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最近KY(クウキ・ヨメ)と一緒に
空気を読む 読まない 等の言葉が目立って使われていますよね。
私はこの言葉が好きではなく、聞くと不快感すら覚えます。
日本は欧米と違い、察する文化ですが、
察する事を強要するのは 相手に対して不自由の強要のような感じがします。
こう言え こうしろ という意味合いが込められているようで、
正直うんざりします。
流れと違う発言から別のヒントが生まれることもあるだろうに‥
型にはまったような窮屈感を感じてしまいます。
皆さんの意見を聞きたいと思い質問しました。
よろしくお願いします。

A 回答 (14件中11~14件)

過去の産物です。


昔は自然に空気を読む人が多かったのです。
最近は、コミニュケーション不足や人との関わりが希薄になり、人との接し方が分からなくなり、そのような現象になりつつあります。
便利さがまねいた、不便な問題です。
今後も空気の読めない人が増え、自己主張が目立つようになると思います。
そして自己中心的な人が増え、喧嘩が絶えなくなると思います。
戦争を悪としていた日本人の意識が・・・。

人は、「目配りや気配りや思いやり」を持つとコミニュケーションがうまく取れる様になります。
これを一般的には空気を読むと言います。
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道理の裏づけが無いが他人の言動を圧殺したい、というときの便利な切り口上のような使い方は嫌ですね


言った瞬間に、ものすごく頭の不自由な人に見えてきます
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たしかに「KY」や「空気読め」と言われるのはカチンときますが、僕からすればそれはあなたが傲慢、または自己中(言葉悪くてすみません)なのかと思います。



会話が続くのは会話の参加者が流れに沿った発言をするからで、いわば「空気読め」も流れなのです。それを「流れ」として受け取れないのはあなたが流れに乗り切れていないのが原因です。言われるのが嫌なら会話を聞くだけ、流れに沿うだけでいいと思うのですが。

>流れと違う発言から別のヒントが生まれることもあるだろうに‥
そんな真剣な話なら相手も「空気読め」とは言わないはずです。あるいはあなたの意見が的外れなのでは。
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確かに「KY」などの略語ブームから最近よく耳にする言葉ですね。


ですが、最近使われている言葉はとても軽率な使い方であって、本来の意味としての「重さ」などは軽視されているように感じます。

私は「空気を読む」ことも人付き合いをしていくうえで、必要なことだと思います。

例えば、、、友達同士で話をしているとき、ある1人は失恋したばかりでとても傷心している状態だとします。そんな中、彼とのラブラブぶりを熱弁している友人を見れば「少しは空気読もうよ、、、」と思うと思います。
ニュースキャスターでもたまに感じることがあります。殺人事件などで現場から事件内容を伝えるレポーター。テレビ移りを気にしているのか時折笑顔を見せながら残酷な内容の事件をレポートする。。。そういった「空気の読めなさ」に時折苛立ちを覚えます。

ただ、おっしゃるとおり、強要することはできないですね。
例のはじめに出した友人の失恋、、、のような場合には、ラブラブ話をした友人に後で忠告はすると思いますが。。。

自然と察することができない人が増えているから強要せざるを得ない文化になりつつあるという仮定もできるかもしれませんね。

本来は思いやりをもって、相手に接することで、自然と空気を読みとり、その場の雰囲気をそぐことのないようにできると思うのですが。。。
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この回答へのお礼

chipatanさんの例は、その通り読むべき状況ですね。
どうやら、その言葉を使う人と使い方により
同意出来たり 反発心を持つのかも知れないと思いました。

会議で意見を聞いておきながら、その後空気読めと言ったりする上司は
納得出来ません。空気読んだ意見なんて意見じゃないと思ってしまいます。
思いやりの心で 言葉を選ぶ 空気の読める人がよいですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/03 18:42

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