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山賊で検索しても観光旅行関連のページしか出てきません。
詳しい方に質問です。
昔は大名ですらも軍勢を連れなければ物見遊山お一つもできなかったそうですが、今は女性ひとりでも好きな場所を旅行できます。
日本国内限定だと山賊は一体いつごろまで生存していたんでしょうか?

A 回答 (6件)

>山賊で検索しても観光旅行関連のページしか出てきません。


詳しい方に質問です。
昔は大名ですらも軍勢を連れなければ物見遊山お一つもできなかったそうですが、今は女性ひとりでも好きな場所を旅行できます。
日本国内限定だと山賊は一体いつごろまで生存していたんでしょうか?

明治時代か大正時代ではないでしょうか。千葉県での話しですが、郵便局の特定郵便局長の家系の人間が、このようなことを言っていました。
郵便制度ができてしばらくの間、本局から離れた特定郵便局まで郵便物を運ぶとき、郵便局員はラッパとピストルを持ったそうです。郵便物の中に現金書留などがあり、途中の山道で襲われる危険があるからだそうです。下総台地の中の特定郵便局までは本局から12キロメートル程度。一番高い地点の標高にして40m程度の山道です。当時はうっそうと樹木があったと言うことですが、近代に入っても山賊(話した人間は山賊と言っていました)だか、追いはぎはいたということです。

以上、参考に。
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何か特別な裏づけとか史料を持ってるわけではありませんが、たぶん、山越えをするような長距離の移動を、ほとんど徒歩でしなくなった頃からじゃないでしょうか?



つまり、明治の陸蒸気にはじまる鉄道の整備と、乗り合い馬車などに始まるバスや車での移動・・・

鉄道網や道路網が整備されて、乗り物で移動するようになると、ほとんどの人は徒歩で山越えをしなくなるのでは?

そうなれば、数少ない、徒歩や自転車での移動の人が通りがかるまで、山で待っていなければなりませんし、ものスゴイ山奥なら、1年に一度だって通らないかも・・・。

そうなると、乗り物を止めて金品を奪う事になりますが、そのためには、山賊もそれなりの武装しなくてはいけません。
でも、旅人が現在所持している金品略奪が目的となると、武装をガッチリしたワリには、さほどの金額を稼げるとはとうてい思えないので、ハイリスク・ローリターン=「ワリに合わない」って事なのではないでしょうか?

ドロボー系の犯罪というのは、「ワリに合わなくなる」と、自然とすたれていくものでしょう。

そう考えると、今のハイジャックやバスジャック・・・あり得ないけど電車ジャックが、もし、金品目的なら、昔の山賊にあたるのでは?と思いますが、やっぱり今なら、ちょっと電話するだけで稼げる「オレオレ詐欺」のほうがワリに合うでしょうね。

もし、金品目的でハイジャックするなら、乗客を人質にとって、多大の身代金を請求しないと・・・いや、それでも捕まるな・・・きっと。

もちろん、どなたかがおっしゃってたように、個人レベルの山賊系の犯罪は今でもあります。
スリ、ひったくり・・・山奥じゃなくても出没します。
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>日本国内限定だと山賊は一体いつごろまで生存していたんでしょうか?



「山賊」の定義によって、回答は変わりますね。
山間部を根拠地とした野武士軍団だと、関ヶ原の戦いの頃まで存在しました。
(蜂須賀小六に代表されるような、○○党と呼ばれる集団)
山間部を根拠地として通行人から金品を略奪する集団だと、幕末まで存在しました。
(箱根裏街道を拠点とする、雲助画代表的な集団)
山間部及び暗闇に出没し通行人から金品を略奪する集団だと、昭和初期まで存在しました。
(一般的には、追い剥ぎと呼ばれていました)

余談ですが、明治初期まで「山嵩(さんが)」と呼ばれる集団がいました。
日本全国の山々を、自由に移動出来る権限を持った集団です。
(有史以来存在し、幕藩体制下でも権限を認められた)
豊臣秀吉も、百姓を止めて信長配下になるまでの期間、彼らと一緒に移動したとの記録があります。
明治政府の「戸籍制度」によって、定住化が強制され解散。
地方によっては、この集団と山賊とを混在している場合もあります。
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「山賊」とは言っても意味するところは幅があります。


たとえば、酒呑童子のような館を設けて、周囲を荒らしていた山賊もいたでしょう。
また末の方で考えれば、二、三人で旅人を襲う連中も、やられる方にとっては山賊でしょう。
後者のようなのは、現在でもいます。その意味では絶滅していません。
ただ「山賊」ではなく「犯罪者」と呼ばれるようになっています。

柳田國男の『妖怪談義』の中の「山姥奇聞」に以下のような文章があります。
「現実に山の奥には、昔も今もそのような者がいるのではないかということである。……」(講談社現代文庫版131p)
この文章は昭和初期に書かれました。ここで「そのような者」と書かれているのは山姥のことですが、
昭和初期までは、山の中には文明の及ばない場所があるということを
実感することができたという証拠になります。
山姥がいる(と思われる)くらいなら、山賊だっているでしょう。

現代と昭和初期で決定的に違うのは、自動車の存在です。
昭和30年代ぐらいまでは、個人で自動車を所有することは
金持ちの特権でありました。また道路も整備されておらず、
山を越える場合は徒歩で行く必要がありました。
しかし今は、徒歩で山を越える人はまずいません。
徒歩でなくてもよくなった時点で、文明や法治の及ばない場所は
日本から消滅し、恐怖の対象としての「山賊」もなくなったことと思われます。
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 幕藩体制が確立した江戸時代だと思います。

領内を自由に移動できないようでは藩の経営なんてとても出来ません。どの藩も自国の治安は必死に守ったと思います。守らなければ年貢も入ってきませんし、取りつぶしになってしまいます。
 ちなみ蜂須賀小六(秀吉の家臣)は山賊の頭領だったようです。
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 日本においては織田信長の領国では女性も一人旅できたほど治安が良かったそうです。

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