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私は豊臣贔屓で歴史シュミレーション小説等を楽しみにしているのですが、自分でも暇つぶしにあれこれ考えたりしています。
そこで最近考えているのがタイトルの件なのですが、もし豊臣秀頼が女児として出生していたら、その後の歴史の推移はどうなるか?ということです。
史実では秀頼は唯一の秀吉直系男子として、徳川幕府に滅ぼされてしまうのですが、この場合かなり違った歴史が展開されると思います。
具体的にはその姫に相応しい同年代の男子を豊臣家へ婿養子として迎えるという流れになるのでしょうが、その婿殿次第で私が考えられるだけでもいくつかパターンが考えられました。
例えば‥‥

I豊臣仙千代丸(豊臣秀次嫡男1590年生)
最も豊臣家との血筋が近い婚姻になり、周囲も納得しやすい人選。
秀次は姫の岳父になるため失脚事件が起こらず、関白職を続け最終的には自分の嫡男が後継者になることが予想でき、豊臣家の安定に繋がる。
(徳川家の勝率がかなり下がる)

II松平忠直(結城秀康嫡男1595年生)
史実の秀頼・千姫の婚姻のように徳川家康を取り込むことで豊臣家ではなく、豊臣政権の安定を図るという人選。
忠直を選んだ理由は結城秀康が秀吉の養子だった事で、徳川家で最も豊臣に近い人物だから。
この場合は比較的史実に近い展開になりそうな気がします。
秀次は結局失脚し、秀康が比較的短命なため後見役を失った豊臣家は星治か武力の差はあれ、徳川家に政権を奪われてしまう。
他に徳川家からでは松平忠輝もありえるかもしれません。

III宇喜多秀高(宇喜多秀家嫡男1591年生)
姫の婿を選ぶ前に秀次失脚事件が起きてしまった場合に考えられる豊臣側からの人選。
父は五大老で秀吉の養子だった秀家、実母は同じく五大老の前田利家の娘で秀吉の養女でもあった豪姫。
直接の血縁はないものの秀吉の心理的に近い人物が関係し、対徳川を意識した婚姻だと思います。
最終的には徳川家との東西決戦になりそうですが、婿殿は高台院が実子のように可愛がっていた豪姫の実子であるため、この動き次第では史実より勝率は高くなりそうかなと。

以上が私が大まかに考えた有力候補なのですすが、ご興味を持たれた方がいらっしゃれば、(1)婿候補とその理由 (2)その後の展開等をお答え下さい。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (4件)

他の方も書かれていますが、そうですね、そもそも豊臣秀次が失脚することはなかったでしょうから、秀頼が女児だったとしたらそれは歴史の表舞台に登場した可能性は低かったかもしれないですね。


そもそも秀次が失脚せず秀吉⇒秀次の政権交代がスムースに進んだとしたら、相当な歴史の書き換えになりそうですね。藤堂高虎や伊達政宗が家康と接近するきっかけがなかったことになります。また、加藤清正や福島正則が家康につくこともなかったでしょうから、そこまで秀吉恩顧の武将を抱えられなければ家康も関ヶ原は起こせなかったでしょう。
そもそも石田三成が豊臣家でブイブイいわせていられたのは淀殿がバックについていたからで、なぜ淀殿が発言力が大きかったのかというと、男子を産んだからです。そうなるとドミノ式に、淀殿の発言力は小さい⇒三成はでかい顔ができない⇒加藤清正や福島正則との対立が決定的なものになりにくい⇒関ヶ原が起こせない、ということになります。
むしろ、家康が死んで秀忠が継いだとき、伊達政宗が秀次の後ろ盾を使って関東を我が物にしようと画策したような気がします。

ちなみに余計なツッコみですが、シュミレーションじゃなくてシミュレーションね。
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秀秋も小早川に売り飛ばされずにすんだかも

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秀次に嫁いだのでは・・・・と思います。


失脚自体秀頼が男児だったために起こったわけですし、
豊臣政権の安定化と一族の繁栄を考えれば、
自分の後継者にかわいい娘を嫁がせるのは
ごくごく自然なことだと思いますよ。

25歳差の結婚が可か不可かという問題は残りますが、
そういう意味では豊臣仙千代丸もあるかなという気にはなります。
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私は、秀頼が女性だったら、豊臣秀次の失脚は無かったと思います。


太閤秀吉もそのつもりで関白職を譲っています。
まさか、その後に実子(男子)が生まれるとは想像もしていなかったんではないでしょうか。

秀次は、秀吉の甥で血縁関係者です。
ただ、秀吉の死後、徳川家康の策力に対抗出来る器が秀次にあったかどうかは別問題です。

秀次が関白職にある限り、加藤清正、福島正則等が徳川方に付く事はなかったと思います。
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