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私が所有する庭園。私の所有する庭園。
この場合「の」は「が」の代わりに使われニュアンスが違うという認識でよいのでしょうか?いまひとつ「の」の位置づけ、意味があいまいま気がします。後者には所有的な意味合いにもとれてしまうものがあるような気がしますが・・・やはり「が」の代わりなのでしょうか?文法的な位置づけ、意味に確たる定義等はありますか?

A 回答 (7件)

こんにちは。



この場合は、「所有的な意味合い」ではありません。
「の」の前にある語句が主格です。
“「が」の代わり”とまで言えるかどうか不明ですが、役割は同じですから、取替えは可能です。


一の(2)をご参照。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%CE …


1の2をご参照。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%8 …
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もちろん活用の場合によって異なりますが、この場合では



・私       が    
(主語)(主体をあらわす格助詞)

・私 の 
(連用修飾語)  

だと思います。

どういうことかというと
ニュアンスとしては「の」をつけると
「私」は行動の主体では無くなり、庭園を修飾する
ひとつの要素になってしまうということ。

つまり「私」を文の主体にしたい場合は「が」を用い
「庭園」を主体にしたい場合は「の」を用いると、しっくりくるかも。


つまり格助詞「の」は私という主語になり得る強烈な個性すら
ただの修飾語に格下げしてしまう、恐ろしい文学兵器だったんだよ・・・・!!
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辞書で「の」を引くと、


「(文の中の節に使ったとき)主格を表す」ときっぱりと載っていますよ。

辞書を引いて見てください。
文法的な位置づけは、きっぱりと載っています。
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はじめまして。



ご質問1:
<この場合「の」は「が」の代わりに使われニュアンスが違うという認識でよいのでしょうか?>

はい、それで結構です。しかし、ニュアンスは同じです。

1.どちらも「主格」を表す格助詞の用法になります。

2.主格ですから、動作や状態を表す述語の主語に使われます。

3.「の」は古語の主格の助詞から発達したものですが、これは「の」+連体形+名詞の語順で使われる語法です。
例:
「嘴の赤き鳥」=嘴が赤い鳥が
ここでは「嘴の+形容詞「赤い」の連体形+名詞」の並びになります。

4.ご質問文もこの語順に従って、
私の:主語「私が」
所有する:動詞の連体形
家:名詞
という意味になり、「私が所有する家」と意味上何の変わりもないのです。


ご質問2:
<後者には所有的な意味合いにもとれてしまうものがあるような気がしますが>

おっしゃる通りです。

1.その語感を感じられるのは、格助詞「が」にも「所有」を表す用法があるからです。
例:
君が代「帝の時代」
我が子「私の子供」

2.ご質問の場合も、「私が所有する家」の「が」にその「所有」のニュアンスが感じられないこともありません。しかし、この「が」は所有にはなりません。理由は以下の通りです。

(1)「が」を所有の意味で使うのは文語的な表現に限られ、現代口語と一緒には殆ど使われません。
例:
君が代(O)。天皇が時代(X)
我が子(O)、私が子(X)

従って「我が家」(O)ですが、「私が家」(X)は所有関係には結びつかないのです。

(2)「私」「所有する」「家」という3つの語が、主語+動詞+目的語という関係になり、「私」+「所有する」は主語+述語の関係になります。

つまり、「私」は「所有する」という動作の「主体」となるので、「私が」は「主語」と考えるのが正しいのです。


ご質問3:
<「の」の位置づけ、意味があいまいま気がします。>

1.確かに「の」には所有の用法も現代語にはありますから、そのニュアンスが感じられる場合もあります。しかし、それがかかる動詞句と「主語+述語」の関係にある場合は、「~の」はその動詞の主語、と考えるのが正しいのです。
例:
「私の愛する子供」
この「の」は所有ではなく、主語を表す格助詞になります。理由は、この文が「私は子供を愛する」と書き換えられ、「私は」が「愛する」の主語になるからです。

2.この形で、「の」が所有の格助詞になる場合は、次のような例です。
例:
「私の可愛い子供」
ここでは「子供が可愛い」という主述関係がなりたち、叙述用法であった「可愛い」を、名詞「子供」の前に前置修飾し限定用法にしているのです。

そうすると「可愛い」は子供にかかる形容詞で、「可愛い子供」がひとまとまりの名詞句になるので、「私の」は所有を表す形容詞句として、名詞句「可愛い子供」にかかる、と解釈することができるのです。

3.ご質問文はどちらも、「私が、家を、所有する」という、「私」と「所有する」の間に主述関係があるため、「が」「の」どちらも「主格」の格助詞と考えるのが正しいのです。

以上ご参考までに。
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この回答へのお礼

日本語は難しいのですね。ご丁寧に有難う御座います。

お礼日時:2008/08/08 19:03

国文法的に言えば、「が」は、もともと連体格(英語文法的にいうと所有格)を示す格助詞でした。


「我が~」や「誰が~」などがその例です。
ところが、平安時代後期以降、この「が」は便利なもので主格も示すようになりました。
事例の「私が所有する庭園」は「我が(所有する)庭園」という連体格から主格の格助詞に「が」が出世する過程の表現と考えられます。
古文では「が」の連体格は認められますが、現代文の学校文法では、「が」は主格だけで連体格の助詞とはしません。これがあなたの疑問の根源でしょう。でも「が」は所有の意味を表す連体格として現在も使われています。ただ、学校文法では煩瑣となるので「が」は主格の格助詞という建前で押し通しているのです。学校文法というのは窮屈ですね。
もちろん、現代でも「が」の連体格用法を認める学者も多くいます。
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国語学史でいうと、下の方の発達でいいと思います。


ただ、現在「~が~」を所有格としてみないかというとそうではないということにご注意ください。


ニュアンスが違う、というより、ちょっと専門的になりますが、係り受けの話をしますと、
「私が所有する庭園」は「((私)が(所有する))庭園」
つまり、「私」は「所有する」の主格になっていて、「私が所有する」そのものが庭園を修飾しているのに対し、
「私の所有する庭園」は「(私)の((所有する)庭園)」
「所有する」は「庭園」の修飾で、それに対して所有格をあらわしているのが私「の」、ということになります。
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最近 “類似” の別質問が出ていますよ ( ^^



助詞の「が」と「の」について
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4230142.html
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