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今、巨匠とマルガリータという本を読んでいますが、分からない人物がでてきました。
ポンティオ・ピラトなんですが、ローマの総督でキリストを十字架にかけた人としか分かりません。
もっとくわしく、どういった人か(キリストをどうして十字架にかけたかではないです。)、どのような仕事をする人であったかなど、ピラトについて教えてください。

A 回答 (2件)

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ユダヤ人はディアスポラしており、本国以外に住んでいるユダヤ人の方が圧倒的の多かったんですね。


(一時期は本国の8倍以上もいたらしいです。パレスチナ、エジプト、シリア、小アジア、メソポタミア、ヨーロッパなどに住んでいた。)


ユデア(ユダヤ)はローマの属州になる以前は、ユダヤ人はエルサレムに納めるための税を、それら地域に住むユダヤ人から徴収していた。
ローマ帝国の属州になってから、ローマ帝国に対する納税義務が生じ、神のために集めた金がローマ帝国に持っていかれることに対し、ユダヤ人は不満を持っていた。

しかし、税金を納めることで、ユダヤは他のローマ帝国が治める地域に比べ、いくつか優遇されていた。

ゼロータイ(熱心党)は力に訴えてもトーラを守ろうとするグループだった。
それでローマ兵とこぜりあいをよく起こしていた。
最終的にユダヤ戦争に突入するまでになったわけですが、そうならざるを得なかった原因は、次々と短期間で赴任したユダヤ担当総督(紀元6~66年)によって、しばしば行われた悪事、暴政、搾取などの影響があった。
ユダヤ人民の感情や宗教生活はさまざまな局面で無視されるようになっていった。

これらの総督の中で最も長い期間ユダヤを統治したのは、ポンティウス・ピラートゥス(在位26-36年)。

ティベリウス帝(在位14-37)下で実権を握り、反ユダヤ主義者としても名を知られていた親衛隊長セヤーヌスによってユダヤへ派遣されたピラートゥスは、赴任当初からユダヤの民を刺激するような行動に出た。

彼以前の提督が、ユダヤ民族の宗教信条を考慮して、異教の聖画像などをエルサレムに持ち込むのを控えていたのに対して、強い反ユダヤ思想の持ち主だったピラートゥスは、自分の上司であるセヤーヌスの意向を汲んで、最初のエルサレム入城の時から、聖画として皇帝の胸像が描かれた軍旗を掲げ民衆の面前を行進したり、皇帝礼拝を強調するような刻みのある硬貨を発行したりして、ユダヤ人を挑発していた。


紀元31年の春、エルサレムの神殿を巡礼に来たガリラヤ人の一団は、メシアの待望から、世俗支配を打ち破って神の支配を実現しようと暴動を起こしたが、総督ピラートゥスにより鎮圧され、多くが殺された。

36年ピラートゥスはサマリアのユダヤ人を虐殺したかどでローマへ召還され、ユダヤ総督の地位を失う。


というわけで強い反ユダヤ主義だったわけです。
彼はローマと同胞であるサンヘドリン(ユダヤの議会)にローマに逆らう疑いのあるものは、何人であろうと通報するよう指示をしており、連行された者を裁判無しに即処刑していたということで有名な人物。

イエスという人物がいたとしたら、ゼロータイの中にいたかもしれません。
ローマ兵に対してテロ活動をしており、それで捕まって裁判無しに即処刑されたかもしれません。

ということで、聖書のピラトぅースのイエスへの裁判は、実際の人物像から考えてもありえないってことですね。
ローマに逆らい暴動の種になる畏れのあるものは、即摘み取って殺していたのだから。
改心してキリスト教徒になったと教会は主張していますが、実際の人物像からして絶対にありえない。

 
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