プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

もう40歳に手の届く主婦です。
どうでもいいことなんですが、最近やたらと気になっているのが公文式のCMなんです。
「どうして子どもは勉強しなくちゃいけないんですか?」っていうのには、一言で言うと「鉄は熱いうちに打て」なのよ~~、みたいに自分で回答したりしてます。
「好きなことだけ勉強してちゃいけないんですか?」
この答えには少々難しいものがあります。
その道に進みたいという明確な目標があるのならそれでもいいんじゃない?、くらいの曖昧な回答になってしまいます。

そこで今までの自分を振り返ってみて、勉強って大人になって確かに必要だとしみじみ感じます。
もっと頭の柔らかい時期に叩き込んでおけばよかった、って。
だけど数学だけはなぜ勉強しなきゃいけないのかが疑問なのです。
私の時代は共通一次試験でした。
数学も数(3)までやりました。
だけどそれが今までの生活に役立ってるとは思えないのです。
数列・ベクトル・因数分解・微分・積分などなど。
その道の専門やそれらを必要とする職業に就くのならともかくも、中学の数学レベルではダメなのでしょうか?

昨今の受験のシステムはよく分からないんですけど、私の時代には数学はかなり重要でした。
私は数学は普段のテストでは部分点(途中までの考え方が合っていたら、解答がまちがっていても途中までの点数をくれる)で稼いでたんで、共通一次のマークシートになったときには、模試で極端に点数が悪くて、それで一気に受験を諦めた経緯があります。
だけど当時受験だけのために数学に力を入れてても、今振り返ると後悔しそうな気もします。
だってもっともっと必要な勉強ってあった筈だから。
数学ってなぜ勉強する必要があるのでしょうか?

A 回答 (17件中1~10件)

>「分数の計算ができない大学生」という本


「計算が」でなく、「分数が」でした。
単に計算が出来ないんじゃなくて、分数そのものの意味がわかったいないんでしょ。

「数学をなぜ勉強するか」
「おもしろいから」ですね。
「おもしろさ」を伝えることが大人の責任。

数学というのは、「筋道とおったものの考え方」そのものです。そういうことを習慣にできるかどうか。

この回答への補足

チャッチャと締め切るつもりだったんですが、どうも最近ウイルスメールらしきものがいっぱい来るようになって、その対策をやってました。

小学校のときに、手塚治虫さんの「マンガの書き方」っていう本だったと思います。
その中に4コマ漫画のストーリーの展開のやり方、っていうのがあって、演繹法・帰納法、っていう話がありました。
それからその言葉を聞くのは確か数学の証明のところだったと思います。
こうやって思い起こせば、漫画のような日常生活の中にも数学的考え方、っていうのは根づいていたんだなあ・・・・ってしみじみ思い起こされました。
子ども(まだ1歳児ですが)が成長して、公文式のCMのような質問をしたり、数学はなぜ必要なのか?っていう私のような疑問を持ったときには、キチンと答えられるようになっていたいと思います。
(でももう少しいい方向に教育制度が変わっていることを願ってるんですけどね)
皆様の回答は甲乙つけがたいものでしたが、敢えて点数をつけさせて頂きました。
ご了承ください。

補足日時:2002/07/29 12:46
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この回答へのお礼

数学の面白さ、っていうのは解ける筋道が分かったときでしょうか?
私は確率が苦手だったんですけど、最初のマークシートの模試は確率が大半を占めていて、それがどうにもこうにも解けなくてショックでした。
鉛筆を転がして空欄に数字を埋めていましたね。(それこそ確率でした)
微分・積分(要するに関数系)は大好きでした。
図形はあんまり解けなかったけど、考えるのが好きでした。
国語は嫌いでした。
はっきりと答え、っていうのが分からなくて・・・・
こういう考え方もあるんじゃないの~~?って思うことがあって、それに納得できなかったです。
何だか懐かしいです。
考えてみれば、私はある意味では「筋道とおったものの考え方」を日常生活で好んでいるような気がします。
そう思うと数学を勉強することって大切なんですね。
御意見ありがとうございました。

お礼日時:2002/07/29 12:42

こんにちは。



数学は案外身近な日常に潜んでいるものです。

たとえば、コンビニでコピーをとろうとしたとき、
面積を倍にするときの倍率が140%なのは、
ルート2=1.41421356・・・
(ヒトヨヒトヨニヒトミゴロというヤツです)が
使われていますね。

ただし、学校の数学の成績がよかった人が、
必ずしも、このコピー倍率の計算がわかるかというと、
そうも言えないというのが、
日本の教育の問題なのかもしれませんが・・・。
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この回答へのお礼

あ、そうなんだ~~、って妙に感心してしまいました。
はい、私はこのコピーの倍率は分かりませんでした。
と言うよりも、A4をA3にする、とか、B5をA4にするとかしか頭になかったですね。
そういう身近なものにもあったんですね~~。
だから数学の必要性は分からなかったんでしょうね。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2002/07/26 00:11

まず、No.1~14までの回答を読みまた同時にこれらの回答から私自身教えられたことで、


あなたの質問にお礼申し上げます。
以下、私見です。

>その道の専門やそれらを必要とする職業に就くのならともかくも、中学の数学レベルではダメなのでしょうか?

確かに、高度な専門であって小学の算数レベルも不要なものがいくつかあります。
スポーツ選手・芸能などは、小学の算数レベルも不要だと思います。
芸術もそのような気がします。
ベートーベンの伝記で数の足し算が間違えている個所を写真で見た記憶があります。
ではベートーベンの音楽以外の分野もすべてこの計算レベルだったかというとそうではありません。
ちなみに【英雄】を作曲するまえにプルタルコス『英雄伝』を読んでいます。
古典中の古典といわれる『英雄伝』ですが、これを読んだという人があなたの周りにいますでしょうか?

>数学ってなぜ勉強する必要があるのでしょうか?

√2が無理数であることを一生知らないでも人は生きることができます。
あなたは、1万円と、√2が無理数であることを一生知らないで終わる人生とを
交換できるとしたら、交換しますか?
1万円でいやなら、100万円ではどうですか?
100万円でいやなら、1億円ではどうですか?

普段は生活の必需品として数学を使わない人でも、
たとえ1000億円積まれても、数列・ベクトル・因数分解・微分・積分を一生知らないで終わる人生と
交換できないひとは多いと思います。
なぜなら、人間のもつ知的なよろこびは金(生活)と交換できないからです。

数学を勉強する必要があるのは、
人間のもつ、純粋で知的な喜びを掻き立てるものが数学にあるからだと思います。
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この回答へのお礼

>人間のもつ知的なよろこびは金(生活)と交換できないからです
確かにそうですね。
知っているからこそ無駄じゃないのか?って思えるのかもしれません。
かえって知らないと勉強したくなってくるような、無いものねだりのようなものなのでしょうか?

>人間のもつ、純粋で知的な喜びを掻き立てるものが数学にあるからだと思います。
分かるような気がします。
難問が解けたときの喜びって、くすぐったいような、ヘンな快感があったような気がします。
それは多分日常生活の難問においても同じことなんでしょうね。
少しずつ私の中の曇りが晴れてきた気分です。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2002/07/26 00:06

 わが高校時代の数学担当は、数学の化身のような人でしたが、彼は卒業生に送る言葉の中で「数字というのは唯一終わりの無い無限の学問だ」と言っていました。

彼は当時定年を迎え、自分たちの卒業と同時に退職することになっていました。しかし、彼の数学への情熱は若い私たちにも負けることはありませんでした。その熱意と個性から、人気の先生でもありました。
 また、私の大学受験時代、それまで見たことも無い極難の問題を解くのは困難を極めた。中には1問に数時間を費やしたこともあった。でも難しいと思いこそすれ、きついと思ったことはありませんでした。むしろ、難問に挑み、それを自力で克服した時の喜びを求め、次から次へと問題を解いたものです。
 これらの貴重な体験から、数学は決して無意味なものではないと断言できます。今、情報技術を筆頭とした科学分野発展の観点から、数学の必要性が言われていますが、敢えて、別の観点から論じてみました。
 蛇足ですが、現在の「ゆとり教育」に対して言わせていただければ、個性を伸ばすための「ゆとり」など無意味であると絶対の自信を持って断言できます。僕の知る限り、真摯に勉強した奴らほど輝いていた奴はいません。文部科学省の連中はそういう意味では相当勉強していた筈なのに、そういう発想は沸かないのでしょうか。それとも、彼らは真の意味での勉強をしてこなかったのでしょうか。そう思えてなりません。
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この回答へのお礼

いい先生に巡り合われたことがよかったですね。
それこそ「恩師」と呼べる方なのでしょう。
私の場合は数学の教師が担任で、しかもただ勉強・勉強を連呼し、大学に行くことだけを目標としてました。
自分の実績を高めたかったのでしょうね。
だから数学を解く楽しさはありましたけど、どうも全てが受験に結び付けられてしまって、何か違和感のようなものを感じていました。
>「数字というのは唯一終わりの無い無限の学問だ」
いいお言葉ですね。
宇宙を感じさせられます。

「ゆとり教育」は何かと問題あり、ですね。
皆一様に一まとめにするから問題があるのではないでしょうか?
その子の個性を活かした教育ができればベストなんでしょうけど。
ただでさえ学級崩壊とか問題視されているのに、ゆとり教育がどこまで活かされるのかは疑問に思います。

御意見ありがとうございました。

お礼日時:2002/07/25 23:56

私は特に数学が専門ではないですが、最近の大学生の数学のできなさには驚いています。

暇があれば大ヒットした「分数の計算ができない大学生」という本をお読みになることをおすすめします。
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この回答へのお礼

>「分数の計算ができない大学生」
はいはい、聞いたことがあります。
最初は信じられなかったですね。
発達心理学だったでしょうか?9歳の壁、という言葉を聞いたことがあります。
9歳(小学3年生)になって小数や分数が出てくるから、そこでつまづいて算数が嫌いになる子どもがいる、という内容だったと思います。
昨今の大学生はその辺のレベルなのでしょうかねえ・・・・
それとも教育のあり方に問題があるのでしょうか?
課題は多そうです。

お礼日時:2002/07/25 23:42

これから数学はますます必要になります


リストラの対象はほとんど数学ができない人たちです
学生時代数学ができた人とできなかった人との年収の大きな違いが新聞に載ったのはつい最近です
数学的論理思考は仕事のやり方や分析に大いに役に立ちます
パソコンが普及し事務職はほとんど必要なくなりました
文化系の人にはもう仕事がどんどんなくなっているのです
弁護士だって電子六法なるものを作って過去の判例や関連法令を自動的に検索し判決文例を作成するソフトを作ることはたやすいことなのでうかうかしておれないのです(電子弁護士ロボットには人の金をだまし取ったりしないという利点も)
ただし死活問題なので弁護士は猛烈に反対するでしょうが・・・
公認会計士などよりは経理ソフト関連のシステムエンジニアの方が頼りになる時代はすぐに来るでしょう
今文化系の人がかろうじて生き残っているのは政治家官僚が無能なため電子化の動きが遅いからです
いまのゆがんだ法律は論理的合理的公平的にしないといけないけどね
数学やプログラミングができなければ肉体労働者になるしかない時代はすぐそこです
いまでも数学のできる人に仕事ができない人はほとんどいないのは確かです
逆に数学ができない人の仕事には無駄が多すぎる傾向があります
勿論分野によりますがかなり広い分野に通用する原理だと思います
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この回答へのお礼

私は大学受験を諦めて看護学校に進みました。
その後看護婦(看護師)として働くようになったのですが、その頃から看護記録はPOS方式(論理的思考システムだったかな?)が少しずつ主流になりつつありました。
今思えば、それは数学的分野からの応用みたいなものだったのですね。
最初はそれに戸惑ったりもしたのですが、慣れてきたらPOSの方がやりやすかったです。

今はどっぷり主婦に留まっているため、世間の内部事情にはかなり疎くなってます。
我が夫は数学は好きだった、という話ですが、文章に関しては国語のできない私が見ても手直しばっかりで、要するに物の考え方というのが短絡的なんで、論理的思考というのがないのですけど、図形に於いての発想力は頭が下がります。
リストラされないで生き残れるでしょうかねえ・・・・・

御意見ありがとうございました。

お礼日時:2002/07/25 23:35

数学が無かったら今みたいな便利な世の中にはなってないでしょうね。


高校卒業して3年余り。あのときちゃんと数学やっときゃよかったと
いま本当に後悔してます。
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この回答へのお礼

>高校卒業して3年余り
今は21歳くらいでしょうか?
>あのときちゃんと数学やっときゃよかったと いま本当に後悔してます
大丈夫です。
また新たに勉強し直して下さい。
まだまだ頭は私よりも確実に柔らかい筈ですし、数学の必要性が分かっていらっしゃるんだったら、後悔するよりも前に進んでください。
時間が経つ程、修復は難しくなってきますから。
軌道修正をするのなら早い方がいいと思います。絶対に。
頑張って下さい。

お礼日時:2002/07/25 23:20

 これは受験問題と混同するからいけないんだと思います。

受験数学は他の物と同じように人間をふるい落とすためにやってますから、そのために存在し、そのために勉強するのです。
 一方、本来的な数学は、最も学問らしい学問で、それゆえに、これをやることによって、生まれつき愚鈍な者もかなり頭が良くなり、生まれつき頭の良い者はいよいよ賢くなります。
 例えば、英語は喋れるようにはなってもその人が賢くなっているとは限りません。英語圏にいればいやでも喋るようになります。言語学をやった人は例え自国語以外喋れなくても、それ以上に優れた頭脳になっています。それはより学問的だからです。
 それゆえ受験数学を非難するのは宜しいが、数学自体を否定する事は人類全体の進化を防げることになります。
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この回答へのお礼

公文式のCMで、もしあれが我が子だったら私はなんと答えるだろう?っていつも考えてしまうのです。
大人になって必要だからよ、って言ってしまえば、じゃあ数学(高校レベル)は日常的に活躍しているか?っていう疑問が沸いてきました。
自分が納得していないものを子どもに押し付けるのは嫌だったんで、ここはGooで質問してみようと思いました。

「受験数学」っていう言葉が私にはとても印象的に思えます。
共通一次の時代だったんで、極端に数学のできが悪かった私には、それが総合点を下げる結果となってしまって、なぜか「受験数学」のために人生が変わってしまったような気がします。
今更何を言っても負けは負けなんですけどね・・・・
だから余計に腹立つんでしょうかねえ~~。

御意見ありがとうございました。

お礼日時:2002/07/25 23:11

数学学習の目的は集中力をつけることだとベンジャミン・フランクリン(雷に凧揚げをした)が書いていました。



部分点で稼ぐのを結果まで考え抜けるようになるところに数学の醍醐味があり、社会で役に立つことにつながるのではないかと思います。

確かに計算や日常の工作などには中学校レベルで足りるといえますが、抽象的な内容まで集中して考えることを身につければ、政治・経済・人間関係など複雑なことにも解決策を見つけやすくなるでしょう。そういう意味で高校の数学も人間の能力を引き出すのに役立っていると思います。
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この回答へのお礼

>部分点で稼ぐのを結果まで考え抜けるようになるところに数学の醍醐味があり
確かにそうなんです。
それができなかったから、きっと私はこうやって質問しているのでしょうね。
安易に誰かの答えを求める、っていうか・・・・

先日のニュースステーションで蚊取り線香の問題があったんですけど、あれを解ける人っていうのは、きっと数学も最後まで解ける人なんだろうな、って思えました。
発想の違いっていうか、ピカソ的センスの持ち主じゃないかなあ?って思えてしまうのです。
数学っていうのは多いにそういう要素があると思うんですね。
物理もですけど。

「集中力」というのは分かる気がします。
>政治・経済・人間関係など複雑なことにも解決策を見つけやすくなるでしょう
数学って奥が深いんですね。
御意見ありがとうございました。

お礼日時:2002/07/25 22:53

私は


・国語 : 意志を伝える/理解する。
・理科 : 物事を洞察する。
・社会(歴史) : 過去を知ることで未来を予測する。
そして,
・数学 : 理論立て思考する。
ものであり、全てが連携して人間の行動や成長に生かされると考えています。

30年位前、オイルショックの際、人々はデマに踊らされてトイレットペーパーを買いあさりました。
数年前、経済の状況が30年前と近似した時、マスコミは「またトイレットペーパーが不足する」とあおりましたが、今度は人々は躍らされませんでした。

過去の経験から「今度もデマだろう」と予測することはできますが、それだけでは「でも隣が買いあされば自分も」と考えておかしくありません。
そこを「だから自分は買いあさることはしない」と理論立て実行したのは思考のレベルが上がったからなのかなと思います。(かなり無理なこじつけ?)

「理論的な思考」を養う上で数学は基礎であり、(たとえ日常で使うことはなくとも)高等数学を学ぶ(学んだ)意義は大きいと思います。
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この回答へのお礼

今まさに数学は数字だけではない、としみじみ思い知らされているところです。
私は「理論的な思考」というのは、国語の分野(文章力)だと思ってました。
だけどそれは数学からきているものだ、と今更ながら驚いています。
そういうことを高校時代に聞いてたら(聞いてたのかもしれませんけど)もう少し違った考え方ができてたのかもしれません。
御意見ありがとうございました。

お礼日時:2002/07/25 22:41

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