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美学において、美的体験と解釈についての関係とはどのようなものなのでしょうか?

A 回答 (6件)

(補足)仮にも哲学のカテで美学という用語を使われたので、新制中学で読んだ本の記憶を思い出して、以下の回答をさせていただきました。

ANo.4さんのお話で、解決するのであれば私の回答は、ご質問者殿の質問趣旨を受け取れなかったことに在ります。カテが違うのかなということと、No1でkaitara1さんがお願いなさっていて、ご無視なさっていた説明がやはり必要ではなかったでしょうか?ANo.4さんのお話で、解決するのであれば多分 ≪美的体験と解釈≫の説明として、 ≪美的体験と美の作品の解説や周辺知識≫というようにしていただいたら、そんなものにはど素人の私はのこのこ出てこなかったのです。ANo.4さんのお話であれば、誰でもその通りとして、何等ご回答するものではありません。
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(補足)感動は美的体験の一部の結果、効果と存じます。

美や芸術には疎いのですが、言葉としては。美的体験にはインテレクチャルな、概念の、ことばの解釈の介在はありえるはずがないのはいうまでもないことは、ど素人の此身のも経験の事項です。55年ほど前、出隆の哲学以前でも認識の仕方のいろいろがありました。芸術や美については、上記のような能力機能ではなく、また宗教ではこうこう、という項目でした。人間の認識の仕方、それは美的体験という仕方も当然あるわけです。それは当然、科学や哲学などの仕方とは異なる外在認識です。私は今は宗教のことを勉強して40ねんほどになりますが、神学が神を認識する手法には絶対になりえないことは当たり前です。神がそんな知性に盛り付けされるわけがない。しかしそこになやはりその特別な認識の能力と仕方があるのです。事ほどさように、人間が経験認識する仕方として美の場合は美の直接体験。神ならば神の直接実現体験でしょう。それは理解解釈でしょう。そういう意味でのANo.2における説明であり、両者は表裏である。といっているのです。この直接体験を論理根拠、論証構成、論理証明することは、全く眼中にいれてない、説明です。それは美の解釈や認識とは異なる、科学の世界に属するはなしでして、美術史がどうの、系統がどうなの、文化思想史的にどうの、心理学ではどうの、手法がどうのなんていうのは美の体験とも解釈とも異なる、知識の科学の間接的探求に過ぎないことはいうまでもない。当たり前のことです。そんな次元のご質問とは受け取らなかった。美学の話だ、ということですからね。
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美的体験って、たとえば絵を見て感動するとかそういうものですよね?だとするとそれは、解釈を介在せずにも成り立つものだと思います。

あれこれ考えずにも感動ってできるものですから。逆に解釈のほうは、美的体験を伴わずとも成立するかもしれませんが(たとえば全然感動しない音楽を、成立史やら何やらで解釈することもできる)、それは空虚で実質のない解釈であるということになるのでしょう。
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この回答へのお礼

なんとなくわかってきた気がします。ありがとうございます

お礼日時:2007/08/01 01:34

その個人による本能なのでは。

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美的体験と解釈とは同義語となる。

体験なき解釈は空虚で、解釈なき体験には美は存在しない。美の存在の表裏、コインの表裏と同じである。表だけはない。裏だけもない。コインの場合は定義で表裏の区別をするだろうが、本件事項においてはどちらが表裏ということはない。どちらも同じ面にあり、表裏が共にある。表裏一体という関係である。美学は阿部次郎の三太郎を55年前に好きだから読んだだけで、勉強していないが、あえて常識で考えて見ました。
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もう少し質問の趣意について説明してくれませんか。

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