ベトナム戦争では
PTSDと呼ばれる患者が多数出るなど
したわけですが、
その意味でベトナム戦争は特殊な戦争だったのでしょうか?
それとも通常はどのような戦争でもそのような患者は出るものなのでしょうか?

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A 回答 (3件)

全ての戦争においてそのような患者が多くでることは当然だと思います。

自分の家を焼かれ、親兄弟を殺され、自分も重大な怪我を負うことによってその人の心の中には一生消えないトラウマとして残り、その体験を思い出したり、当時の写真を見たり、人から聞かされたりした場合にPTSDのDの部分(disorder=心の病気)が出て来ることがあります。
私の父は太平洋戦争で最前線に行ってきて、散々むごたらしい場面に遭遇し、自分も死の危険に常に晒されてきたので、今でも戦争映画や戦争ドキュメンタリー番組を見るのを嫌がります。それらを見ることによって自分の嫌な体験をフラッシュバックさせるのを避けているのだと思います。
特にベトナム戦争とPTSDが関係付けられて語られるのは、ベトナム戦争が比較的最近に起こった大規模な戦争であり、多くの戦死者や戦傷者、一般人の犠牲者が出たことと、PTSDという概念が主にアメリカにおいてベトナム戦争の帰還者の体験によって研究されたものであるからです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
多くの戦争で共通するものであることを勉強させていただきました。

お礼日時:2001/02/12 14:17

ベトナム戦争だけが特殊というわけではありません。


おそらく、いろいろな条件が合致してベトナム戦争が、特にクローズアップ&社会問題化したものだと思われます。
古くは、日露戦争、ノモンハン事変などでもそのような状態についての記述を目にしたことがありますし、最近ではアフガニスタンから帰還したロシア兵の話などもありますね。
しかし、やはりその症例の多さや社会的関心度、研究ケースなどでベトナム戦争が多かったのではないでしょうか。(映画の影響も大きいでしょう)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
とても参考になりました。

お礼日時:2001/02/12 14:36

PTSDの専門家でも心理学を学んだわけでもないのですが、自分の意見でよろしければ、聞いていただけたらと思います。


ベトナム戦争は、第二次大戦後の世界中で起こった独立戦争から、米ソの代理戦争(厳密に言えば、ソ連及び中国支援の北ベトナムVSアメリカ)に発展していったわけですが、特殊な戦争といえば、特殊な戦争だったと思います。
マスメディアの発達によるアメリカ本土での反戦運動、限定された条件下での作戦、ベトナムの人々の独立への意志・・・など、いずれも最前線の兵士たちには過酷な状況だったと思います。
例えば、熱帯地での戦争で言えば、第二次大戦の対日戦も同じかもしれませんが、少なくとも、アメリカ市民は軍部を支持していましたし、大規模物量作戦で、極力兵士の損耗を防ぐことも出来ました。日本軍を追い払うと占領されていた市民からの歓迎を受ける。上記にあげた例だけでもこれだけ差が有りました。
地理を知り尽くし、自然に慣れ親しんだ北ベトナム軍兵士とゲリラの夜襲やブービートラップ(間抜けなわなの意)は、たとえ自軍の陣地内でもゆっくり休息を取ることが出来ない・・・
映画で言えば、「プラトーン」「ランボー1(2・3はただのアクションです)」「ハンバーガーヒル」「フルメタルジャケット」などが参考になるでしょうか。特に後者の二つは兵士たちの苦悩が良く描かれていると思います。
いつ訪れるかわからない死への恐怖と緊張の連続、アメリカ市民からも、ベトナム市民からも支持されていない状況。戦争を行い勝利することへの確固たる目的意義が見出せない兵士たち。そして、勝者無き戦争だったということも大きな要因の一つかもしれません。
古今東西を問わず、戦争に際しては、PTSD症状を訴える人は大勢いたと思いますが、映画などでベトナム戦争が良く題材に使われることが、人々に広く知られる要因になったのではないでしょうか。特に、第一次世界大戦以降の、戦争の泥沼化、大量殺戮兵器の登場、総力戦、戦場の拡大(非戦闘員や場所も巻き込み始めた)などが、PTSDを拡大させていった要因と思います。
個人的には、民族紛争や内戦などにより、兵士だけではなく、市民(特に子供)が犠牲になっている事を悲しく思います。未来ある子供たちの心に、大きな傷跡が残り、苦しむ様子は、主義主張を超えて、人々に訴えかけているのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ベトナム戦争は確かに反戦ムードのなかで強行されたという印象がありますね。
内容に関しては全く同感です。

お礼日時:2001/02/12 14:35

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本当だと思いますよ
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 ご質問の枯葉剤の散布地域は、北ベトナムから南ベトナムに浸透するためのホー・チ・ミンルート、つまり広い国道沿いや整備された道路沿いばかりではなく、山岳回廊地域をジグザグに走る山道やジャングルの間を縫うように走る小道のネットワーク、さらに海路の補給を遮断するためのメコンデルタのマングローブ湿地帯の湿原などだといえます。

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 1962年から1071年にかけて行われた「ランチハンド作戦」は、主に南ベトナム領で行われていました。その目的についてはもうご存知だとは思いますが、もっとも大規模に行われた1969年にはカンボジア領に拠点を置くベトコン陣地までその攻撃の対象になりました。やはりベトコンの食料の補給ルートや避難所を駆逐する目的を考えれば、南ベトナム領内全域がその散布地域になったと考えていいと思います。
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Qベトナム戦争の南ベトナム解放民族戦線

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今晩は。
昔の記憶なので所々間違いがあるかも知れませんが!
当時のベトナム共和国(南ベトナム)は、政情不安で貧苦の差が激しく
また、仏教を弾圧しようとしていました。
その為、ベトミン(フランスの植民地から独立しようと組織独立運動組織)
が中心になり反政府組織を結成しました。
それが、南ベトナム解放民族戦線(通称はベトコン)で、「ジュネーブ
協定(ベトナムは南北に分離し、1956年7月に自由選挙を行い統一を図
る協定)を無視した政権と、その後ろ盾であるアメリカの打倒」の名目
を掲げて、南ベトナム軍と政府に対するゲリラ活動を本格化させ宣戦布
告しました。
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めました。(武力による南ベトナム解放)
そこで、北ベトナムの労働党政府が、南ベトナム解放民族戦線を主導し
始めたのです。
さらに、南ベトナム政府に反感を持った仏教徒や学生、共産主義者とは
縁遠い一般国民も多数参加していきました。
そして、北ベトナム軍を経由して中国やソビエトなどの共産主義国から
多くの武器や資金、技術援助を受けていました。
要約すればこんな感じですかね。

後、テト攻勢は。
テト(旧正月)休戦を、南ベトナム軍とアメリカ軍に打診したけれども
体勢を立て直す時間を与えるだけだと拒否され、北ベトナム軍と南ベト
ナム解放民族戦線は、旧正月の深夜に南ベトナム軍とアメリカ軍に対し
て大規模な一斉攻撃を開始しました。
しかし、南ベトナム軍とアメリカ軍は、一時的に混乱状態になったもの
の、すぐに体勢を立て直し反撃を開始しました。
物量に圧倒的に劣る南ベトナム解放民族戦線は壊滅状態に陥り、アメリ
カの大統領がテト攻勢の失敗を宣言し戦闘は終結しました。
この戦いで南ベトナム解放民族戦線が事実上壊滅したことにより、その
後のベトナム戦争は、南ベトナム政府軍・アメリカ軍と北ベトナム正規
軍中心の戦いとなって行きました。

今晩は。
昔の記憶なので所々間違いがあるかも知れませんが!
当時のベトナム共和国(南ベトナム)は、政情不安で貧苦の差が激しく
また、仏教を弾圧しようとしていました。
その為、ベトミン(フランスの植民地から独立しようと組織独立運動組織)
が中心になり反政府組織を結成しました。
それが、南ベトナム解放民族戦線(通称はベトコン)で、「ジュネーブ
協定(ベトナムは南北に分離し、1956年7月に自由選挙を行い統一を図
る協定)を無視した政権と、その後ろ盾であるアメリカの打倒」の名目
を掲...続きを読む

Q韓国のベトナム戦争における行為について

ベトナム戦争では、いろいろな残虐行為が行われたと聞きました。もともと戦争自体、残虐なものだとは思うのですが。

ネットで調べると、ベトナム戦争はアメリカとベトナムの戦争だと思っていたのですが、韓国もベトナム戦争に参加したことを知り、残虐行為を行ったと書いてありました。

ベトナム戦争で韓国は、かなりひどい残虐なことを行ったのでしょうか?

また、アメリカや対戦国だったベトナム側にもひどい残虐な行為はあったのでしょうか?

ベトナムは、残虐行為を行った国へ賠償などを求めているのでしょうか?

すみませんが、お教えくださいますよう、お願いいたします。

Aベストアンサー

戦勝国で賠償だの謝罪だのしてる国はない。
世界じゃ謝罪も賠償もしないのが当たり前なの。
それを求めてる韓国が馬鹿なの。

だいたい慰安婦がどうとか騒いでいるが、韓国はベトナム戦争時に自ら率先して慰安婦を送り込んでたんだぞ?

あいつらはテメエの腹満たすためなら自国民さえ切り売りする外道なんだよ。
だから世界から嫌われる。

Qベトナム戦争の頃、米軍とベトナム軍が使っていた武器はそれぞれどんなもの

ベトナム戦争の頃、米軍とベトナム軍が使っていた武器はそれぞれどんなものがあるでしょうか?
M16やAK47などのメジャー処は知っているのですが、もっとマニアックな銃が知りたいです。
URLだけ貼るというのはナシでお願いします…

乱文失礼しました

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北ヴェトナム軍が使用していた消音器内蔵の中国製拳銃「六四式微声手槍」はどうでしょう。

中国の人民解放軍特殊部隊に1964年に制式採用され、専用の7.65ミリ弾を採用。
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小ネタとして、AK47のマガジンが不足気味だったため韓国でも製造されていたそうです。
アメリカ側に兵士を送り、ソ連側に武器を供給してたわけですな。


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