No.4
- 回答日時:
1番に誤りがありました。
インカのトゥパクアマルは、インカ帝国滅亡後の亡命政権の皇帝でした。
インカ滅亡直前の状況は、クスコを拠点とするワスカルとクスコを追放されたアタワルパが対立していました。
アタワルパと接触したピサロは、アタワルパを謀略で捕え、アタワルパを奉じてアタワルパの軍勢と共にクスコへ攻め込み、ワスカルを捕えます。
そしてアタワルパとワスカルを利用してインカの実権を握り、後に二人とも処刑にしています。
最も有力なインカの神の祖としてビラコチャがいますが、ビラコチャは、白い大男だとされており、スペイン人達を見たインカ人は、ピサロがビラコチャの再来であると思い、まともに抵抗できずに、ピサロ達に征服されてしまったようです。
アスティカ支配下の諸部族は、すんなりスペイン支配を受け入れていますが、インカ支配下の諸部族は、かなりスペイン支配に抵抗したそうです。そのため、インカの亡命政権がしばらく続く事になります。
この回答への補足
訂正有難うございます。
ちょっと人名までは覚えれないと思いますが、記憶のあるうちは友達に自慢でもしてみようと思います。
どうも有難うございました。
No.3
- 回答日時:
スペインの新大陸支配について、かなり誤解している人がいるようですから、その事について。
スペインの植民地支配に関しまして、イギリスやオランダによる誹謗・中傷のため、真相を理解していない人が多く見られます。
スペインの新大陸植民地は、当初コンキスタドールによる占領という形で始まりました。
そのため新大陸の文明を征服したのは、スペイン軍ではなく、コンキスタドールと私兵達でした。
彼らは、新大陸を荒らしまわって色々な物資をスペインに持ち込む事により、利益を上げていました。
その中で、現地人の虐待もありました。
しかしそのコンキスタドールの行いは、従軍していた宣教師達により、スペイン本国へ報告され、スペイン政府は、現地人の保護政策を行うようになりました。
そしてコンキスタドール達が勝手な行動をしないように総督や副王などをおきます。
新大陸の基本的政策は、スペイン本国のインディアス会議において決められる事になります。
これは、原住民の減少が、即植民地の生産力の低下につながってしまうためであり、原住民の事を考えてではありませんでしたが。
(1542年の新インディアス法)
カリブ諸国は、そういった体制ができる前に支配されてしまいましたので、原住民は、ほとんど絶滅してしまいますが、支配体制が出来上がってからは、原住民の絶滅などは無くなっています。
新大陸において、原住民保護の先頭に立ったのは、キリスト教の宣教師であり、特にイエズス会が積極的に行動しました。
イエズス会が積極的に現地人を保護し、医療活動を行ったため、ラテンアメリカでカトリックが一挙に広がる事になります。
現地人とスペイン人の間に生まれるメスティソは、レイプの場合も有りましたが、ほとんどの場合愛人関係(半強制もあったようですが)により生まれたものです。
これは、新大陸に行ったスペイン人のほとんどが男性であり、女性が極めて少なかった事によります。
そのため、メスティソの子供は、スペイン人社会で成長する事となり、現地人社会とは、別の社会を構成することになります。
この事は、ラテンアメリカに行ってみますと、メスティソはクリオージョ(新大陸生まれの白人)とほとんど差の無い生活様式で有るのに対し、原住民社会とは、隔絶した生活様式である事からも理解できます。
スペイン人のレイプが最大の原因であれば、メスティソは、母親側、つまり原住民と同様な生活スタイルになっているはずです。
また、「スペインが日本を狙っていた」とするのも全くデタラメであり、当時スペインと敵対していたイギリスやオランダが勝手に言いふらせた事でしかありません。
16世紀のスペインは、新大陸とフィリピンだけで手一杯であり、とても植民地を拡大する事ができる状態ではありませんでした。
スペインの新大陸支配が完成するのは、18世紀になってからです。
No.2
- 回答日時:
本当だと言う説が強いです。
詳しい内容はwikipediaなどを見れば載っているのでそちらを参照してもらうといいのですが、ラテンアメリカについての大学の授業でちらっとインカとアステカ帝国についての話が出てきたので、そのことをお話しします。
彼らが錬金術に詳しかったのは事実のようで、本来はキリスト教の布教活動でやってきた宣教師たちが金品をみつけて、それをスペインの国王に捧げていたことからもわかっています。スペインからの侵略者たちはそれぞれの帝国を滅亡させた後に、原住民たちを奴隷にし金品をスペインに送らせていました。
そしてこの二代帝国が陥落してからが注目すべき史実なのですが、その後カリブ海周辺からブラジルを除いた南米大陸のほとんどがスペインによって制圧されました。その結果、南米の原住民の90%がプランテーションや炭坑での強制労働、天然痘などの未知の病気で死滅させられたといわれています。アラワク族という代表的な部族もコロンブスのアメリカ発見からわずか25年以内に60万人いた人口が3千人にまで激減したとされます。当時の奴隷の扱われ方は残酷で、金の産出量が予定に満たないと、その見せしめとして奴隷の手をオノで切り落としていました。また原住民の女たちは強制労働の代わりにレイプされ、子供を産むか自殺をするかを強いらされました。そしてその混血の子たちはスペイン語を覚えてメスチソと呼ばれるようになりました。そして次第にアフリカから黒人奴隷がつれて来られるようになり、1825年の南米の独立までには全人口の12%が黒人、28%がメスチソ、42%が原住民、18%が白人となりました。
ということで、一番おもしろい事実といえば、これだけやりたい放題に世界征服を進めていたスペインが今では大部おとなしくなってしまったということでしょうね。スペインから遠かった日本はラッキーだったと言わざるを得ないと思います。
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
>スペイン人わずか300人ほどに滅ぼされたという事
これには誤解があります。
アスティカの場合、反アスティカの諸部族(トルティカ族やトトナカ族など)の連合軍の中心にコルティス達がいたのです。
アスティカ帝国設立時に、翼の生えたヘビ(人間の化身としては、白い肌の黒い髪の男)ケッツァルコアトルが、アスティカの神ウィツィロポチトリに追放されるとき、「私は再び戻ってきてアスティカを滅ぼす」と予言していました。
戻ってくると予言した時に現れたのがコルティス一行でした。
アスティカの過酷な支配に反感を強めていた周辺諸族が、コルティス達を中心として反アスティカの行動を取るのです。
その軍勢にアスティカは驚き、コルティスらに下るのです。
決して、コルティスだけでアスティカを滅ぼしたのではありません。
インカの場合は少し異なり、当時のインカ帝国は、皇帝トゥパクアマルとワスカルという二人の皇帝が対立しており、トゥパクアマルがようやく制圧仕掛かった時期にあたります。
ワスカル側から、ピサロはかなりの情報を得ていたようで、全面的対決ではなく、謀略をもってインカ皇帝を捕虜にしてしまいます。
インカ帝国は、皇帝の絶対的権力下にありましたから、皇帝が捕虜にされては抵抗もできずにピサロ軍に下ってしまいます。
>面白い事実などは有りますでしょうか?
インカ帝国の南方(チリ南部)には、マプチュ族がいました。
マプチュ族は、インカ軍を撃退したばかりか、その後のスペイン軍も撃退し続けました。
このマプチュ族は、19世紀になってようやくチリ軍とアルゼンチン軍により攻略されます。
現在チリのテムコ市近郊には、マプチュ族の居留地があります。
ご返答早くも有難うございます。
一般人となっているのにスゴク詳しい方なのですね。やはり大帝国とあろうものが数百人の異人によって滅ぼされたのでは無いのですね。国が弱っている所を突かれただけなのですね。有難うございました。
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