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歴史学者や歴史の専門家は左翼系が多いというのを聞いたのですが
本当ですか?
だとするならなぜ左翼系が多いのですか?

A 回答 (14件中1~10件)

教育の規範とは、


偏りの無い公平な判断能力を持つ人間育成を旨とします。

こう言う双方の意見を
聞き入れる、尊重出来る。まとめる事が出来る方がリーダーシップを取れるのです。
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歴史学だけではありません。

全体的に左翼思想が多いのです。

 理由ですが、元々インテリには左翼の方(特にGHQ時代に従来の教授陣が公職追放されて共産思想にかぶれた方々が先生になったりしました)が多いのですが、1960年から70年代にかけて吹き荒れました学生運動、全共闘運動で活動して就職活動出来なかった学生が大学院に進学し、20年から30年後に教授になった方々が現在の大学の先生です。

 さて学問には構造主義と実証主義という研究手法があります。実証主義は理系では常識なのですが、実は歴史学ではマイナーな手法で、構造主義を選ぶ研究者が多いのです。
 歴史学・政治史学で実証するのはきわめて難しいものがあります。一つの時代を調査・研究するのに当時の天候、社会情勢、人物関係、状況などつぶさに調べ、状況によっては現地調査をする必要があります。これには莫大な時間と労力が必要なのですが、修士2年(4年)、博士3年(6年)の合計最大10年の年月では到底こなせないものです。大学院卒業までに論文提出が不可能なのです。歴史学の先生のほとんどが過程博士(満期修了した人)であり、論文博士はほとんどいません。
 これに対して構造主義による歴史研究は、組織構造や人物相関図なので当時の世相はこうだったと結論づけるため研究が簡単になるのです。また構造主義で研究する方々の一部(かなりの方だと思いますが…)は、結論ありき(例えば、日本軍の残虐行為は絶対にあったんだという結論を最初に想定し、ツギハギでも構わないから小さな状況を積み重ねた上で、『下位の兵隊が事件を起こしたのは日本軍という独裁組織があったためその中にいた兵隊は上官に対する絶対服従のため暗黙の内に事件を起こした』という結論にもっていく)で、自分の仮説を正当化するために事例(実証されたか否かはどうでもよい)を挙げて、論文にします。

 実証主義より構造主義の方が簡単でかつ数多くの論文が発表出来、社会受けし易い内容(歴史のスキャンダル的事件を混ぜやすい)に仕上がるため、マスコミ受けもよくなり有名人となりやすいのです。

 もっとも構造主義研究者は実証主義研究者とはまず論戦をしません(というか逃げます)。実証主義研究に対して構造主義研究は薄っぺらくチャチなものが多いので、簡単に論破されるため保身のために実証主義者とは混じらわないようにしています。
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理解出来ない物を、無理やり理解させる事は出来ない。


また、理解させる「必要性」が無い。

これは道理と言う物なんです。
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右翼思想では歴史に主観が強くなって科学でなくなる。


(実例は徳川光圀の『大日本史』)

中庸の研究者であっても、右翼にとっては不敬な輩と攻撃され、左翼扱いされる。
(実例は美濃部達吉『天皇機関説』事件)
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まともに歴史を研究するなら、経済史的なアプローチは避けて通れませんので、マルクスの手法なども古典として参考にするでしょうが、政治的に左翼な学者や専門家はほとんどいないと思われます。


政治活動なんかやってたら、研究する時間がなくなりますので。
研究者としてのマルクスやレーニンがこしらえた、用語や枠組みを用いることがあるから、素人目には左翼と思われるのでしょうかね?
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No2の方が本質をついています。


GHQの統治時代に極一部の大学以外は自由な言論が出来る状況ではなくなりました。この時に追放されたり意趣替えなどがあり左翼系又は左翼的な考えの方が教授の殆どを占めたのです。
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とくに昔は左翼史家全盛、ショウケツ(猖獗)を極めていたと言ってもいいんじゃないですか。



・・・・これは(日米安保のこと)アメリカが日本を基地にアジアを侵略するのに日本が積極的に協力し、また日本の帝国主義的政策にアメリカ軍を後ろ盾にしようとする、軍事同盟条約である・・・・・

↑これは井上清という有名な左翼史家が一般向けに書いた本からの引用です。
『新書日本史8 昭和の五十年』講談社現代新書(初版1976)
【通史】、【新書】といったジャンルでもこんな調子の本が平然と出回っていたくらいですから、いかに彼らが跋扈し、ひろい裾野を持っていたかということが伺えます。
左翼史家が「ほとんどいない」なんてのは何かのサクゴでしょ、でなければ願望でしょ。

付け加えれば、政治的活動は歴史解釈(つまりは歴史の研究)という形でいくらでも出来るしね。
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そもそも右翼・左翼とは何かと言う問題があります。


極めて乱暴な分け方ですが、人間の行動の原点を経済的・物理的利益追求におくものが左翼・唯物主義、精神的なものにおくものが右翼・唯心主義とすれば、学問的には前者が優勢になるのは必然ではあります。
そういった意味では、即物的な動機で行動(ゆすり・たかり)する右翼と称する輩は単なる、保守拝金主義者であり美意識を根源におく右翼とは相容れないものではありす。
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 30年以上も前に大学を卒業した人間の目から見ると、全く違いますね。


 当時は、大学紛争の嵐が吹き荒れた直後で、大学の歴史の講義ではマルクス史観全盛期で、「おいおい、ちょっと待て。いくらなんでもそれはこじつけだろう。」と言う感じの講義でした。(さっぱり面白くなく、試験は論文で、やや批判的な解答を書いたら、60点の最低点で可。不可にして落としてくれたほうが、成績が下がらないだけ、ありがたかったのに。)

 ちなみに、ソ連の崩壊や時代の変化で、当時のマルクス史観の先生方及びその弟子は、ほぼ壊滅状態です。
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はっきり言ってしまえば、


公平な判断の元書いた歴史教科書が
共産思想に思えるならば、何を教えようと時間の無駄なのです。

右翼に共産思想を理解させる事はできませんし、左翼に右翼教育はできません。

公平な判断が左翼思想と判断される場合には、その個人を放棄するしか手段がありません。思想の教育義務など規範にはありません。

零戦ヲタクと言う、理解の妨げをする脳内物質がある限り、
教科書以外の雑誌が教科書になってしまいますし、
また、逆に赤旗が常に規範になるだけす。

ある問題に於いて、
日本人の場合は無罪。外国人の場合は有罪。
間違えた年齢で精神年齢が停止するだけです。
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