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外来の音楽の日本での受容について調べている者です。(厳密には、開国後の西洋音楽の受容です。)

 開国前に存在していた日本の音楽(雅楽や能など)は、元来、外来のものを日本で輸入し、のちに日本風に発展させたりするパターンが多かったようです。

 歴史の教科書などでは、音楽に関わらず、新しく外国の文化・技術が入ってきたときのことを「○○が輸入された」「××が流入した」など、事実が簡潔に記述しているだけで、あたかも簡単にそういった行為が為されたような印象を受けてしまいますが、本当に日本人はそういった外来文化を受け入れることに抵抗がない国民性を持っていたのでしょうか?それとも、ものによって、または時期によって、または輸入を牛耳っていた特定の人によって、受容が拒まれたりすることがあったのでしょうか。

 日本は真似の文化と呼ばれますが、真似をするということは、その前にまず心理的にそれを受け入れなければなりません。今までに見たことも聞いたこともないような新しいものを、心理的・精神的にも受け入れるということは、非常に勇気のいる大きな一歩だと思います。それを達成できるような、外来文化の受容に寛容な国民性を日本人は持っていたのでしょうか?
 また、他の国における外来文化の受容と比べて、日本はどうなのでしょうか?

 また、このような問題を取り扱っている書籍・資料を探しています。このような問題はどのような分野に属すのか、また、お勧めの本などありましたら是非教えてください。
 お願いいたします。

A 回答 (8件)

仏教が入ってきた時は蘇我氏と物部氏の間で闘争ががありました。

その時、仏教は目的なのか手段なのかいろいろ議論のあるところですので、保留しておきます。仏教は抵抗が無かったわけではなさそうです。

遣隋使、遣唐使の時は、当時の日本より優れた技術も持った隋や糖の文化を当時のトップレベルの頭脳の持ち主が命がけで学んで、日本に持ち帰ります。漢文、漢詩などあちらの文化を知ることがインテリの証でもあり、抵抗無く受け入れたと思います。しかし、遣唐使の廃止以降は、日本独自の平安文化がよりいっそう花が開いていきます。

>輸入を牛耳っていた特定の人によって、受容が拒まれたりすることがあったのでしょうか。

宦官の制度(去勢の技術を含め)、科挙の制度、景教(キリスト教ネストリウス派)などが有名な所でしょう。日本には痕跡すらありません。何らかの作為があったと考えるのが普通と思います。

勘合貿易とか、鎖国とかいろいろありまして、次に大きく取り入れるのが、明治維新前後です。

がちがちの攘夷であった薩長は個別に外国と一戦を交え、その実力を目の当たりにして、一変します。自分たちより優れた、強い文化・技術を認め、それを取り入れることにより自分たちも優れた文化を持とうと考えます。倒幕後、薩長で主要ポストを押さえた明治政府はそのまま、欧米列強に追いつき、追い越すために拍車をかけて取り入れていきます。

その中で、西洋音楽、西洋絵画が入ってきました。

音楽については不案内ですが、油絵も日本画の影響を受け、日本画も西洋画の影響を受けています。浮世絵は良い例と思います。空気を描く日本画は印象派絵画に大きな影響を与えています。

遠く昔はギリシャ文化とオリエント文化が融合?してヘレニズム文化を生んだのはご存知だと思います。受容という言葉がどうもしっくり来ませんが、異文化が交わることにより、さらに自分たちの文化が成熟していくものと思います。(唐の時代においては、日本文化があまりに低すぎて、唐には影響を与えていません。ペルシャの影響は大。唐はペルシャ文化を受容しているわけでないと思います。)

>他の国における外来文化の受容と比べて、日本はどうなのでしょうか?
私は日本は外来文化の良いものは良いと認めて、それを学び、吸収し、消化(古来からの文化との融合)して来たし、今後も良いものはどんどん取り入れるのが、日本文化だと思います。

>お勧めの本などありましたら是非教えてください。
大手各社の文庫版の日本史、世界史のシリーズもの(漫画を除く)。少なくとも文化関係の章の拾い読みだけでもお勧めです。
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中世までは、世界(アジア)で文化が進んでいたのは中国です。

遣隋使遣唐使をはじめ、国家的事業として積極的に日本はが中国文化の流入をはかっています。これは60年代に若者がアメリカにあこがれたように、先進的なものに対する自然な憧れがあったものと思います。これは島国に良く見られるもので、イギリスにも同じような傾向があるように思います。(特に母国語に無駄に外来語を混ぜたがるところなんか)
海のはるかかなたにある珍しいものにはあこがれてしまうのでしょう。

 明治維新のころは、知識階級である士族層から反発もあったでしょうが、その連中は力を失っていたわけですし、まあ比較的反発は少ないと思いますよ。
 
 勝手な認識ですが、外国に占領をされた経験が多い国ほど、外来文化に抵抗する傾向が強いと思います。フランスとか朝鮮とか。自分らの文化が破壊されて、初めて人は母国の文化の重要性にきづくのでしょうか。
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日本人は多神教の民族で酢(●^o^●)



一神教の民族は、マネをする事は
その背景まで神に善悪を問わなければ
なにもできません。

マネをすることに思想的な背景を考えるのが
一神教の特徴で     酢(●^o^●)
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何というか、子供の悪知恵というか遊び心だからでしょうかね。



真似は確かに間違っては居ませんが、真似の心理は子供心の真似。
大人の合理的なコピーにたいな真似事じゃないのだと思います。
合理的な大人だと100%の真似を求め、子供は120%の真似を好む。
それ故に丸々コピーを邪道という。

海外は子供でも大人の合理的な思考(特定宗教のみの思想)を求められていたので、その思考以外は拒絶反応が強かったのでは?

赤ちゃんは珍しがれば何でも触ろうとするでしょう?
これが歳を取っても無くなっていない。
無くそうという習慣が無い。と思います。
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私は節操がないのが日本人の強みだと考えています。

幕末の志士なんてのはほとんどが攘夷論者から始まっています。それがいつの間にやら開国論者になるんですからお気軽なもんです。坂本竜馬はバリバリの攘夷論で勝海舟のところに斬り殺すつもりで乗り込んだのにあっさり説得されて開国論者にスパッと切り替わっています。
明治維新により日本人の価値観はドラスティックに変わりましたが、福沢諭吉が唱えたのが脱亜論です。いつしかそれには入欧が加わりいわゆる脱亜入欧論となりました。そこでは、日本的なるものは全て遅れている、あるいは劣っているもので西洋的なものが優れたものであるという思想となりました。もちろん、全部が全部欧米のものを取り入れたわけじゃありませんが、おかげで浮世絵を始めとする日本文化の多くが明治から大正期にかけて失われたり失われそうになりました。
これに深い憂慮を持ったのが岡倉天心でした。彼は主に芸術面における日本文化の保護と発展に尽力し横山大観らを育てました。しかし岡倉天心の活動は必ずしも同時代の人たちから正当な評価を受けていたとは言いがたいものでした。

もうひとつの近代日本のエポックメイキングは敗戦でしょう。戦後マッカーサーが日本にやってくると日本中からマッカーサー宛の手紙(もちろん日本語)が送られてきたそうです。その内容のほとんどが彼を歓迎する内容で、中には姓名判断でアメリカとマッカーサーという名前がいかに良い名前か絶賛するものもあったそうです(そのほんの数ヶ月前までは出て来いニミッツマッカーサーとかやっていたのに、です)。
私の父によると、戦後しばらくの間「コメ害悪論」というのがあったそうです。日本が戦争に負けた一因がコメにあり、コメを食べると頭が悪くなるからパンを食べようという運動があったそうです。医師や医学博士なんかも大真面目にそんなことを言っていて、もちろんそれはアメリカの小麦を売りたいというアメリカ政府の意向があったわけですが、最近まで給食がパンが主だったのはそういう事情もあったようです。

明治時代に当時のアジアとしては驚異的な発展をしたり、戦後驚異的な復興ができたのはこういった「こっちがいいとなったらあっさり乗り換えられる」ところがあったからだと思います。
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私は、巷で聞くのとは反対に、日本人は物まねが下手な国民ではないのかと思っております。



例えば、今から1500年ほど天皇家によって日本が統一された後、統治のためにその頃の超文明国の中国から律令制度を輸入しました。この制度は、いわゆる中央集権制度です。ところが律令制度の中の科挙の制度を骨抜きにしてしまい、貴族でない者が政治にあずかれないようにしました。また、儒教の中の「天」という中心概念をスッポリ捨ててしまって、天命による天皇家の存立廃止が出来ないようにしてしまう。

さて、この骨抜きの制度を使って500年程に渡っての大実験が、日本で行われました。その結果、この制度は結局日本人には馴染まないとこが分かって来た。そこで、何とか新しい制度を作らなければ成らない。ところが、中国も朝鮮もみな中央集権制度でやっている。もはや真似しようにも真似が出来なくなってしまった。そこで、物まね下手の日本人は、しょうがないから、幕府制度と言う、まわりの国々には何処にも存在しない封建制度というものを自前で発明しまう。この封建制度と言うのは、各地方に、豪族という王がいて、その王の王としての将軍がいるという制度です。これは、国の中にたった一人の王しかいない中央集権制度とは本質的に違った制度です。私は世界史の専門家では有りませんので本当のところは知りませんが、人類史の中で、この封建制度を国の安定期に存続して見せたのは、少なくともこの二千年の範囲では、どうも、日本と西欧だけではないかと思っております。この現象は、お隣の朝鮮とは大違いです。そちらでは、律令制度を見事に真似してみせたので、彼等は中央集権制度を千年以上も保ってこられました。

現在では社会学の常識になっておりますが、日本と西欧が中央集権制度ではなくて封建制度だったことが、この2カ所だけて起こった近代の資本主義社会の目を見張る成功の遠因になっております。事実、封建制度の本質は各豪族に土地の所有権を認めるというものですから、この制度では「私有財産」がと言う概念がくっきり認識されるのです。

どんな国でも、私有財産の概念が重要だと気が付いた国では、必ずその国の憲法の中にその概念を成文化するものです。聞くところによると、人類史の中で最初に私有財産制を成文化したのは、日本の貞永式目 だそうです。それは「本領安堵」という形で表現されています。

これはほんの一例ですが、他にも日本の鎌倉時代の「宗教改革」があります。世界史を翻してみると、その側に超文明国があるとその周りの国の教養人たちは、その超文明国の言語を国際語として使うようになります。たとえば西洋ではラテン語が、そして東洋では漢文がその例です。しかし、時代が進むうちに、西洋ではだんだんと自国語をそのまま使って文章を書く運動が起こって来ました。その結果、知識や技術を特権階級が独占できなくなって来ます。そのような期間が数百年続いて機が熟して来たときに、宗教改革が起こって近代を準備しました。

日本でも同じように仮名文化が起こり、特権漢文文化の独占がやりづらくなって来た頃に、鎌倉の宗教改革が起こって外国から輸入したはずの仏教を全く変えてしまって日本独自の仏教を作り出しました。「善人なおもて往生とぐ、いわんや悪人おや」は有名ですね。

これはやはり日本人が外国から輸入したままのものを受け入れるのが下手だったからだと思います。日本人の宗教改革の独自性は、西洋のそれと本質的に同じだと思います。ただ、違っていたのは日本の方が西洋より300年程早かったということぐらいです。

他にもまだまだ、切りがなく輸入の失敗例を挙げることができますが、日本人は物まねが下手なので、どうしても日本独特のものにしないと使いこなせなかったのが、日本の歴史だったのだと思います。その結果、少なくとも江戸時代までは、われわれの先人達が世界のどこにも類を見ない、高度で独自な文化を造って来たのだと思っていますが、どうでしょか。
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大きく分けると 日本人論ということになります。



小熊英二
単一民族神話の起源―「日本人」の自画像の系譜
日本人論に関して、小熊氏の意見を受け入れるかどうかは別にして、一読は必要かと考えます。

日本人というか、民族概念・国民国家という制度自体が、この百年余りの存在でしかありません。
西洋音楽の受容と言うときには、明治初期という話になりますが、同時に「日本人」を作っていた時代にもあたります。

歴史の教科書は、現在の日本から過去を見直しての物語です。

雅楽と言うことになると、単純に朝廷における儀式音楽であり、それ以上でもそれ以下でもないと考えます。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございました。
お礼が遅くなってしまって申し訳ありません。

早速、ご推薦いただいた本を注文してみました。明治時代が「日本人」を作っていた時代だというご意見、とてもおもしろいなと思いました。外国を知って初めて、自分達のアイデンティティを意識し始めた、ということでしょうか。「日本らしさ」というものを意識して誇張したり、整理したりしたのでしょうか。
本の到着が非常に楽しみです。ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/27 21:19

>真似をするということは、その前にまず心理的にそれを受け入れ・・・



これは違います。
日本の特徴は、心理を無視して技術・知識だけを取り入れるところにあります。

和魂洋才(それ以前は和魂漢才で、現在は和魂米才か?)
http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%CF%C2%BA% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
お礼が遅れてしまって申し訳ありません。

>心理を無視して~・・・

なるほど。日本人は、こういった心理を汲み取るのがむしろ上手な方なのかと思っていました。もしかして、日本という島国は、そういった心理を無視せざるを得ない状況に置かれる場合も多かったのではないかなとふと思ったりもしたのですが、どうでしょう。私は現在、海外に住んでいるのですが、こういった「日本」の特徴を外から見るのはとても面白いです。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/27 21:07

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