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近年陸上競技でアフリカの選手が金メダルを取ることが多いですが、人間の身体能力が何世代かで大幅に変わることがないでしょうから、第二次大戦前からもアフリカの選手は陸上競技で大活躍をしていたと思います。加えて日本は世界に類例のない圧制で朝鮮の人たちを苦しめたのに対して、アフリカを植民地として持っていた欧州の国々は日本ほどの圧制ではなかったので、オリンピックに出る有望な選手が日本以上に育ちやすかったと思います。日本の植民地支配の下で孫基禎さんは金メダルを取りましたが、他の国の似たような事例で有名人がいれば教えてください。

A 回答 (7件)

孫基禎氏が「圧政に呻吟(しんぎん)する同胞たちのために走った」んですか。

読売新聞の記事には確かにそう書いてありますね。(嘆息)

同氏の経歴(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E5%9F%BA% …
を見ますと、
* 現在は北朝鮮になっている地域の出身。
* 日韓併合後に出生。(物心ついた頃は、既に日韓併合から10年以上経過。日韓併合以前については実体験なし)
* 陸上選手となったきっかけは
「1932年、当時の朝鮮で陸上競技の名門であった京城(現:ソウル)の養正高等普通学校(内地の旧制中学校に相当)にスカウトされ、19歳で入学。後にベルリンオリンピックで銅メダルを獲得する南昇竜(孫とは同年齢)も孫と同時に陸上部に入ったが、南は他の学校への入学経験から3年生で編入されており、孫にとって「先輩」であった。しかし、南は学業がふるわずに1年で退学している。養正高等普通学校入学後、練習の環境を得た孫は急速に力を伸ばすことになった」

という次第で、日韓併合がなければ、同氏が教育を受けることも、陸上競技の訓練を受けることも、オリンピックに出て金メダルを取ることもなかったでしょう。

金メダル獲得の翌年の1937年(昭和12年)に日本に行って明治大学の予科に入り、何年かは分かりませんが卒業したようです。これは「金メダルを取ったから」が大きく影響していたでしょう。

仮に同氏がその後新義州に戻っていたとしたら、「日本で教育を受けた者」は金日成が支配する北朝鮮では「親日分子」として「敵対階層」扱いですから、炭鉱で死ぬまで酷使されて「戦後は消息不明」となったかもしれません。幸い、韓国人となって韓国で生活し、ソウルオリンピックの開催を76歳で目の当たりにし、90歳の天寿を全うしたのですからとても幸せな人生だったと言えますね。

なお、仮に日韓併合がなかったら、孫氏の運命は全く違ったものになっていたでしょう。教育を受けることも、陸上競技の訓練を受けることもありえなかったでしょう。19世紀末の朝鮮の状況を記した文献を読めば分かります。

朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期 (講談社学術文庫)
イザベラ・バード 著
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B4 …

戦前の中華民国の選手がオリンピックで活躍したという話は聞きません。選手を派遣していたのかどうか?韓国=朝鮮はそれ以下でしょう。

孫氏は
「日韓併合があったから、自分が五輪で金メダルを取り、明治大学に行くことができ、戦後の韓国で比較的恵まれた生活を出来たのだ」
ということを理解していたのかどうか怪しいですね。
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ウクライナやバルト三国など旧ソ連邦諸国のメダリストが含まれるなら相当な数になるでしょう。

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一人忘れていた。


ジェシーオーエンス(陸上)
ベルリンオリンピックの金メダリスト。
アメリカの人です。
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日本の圧政? によって、金メダリストが出にくかった?


訳が分からないことを・・・。日本が圧政を行ったかどうかについては何も言いませんが、そのために朝鮮人のメダリストが少なくなった、とは言えないです。

日本の夏期オリンピックの金メダル数は、戦前は15個です(リレーのように一度に複数取れるものは一つとしてカウント)。このうち一つが孫氏のものです。大部分は水泳で、10個です。
人口比を考えると、多少少ないとはいえ5000万人規模の日本と700-800万人規模(1940年頃だと2500万人規模)の朝鮮なので、人口比から言ってもこのくらいかと。

因みに黒人初の大リーガーはロジャーロビンソン、1947年のことです。
黒人初のヘビー級チャンピオンはジャックジョンソン、1908年のことです。
このくらいですかね? 戦前の有名どころは。
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#2です。



そこで述べたアメリカの刑務所人口の情報のサイトで左右後の部分、&#8203 を外して検索して下さい、

http://www.jimmin.com/doc/0348.htm

そうしないとnot found になってしまいます。

他にも,アメリカ 黒人 刑務所 等のキーワードでGoogle等を探ってみて下さい。
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>そしてアフリカ系アメリカ人の活躍は欧州に植民地化されたアフリカ諸国の方々も元気付けられたと思います。

奴隷としてつれてこられた黒人たちの活躍と、その活躍を喜ぶアフリカ人についても知りたくなりました。

黒柳徹子のリベリア報告

http://www.inv.co.jp/~tagawa/liberia/liberia.html

を参照して下さい。そして、アメリコ・ライベリアンについて、Google等で調べて見て下さい。それによるとアフリカ人はアフリカ系アメリカ人の活躍を余り喜んではいないように思えるのですが。また、アメリカはプエルトリコという植民地を未だに持っている、西洋の国としても数少ない国です。メキシコオリンピックで人種差別に抗議した黒人選手からのアメリカオリンピック協会による金メダル剥奪や、先年のカテリーナ・ハリケーン後の黒人地区の貧困が世界中に放映されました。そして、最近の統計によると、生涯のうち一度は監獄に服役する可能性を確率で表すと、アメリカの黒人男性は3人に1人、メキシコ系等のヒスパニック男性は5人に1人となっており、中国での抑圧よりもすごいようです。

http://www.jimmin.com/doc/0348.htm​ 参照

日本もひどかったですが、現在のアメリカでは、かつての日本の朝鮮民族に対する圧政に匹敵するようなことを未だにやっている事実も認識しておいて下さい。

他民族への圧政は昔の日本ばかりではなく、現在の欧米人や中国人等によって、類を見ないどころか、累々と行われているようです。過去の歴史を教訓にして、かつての圧政民族の覇者日本人ばかりでなく現在の覇者達にも何とか現在進行形の圧政を控えてもらいたいものですね。
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wikiの受けうりですが。



ハワイ州は独立国家でしたが、1898年に、アメリカ軍の協力を得たクーデター等を経てアメリカ合衆国の準州(自治領)となったそうです。
自治領と植民地は異なるとは思いますが、併合された背景に武力がないとはいいきれない、本国と微妙にことなる扱いを受けていた…という点で、日本の朝鮮と似ていないことはないとも思います。

その、ハワイ州から1912年、1920のオリンピックの水泳でデューク・カハナモク、1924年にその弟のサミュエル・カハナモクがそれぞれメダルを獲得していた、ようです。
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この回答へのお礼

ハワイの原住民がメダルを取ったことがあったのですか、アメリカは多くの金メダリストを輩出していますが、どうしてもアフリカ系アメリカ人の多くがメダルを取っているという印象があったのでデューク・カハナモク氏の話は新鮮で驚きました。孫基禎さんは圧政に呻吟(しんぎん)する同胞たちのために走った(http://www.yomiuri.co.jp/osaka2007/feature/world …)そうですが、きっとデューク・カハナモク氏も似たような心境だったのでしょうね、それにしてもアメリカの話をされたので考えが浮かんだのですが、奴隷としてアメリカにつれてこられたアフリカ系アメリカ人もおそらく第二次大戦前からも多くの人がメダルを取っていたと思います。そしてアフリカ系アメリカ人の活躍は欧州に植民地化されたアフリカ諸国の方々も元気付けられたと思います。奴隷としてつれてこられた黒人たちの活躍と、その活躍を喜ぶアフリカ人についても知りたくなりました。

お礼日時:2008/05/05 11:49

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