プロが教えるわが家の防犯対策術!

このサイトの英語の質問を見ていて感じるのですが、日本の高校や進学塾で教えている、大学受験で良い点数を取る為に英語(仮に受験英語と呼ばせて頂きます)をマスターしても、日常的な英会話にも事欠くような英語力しか身に着くことはないようです。

もし受験英語の目的が、英会話ではなく、英語の読み書きに指導の重点を置いてあったとしても、それほどの成果は上げているとは思いません。

知り合いに、日本にある某有名大学を卒業し、アメリカにある某大学の教授をされている方がいます。その方から頂くメールの英文を見る度に、いつまで経っても日本人が書いた日本人英語の域を越える事はないなという感想を持ってしまいます。

(↑この人の悪口を言っているのではありません。ご本人も自覚されていらっしゃるようですし、英語の事ー発音や表現の仕方ーでは在米生活○○年でも、悩む事があると言われています。)

前置きが長くなりましたが、受験英語をマスターすることによって、何を得られか? ということをお伺いしたいと思います。

尚、お礼はすぐには書く事ができないと思いますが、必ず書きます。
よろしくお願いします。

A 回答 (32件中21~30件)

日本の有名大学はどこも英語を重視しています。

東大しかり、その他の有名私立校も同様です。受験英語をマスターすると従って有名校にはいれるでは無いですか。日本人は私も含めて、学歴に敏感なところが在ります。どうも東大生の前では普通の態度がとれません。これをコンプレックスと言うのでしょうね。短い一生を余り実体のないことに振り回されている場合では無いのですが、そういった諸々のinf...なんとかコンプレックスから解放されるだけでも意味が在りませんか。

私は米国で学生として生活しましたが、文法書を開くことは数えるほどしか在りませんでした。なぜなら日本の学校で学んだ、3人称単数現在とか、完了形とか基本的な事が知識として在ったのでその必要を感じなかったのです。知っていれば役に立ったのです。

ただし、受験勉強で学ぶ英語は効率が悪いというの最大の問題でした。
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この回答へのお礼

質問文で例でとりあげた知り合いですが、スとレートで東大に入学して、そのまま博士課程まで東大一直線で、その後アメリカにある某大学で教えていられます。

アメリカ生活は○○年になられるようですが、アタシ宛の英文のメ-ルを読んだ印象では、英語の文章力はアタシよりも低いですねー。

実を言うと、同じような学歴・職歴の知り合いがもうひとりいます。こちらの方も英会話では苦労していると言われるのですよ。

このお二人は受験英語をマスターして、英語で研究論文をバンバン書いていられるにも関わらず、英語での表現力(書くことと話すこと)があるとは言えないですねー。というか、お二人とも英語では苦労しているといつも言われています。

このお二人のことを考えているうちに、受験英語を身に付けることで得るものよりも、その後の英語学習の際に弊害になると思われるものの方が多いのではないでしょうか。

もし学生時代に表現力を養うような英語の学び方をされていたら、論文の文章にも影響があるということはあるのかな? 今度メ-ルを出して聞いてみよう♪

お礼が遅くなり失礼しました。
ご投稿頂き感謝しております☆

お礼日時:2002/11/23 14:09

こんにちは。

ごくたまーに英語に関する問題の回答をさせてもらっている者です。

「受験英語」が何を、どういうものを意味するかの解釈の違いによって意見は分かれるとも思いますが、私(中学は公立→私立高校で大学受験→英文科)の受けてきた英語教育から何を得られたかと言えば、やっぱりそれは英語の基礎かなぁと思います。

いまの受験主体の英語教育がいいかと聞かれれば、確かに良くはないでしょうねぇとしか言えません。しかしながら私は、日本人が英語が喋れなくてもこれだけ「読めて書ける」のは(話すのは苦手でもメールならなんとかコミュニケーションがとれるという人は多いですよね)、その教育の一部の成果だと思っています。

私は仕事柄よく中近東の方と接する機会がありましたが、喋り中心の人が多く、ビジネスレターなどを見ても話し言葉そのままに書いてあることがあって、文法はもちろんのこと、スペルミスもものすごくたくさんありました。(おそらくスペリングと発音を一緒には覚えておらず、耳から入ってきたものをそのまま覚えているため。)確かに話すことはまぁまぁできる人が多かったです。でも書くとなるとこうなってしまいます。極端に言うと日本人はおそらくこの逆なんでしょうね。

私はどちらがいいともわかりませんが、こういったある種の「偏り」をなくす(書く・読む・話すを同じように上達させる)のは、いまの学校教育では難しいのではないのかな?と感じますし、仕方のないことのように思います。どちらかといえば書くという基礎ができている上に喋りを乗っける方が、逆よりも簡単で日本人には合っているような気がするのですが…。まぁ、「通じる」という達成感のようなものを感じたいとしたら逆の方がいいのでしょうけれども、読める・書けることから得られる達成感もありますし。いまは話す・通じるのほうに重きが置かれる時代になってますけど。

難しい問題ですね・・・
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この回答へのお礼

受験主体の英語教育には得る物よりも弊害の方が多いのではないかという気がします。

大学受験の勉強をしていた頃、シェークスピアやフォークナーの文章を部分的に和訳するということを繰り返していた記憶があります。それから1000ページはあるかと思われる英語の参考書を殆ど暗記していたのではなかったかしら? 

このように和訳に重点を置いた勉強法を実践して身に付いた英語力は、その後の英語の習得(会話と書くこと)の邪魔(どちらかというとですが)になりました。

アタシが書く英語は文法上は間違っていなかったのですが、機械翻訳の英訳のように、どこかしらぎこちない文章になっていました。

今でも、これを矯正するのに苦心しています。そんなことがあるので、アタシは受験英語を否定的な目で見てしまうのでしょうね・・・。

話は変わりますが、日本人は日本的な思考パターンのまま英文を書く傾向があるような気がします。具体的に言うと、日本人の思考パターンは、まっすぐな線を引いていると思ったら、横道に逸れて、また元の線に戻ってきて、しばらくはその線に沿って思考するのですが、また横道に逸れるということです。一言で言うと、ジグザグな線を引いているということになります。

これに反して、アメリカ英語の思考パターンはまっすぐな線をずーっと引いて行くといった感じになります。

ついでに言うと、中近東の人たちは、ぐるぐるとうずまきを描くように思考します。全く関係がないとアタシたちには見えるようなことを積み重ねることで結論に至るということです。

日本の英語教育に欠けているものがあるとすれば、英語で読み書き会話する際に、こういった思考パターンをジグザグ型から直線型に修正するという訓練をすることなのかな? これをやると、たとえ語彙は少なくても英語で意思疎通を潤滑に行うことができるようになると思います。


お礼が遅くなり失礼いたしました。
ご投稿をお寄せ頂きまして感謝しております。
ありがとうございました☆

お礼日時:2002/11/20 15:54

日本国内で英語を使ってビジネス(営業とか貿易とか倉庫管理とか秘書とか)をするのであれば、


はっきり言って受験英語もろくに出来ないで、多少の会話だけできても全然「使えない」んじゃないですかね?

受験英語がなんたるか、定義がよくわからないのでとりあえず置いておきますが、

文法が出来ないひとや辞書のひけない人は伸びません!

会話は慣れれば出来るけど、毎日する必要はない!

仕事のパートナーになら、今の日本のテストの点数でよいから、それの高いひとを選びます。
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この回答へのお礼

英語の読み書きだけでなく、英会話をする為には英文法を理解していないと無理だと思います。

私は英語を母国語としない人たちと英語で会話する機会があるのですが、そういった人と話していて、相手が何を言っているのか全く理解できないことがあります。

それは、その人が時制の使い方を誤っていたり、複数形でいう所を単数形を使って表現しているからなのです。

そういった基本的な文法を学習するのに6年もかかるとは思えません。

>仕事のパートナーになら、今の日本のテストの点数でよいから、それの高いひとを選びます。

何のテストのことを指していられるのかわかりませんが、これが英会話の習熟度を計るとされるTOEICだとしたら、低いよりも高い点数を取った人の方が英文法を理解している可能性は高いと言えるのではないでしょうか。

でも、私の知り合いにTOEICの点数が900点位の人がいますが、この人はそれほど難しいとは思えない英語で書かれた雑誌記事を読んでも、内容を理解できないようです。

テストには強いが実践には弱い。日本人の英語力は実用的なものではないということになりますね。

お仕事のパートナーに恵まれるといいですね☆

お礼日時:2002/11/14 15:40

優先順位がおかしい、そんなことを教えるならそれより前に、、、という疑問はありますが、間違ったこと、無駄なことはしていないと思います。

口語コミュニケーション用の英語は別に平行して存在するように言われますが、そうとも限りません。確かに会話に役立つ初歩表現は受験英語からは出て来づらいですが、言語として駆使するなら受験英語レベルの表現、読解能力はすぐに必要になってきます。海外旅行でレストランでオーダーする、知り合った人に調子を聞く、レベルでいいなら別ですが。

見ていてつらいのは留学生が「日本の学校教育英語なんてぜんぜん役に立たない!」と文法知識をかなぐりすてて単語の羅列英語に陥るケースです。正しい文法にとらわれてコミュニケーションがとれないというよりはいいのですが、文法を無視する事が美徳のようにとられている気がします。一度本などで、くだけた状況やあまり学の無い人とされるキャラクターのせりふを分析してください。文法無視の表現がいったいいくつ見付かりますか? 文法的には正しくないとされているがよく使われるきまり文句はいくつかありますが、それ以外には皆無だと思います。

受験英語を有意義な知識とできるか否かは、応用できるかどうかの問題だと思っています。例文を訳したら、今度はその日本語を英語にたたきあげられるか、など。もちろん教育の場でその練習をさせるべきですし、そういう方向に向かって欲しいと思っていますが、ある程度は個人のとりくみかたの問題じゃないでしょうか。

例えば大卒の27歳なら、「日本の経済って今どうなの?」に対してそれなりの答えを返せるべきじゃないでしょうか? 「パーティーどうだった?」だけが英会話ではないです。
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この回答へのお礼

かなり前になりますが、私が受験勉強をしていた頃、英語の書き換え問題でこういうのがありました。

help but (to) ~ = help ~ing

最近の受験英語の参考書では、この書き換えを指導しているのか確認が取れなかったのですが、この書き換えは英語のスタイルについて解説された文献では誤りとされています。

手元にある「the Wordwatcher's Good Grammar & Workd Usage」(Morton S. Freeman著 ISBN 0-9666748-0-4)のページ127によると、「help but (to) ~ 」というのは口語で使われる表現であり、フォーマルな言い方としては動名詞を使うべきであるとのことです。

今タイトルは思い付きませんが、上で挙げました本以外でも「help but (to) ~ = help ~ing」ではないとの記述を見たことがあります。

これは氷山の一角になると思いますが、日本の高校生が使っている参考書には、このように英語圏の国では一般的に間違って使われているとされる用法も書き換えの方程式のように書いてあるーということがあると思いませんか? (この件についての情報をお持ちの方、ご一報下さいませ。)

「確かに会話に役立つ初歩表現」ですが、私の記憶が正しければ、こういった基本的な英会話については中学生の時に学ぶのではないかと思います。

このサイトの英語のカテゴリーで中学生と見受けられる方の質問を見ていても、ALTと呼ばれる英語を母国語とする英語の講師を通して、こういったことを学校の授業の一環として実践しているように思います。

受験英語を有意義な知識とできるか否か。有意義な知識である為には、上で挙げた例のような間違いがあったりしてはいけないですね。

それから、英文法を無視してくだけた言い方を使って英語で会話する日本人留学生についてもコメントがあります。

こういった方々とお話をする機会があるのですが、こういう方々は日本語で話しても、理路整然と会話を進めることは苦手みたいです。

第一言語である日本語ができていないから、第二言語である英語の学習にも躓いているのではないでしょうか?

>「日本の経済って今どうなの?」に対してそれなりの答えを返せるべきじゃないでしょうか?

これは英語力というよりも、その人の教養や知性のレベルによって、有意義な会話を交わすことができるかどうか分かれますねー。

高卒レベルの英語力でも、自分の意見を持っている人だったら、日本の経済についてブロークンな英語でも語ることはできると思います。

お礼が遅くなりました。どうもありがとうございました。

お礼日時:2002/11/14 15:25

日常会話には役に立たないでしょうね・・・


日本の英語の問題点があるとすれば
「受験の科目に英語が存在している」
ということではないかと思います。

受験は一定の集団から合格者と不合格者を振り分ける作業です。普通の日常会話的な問題を出してしまえば全員が100点満点になってしまい合格者を振り分けることは不可能になってしまいます。ですからはっきりと合格者と不合格者を振り分けるためには難しい問題を出す必要があったわけですね。それが難しいイディオムを答えさせるとか、難しい文法について答えさせるような、到底役に立つとは思えない問題が発生した原因でしょう。ですから受験英語自体に語学としての価値はないでしょう。そして語学としての価値をなくしているのは英語が受験科目とされているからでしょう。

正直アメリカのヤフーでIDをとって、アメリカ人などとチャットしている方が役に立つのではないかと思います。
チャットに使われる言葉は通常日本でもアメリカでも日常会話に使われる単語であり、表現方法ですからとても役に立ちますし、わからない単語があればgooの英和、和英辞典をその場で調べればいいわけですから。
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この回答へのお礼

やはりDoubleJJさんも、他の方と同じように、高校での英語教育は大学受験で振り落とされない為の知識と技術を習得することが目的だから、たとえ日常的な英会話でさえも身に付くことはないというような偏ったものだと思われるのですね。

大分前になりますが、TBSの報道特集というニュース番組で大学の入試問題はそこの大学の教授が作成するから、内容が高校生向きではないというようなことを聞いたことがあります。

大学の英米文学部の教授陣が大学入試問題を作成することを止め、河合塾などのような大手の進学塾などに試験問題を受注するようになれば、受験生が高校生として習得すべき内容を問題に取り入れることができるらしいです。

私が見た所、大学受験生向きの参考書などは、あまりにも些細なことまでも書いてあり、そこまで英語という言語の文法を細かく覚える必要性は感じられません。

英語を意思疎通をする為の道具と考えると、

I saw her talking to a doll.

という文章は「彼女が人形に話しかけているのを見た」という意味だとわかるだけでいいと思います。

これを受験生だと、この英文は感覚動詞+目的語+現在分詞の構文だから、目的語を現在分詞の主語として和訳するから、これは~という意味になるというような面倒なことをしなくてはいけないのでしょうねー。

ひとつ気になったのですが、チャットで発言することによって得られる英語の言い回しはかなりカジュアルなものになります。またチャットでは「lol」などのような独特の表現がありますが、こういったことは会話では使うことはありません。だからチャットで覚えた英語というのもある意味で独特なものになるのではないでしょうか。

それから、わからないことがあったら英和・和英辞典で意味を調べることを推DoubleJJさんは奨されていますが、英語を言語として身に付けたいのであれは英和や和英ではなく英英辞典を使った方が良いように思います。

長い目で見ると、この方が英語の勉強には効率が良いのではないでしょうか。

お礼の方が投稿よりも長くなってしまい申し訳ありません。
でも、ご投稿をお寄せ頂きましたおかげで、受験英語という独特の英語が存在する意義みたいなものについて考えることができました。

どうもありがとうございました☆

お礼日時:2002/11/10 15:26

KONEKO04さんは受験英語で「書く」ことも重視しているとお書きになられましたが、私はそうは思いません。


私が学校で習っていた頃(もう20以上前になりますが)は和文英訳程度で、英文の書き方(bussiness writing, formal writing, etc..)はほとんど習った記憶がありません。
せいぜい手紙の書き方くらいですかね。

私は受験英語は「読むこと/読解すること」に重点が置かれているのだと思っています。
昔は外国との交流などは一般人にはほとんど縁が無く、でも最先端の西洋科学技術を取り入れるには国民は英文の書物を読まなければならなかった。
そして、どんなに難しい文章でも正確に理解する必要があった。だから読むという点に集中したのだと思います。
その意味では受験英語は当時としては間違った方向にあったとは思いません。
当時は、会話はおろか、英文を書く必要性もほとんどありませんでしたから。(一部の人を除けば)
少なくとも受験英語をマスターした人であれば、相当高度な文章でも読みこなせていると私は思います。
その意味で当時の受験英語の方向性が間違っていたとは思わないし、相当効果もあったと思っています。

問題なのは時代の変遷についてきていないということだと思います。
飛行機が実用化されて、直接人と人の交流が始まると、会話が重視されますが、まだまだ現在の英語教育は舵の方向転換が終わっていないと思います。

と格好の良いことを述べましたが、私は受験英語は好きではありません。
結局言葉はまず使える(会話が出来る)ことが出来ないと、結局勉強する意欲につながらないから、覚えも悪いんです。
それに、時代は変わりもはや単に読めればよいというものではなくなっていますし。

これからは、聞く、話す、そして書くことが重要ですから、どんどん改革して欲しいものだと思います。

では。
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この回答へのお礼

>受験英語は「読むこと/読解すること」に重点が置かれている

日本が、「追いつけ追い越せ」モードでアメリカをはじめとする先進国に目を向けていた頃は、このような傾向があったのかと思います。

ですが、

>最先端の西洋科学技術を取り入れるには国民は英文の書物を読まなければならなかった。

というような状況で英文の書物や論文を読む必要があったのは、ごく一部の知的労働者に限られたのではないでしょうか。

ごく一般的な大卒の日本人が英文の実用書などを日常的に読むということは過去にもなかったのではないでしょうか。

ですが、mickjey2さんが言われるように、「受験英語をマスターした人であれば、相当高度な文章でも読みこなせている」ということはあると思います。

ただ、問題は実用的な英語とは違いある意味では暗号読解とも言えるような受験英語をマスターする為に費やさなくてはいけない時間の長さなのです。

最低でも中高通して6年間、人によっては大学の一般教養で更に2年間も英語を勉強するのかと思います。そうすると、合計8年間も英語の読解力を養う為に費やすことになります。

その結果、読んで内容を理解することはできても、自分の思ったことを英語にして伝えることはできないということになるのでしょうか。でも、こういった人はまだいいです。大抵は受験英語をマスターすることもなく、英語は難しくてわからないといったような英語に対して劣等感を持つ英語恐怖症のようになる場合の方が多いのではないでしょうか。

>これからは、聞く、話す、そして書くことが重要ですから、どんどん改革して欲しいものだと思います。

私もそう思います。後の方に投稿になりますが、現役の英語教師の方々からも投稿がありました。それを読むと、これからの日本の英語教育はもっと実用的になるのかという気がします。そのことに関しては、後ほどコメントします。

ご投稿をお寄せ頂きまして誠にありがとうございました。
とても参考になりました☆

お礼日時:2002/11/10 14:49

#5の回答と一部ダブってしまうかと思いますが・・・。



学校教育が始まった明治時代の初めというのは、海外の情報を手に入れて、欧米に追いつくことが目的でした。今のように簡単に手に入れられる時代ではなく、本などを日本語に訳して日本人共有の財産にすることの方が重要視されたと思います。戦後すぐの日本も同じような状態でした。その当時、こちらから情報発信をするなんてことは思いもよらないことでした。また、情報発信する立場の人間というのも限られていましたので、英会話なんてエリート(当時でも大学院以上の人)がやっていればよかったのです。

しかし時代は変わり、いまやグローバル化の進む時代です。飛行機で10時間も飛べば地球の裏側(本当は地球に裏側なんてないんだけど)へだって行くことができます。また通信技術も発達し、誰もが世界中へ情報を発信できる時代になってきました。海外旅行なんて誰でも容易に行けるようになりました。こういう時代には「専門的な情報を英語で手に入れ、英語で専門知識を発信できる」ことは大学以上で必要となることなのであまり重要視されず、それよりも「そこそこの英語を話し、聞く・読むことができて、効果的に表現できる」英語の方が重要だとされるのです。

ただ、大学以上では「論文を読むため・書くための英語」しか必要ではありません。したがって、大学受験では(英文科など一部を除いて)そのための能力しか見る必要はありません。

ところが近年、博士課程以上では海外の学会での発表なども重要視されてきて、そのためには英語でのコミュニケーション能力が不可欠になってきました(ここにきて英会話に通わざるをえなくなっている人も理系では多いです)。高学歴化に伴って、こうした人も多くなってくると思われます。文部省の方向転換もそういったところにあるのでは・・・と思います。

それで、ええと、何を得られたか?ですね。暗号を読み解く能力だと思います。特にリスニングが受験範囲ではなかった時代の日本人(まあ、偉い先生方、ということになるでしょうか)が英語で書いた論文には、この能力が不可欠です。
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この回答へのお礼

明治時代の頃、エリートのみが渡航していたわけではないようです。日系移民の歴史を調べると、貧しい農家からハワイ、アメリカ本国、ブラジル(もそうだと思うけど自信無し)などに出稼ぎに行った人がいたはずです。

時代は変わり、食うもんに困ることはなくなりましたが、それでもあえて日本を離れて異国の地に向かう人は多いようです。

先日読んだ記事なのですが、アメリカにいる外国人学生で人数が一番多いのは日本人だそうです。ですが、日本人学生はアメリカにある大学(短大も含める)を卒業してもアメリカにある企業に就職することは至難の業だということです。

このような学生がアメリカに行って一体何をお勉強しているかというと、英語だったりして。(ブラックなジョークです)でも、これがジョークでなく本当だとしたら、中高の6年+4~6年(語学学校に通う期間も含めて)も英語を勉強しているとしたら、すごく時間とお金の無駄だと思います。

>大学受験では(英文科など一部を除いて)そのための能力しか見る必要はありません。

私が出会った英語圏の大学卒業者で、英語で書いてある論文を読み内容を理解するだけの英語力がある人は少ないです。これが修士レベルになると話が変わりますが、それでもそういう方が書く英文はぎこちないのではないかと想像しています。

それにしても、日本の大学では学士レベルで英語で書いてある論文を読むことなんてあるのですかー? アメリカにいる日本の大学生は、理系でpre-medでもない限り、英語で書いてある論文を読むことはないみたいですよー。それだったら、日本の大学生の方が英語の読解力があるってことになりますが、そんなことあるのでしょうか?

でも、最後の方にあるコメント「暗号を読み解く能力を培う」というのは納得です。

ここで言う暗号解読ですが、日本人が作った英文法には則っているけど、英語としてはぎこちない英文を読み解くということになると、アタシは思いますが・・・。

すみません、疲れているので支離滅裂なことを書いているような気がしますが、may-may-jpさんも受験英語をマスターしたところで、日本英語を読み解く技術を身に付けるだけということを主張されているのかと思います。

そんな技術に中高を通して6年間も費やさなければいけないとは、何とももったいない時間の使い方です。

ご投稿ありがとうございました。

お礼日時:2002/11/07 10:27

まあ、言い出したら、「漢文」「古文」を勉強するより、役に立ちますよね。


受験英語であっても、いちおう通じる人はいるけれど、平安時代の日本語や、孔子の時代の中国語をむりやり日本語に直して返り点をつけたりした文章を使っている人は、だれもいないんだから。
(「源氏物語」なんか、作者が「かな」で書いたものを、教科書には「漢字まじり」で出ているんじゃないか?)

受験に必要な英語力というのは、結局は、大学で勉強するのに、外国の論文を読んだり、逆に英語で論文を書けたりするのが目的です。日常のおしゃべりをするのが目的ではない。
ノーベル賞を受賞した田中さんも、英会話は苦手だけれど、論文を英語で出せたから受賞の対象になったわけです。(まあ、研究チームの誰かが英語に堪能であればいいのだけれど、単に「通訳」みたいな「英語堪能者」がいても、その人に論文の中身が理解できなければ、ノーベル賞のもらえるような英訳にはならない。文章的に立派でも、論文としての価値はそこではないから)

そこで目的は達せられるわけで、あと、日常の会話をしたければ、技能としての英会話を学べばいい。
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この回答へのお礼

役に立つということですが、私が思うには外国語の学習をする為には第一言語である日本語をしっかり勉強する方が、長い目で考えると役に立ちますねー。

第一言語の習得ができていないと、言葉を使って自分の考えている事を表現することができません。そんな状態の人が幾ら頑張っても第二言語であるところの英語を習得することは何万年たってもあり得ないと思います。

何万年というのはジョークですが、日本の英語教育のレベルを向上させる為には国語(日本語)にもっと力を入れないといけませんなー。

>大学で勉強するのに、外国の論文を読んだり、逆に英語で論文を書けたりするのが目的です。

う~ん、日本の大学生で英語で書いてある論文を読み、英語で論文を書く人なんているのでしょうか? こういうことをするのは、大学院以上で象牙の塔の住人を目指しているような根性のある方に限るような気がします。

このサイトに投稿される大学生の質問を見ていると、アンタ、大学で何やってんの?と聞きたくなります。こういう方も英語の論文を読む事があるのかな…? ささやかな疑問です。

ノーベル賞についてですが、英語で論文を書くといっても、田中さん一人が論文の執筆をされたのではないと思います。この方は物理系の方ですよね? 学者のお友達に聞いたのですが、物理の研究はチームの一員として進めることになるから、一人で頑張っても努力が反映されるわけではないということらしいです。田中さんの場合も、彼の周りの人の援助があったから、世界的にも認められるような業績をあげることができたのではないでしょうか?

それにしても、田中さんの場合「あの人は謙虚だ」ということばかりマスコミで報道されるので、一体何の研究をしたのか忘れてしました! 謙虚ということよりも、研究内容に付いても報道しろヨッ!ですよねー。

私の記憶が確かならば、中学三年間に受ける英語教育をマスターしているだけで、英語で日常会話はできるようになると思います。

ご投稿ありがとうございました。

お礼日時:2002/11/04 05:54

今コメント欄に気付きました。




「受験英語の質問を削除したいのですが、なぜかできませんでした。あまりにも大きな問題を提起してしまったので、お礼をきちんと書く自信がありません。誰も答えなかったら、この質問は自動的に削除になるらしいので、回答が来ない方がいいのかな?」


管理者に質問の削除を要請してみたらどうですかね。
真っ先に回答して申し訳なかったですね。
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この回答へのお礼

このご投稿を拝見してから、コメントを変えました。

AcceptさんやGanbatteruyoさんのように、受験英語は学ぶ価値無しというご意見を頂けるとは予想していませんでした。今後の展開が気になります。

ご投稿ありがとうございました。

お礼日時:2002/10/29 08:29

多分、受験英語に批判的な意見が多く寄せられると


思うのであえて肯定的な意見を…
質問が「れるか?」か「れたか?」どちらかわからないですが、
他の教科と同様に大学入学のための知識が得られます。
(基本的にどの教科も暗記するだけでよい、数学しかりで、解法パターンの暗記でことたりることが多い。←つきつめると勉強とはなんぞやとなってしまう。[日本の教育のありかたに対して考えなければならなくなる])
他国とのコミュニケーションをするためのJapanese-Englishが身につきます。
受験英語の目的は入りたい大学の要求する英語力を
身に付けることです。

英語の価値は国際言語としての機能にあると感じるので
それぞれの国の特徴をもった英語が存在するのは
悪いことではないと思います。
(もちろん意思疎通の部分である程度統一された
価値観がなければいけないと思いますが)
それぞれの国の文化を反映した英語がそれぞれの国
にあってよいと思います。
日本における英語習得の目的はアメリカ、イギリスで
暮らすためのものではないのです。
昨今Global化が叫ばれていますが、
アメリカだけ歩み寄らずに(他国理解のために考える
ことなしに)
日本人やその他の国の人々だけがアメリカの価値観を
身に付けるのはどうでしょう?
日本の文化の後ろ盾、価値観をもった日本人英語、大いに結構だと思います。
(私自身はNative感覚をもちたいとおもっていますけどね)
KONEKOさんのおっしゃる受験英語とは
どういうものですか?なんとなく感覚としてわかるのですが受験校によってかなり要求される英語力に差があるので
なんとも言えないのですけれど…
英検1級を例にとると一般のNative Speakerが持つ
知識を超えてかなりacademicな知識を要求されます。
英語の利用価値の低い日本で通常のNative Speaker
が持つ知識を持たない日本人がacademicな知識
のみを持つことで解答できる、いうならば生活観の
ない英語なのですが、こういった生活観を
もたない英語に疑問をいだいているのでしょうか?

 この問題についてあれこれ考えて書いた結果こういった形の回答になってしまいました。この問題については考えることが多くて、多分私の考えていることの半分以下くらいしか述べられなかったと思います。まとまらなくなってしまったのでこのくらいにしておきます。
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この回答へのお礼

受験英語をマスターしたとして、何が得られるのか?

というのが、この質問のテーマです。でも得られたものがありましたら、お伺いしたいと思います。(質問文が不完全でした。失礼しました。)

私の質問に対するpokepottoさんのご回答は次の二点ということになるかと思います。

(1)大学入試に対応する為。
(2)(大学卒業後)英語を理解する人とのコミュニケーションを可能にする為。

(1)については、大学入試のテスト問題が非現実的に難しいということに言及するのでしょうか。六年もかけて勉強するのなら、試験に合格することだけでなく、日常会話もある程度はできるようにしたいものです。(日常会話のレベルについては(2)へのコメントを参照してください)

(2)ですが、私の見た所、自己紹介ができる、道を聞かれたら"I can't speak English."以上の返答ができる、電話をとったら"May I help you?"くらいは言う、といった初心者レベルにも到達していない大学生や社会人が多いと思いますが、pokepottoさんも周りの日本人を見ていて同じように感じませんか? 

話は変わりますが、日本人が使う英語は、日本という国の文化を反映した英語であるのだというpokepottoさんの主張には同意出来ません。日本は英語を第一言語、または第二言語にもしていません。

もし日本が第二言語を英語に定め、戦時中、台湾などの近隣諸国で行った日本語教育のように、徹底的に英語を学校で生徒に叩き込むというようなことが実現するのであれば、日本の文化を反映した新しい英語であるところの「日本英語」といったものも生まれるかもしれません。

ですが、英文を読み(日本語で)理解することを中心にした授業を週に何時間か受けるだけでは、世界的に認知されるような新しい言語を生むというようなことはないと思います。

と書いた後で、ネットで日本語英語について検索したら、アジア諸国で使われる英語を英語圏の国で認知されることを目標にしている学会のサイトがヒットしました。

http://www1.linkclub.or.jp/~jafae/JAFAE%20NEWS%2 …

ですが、英語圏の国でアジア諸国で形成される韓国英語やカンボジア英語がどの程度受け入れられているのかについては、資料を見つける事ができませんでした。もし何かご存知の方がいらっしゃいましたら、ご投稿をお願いします。

「英語を学ぶ=アメリカの価値観を身に付ける」というのも、ちょっと腑に落ちません。アメリカで使われている英語といっても、地域ごとに方言があり、西と東の違いだけでなく、隣接した州でも、同じ単語の発音の仕方(rを落とすなど)が異なることもあります。

アメリカという国は大きな国です。一年を通して温暖な気候のハワイで使われる英語と、世界の経済を牛耳るといっても過言ではないニューヨーク市の金融街で使われる英語は同じ国の言語とは思えないくらい違ったものだと感じることがあります。

ですから、一億皆日本人というような価値観はアメリカという大きな国では存在しないのではないでしょうか。

このことについては、アメリカの方言について書かれたサイトや本を参照頂けましたらと思います。

http://www.toyogakuen-u.ac.jp/kiyo/k7/NAGAI1~1.htm

ご投稿ありがとうございました。

お礼日時:2002/11/03 18:17

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