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中国四千年の歴史、または三千年や五千年と言いますが、本当は何年の歴史があるのでしょうか?

最近、ニュースなどで中国の問題が多く取り上げられていますが、一体中国はどんな歴史なんでしょうか?

教えてください。

A 回答 (6件)

一応、中国の史記では黄帝をもって初代中国皇帝としていますが、この三皇五帝の時代は神話の時代で、最初の王朝の夏王朝(BC2070年頃~BC1600年ご頃)からが、まあ信頼できる歴史ではないかな。


その後が殷王朝(BC1600年頃~BC1046年)で、次の周王朝になってやっとはっきりとした歴史が残っていますが、周の歴史書には殷のことが書いてあるので、存在したことは間違いないが、詳細は不明です。
この周から勘定すれば、中国3千年の歴史ですし、夏から勘定すれば4千年の歴史、いずれにせよ古い国です。
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あくまでキャッチフレーズです



五千年という文化はないですが、伝説の「夏王朝」から数えると、「中国4千年の歴史」ということが、最近は一般化しています。



何をもって、歴史とするかは価値基準が違いますからね。
今年は西暦2007年ですが、日本の歴史としては、皇紀2612年でっす。
つまり、白髪三千丈と同じように歴史が古いという修辞法です。
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およそ、史書において確定している部分で3600年、完全には不明な部分をあわせれば4000年超えます。


まず、「現状において確実に存在していた」王朝としては殷王朝(もしくは商王朝といいます)が最古です。
これは、司馬遷の史記において、系譜まで書かれており、しかも20世紀に入ってから続々(10万点ほど)発見された甲骨文から、史記に記される殷王朝の系譜がほぼ一致することが確認されております。
ちなみに、史記が完成したのは紀元前91年ごろとされており、殷王朝の滅亡から1500年が経過しているわけです。殷王朝の系図について、史記には2名の脱落(ただし両名とも名前だけならば史記にあります)と甲骨文字で確認できない3人の即位記録、そして血縁関係の間違いがありますが、なにせ1500年前の記録をもとに系図を作成したわけですから、ほとんど一致するとして差し支えないと思います。
1500年もの間、その程度の変質しか与えないほど、記録を管理してきた中国人の記録精神には、脱帽するほかありません。かの国の記録好きはその後も残り、日本もかなりの恩恵を受けていますね。
なので、殷王朝はほぼ、史記などが伝えるまま存在したと考えられます。この時点で紀元前1600年からの歴史となります。
なお、この年号などは、夏商周年表プロジェクトという計画で相当詳細にすり合わせが行われており、かなり信頼できるものであろうことを付け加えて起きます。

さて、中国には殷王朝の前に、「限りなく実在した可能性が高いが、まだ考古学的な決定的証拠がでていない」王朝があります。471年間続いたとされる夏王朝です。近年さらに実在の可能性が高まっている王朝です。
殷は、10万点もの甲骨文字資料が出土しているためかなり正確にわかります。しかし、この夏王朝については、文献資料がいまだ出土していないのです。
史記は純然たる史実として乗せています。ちなみに、司馬遷は史記において、三皇とよばれる、夏王朝よりさらに2つ前の、ほとんど神話王朝の3つを、「史実ではない」としてばっさり切り落としています。彼の史実と伝説に対する姿勢はかなりシビアでしたから、司馬遷のころにおいては、夏王朝は「存在していたのは常識」であったのでしょう。
さて、この夏王朝は紀元前1600年ごろに殷王朝に簒奪され滅亡するのですが、史書には471年続いたとなっていますから、始まりは紀元前2070年となります。
さて、史記には夏王朝より古い、五帝とよばれる神話的な王朝が書かれています。夏王朝はその五帝から引き継いだ王朝と、史記はしています。
はっきりいってこの五帝がそのまま存在していたかはかなり怪しいと思いますが、それ以前になんらかの勢力が存在していた可能性は高いと考えます。

以上が中国の古代王朝ですね。一番最初に言いましたが、およそ3600年までは確定、それ4000年までは確実ではないが高い確率で国家が存在、それ以前はいまひとつ怪しいものの、存在していた可能性が0ではない。というところでしょうかね。
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日本の皇紀2600年余というのは、後世の完全なデッチ上げです。

これは考古学的・史学的に証明されておりますね。白髪三千丈とはこのことです。ただ、己の狭量な規準で他者を測ってはいけません。こういう人を評する場合、中国には適切な熟語がありましてね、「夜郎自大」と言います。

中国の場合、#3の方が述べられているように、史記の記録、甲骨文の解析、考古学的な発掘等、複数の証拠から、殷王朝の存在は、年代も含めてほぼ確定しています。日食など自然現象から年代も分かるんです。

今、中国史学会の注目は、「いつ・誰が・どこから」夏王朝の遺跡(存在証明)を発掘するかというところです。あるか・無いかではなく、あることの証明を誰がするかという辺りになっています。

したがって、現時点で3600年以上。ただ、殷王朝の遺跡を調べる限り、何もないところにいきなりこれだけの施設や遺物が生まれるはずもないので、そういう意味では4000年と言っても、決して大げさではないでしょう。
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「中国」の歴史は1949年からの58年でしかありません。


中華人民共和国の建国は1949年だからです。
百歩譲って中国の歴史は1912年(中華民国建国)からの85年です。

では、黄河文明などはどうかって?それは「支那」の歴史であって「中国」ではありません
(厳密にいえば今の中華人民共和国も誤訳で、正確には支那人民共和国なんですけどね)。
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>黄河文明などはどうかって?それは「支那」の歴史であって「中国」ではありません



国号またはその略称としての「中国」は、中華民国成立以降の話ですが、中華思想に基づく中心地域という意味での「中国」は、古代から使われていたはずです。同様の意味で日本でも自国を中国と呼ぶことがあった由。

「支那」は「秦」の古代インドでの呼称を漢字で音写したものですが、秦王朝は黄河文明より遥か後のことなので、黄河文明=秦=支那の歴史ではないはず。ついでに、日本で彼の国を「支那」と呼ぶようになったのは江戸時代末期からです。


>厳密にいえば今の中華人民共和国も誤訳で、

当事国が自国語表記の正式国号を「中華人民共和国」(「華」は正式には簡体字)としているのですから、同じ漢字文化圏の日本がそのまま日本語での正式表記とするのは誤訳とはいえないでしょう。「People's Republic of China」を日本語訳する必要はないので。
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