば自分で調べてください。『日本古書通信』がひとつのヒントです。]
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この回答へのお礼

学術的でも大丈夫です!
詳しく書いてくださりありがとうございました!
参考になります。

お礼日時:2007/06/20 18:31

「松島や あー松島や 松島や」を読んだ松島ですが、


松島の1つの島に芭蕉の付き人の「曾良」の句碑は見つけたのですが、
芭蕉の句碑が見つかりません。何故でしょう?

その島には不思議なスポットがあります。
海に入っていく階段があるのですが、海中どこまで続いているのか不思議です。
また、その島にトンネルがあって(電灯もないトンネル)でトンネルを抜けた先はヨットハーバーになってるとか。時代がタイムトリップした気分を味わえます。
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この回答へのお礼

まったく知りませんでした><
参考になりました!

お礼日時:2007/06/20 18:29

実は隠密であった・・・。


という説があります。
松尾芭蕉 隠密説 で検索すればヒットしますから、生まれの伊賀上野(忍者で有名)から調べてみては?
http://www.infonet.co.jp/ueyama/ip/episode/basho …
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この回答へのお礼

とても参考になりました><
ありがとうございました!

お礼日時:2007/06/20 18:26

「当サイトは、会員の方同士の助け合いによる知識交換を提供させていただく質疑応答の場として運営しており、特定の会員の方に質問、回答の投稿を義務づけ、他の会員の方に何かを依頼してやってもらうというような場でございません。


課題やレポートなどを質問として投稿する事自体は禁止しておりませんが、「○○についてやってください」など、課題文を丸写しにしたような質問についてはマナー違反であると考えております。」

とうたってありますので、ご自分で調べられたほうがよろしいと思います。
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この回答へのお礼

「○○についてやってください」
といっているわけではないのですが…

皆様から面白い情報や、噂など教えていただければと思い
投稿させてもらったのですが
そういうのも駄目なのでしょうか;

教えてくださりありがとうございました。

お礼日時:2007/06/18 20:35

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Q松尾芭蕉はどうして旅に焦がれたの?

松尾芭蕉は身を野ざらしになってまでもと、悲愴な決意で旅に出ています。
奥の細道のたびは半年がかりでした。
そして死の床でも「旅に病んで夢を枯野をかけめぐる」と読んでいます。
どうして旅に執着したのでしょうか?
旅をしないとよい句ができなかったのでしょうか?
漂泊のおもいはどこから生まれてきたのでしょう。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

芭蕉の旅は俳諧を極めて行くうちではやむを得ぬ必然性がありました。深川あたりで点者生活でもなんとか生活は出来ましたが、問題は作品についての不満が多く、また芭蕉の一番の得意は「連句」でした。連句はご案内のように千変万化する特異な形式で、これは当然同じ連衆ではマンネリなってしまいます。芭蕉はこれを一番嫌いました。その根底には大きく「西行」も関与してきますが、なんと言っても作品の停滞を恐れたのです。弟子に「季語の一つも見つたる手柄」ともで言っているように、定住する事による作品の停滞を嫌いました。さすれば「旅」という「非定住」な生活形態を「定住」としたのです。旅することが棲家なのです。山頭火などと決定的に違うのは放浪ではなく、旅が「定住」であった事です。このほか多々ありますが、ここの字数では蕉風山脈にとても分け入る事はできづ私見だけお答えいたしました。

Q松尾芭蕉の旅への思いとは?

松尾芭蕉の旅へのおもいをおしえてください^^


明日のてすとに出ます涙

Aベストアンサー

No1です。
テストに出るのなら、冒頭の文章から出るのでしょう。

 冒頭の文章を現代語訳すると

年月は通り過ぎ二度と帰らない旅人である。
例えば船頭や馬子も日々の暮らしの中で旅をしているようなものである。

 これは人生を旅としていますね。
しかし、この後に続く文章では旅について具体的な計画を立てています。

 たとえば、遠い遠い松島が見たいので、老齢な自分はもう帰って来られないかもしれないため住んでいる家も処分するとか。

 そう思えばやはり「人生は旅である」ってことでいいと思います。

Q松尾芭蕉の人生観

明日期末テストがあるのですが、国語で松尾芭蕉の人生観についての問題が出る!と先生に予告されています。しかし、いくら考えてもよくわからないのです。少しでも多くの方の意見を聞きたいのでよろしければ回答お願いします。

「おくの細道」 -松尾芭蕉-
古)月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。
訳)月日は永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、過ぎ去っては新しくやってくる年もまた旅人に似ている。

Q.1)ここからわかる芭蕉の人生観は何?
こんな感じで出されます。

また、
Q.2)何故芭蕉は全てを捨てて旅に出たのか?
こういう問題も出されるかもしれません。

Q.1が特にわからないので、どんなことでもいいので回答お願いします!

Aベストアンサー

こんばんは。

私は、松尾芭蕉の『奥の細道』の旅の出発点(東京・深川-芭蕉稲荷神社から少し西より)の隅田川に立って、彼がどんな風に思って旅に出たか考えてみたことがあります。

ただ、学校の試験とは違いますので、正解とはいえないかもしれません。私は、感情移入してしまって、回答にはなりません。

1). 彼も、弟子の曾良も、お坊さんの格好をしていたし、やはり、彼が言っているのは、「無常観」だと思っています。過去の詩人(西行)たちも、みな同じような考え方だったと思います。

「月日は百代の過客にして」自体は、中国の詩人、李白からで、「万物流転」の様だそうですから、それ自体は、「無常観」とは違うものだと思います。中国人は、そこから「もののあわれ」は、受け取りません。しかし、彼は、禅の心得は十二分に持ち合わせていたそうですし、日本人独特のの感性(霊性)からすると、「無常観」ではないかと思いました。ただ、彼は、禅だけではなく、歴史の知識も豊富だったのか、それが高じて、東北の旅に出たのかもしれない、と思いました。

こうした人たちを、隠遁者の文学とか言いますが、これは、決してネガティブなものの見方ではなく、鎌倉時代以降の日本人の情感だと思います。今でいうなら、『フーテンの寅さん』や『水戸黄門』のようなものです。根強い人気のあるのは、こうした日本人の情感に触れられているからです。

2).何故芭蕉は全てを捨てて旅に出たのか?
>こういう問題も出されるかもしれません。

それは、ちょっと問題としては重過ぎますね。これについても、考えたことがあります。川から船に乗った時には、深川の近所の人たちは、もう永遠の別れだと思い、みんな千住まで同行してきてくれて、別れを惜しんだのです。私は、その時の光景が目に浮かぶような気がします。

深川の界隈って、あの鬼平犯科帳の舞台に近いです。しかし、その後、歴史からすると、関東大震災とか関東大空襲とか、いろんな歴史を経た場所でもあります。私は、芭蕉の時代は、歴史的には一番良い時代ではなかったかなって思うことが多いです。今は、隅田川のほとりは、ホームレスさんたちの青いテントが一杯です。夜になると賑わいなど何もないさびしい場所です。芭蕉の時代には、想像もつかなかったありさまだと思います。まさに、『月日は百代の過客』だと思います。ただ、深川の人情は、いまだ消えたわけではなさそうです。

彼は、旅の途中で死ぬかもしれない、と思いながら、漂白の思いに誘われて、

 「草の戸も住み替わる代ぞ雛の家」

と芭蕉庵(かなり小さいです)の柱に掛けておいたわけです。この時の年齢としては、彼は 46歳で、もうそろそろ自分の寿命について感じていたころで、事実、51歳で亡くなっています。旅の俳句自体は、実際の場所でひらめいて読んだわけではなく、数年掛けて、『奥の細道』の編集をして、現在のような形になったそうです。そして、彼は、もう江戸には戻ってこなかったのです。

数年前に、『奥の細道』の原本が出てきて、切り貼りとかしてあって、その下に何が書かれていたとか、ものすごく話題になりました。

こんばんは。

私は、松尾芭蕉の『奥の細道』の旅の出発点(東京・深川-芭蕉稲荷神社から少し西より)の隅田川に立って、彼がどんな風に思って旅に出たか考えてみたことがあります。

ただ、学校の試験とは違いますので、正解とはいえないかもしれません。私は、感情移入してしまって、回答にはなりません。

1). 彼も、弟子の曾良も、お坊さんの格好をしていたし、やはり、彼が言っているのは、「無常観」だと思っています。過去の詩人(西行)たちも、みな同じような考え方だったと思います。

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