激凹みから立ち直る方法

明治時代の大商人について詳しく書かれた書籍を探しています。
お勧めの本があったら教えてください。

A 回答 (1件)

お求めのテーマに沿うかどうかは判りませんが、玉岡かおる著「お家はん」は如何でしょうか? あの有名な「鈴木商店」のお話です、但し、商人史と云うより商店の女主人の立場からの話ですので、ご承知おきを。


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大正から昭和の初め鈴木商店は日本一の年商を上げ、ヨーロッパで一番名の知れた巨大商社だった。扱う品は砂糖や小麦、樟脳、繊維からゴムなど工業原料、石油などエネルギー、鉄鋼から船舶にいたる重工業製品まで、何もかも。最後には関連会社50社、社員5000人を擁した巨船の頂点に座し、全責任を一身で受け止めたのは、鈴木よねという女性だった。
 よねは神戸の砂糖商店鈴木岩治郎へ嫁ぐが、主人が急逝、残された小さな店を番頭の金子直吉を中心に女だてらに存続させる。男でも難しい商売を、女の身でどうするのか。妻ではない、奥さんでもない、といってもちろん店員たちの将ではない。「家」。彼らが依るべき場所そのものであり、またそのため彼らが守るべきもの。具体的には動かず働かず、ただ軒の庇を彼らのために拡げてその容量の深さ大きさを用意してやる存在としてよねは店に心を配った。
 儲けることだけを考えたのではない。お国のために商売をするという考えで、日清戦争を機に商いを拡げ、台湾へ、そして遂にはロンドン、ニューヨークへ。米騒動による鈴木商店焼き討ち、そして世界大戦をも乗り越えたのは、番頭金子の大胆な商法もあったが、日々の営みをおろそかにせず、店員たちを見守るよねの存在が何より大きかった。彼女がその手で育て、守り抜いたものは一体何だったのだろうか?「名番頭が率いた戦争成金会社」と云われてきた鈴木商店を、女主人の視点から物語性豊かに描いた感動の大河小説。
 
お家さん(上・下)
玉岡かおる
2007年11月22日発売 新潮社
定価 上・下巻 各1,600円(税別)
各オンライン書店でも販売中。
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鈴木商店は以下ご参照

創業期
鈴木商店本社(1918年以前)
1874年、兵庫の弁天浜に川越藩の鈴木岩治郎が、当時番頭をしていた辰巳屋ののれんわけで鈴木商店を開業する。
1886年、のちに鈴木商店を支える金子直吉が鈴木商店に丁稚奉公に入る。順調に売上を伸ばし神戸八大貿易商の一つに数えられるようになる。しかし、1894年に鈴木岩治郎が死去。廃業の提案をよそに夫人の鈴木よねが金子直吉と柳田富士松の両番頭に委任し事業を継続する。その直後、金子は樟脳の取引で損失を出す。しかし、鈴木よねはそのままの体制で経営を続ける。
1899年、鈴木商店は、台湾樟脳油の販売権を獲得。
1902年、出資金50万円を以て合名会社鈴木商店へ組織変更(これまで個人商店だった)。
1905年、神戸製鋼所の前身の小林製鋼所を買収する。
以降、大正時代には、下記の会社を次々と買収。
1915年 播磨造船所、日本金属工業、南洋製糖他
1916年 帝国染料、日本セルロイド他
1917年 大田川水電、浪華倉庫、南朝鮮鉄道、信越電力他
1918年 日本冶金工業、旭石油、東洋マッチ、帝国樟脳他
1919年 帝国炭素、国際汽船他
1920年 帝人、新日本火災保険他
[編集] 絶頂期


米騒動により焼き討ちされた鈴木商店本店
1914年、第一次世界大戦が始まる。当時、戦争はすぐに終結し戦争被害による影響で物価が下がるというのが大方の見方であった。鈴木商店は海外電報を駆使して戦況を集め物価は高騰するとよみ、世界中で投機的な買い付けを行う。
鉄、小麦、船などについて日本を介さない三国間貿易を始めるなど(ちなみにこの三国間貿易を手がけたのが、当時ロンドン支店勤務だった高畑誠一である)、独創的な手法で売り上げが急拡大する。1919年~1920年の全盛時代、鈴木商店の売上げは、16億円(当時の新入社員の初任給が70円、また当時の日本のGNPの約一割)に達した。この額は三井物産や三菱商事を遥かに上回っていた。また、当時のスエズ運河を通過する船の一割は鈴木商店所有といわれた。また第一次世界大戦での塹壕の土嚢には鈴木商店のロゴ(菱形にSUZUKIの略記「SZK」)の入った小麦袋が大量に使われたという。この資金を提供していたのは台湾銀行であった。
1918年7月23日から始まった米騒動は、米を買い占めているというデマが原因で鈴木商店の焼き討ちに発展する。この時、金子直吉の首に10万円の賞金が掛けられたといわれている。
[編集] 転換期
第一次世界大戦後の反動で株価、工業製品価格、船舶運賃がのきなみ下落。株式を上場せずに銀行からの借り入れのみで運転資金をまかなっていた鈴木商店は大きな打撃を受ける。鈴木商店の資本金1億3000万円に対し借入金が10億円を超えていた。
1923年3月14日、持株会社制へ移行するため商号を合名会社鈴木商店から鈴木合名会社へ改め財閥本社とし、新たに株式会社鈴木商店を設立して全事業を分社化した。これはそもそも台湾銀行側が金子を鈴木合名会社の子会社となる商社部門(株式会社鈴木商店)に閉じこめ、その後目の届かないところで親会社(鈴木合名会社)傘下の不採算会社を整理しようと企んで提案したことであったが、金子が株式会社鈴木商店の専務取締役になると同時に鈴木合名会社の無限責任社員にもなってしまったため結局その企みは頓挫した。
1923年9月1日関東大震災が発生すると、政府は震災手形割引損失補償令を公布。これは震災前に銀行が割り引いた手形のうち決済不能になった損失を日本銀行が補填するというものであった。この制度成立には金子から政治家への働きかけがあったといわれている。鈴木商店と台湾銀行はこの制度を利用し損失の穴埋めを行う。政府も黙認の態度をとっていた。1926年末の震災手形の合計2億680万円のうち台湾銀行は1億4万円で48%を占め、その台湾銀行の手形のうち7割が鈴木商店のものであった。鈴木商店の震災手形の総額は現代の物価に換算すると438億3752万8千円という巨額であった。
[編集] 終焉期
1927年3月、当時の大蔵大臣・片岡直温の「とうとう東京渡辺銀行が破綻した」との失言(片岡の発言時点では東京渡辺銀行はまだ破綻していなかった)により東京渡辺銀行は実際に破綻、他行でも取り付け騒ぎが発生する。そんな中で同年3月27日、台湾銀行は鈴木商店への新規融資を打ち切りを通告。系列化していた鳥取発祥の第六十五銀行に鈴木商店を支える体力はなく資金調達が不能となり、4月5日、鈴木商店は事業停止・清算に追い込まれた。
その前日の4月4日に鈴木商店との絶縁を宣言した第六十五銀行であったが、鈴木商店倒産のあおりを受け4月8日から1か月あまりにわたり営業休止に追い込まれた。営業休止は台湾銀行の台湾以外の店舗にも波及した(詳細は昭和金融恐慌も参照のこと)。第六十五銀行は翌年1928年10月に神戸銀行(現在の三井住友銀行)の源流となる神戸岡崎銀行に営業譲渡のうえ清算された。
商社部門は1928年、金子の部下だった高畑誠一を中心に鈴木商店の子会社だった日本商業会社を日商と改め再出発を図る。また金子は、同じく鈴木商店の子会社だった太陽曹達を太陽産業(昭和24年解散。現在の太陽鉱工の前身)と改め持株会社とし、同社の相談役として鈴木家の再興を図った。一時は神戸製鋼所を系列に持つなどした。なお、この他の鈴木商店の関連会社の殆どは当時鈴木商店を目の敵にしていた三井財閥の系列に統合されていった。
[編集] 鈴木商店の流れを汲む会社
( )内は旧社名
神戸製鋼所
神鋼商事
神鋼環境ソリューション(神鋼パンテツク)
神鋼電機(帝国汽船鳥羽造船所→神戸製鋼所造船部電機製作所→播磨造船所を分離→神戸製鋼所鳥羽工場)
帝人(帝国人造絹糸)
ナブテスコ(帝人製機と神戸製鋼所系列のナブコが統合、合併)
ただし、ナブコも、日本エヤーブレーキとして設立された際の源流は、鈴木商店系列の「大日本エヤプレ戸キ」である。
帝三製薬(第三製薬)
サッポロビール(帝国麦酒)
J-オイルミルズ(豊年製油→ホーネンコーポレーション)
太平洋セメント(日本セメント)
IHI(帝国汽船播磨造船所→神戸製鋼所造船部→播磨造船所→石川島重工業と合併→石川島播磨重工業)
いすゞ自動車(石川島重工業自動車部門より発足)
太陽鉱工(太陽産業)
東邦金属
日本精化
昭和産業
昭和シェル石油(旭石油)
三井化学(現在三井系)(クロード式窒素工業→東洋高圧→三井東圧化学)
日本油脂(合同油脂グリセリン→日産化学工業と合併後分社)
ダイセル化学工業(大日本セルロイド)
富士フイルムホールディングス(現在三井系)(富士写真フイルム) 富士フイルム
日本化薬(日本火薬製造)
双日(日本商業→日商→日商岩井→ニチメンと合併 正確には系列ではなく後身)
日商液化ガス
日本精鉱
ニチリン
日本製粉(現在三井系)
三井製糖(現在三井系)(台湾製糖)
日本海運(日通系列、旧帝国汽船が旧石原産業系列の海運会社と合併。戦後、日通の子会社へ)
三井住友海上火災保険(新日本火災保険)を三井系の大正海上火災保険(現三井住友海上火災保険)が合併
大和生命保険(大正生命保険→旧あざみ生命保険に吸収合併)
サンデン交通(山陽電気軌道)
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この回答へのお礼

親切な回答ありがとうございました!
とても参考になりました。
薦めて頂いた本をさっそく読んでみようと思います。

お礼日時:2008/10/02 19:23

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