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学力低下とかで、ゆとり教育を見直す方向にいっています。
総合の時間を減らして、普通の授業時間を何時間増やすとかって・・・。

ゆとり教育の真っ只中に、小・中を過ごしてきた子供たちはいったいどうなるのでしょう?

どうして、何年かでこんな大事なことが、ころころ変わっていくのでしょう?

A 回答 (5件)

>ゆとり教育の真っ只中に、小・中を過ごしてきた子供たちはいったいどうなるのでしょう?



「ゆとり世代」と呼ばれ、上からだけでなく下からもバカにされるでしょう。
国策のミスの被害者ですのでかわいそうです。
特に貧乏人の子供は一生最底辺確定でしょう。
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学力世界一のフィンランドはゆとり教育です。


今日本が向かおうとしている詰め込み教育で成果を挙げたシンガポールも方向転換を余儀なくされゆとり教育へ移行しています。
かつて学力が世界でトップクラスだった日本の子どもたちは、大人になってその学力がどうなったかというと世界ランク2ケタに落ちています。
一方でアメリカは子どもの学力は上位に上がってきませんが、大人の学力はランキング1ケタ台だったと記憶しています。

ゆとり教育は今に始まったことではなく、戦後からゆとり→詰め込み→ゆとり→詰め込み→ゆとり…と繰り返されています。

>ゆとり教育の真っ只中に、小・中を過ごしてきた子供たちはいったいどうなるのでしょう?
心配いりません。
普通の大人になります。

>どうして、何年かでこんな大事なことが、ころころ変わっていくのでしょう?
マスコミが煽って国民が煽られ、国民をなだめようと政治が動くからです。
学力が低下しているかどうかなんて本当のところは誰にも分かりません。
昔の子どもたちにできたことが今の子どもたちにはできないと大人は嘆きますが、
今の子どもたちにできることでも昔の子どもたちができなかったこともたくさんあります。
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ゆとり世代といっても、知識量に露骨な違いはありません。



理系科目が少ない分、そちらが弱くなっていますが、
もともと日本ではその分野が軽く見られています。
大人になってから勉強する人も少ないですから、
その差は問題にならないでしょう。

むしろ『ゆとり世代』の方が恵まれています。

現在の30代前半は、今後も起こらないような
受験競争を経て卒業しましたが、
景気低迷で就職すらままならなかった人も多いです。

彼らも現在の新卒と同じ土俵で競争すれば
勝ち残れるのですが、立つチャンスすらありません。

それに比べれば、努力さえすればチャンスがある上
競争相手の能力や人数面で有利な世代でしょう。

制度がころころ変わるのは、制度を作る側が無能だからです。
そもそもの目的を見失い、周りの意見で
軸足がぶれているだけでしょう。
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 ゆとり教育に移行する目的がいまいち「?」のまま進んでしまったことが大きな問題であったと思います。



 世界の先進国は大量生産国→一転突破産業型に変化していきます。

 人件費の安さをバックにした大量生産型産業国はある程度経済的に発展してしまうと、後から追いついてきた大量生産国に追いつかれてしまいます。

 かつて日本がぐっと伸びる時代がありましたが、中国に追いつかれました。

 大量生産に行き詰まると、100万人のまじめで正確な作業ができる労働者よりも、1人の天才がブレークスルーする方が国としては発展します。

 中国・インドと大量生産で競っても勝てないわけですから、ITなどのブレークスルーに国としてぶら下がって行こうという政策です。

 マイクロソフトなどいい例です。

 ゆとり教育とは本来はこのブレークスルーする天才を期待した計画であったと思います。

 ですから、「子どもが勉強しすぎるのでかわいそう」「詰め込み教育はよくない」という理由で始まったわけではないと考えます。「創造的な知能の開発」は近いですが、本意は伝えていないと思います。

 日本が発展していくことを考えると、避けられない選択であったと思いますが、これはうまくいかなかったように見えます。

 テストの平均点が下がったことなどどちらかといえばどうでもよいわけです。天才をつくることが目的ですから、その他大勢の平均点が下がることは開始当初から折り込み済みだったはずです。天才がでるかどうかということが評価のポイントです。
 そこがポイントがあるがゆえに国民には本当の目的をあまりおおっぴらにはできなかったというわけでしょう。

 うまく行かなかった理由は「教員の研修」を行わなかった点でしょう。もともと日本の学校では教員の研修がほとんど行われていません。オンザジョブトレーニングなどといっても「総合学習」を含め「ゆとり教育」そのものが行われていない状態ではどうしようもありません。 

 従来の教育でもトロンなどウィンドウズに劣らないブレークスルーがあったぐらいですから、方向性は悪くなかったと思います。

 小学校から英会話を なんてアホらしい考えと同列にされることが多いですが、基本的にはレベルが違う問題だと思っています。

 ゆとり教育がうまくいかなかったのは非常に残念ですが、もとの形に戻った先がまた大量生産産業への回帰であるとすれば、中国・インドを敵に回して日本は勝負になりません。

 国全体がゆるやかに沈んでいくということになりはしないかと心配しています。

 ゆとり教育の本来の意味をマスコミが踏み込んで正しく伝えていくことが必要ではないでしょうか?
 またマスコミに専門家の意見の露出があまりにも少ないように感じます。テレビでみる顔ってほんと数人って感じがしませんか?
 出演者がテレビ的に要求されていることを無難に発言するだけの人に見えてしまいます。

 
 
 
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>どうして、何年かでこんな大事なことが、ころころ変わっていくのでしょう?



太平洋戦争の反省から、教育は政治から独立し、教育行政は「諸条件の整備確立を目標として」のみ行うべきであると旧教育基本法で定められました。

しかし、戦前のような洗脳教育を行わないと、与党に批判的な国民が増えてしまいます。
そこで、行政側は、すでに50年以上前から、教育内容への介入を強めてきました。

その結果、生徒の育成よりも行政の都合を優先させた方針が次々に出てくる結果となりました。
そのために「受験地獄」「教育荒廃」という現象を引き起こし、それをごまかすために、小手先の方針修正を重ねなければなりませんでした。

「ころころ変わる」ように感じられるのはそのような背景があると思います。

>ゆとり教育の真っ只中に、小・中を過ごしてきた子供たちはいったいどうなるのでしょう?

「ゆとりと充実」をキイワードにした学習指導要領は1977年に登場しました。
つまり、広い意味での「ゆとり教育」で育った世代は、もはや日本の人口の半分くらいを占めていることになります。

ですから、この見方からは、マスメディアに流されやすく、打算的な現代日本人の特徴はゆとり教育のせい、という意見も出てくるかもしれません。

現在多くの場面で「ゆとり教育」と呼ばれているのは、現行の指導要領のことですから、この見方からは、
(1)理系には弱いが表現力があり国際的に活躍できる
(2)今以上に好戦的でアジア諸国を蔑視する
(3)まとまった教養をもたないが、個性的な生き方を積極的に選択できる
(4)慎重でミスも少ないが新しいことには挑戦する勇気がない
などの様々な日本人像が予想されます。
一貫性のなさは、そのまま現行指導要領と教育行政の一貫性のなさを示していると思います。

ただし、広義の場合も狭義の場合も、そもそも「ゆとり教育」が一般に思われている「内容を減らしてのんびり教える」などという単純なものではないということは申し添えておきたいと思います。
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