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貴ノ花は確実に歴史に残る力士ですが、若ノ花は・・・??

何か「お兄ちゃんも横綱にしてあげよう」という大人の事情があったのですか?

相撲通の方のご意見お待ちしております。

A 回答 (6件)

十分な実績を積んで横綱になられたという認識でおります。

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当時の藤島部屋は原則ガチンコ勝負だったと聞いています。


また、全盛時の若ノ花の相撲、変則的ではありますが強かったですよ。
旭富士を土俵上でブン回した一番などは今でも覚えています。
あと、太ももの肉付きがサラブレッドのようでした。
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当時、ご本人も頑張っておられたのは事実です。


貴乃花と違い、一回り小兵ながら、機敏な動きで大きな力士と闘ってました。あの時代、曙、小錦という、巨漢力士がいたので、小柄な力士はパワー負けしないように、頑張ってたと思いますよ。

横綱に上がるには、横綱審議委員会の決定によりますが、
暗黙のルールが存在します。
過去何場所かを13勝以上続ける、とか、優勝する、とか
通算勝利数?とか、まあ、いろいろ。
大関に上がるときにも暗黙のルールが存在するのですが、
横綱に上がるためには、かなり厳しいルールが科せられます。

というのも、大関以下は、成績が悪ければ番付を転がり落ちてしまうのですが横綱は、勝ち越そうが負け越そうが、一度上がったら降りることが許されない、絶対的な称号です。つまり、横綱として相撲を取り続けるには、常に強く、常に威厳があり、見る人に夢や希望(大げさ?)を与え続けられる力士でなくてはならないし、実際、そういう人を横綱だと思っている人は多いでしょう。その横綱が、負け越したり、新人力士に簡単に負けたりすれば、横綱という称号に泥が付くような物です。長年の怪我などで体調が悪いにもかかわらず、横綱だから、と頑張っても負けてしまう場合、早々に怪我で休場ということがあります。また、そういうことが重なると、横綱自身が自分の引き際を考え、ぼろくそに負けてしまって横綱の地位を汚す前に、引退、となることが多いです。

若乃花の場合、小兵力士という不利を覆して闘っていましたが、そのために体をかなり痛めていたはずです。でも、父の大関を超える横綱になるまでは、という気迫で頑張ったんでしょうね。横綱としての在位があまり長くなかったのは、蓄積した怪我などで、横綱の地位を維持できないと判断したからだと思います。

いかがでしょうか?

ちなみに、私にとっては若貴曙よりも、
ウルフ・千代の富士が永遠の横綱です。彼は強かった!
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粗同時代に活躍した横綱の入幕後の休場を除いた勝率は次の通りで、率だけの単純な比較なら他の3人より低いのは確かです。



貴乃花→75.189%(=794/1056)
曙  →74.084%(=566/1056)
武蔵丸→72.559%(=706/973)
若乃花→66.705%(=573/839:III)

ですが初代若乃花と2代若乃花のそれが各々69.554%(=546/785)、69.554%(=546/785)と比較する時、遜色なく、余裕を持ってではないにせよ、歴史に名を残す範疇に入れて置いて、差支えはないと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E7%B6%B1% …
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若ノ花の太ももの筋肉と肩の筋肉の盛り上がりは、今でも覚えています。


当時の相撲は今と違ってガチンコ勝負でした。
力士の怪我も多かったのですが、公休制度がありました。
だから、力士も怪我を恐れずに真っ向勝負ができたのです。
そんなガチンコの真っ向勝負の時代に「若ノ花」は横綱にまで昇進したということは、立派な実力があったと思います。

余談ですが、公休制度がなくなってから、八百長が横行し始めます。
そして、八百長の上手いモンゴル人が幅を利かせる時代になり、朝青龍のような横綱が誕生します。
私が一番好きな力士は千代富士ですが、あの時代も八百長は平然と行なわれていたそうです。
ただし、大乃国だけは、ほぼガチンコの真剣勝負だったようです。
だから、大乃国は幕下相手にコロリと負ける相撲が多かったそうです。
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今とは違って、曙、小錦、武蔵丸などの巨漢力士がいた時代ですから、ある程度の実力はあったと思います。

しかし自分の中では若乃花は横綱でなくやっぱり大関止まりかなという感じです。

何度も優勝して横綱への昇進も早かった弟、貴乃花に比べて、兄の若乃花はなかなか勝てないし横綱への昇進も遅れた。それで八百長に手を染め出し藤島親方も目をつぶります。若貴兄弟の確執はそこからはじまっているのです。整体師の洗脳騒動にすりかえられましたが、本当は兄と親方が八百長に手を染めたことに対して貴乃花が怒り距離を置こうとしたというのが真相です。貴乃花は相撲道というものを非常に重んじた力士でした。(でもやっぱり、兄弟対決の時は兄に花を持たせていましたが)

かつて人気あった横綱の時代も相当八百長がありました。千代の富士の頃もそうですし、北の湖、輪島の時もそうです。だから貴乃花は親方になった今でもそういった先輩親方たちを非常に軽蔑していると言われています。相撲界の改革も考えていますが、早く立派な力士を育てて名親方になってほしいですね。
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