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日本語で文章を書くとき、複文における主節の主語をどこに置くべきかと考えています。

例えば、「私は彼が寒がりだと思う」といった複文の場合、主節の「私」と従属節の「彼」が連続してしまうので、
「彼が寒がりだと私は思う」
と書いたほうがわかりやすいと私は思うのですが、どちらが正しいのでしょうか?

これは短文なのであまり気になりませんが、もっと長い文章、
「私は○○が△△であったり、□□であることを××だと思う」
とかになってくると、よりいっそう「私」を後ろに持ってきたほうがわかりやすい気がします。

A 回答 (3件)

「私は」の場合、「私」を主題提示(主題宣言)して述べていることになります。


「私の場合ですが~」「私に関してお話ししてみると~」といったニュアンス。
このように、「私は~」以降の内容は、「私」に関連することを話そうとしているのだな、と直感的に理解できると思います。
ですから、文頭で「私は」と述べるのが基本的には自然な構文になるはずです。

ただ、「○○だと私は思う」のように後ろに持ってくるほうが効果的な場合もあります。
「私は」と主題提示することよりも、○○の内容を即刻、優先的に、あるいは強調的に述べたい場合などです。
たとえば、
「わたしは原発を全て廃止すべきだと思います」
「原発をすべて廃止すべきだとわたしは思います」
という2つの文を比較してみると、その違いが際立つことでしょう。
後者の場合、「私の場合ですが~」という主題提示をさておいても、「原発をすべて廃止すべきだ」という主張内容を優先的に表明したいわけです。
一般的な主題提示を後ろに持ってくることで、ある種の倒置法的な表現になり、結果として語りたい述部を強調的に表現することができます。
しかし、それだけに、むやみに使うと大げさな表現となってしまうでしょう。

いずれにしても、前か後ろかは、前後の文脈次第、シチュエーション次第、ということになると思います。
    
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どこに置く「べき」か、どちらが正しいか、と言われれば「正解はない」と言わざるをえませんが…。



おっしゃるように「わかりやすさ」を考えると、「私は」を主節の述語の前に持ってくるほうがいいと思います。

理由
日本語で文の中心になるのは述語です。文の叙述を担うから述語という名前なのです。
それ以外は全部、述語に対する修飾語と考えればすっきりします。もちろん、主語もです。修飾語であれば、被修飾語に近い方がわかりやすいはずです。
従属節はそれ全体でひとつの大きな修飾語と捉えればいかがでしょう。修飾語は順不同ですから、どこでもいいと言えばいいのです。「正解はない」の理由です。
ただ、従属節は節であるぶん、長いですね。その前に主語なんか持って行くと、述語から大きく離れてしまいます。つまり、わかりにくくなるのです。

よく政治家などが、「私は、~~~~~~~~」と話を続けるうちに主語も述語もわけわからなくなっていくという、あのパターン。あれを避けるためには、やはり主語は述語の直前に。
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http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/bunshoupeji.htm
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090 …

一般的には、主語とそれに対応させる述語を近くにするべきです。

例文だと、「彼が寒がりだと私は思う」の方が近いと思います。
しかし、句読点を付けると前者でも良いのかなと。
「私は、彼が寒がりだと思う」
「私は”彼が寒がり”だと思う」
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