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不確定性原理っていうものは決定論を完全に否定できてますか?
不確定性原理と自由意志との関連性は何ですか?

不確定性原理って人間が観測不可能なので不確定って言ってるだけで、実際にはある法則があるんじゃないですか?
無から有はできませんよね?原因なしで結果があるってのはおかしい気がします。
例えばAとBになる確率が半々だとして、Aになったとします。
じゃあ、何故Aになったの?という問いに対して、そこだけ空白になってしまいますよね。

自由意思存在の正否は、「未来が観測可能か」か、はたまた「未来は観測不可能であるか」か、このふたつだけに依存しているとしたら、
実際には決まってるかもしれないけど(いや、決まってるんだと思います)、自分たちが観測できないだけってことになるじゃないですか。

行動っていうのは その人の脳の構造(性質)と外界からの情報の受信で化学反応を起こし、起きるものだと思うんですけど、
それは自由に起こしたものではなくて、法則に従った=決定された ものですよね?
脳の化学反応によって起きる意思決定は物理法則に従ってますよね・・?

僕は自分の脳の性質にしたがって思考をしていますし、行動も明らかに周りの出来事や情報に左右されているのを日常で実感しています。
原因なしの行動はありえません。
ないとすれば、人間の思考だけこの世の法則を無視した非科学的なものになってしまいます。
全ての事柄は原因=結果=必然なんじゃないですか?
人々は自由ではなく縛られた中で、その行動の原因や要因を認識していないので自由のように錯覚しているだけのような気がします。
そもそも自由意志の定義って何ですか?

質問がたくさんあってすいません
物理学は全く分からないので、数式や専門的な言葉は分かりませが、よろしくお願いします。

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A 回答 (4件)

不確定性原理っていうものは決定論を完全に否定できてますか?


→古典力学では、粒子は一か所にしか存在しませんし、運動量もただ一つの値しか持ち得ませんが、量子力学では、粒子はAにも存在するしBにも存在します。運動量も幾つもの値を持っています。ある物理量がいくつもの値を持っているというのは、重ね合わせの原理と言います。これを人間が扱えるような数学で表したものが波動関数です。状態を変化させて、位置をただ一か所(と思えるような狭い範囲)に限定したとすると、運動量はかなり幅広く値を持つことになります。これが不確定性原理です。状態のあり方に制約があることを示したものが不確定性原理です。決定論との関係でいうと、波動関数が時間とともにどのように変化するのかは、シュレーディンガー方程式を解けば求まります。初期状態とその後の時間変化が完全に対応しているという意味では、古典力学も量子力学もまったく同じです。

不確定性原理と自由意志との関連性は何ですか?
→いろんな意見を持っている人がいると思いますが、広く認められている関連性はありません。私は、関連はないと考えています。

不確定性原理って人間が観測不可能なので不確定って言ってるだけで、実際にはある法則があるんじゃないですか?
→たとえば、粒子がAにも存在しBにも存在する、という考え方は、2重スリットによる光子の干渉実験から導かれたものです。重ね合わせの原理の考え方は、量子力学では最も根本的な考え方とされており、単に観測不可能という問題ではありません。

無から有はできませんよね?原因なしで結果があるってのはおかしい気がします。
→原因があって結果があるというのは、量子力学でも同じです。

例えばAとBになる確率が半々だとして、Aになったとします。じゃあ、何故Aになったの?という問いに対して、そこだけ空白になってしまいますよね。
→相互作用によって状態が変化した場合に、実際に観測される量がどれなのかは、今のところ、確率しか分からないのが実情です。これが本来の自然の姿なのか、あるいは別の理論(隠れた変数)があるのかは、まだ分かっていません。

そもそも自由意志の定義って何ですか?
→定義は知りませんが、私は次のように考えています。
同一人物にまったく同じ状態を作り出して、何らかの行動を起こさせたときに、違う行動をしたとすると、そこには、何らからの別の要因が作用したことになります。これを自由意思と考えます。
たとえば、今日の昼に何を食べようか、と考えます。ラーメンにするかカレーにするか悩んだあげく、カレーに決めたとしましょう。前日は、同じような腹のすき具合だったのに、ラーメンを食べていました。同じ条件なのに、違うものを選択したのだから、一見すると、そこに自由意思が働いたように思えます。
ただこの例では、初期条件の設定が不適当です。前日と同じような腹のすき具合だからといって、条件が同じではありません。その日の天候、気温は前日とは違うでしょうし、その日の朝食は前日とは違うものかもしれません。午前中にやった仕事も同じとは言えませんし、なにより、今日は、前日の記憶があります。まったく同じ条件を設定することができませんので、ここに自由意思があるというには、条件設定が適当ではありません。こう考えると、自由意思があるかどうかを確認することは不可能なような気がします。
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確かに、物理学と哲学は密接です。


かってカントは哲学の立場から宇宙は無限、といいました。
多分今の宇宙論では宇宙に限りはある・・端はある、ということが正解でしょう。
余りに両者を対比させて考えるのもほどほどが適当です。

量子力学の世界での不確定性原理というものは、「絶えずユラギがある」ということです。
シレディンガーの猫は生きているのか死んでいるのかその確率は50%。「実はどちらかに決まっていて、知らないだけなので確率50%」ということではありません。
生きているか死んでいるかは字義通り50%で、ふたを開けた瞬間に確定する・・量子力学者は波の収縮といいます。
これに異議が唱えたのが、アインシュタイン、やシレディンガーそのものです。両者は強靭な決定論主義者でした。
量子力学は決定論ではありません。

無から有を生じるのです。
無の世界は何もないのではなく、粒子と反粒子が生成消滅を繰り返している世界です。・・エネルギーがある。
この宇宙の生成はこの無の世界からピョンと飛び出し(トンネル効果)、真空のエネルギーを受けて爆発的に膨張したというのが最新の宇宙論です。
ガモフのビッグバンに始まるビレンケン、ホーキングに至る諸研究、インフレーション理論。

尚、今、量子力学対アインシュタイン等の決定論主義者の論争は量子力学側優位に推移していますが、同じく決定論陣営のシュレディンガーの提示したパラドクス「シュレジンガーの猫」については、未だに完結な回答を量子力学陣営は出来ていないようです。
様々な学説が提出されています。back to th future にも紹介されていた、多世界解釈などというオドロオドロしい解釈もあります。
新たなアインシュタイン出よ・・という最先端理論物理学の世界状況です。
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先に「結果」がまずあって、その「結果」に見合うように「原因」(=過去の記録・記憶)が構築されていると考えるのがわかりやすいように思います。



理屈上は、原因は必ず結果に先立って存在するものの筈ですが、結果が出たときには原因は過去のものとなっているので、結局、我々が、「原因」と「結果」の因果関係を考えようとする時は、実際には、「結果が出た時点で残っている原因の痕跡(過去の記憶や記録)」を「結果」と比較するしかない訳です。

本当は「過去」など全くなくて、今この瞬間に世界がパッと誕生したとしても、その世界に、過去の記憶や記録も同時に盛り込まれていれば、一瞬前には世界が存在しなかったことを誰も認識することはできません。

自由意志も同様で、「結果の出た現在」を構築する時に、「私は自分の自由意志でこの結果を導いたんだ!」と言う記憶も一緒に構築してしまえば、誰も自由意志の力を疑うことはできないわけです。

あまりこんな考え方をするとやや虚無的になってしまうのですが、結局は単なる解釈の話であって、さほど本質的な議論(物理学の議論)ではありません。ただ、「不確定性原理と因果関係は相容れない」と言う(常識的な)感覚に対しては、このような見方も成り立ちうると言うことです。

この回答への補足

本文で言い忘れたことを補足をします

そもそもミクロな分子レベルの運動が人間の意志決定を左右してるんですか?
不確定性原理ってバラツキはあっても運動の範囲は限定されてるんですよね?
なら、限定されてるという点で自由な意志選択ではないのでは?

補足日時:2008/05/05 21:19
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自由意志と、不確定性原理、量子力学、バタフライ効果などとの関係は、現段階では、比喩やたとえ話のレベルにしかすぎません。

「決定論的な議論は間違いで、世の中には現に自由意志は存在するのだ」という信念程度のものを持っている人はいますが、それを科学のレベルで語るには、脳の挙動は謎だらけです。

うつ病や統合失調症は脳内物質の崩れが原因で発生するとされていますが、実際には、なぜうつ病や統合失調症の薬が効くのか、なぜわけの分からない副作用があるのか、不明点の多い薬です。作用の仕組みが分かっているから使われているのではなく、経験的に効くことが多いから、使われているのです。

現代では、生きた実験動物の脳内物質の挙動を観察することができ、どの薬を使うと、どのように脳内物質のバランスが変わるか、観察することが出来ます。それでも、即効性があり、すべての副作用を排除した脳神経系の薬は、開発されていません。科学が脳の挙動を全て理解できるほど進んでいるとしたら、抗うつ剤の副作用などの問題は、一掃されているはずです。

例えば、世界最古の抗うつ剤であるトフラニールは、統合失調症の薬を作ろうとしたら失敗し、なぜか抗うつ剤が出来てしまったという代物です。おまけに、うつ病だけではなく、おねしょにも効くという謎の挙動を示します。ドグマチールという薬は、もともと胃腸薬として開発されたのですが、後になって抗うつ剤としても使えることが発見されました。また、抗うつ剤一般の副作用に肥満がありますが、アメリカにはSNRIという最先端世代の抗うつ剤を作ろうとしたら失敗し、なぜかやせ薬が出来たいうメリディアの例があります。てんかんの薬には、絶対音感が狂うという意味不明な副作用があります。そのほかにも、脳神経系の薬は謎だらけで、男性の胸が女性化するとか、味覚が狂うとか、学習障害が発生して数秒前に自分がやろうとしていたことを思い出せなくなるとか、妊娠していない女性の胸からミルクが漏れ出すとか、本当に意味不明のものばかり。トラゾドンにいたっては、男性のペニスが立ちっぱなしでもとにもどらなくなるという、笑ってはいけないが非常に深刻な副作用もあります。

現段階では、自由意志という人間論的なテーマと、因果律という物理学的なテーマを統合するには、科学はあまりに未熟だと思ったほうが良いと思います。
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Q人間に自由意志はあると思いますか?

こんな質問はおそらく科学的には答えられないことであって、哲学の問題なのかもしれません。でも、哲学のカテゴリーで質問すると、あまり根拠のない私見しか得られなくなりそうなので、こちらで質問します。

なるべく科学的・実験的な根拠を基にした意見を下さい。もちろん、はっきりとした答えは求めてません。ある程度の根拠を基にしたうえであれば、自分の意見でかまいません。見識深い皆さんはどうお考えか教えてください。

ちなみに、私は・・・わかりません。でも、脳だって物質から出来ているのだから物理法則は免れないはずなので、自由意志なるものが介在しえるのかなぁと思います。

Aベストアンサー

こんにちは。
科学的にどうかということですが、一応現在では、「人間の自由意思は存在する」ということになっていると思います。そして、そのことを証明するために、「自由意思とはいったい何か」などといった問題を論ずる必要は一切ない、科学はそう述べています。

自然科学の分野では、恐らく18世紀頃からですが、かなり長い間、人間に自由意思というものはありませんでした。それは、この世のあらゆる運動の法則を司る、ニュートン力学に於ける「確定論」が自由意思の存在を否定していたからです。ですが、20世紀になって、量子力学に於ける「不確定性原理」なるものの発見により、人間の自由意思は、ようやくその存在が許されるということになった、というのが科学史上の出来事です。申し上げるまでもなく、「ハイゼンベルグの不確定性原理」は、「アインシュタインの相対性理論」と頭を並べる20世紀屈指の大発見ですよね。
「ニュートン力学の確定論」と「ハイゼンベルグの不確定性原理」、名前からして全く正反対の主張ですよね。そして、これがどういう意味で歴史を二分する哲学的対立になるのかということですが、要は一言で述べるならば、不確定原理の発見によって、量子力学は単なる電子工学に於ける基礎理論の変革に留まらず、それまで古典力学によってガッチリ支配されていた世界観を覆し、「自由意思の存在」という、人類に全く新しい人間原理をもたらしてしまった、ということになると思います。

ここでは、自由意思存在の正否は、「未来が確定している」か、はたまた「未来は不確定であるか」か、このふたつだけに依存しています。
未来が既に確定しているものであるならば、そこに人間の自由意思は存在しません。未来が確定しているのであれば、人生の全ての出来事は予め定められたレールの上で順番通りに出現する、単に時系列的な現象に過ぎません。そこに如何なる意思決定が成されようとも、全て決まっていたことなのですから、それを我々の意思と呼ぶことはできませんし、それによって何が起ころうと、それは自分の意思が反映した結果ではありません。
しかし、未来が未確定であるならば、自由意思の存在は許されます。未来が確定していないのであれば、我々の意思決定は来るべき未来の結果に反映します。
右に行くべきか左に行くべきか、そのとき自分がどのような判断を下したかによってもたらされた未来は、それがどのような動機であれ結果であろうとも、少なくとも自分の意思によって選ばれたものであるということになるわけです。

人間の意思決定によって未来の結果が変わるのは、未来とは未確定であると共に、それは「確率の集合」でしか記述することができないからです。量子力学では、未来とは、「出現し得る可能性のある、ありとあらゆる事象の確率の集合」です。「現在」に於ける我々の自由な意思決定は、その確率を変化させることによって未来の結果に影響を及ぼします。

ニュートン力学では、位相空間上の6次元座標によって全ての物体の運動を記述することができます。つまり、未来の結果を計算によって導き出すことができるわけですね。そして、ニュートン力学の絶対的な信望者であった数学者のラプラスは、「神の計算機があれば宇宙の未来を予言することができる」と主張しました。
未来が既に確定しているものであるならば、それは何らかの手段で予知できるはずです。もしも、現象を構成する物質の力学的な初期状態の全てを分子レベル、原子レベルで計算することのできる超ス―パ―・コンピューターがあれば、それで誰でも事前にサイコロの目を予知することができるということになりますよね。サイコロを構成する原子全数の運動量と、それに伴う温度・湿度・空気抵抗などとなれば、如何に神のコンピューターであろうともその手に余る膨大な計算になりますが、ラプラスの主張は、それが量的な問題である限り原理に反することはないということです。
しかしながら、未来を知ることができないのは、それがまだ未確定であるからです。20世紀になってから量子力学によって開拓された分子や原子などの超ミクロ空間は、そんな万能の運動法則・従来のニュートン力学が通用しない全く未知の世界でした。

不確定性原理を簡単に述べると、ミクロの世界では「観測」という行為そのものが物質の状態に影響を与えてしまうため、観測以前にその状態を決定することはできないということです。例えば、電子の運動量を決定しようと思えばその位置が決定できず、場所が分かれば運動量が分からなくなる。観測によって電子の位置を確定したとするならば、その時点でスピンが不確定になります。従って、そのスピンがそれまで右周りだったのか左周りだったのかは50%・50%の確率でしか示すことができなくなります。
余り正確な説明ではありませんが、要は、ミクロの世界では全ての運動量を決定することができないということであるならば、この時点で「確定論者・ラプラス」の主張は覆されたことになります。そして、未来とは、観測という行為によって初めて現在として確定されるものであり、それまでは出現可能な、無数の事象の確率の集合でしかないということなんです。
従って、未来を予知することはできません。同時に、未来は未確定であり、人間の自由意思は晴れてその存在を許されるということになりました。これが、量子力学が導き出した結論であり、科学史に於いては、これを、200年以上の長きに渡り人類を拘束し続けた「確定論の崩壊」と位置付けることができます。

未来は予知することはできませんが、予測することは誰にでもできます。それは、未来の可能性が押し並べて蓋然性を持っているからです。如何に未来が無数の可能性を秘めているとはいえ、確率の高い事象が高い確率で出現するのは我々の経験に反するものではありません。ですから、崩壊したとはいえ、21世紀のこんにちでも万有引力によってリンゴは下に落ちますし、現在でもニュートン力学を使って人工衛星の軌道計算ができるのは、通常の世界では当たり前のことなんですね。そして、「不確定な未来」によって自由意思は保証され、我々は行為の選択によってより可能性の高い未来を選択することができるわけです。
「現在」とは、観測によってひとつに決定された、未来の可能性です。これを、「観測による確率の収縮」と言います。

さて、最初に申し上げましたが、ここで興味深いのは、人間の自由意思が存在するか否かに就いて回答を求めるために、古典力学も量子力学も、共に「自由意思とは何か」ということに就いて一切論じていないということです。自由意思の存在は未来の確定・不確定に依存します。つまり、自由意思の存在に、その意義は全く関係がありません。まして、「人間の自由意思」という定義そのものが無意味なんです。

量子力学がミクロの世界の不確定性を論じたならば、それを拡張したのは「カオス理論」とうことになります。全ての現象には誤差が生じ、それが指数関数的に増大するという考え方は、未来の不確実さという概念を継承しているばかりではなく、現在を基に過去を逆算することもまた不可能であるとも述べています。
60兆の細胞を持つ人間のそのときの体調を分子レベルで測定し、投げたサイコロの初期運動量に反映させるのは、正に「ラプラスのパラドックス」に匹敵する神業です。ですから、その時々で人間の脳が判断を下す意思決定には常に膨大な誤差が発生しているということになります。
これは、中枢神経でも自律神経でも同じことですから、誤差と神経の反応は全ての動物の行動に共通です。例えば、昆虫のアリが巣穴を出て西に行くか東に行くかは、そのときのアリの気分しだいだと思います。そして、たまたま西へ行ったアリは餌にあり付くことができました。これは、アリが西に向かった時点で初めて収縮された事象であり、確率としては含まれていましたが、アリが巣穴を出る前には決まっていなかった未来です。
ではここで、未来が確定しているものであるとするのであれば、アリが西へ向かって餌を採るというのは既に決定されていた事象であり、アリはただ決められたレールの上を歩かされただけということになります。
ですが、未来が不確定であるならば、アリが西へ向かったという行動の選択が、餌の獲得という未来に反映したことになります。つまり、未来が不確定であるならば、アリの自由意思もまた立派に存在するということですね。
科学的な原理・検証というのはこういうものではないでしょうか。未来が不確定である限り、全ての生物に自由意思は保証されます。更に付け加えるならば、不確定な未来が自由意思の存在を保証するという帰結に基くならば、単に人間の思考が他の動物よりも複雑であるという理由で自由意思の構造的な問題に目を奪われる必要は全くありません。

脳の話が出ていますので、もうひとつ例を取ります。
人間の脳は大変複雑な神経ネット・ワークによって演算を行なっています。先にカオスの誤差という問題を取り上げましたが、これは「複雑系」に於ける「複雑さ」によって発生するものであり、人間の脳に限らず、生物の構造そのものが複雑系なのですから、それは膨大な誤差によって成り立っていると言っても嘘にはなりません。
さて、ここで人間の脳から誤差というものを全て取り除いてしまったらいったいどうなるでしょうか。
それは、膨大な思考力を持ち、一切の過ちを犯さない極めて正確な超巨大スーパー・コンピューターということになりますよね。これは物凄いことです。
ですが、この脳は絶対に間違いを犯しません。それがどういうことかと言いますと、計算の結果、即ち答えは常にひとつしか出て来ないということです。幾度計算しても必ず同じ結果しか出しません。
では、全く決まった答えしか出せない脳を持つ人間に自由意思があると言えるでしょうか。つまり、脳が間違いを犯さなければ人間に自由意思などないということになります。

さて、自由とは何でしょうか。
それは、拘束されないということですよね。
これまで長々と述べましたように、未来が既に決定していたり、脳の出す結論が予め決まっていたりするならば、そこに自由意思はありません。
自由意思というのは、自分の意思を外に反映させたり、コントロールできたりすることではありませんし、人間の知能が高等だからといってそこに宿るものでもありません。少なくとも、脳を自分でコントロールできないのであるならば、自由な意思決定であると言えないなどといった考え方は全くのナンセンスです。つまり、自由意思とは、拘束されないこと、即ち「不確定」であらねばならないということなんです。そして、量子力学は未来は未確定であるという結論を出しましたし、カオス理論に基くならば、間違いを犯さない脳はあり得ません。
ということですから、どちらかと言えば、我々はかなりいい加減な意思決定によって、常に偶然の未来を確率的に手に入れているということになるわけなのですが、決して定められたレールの上を歩かされているわけでもなく、答えの決まった結論を出しているわけでもありません。ですから、誰が何と言おうと我々は自由なんです。

他の回答者さんも書いておられましたが、このような量子力学に於ける人間原理は、現在「強い人間原理」といった考え方にも発展しています。
未来は観測によって収縮し、観測者の意思決定が反映されます。現在、宇宙の物理法則がかくあり、太陽系の構造が地球環境を生物の存在を可能にしているのは偶然ではなく、観測者である地球生命の存在によるものであるというものです。
私はこれに就いては詳しく説明できませんが、「強い人間原理」「ロバート・ディッケ」などのキーワードで検索すれば情報を集められると思います。
先に、未来は確率の集合であり、我々はより高い確率の未来に基づいて行動選択する術を知っていると述べました。これにより、誰でも自分の望む未来の確率を高めることもできます。また、観測者の意思決定が結果に反映し、あろうことか宇宙の物理法則まで決定してしまうというのであるのならば、未確定な未来は観測者の思うままということになります。
ですが、この問題を論ずるときに、私は最後に何時もこう付け加えるのですが、観測とは、少なくとも世界60億人の入れ子状態で行なわれていますし、仏教ではこれを「平等の境地」と定義し、一切の利己的な動機に基く観測、即ち煩悩を廃してこの世の全ての生物が成仏しなければならないと解いています。万人の望む未来は席に限りがありますし、それを手に入れようとすること事態が煩悩なのだそうです。
ですから、人生が欲してままならないのは、どうやらその為らしいです。

また、ついつい長くなってしまいました。
ごめんなさい。

こんにちは。
科学的にどうかということですが、一応現在では、「人間の自由意思は存在する」ということになっていると思います。そして、そのことを証明するために、「自由意思とはいったい何か」などといった問題を論ずる必要は一切ない、科学はそう述べています。

自然科学の分野では、恐らく18世紀頃からですが、かなり長い間、人間に自由意思というものはありませんでした。それは、この世のあらゆる運動の法則を司る、ニュートン力学に於ける「確定論」が自由意思の存在を否定していたからです。です...続きを読む

Q不確定性原理を分かり易く教えてください!

 文系の癖してこういうのが好きでいろいろ調べ回っていたんですが、色んな所でちょくちょく出てくるこの言葉に興味を持ちました。
 
 ですが、wikiを見ても全く意味がわかりません。(何故わざわざ難しく書くのかな……)

 どうか、文系の僕にもわかるように不確定性原理がどういうものなのかを教えてください。

 よろしくお願いします!

Aベストアンサー

 簡潔に言えば、科学技術が無限大に発展したとしても「何事も100%の完璧さで知ることは(原理的に)にできない」ということです。

 電子のような小さなものでは、これが顕わになります。

 電子を見たければ(もう測定と言うべきでしょうが比ゆ的に)、光を当てて、反射した光を見なければなりません。

 電子くらい小さいと、光が当たっただけで、位置や速度が変わります。

 位置をよく知りたいなら、強い光を当てなければなりませんが、強い光は大きなエネルギーですから、電子の位置はより正確に分かっても、その速度に大きく影響してしまい、速度については不正確にしか分からなくなります。

 逆に弱い光で見ると、電子の速度は正確に分かりますが、位置はぼんやりとしか見えず、不正確にしか分からなくなります。

 つまり、電子の位置と速度のどちらも正確に知りたいと思っても、できないということです。どちらかの正確さを諦めるか、どちらも大雑把で妥協するしかありません。

 これは、電子のみならず、全ての粒子や物体について同じことです。それが不確定性原理です。

P.S.

 ウィキペディアの名誉のために申し上げておきますと、物理学として役に立つ情報提供として、あれでも最大限に平易です。
 もっと踏み込んで書いてもらわないと、知りたいことが分からないと言えるほどです。
 でも、そうしてしまうと、一見して読むのを止める人が多くなりそうなので、もっと易しい説明も、もっと詳しい説明も敢えて避け、話の取っ掛かり程度ということで、あの記述に留めてあるのだろうと思います。

 簡潔に言えば、科学技術が無限大に発展したとしても「何事も100%の完璧さで知ることは(原理的に)にできない」ということです。

 電子のような小さなものでは、これが顕わになります。

 電子を見たければ(もう測定と言うべきでしょうが比ゆ的に)、光を当てて、反射した光を見なければなりません。

 電子くらい小さいと、光が当たっただけで、位置や速度が変わります。

 位置をよく知りたいなら、強い光を当てなければなりませんが、強い光は大きなエネルギーですから、電子の位置はより正確に分かっ...続きを読む

Q不確定性原理と決定論(ラプラスの悪魔)について

 不確定性原理と、決定論についてまとめてみました。

 ですが、根っからの文系の僕が、無い頭を動かして自分なりにまとめたことです。
 ですから、自分でもこれで合っているのかが分からないのです。
 
 もし間違って理解していたら嫌なので、もしよろしければ僕のまとめのおかしな部分の修正や、抜けているところの補完をしていただけないでしょうか?

 指摘だけでも結構です。



(以下まとめ)

 不確定性原理においては、電子を正確には観測する事は出来ない。なぜなら、観測という行為でその結果が変わってしまうからである。


 しかし、それは人間が観測できる術を持っていないだけであり、もし物理的に干渉しないで電子の位置と運動量を知る事が出来て、かつ無限の計算力がある『存在』がいれば未来が分かると考えたのがラプラスの悪魔の概念。そして、その概念が正しいならば決定論が正しいとも証明できる。逆もまた然り。


 しかし、量子物理学的には考えると『そもそも電子の位置と運動量も決まってはいない。つまり観測されるまでは〝不確定〟である』となる。
 人間で例えると、自分と会っている時(観測中)には善良な人間でも、会っていないときには悪人かもしれないだろ? という事。


 そして、それを裏付けるのが『二重スリットの実験』である。
 二重スリットに実験における結果では明らかな矛盾が出来上がってしまった。それを矛盾無く説明すると『そもそも観測前にはそこには確率が満ちているだけで何も無い』という事になる。
 つまり二重スリットの実験によって、この世界は確率が含まれているという『証拠』が出来てしまった。 という事は、この世界は確率によって満ちているから、未来は不確定であるはずだ。


 すなわち、未来が不確定なのだから、決定論は否定され、それに伴いラプラスの悪魔も否定されるものである。


 *** 


 以上です。あってますかね……?(汗)

 回答お待ちしています!

 不確定性原理と、決定論についてまとめてみました。

 ですが、根っからの文系の僕が、無い頭を動かして自分なりにまとめたことです。
 ですから、自分でもこれで合っているのかが分からないのです。
 
 もし間違って理解していたら嫌なので、もしよろしければ僕のまとめのおかしな部分の修正や、抜けているところの補完をしていただけないでしょうか?

 指摘だけでも結構です。



(以下まとめ)

 不確定性原理においては、電子を正確には観測する事は出来ない。なぜなら、観測という行為でその結果が...続きを読む

Aベストアンサー

 ラプラスの悪魔の否定という点で言えば、間違いではないと自分は思いますが、あなたの思い描いている物理的内実は、実際とは違う、という点は指摘します。


 話を、量子力学だけに限ります。量子力学による量子効果を考慮しない物理を、ここでは古典物理と呼んでおきます。

 二重スリット実験が導いた事を一番安全に言うと、「粒子に運動軌道は存在しない」です。これは、粒子の位置や速度が存在しない事とは違います。位置も速度も存在しないなら、そもそも量子「力学」なんか出来ません。

 「粒子に運動軌道は存在しない」事を、不確定性原理と言います。二重スリット実験をこう解釈しない立場は、もちろんありました。しかし他の様々な量子効果も考慮して、このような解釈が妥当でないかとなって行きます。いちおうの決着をみるには、不確定性原理の提唱から、約50年を要しました。

 位置や速度を、無限に正確に測定する事は可能です。不確定性原理の言ってる事は、「同時に」無限に正確に決定する事は出来ない、だけです。同時に無限に正確に決定できないので、粒子の軌道は確定しません。確定しない事と、軌道が存在しない事とは、別の話です。

 古典物理では、粒子の軌道がある事は、自明に認められていました。そこで最初に気になるのは、粒子の軌道がある/ない以前に、粒子の軌道は本当に観測できないのか?という事です。もし観測できる状況を設定できたら、「粒子に軌道は存在しない」は、絵に描いた餅になります。そこで出てきたのが、一般に不確定性原理と言われる、ハイゼンベルグの思考実験です。

 そこでは、古典物理的観測も量子効果(光が電子をキックする効果)のために、量子効果の制約から逃れられない事が示されます。ハイゼンベルグの思考実験は量子効果を考慮していますが、電子の軌道を想定しているという意味において、古典物理に属する(思考)実験です。古典的観測は成り立たないという、反例を示した訳です。

※ ラプラスの悪魔は、完全に古典物理に則った古典的存在です。よってラプラスの悪魔は、この時点で否定される(悪魔も軌道を確定できない)、という意見もあります。

 2重スリット実験からわかった事は、観測するまで(電子が蛍光板に衝突するまで)、電子はまさに「もやもやと」伝播し、どこに衝突するかは、確率的に計算できる、だけです。「もやもや」が正確にどういうものなのかは、未だに決着が着いていません。にも関わらず、「もやもやの伝播」はシュレーディンガー方程式から確定的に計算でき、衝突場所の確率も、シュレーディンガー方程式の解から、確定的に計算できる、という悩ましい状況です。

 『そもそも観測前にはそこには確率が満ちているだけで何も無い』ではないです。「何かが」あるです。ここは譲れない所です。譲ると、物理をできない事になります。


 軌道は確定しないだけなのか?/本当にないのか?は、粒子に対する知識不足で確定しないように見えるだけなのか?、それとも実在は本当に確率的存在なのか?、という話につながります。「長距離相関」により、『・・・つまり観測されるまでは〝不確定〟である』と言わざる得ないような事態が、現実にあるからです。

 隠れたパラメータ理論は、みせかけ派です。もやもやの伝播から衝突地点への波束の収縮機構まで、全て因果的物理機構に説明できたら(もやもやの正体はわからなくても)、やはり粒子は確定した存在だと言えます。確率的に見えるのは、確定させる条件を完全に知るだけの観測技術を持っていないからです。実在が確率的でないなら、ハイゼンベルグの制約を突破する観測技術が、いずれ現れるかも知れません。ラプラスの悪魔も復活します。そこが「量子力学は不完全である」という、「EPR論文」の趣旨です。不確定性原理は、みせかけだったぁ~という話になります(本当に、こうであればよかったな)。

 これには長い事、決着が着いていませんでした。不確定性原理,ボーアーアインシュタイン論争の約30年後に、みせかけの確率と、実在は確率的存在(原理的な確率)とする事では、粒子の観測結果に違いが生じるのがわかります。それを一つの不等式で表せるこ事もわかります。これをベルの不等式と言います。ベルの不等式が否定されれば原理的確率、そうでなければ粒子は、古典的に確定できそうなものになります。

 ベルの不等式の検証(否定)実験は超精密実験でした。技術が追いつくまで20年を要します。最初に行ったのは、アスペですが、もう何回も追試されて、ベルの不等式の否定がほぼ確実になっています。現在のところ、実在は原理的に確率的存在である、が共通認識だと思います。それは観測レベルの問題ではありません。


 以上の結果、量子力学が確定できる未来に対する条件は、古典力学より少ない事が導かれます。故に、未来は確率的なものになって、ラプラスの悪魔は再び否定されます。悪魔の否定は物理屋さんにとって(自分はそうじゃないですが)、たぶんお釣りです。

 ラプラスの悪魔の否定という点で言えば、間違いではないと自分は思いますが、あなたの思い描いている物理的内実は、実際とは違う、という点は指摘します。


 話を、量子力学だけに限ります。量子力学による量子効果を考慮しない物理を、ここでは古典物理と呼んでおきます。

 二重スリット実験が導いた事を一番安全に言うと、「粒子に運動軌道は存在しない」です。これは、粒子の位置や速度が存在しない事とは違います。位置も速度も存在しないなら、そもそも量子「力学」なんか出来ません。

 「粒子に運動...続きを読む


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