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教員による不祥事報道がよく見られます。
特に猥褻事件は、報道されるだけでも毎月20件前後あるようです。

以前、「教員が不祥事を起した時の周りの対応が理解できません。」
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4388669.html
というタイトルで質問をしたところ、何人か先生と思われる人から回答をいただきましたが、
教育委員会も含めて学校側は、教員の不祥事を予防するためにほとんど何もしていないことがわかりました(せいぜい文書や口頭で呼びかける程度)。
また、猥褻行為等の教員の不祥事が生徒や地域に与える影響についても、先生自身はほとんど何も考えておらず、
中には、教育的影響は存在しないかのごとく、警察の問題だと開き直る人もいましたが、たぶんこれは先生の本音なのかもしれません。

要するに、学校では教員の不祥事は野放しのようなのですが、
自衛の必要から、「先生を信用するな」と自分の子供に言い聞かせてる人も出てきているようです。
学校側が何も対策を講じない以上、これも当然だと思います。
大変残念なことなのですが、子供に「先生を信用するな」と教えるべきかどうか、意見を聞かせてください。

なお、上に揚げた別の質問でのやり取りも見ていただければ議論が深まるでしょう。

A 回答 (80件中21~30件)

失礼とは思いましたが、まだやりとりが続いているようですので少しお話しをさせていただきます。


時代遅れの年寄りの冷水だと思ってお聞きください。

親であるあなたがこの世で一番の先生です。
親の言葉の一つ一つが子供の心に刻まれてゆきます。
先生を信用するな(人を信用するな)という言葉が、いずれあなたに向けられるかもしれないのです。
私はそうあってはいけないと思います。
(おせっかいな心配かもしれませんが)

100%子供から信じてもらっていると言うお気持ちから生まれた言葉
なのでしょうが
逆に見れば、親である自分だけを信じなさい(信用しなさい)と取れなくも無いのです。

100%信用できる人がこの世にいるでしょうか
私は何%でもいいと思っています。
その何%かが大切なのではないでしょうか。
(何%かを見る眼もです)
どうか、人の良し悪しを簡単に決めつけずに、人の長所や短所を見る心を教えてあげて下さい。
人の良いところを見つけ、信じる心も教えてあげて下さい。

こんな言葉ではいかがでしょうか

どんな人にもいいところがあるんだよ
いいところも見てあげるんだよ

人の悪いところは真似しちゃだめだよ
自分も悪いところは直すんだよ

いまさら言われなくてもと思われる言葉ばかりですね。

正直な感想を言えば、振り返ってみて
どうにもならないひどい先生も確かにいました。
今はもう憎しみもありませんが、やはり先生が間違っていたと思わざるを得ない事もたしかにありました。
それでも
人を信じるということは大切だと思うのです。
世の中全ての人が悪いのでもなく、悪いところばかりでもないと思うからです。

余談になりますが
私はその先生と何十年かぶりに会ったことがありました。
偶然でしたが、落ち着いて自然に話しができたのには不思議な感じがしました。
先生も私も変わったのかもしれません。
変わったのかも、ではなく変わったのです。
人は変わっていきます、良くも悪くもでしょうか
この頃は、年をとったせいか、いろんな人への憎しみや妬みといった気持ちが薄らいできたような気がします。
心のどこかで人のいいところを見たい、見つけたいという気持ちが働いているのかもしれません。

少し余計なことまで言いすぎました。
私がお話したいのはこれで全部です。
お子さんを大切になさってください。
失礼いたします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

前回の回答にお礼をしておきました。
くり返しになりますので、そちらをご覧ください。

お礼日時:2009/02/11 22:41

メール禁止でない学校でも、「元気?」とか「今日ママが○○買ってきた」とかのメールの内容をいちいち他の教員に紹介するゆとりはありません。


誰と誰からメールが来ているかだけでも、何か事件が無ければ報告できない忙しさです。
そして、メール禁止の学校なら、そういうやりとりは「やめる」か「隠す」のでしょう。

ご指摘のように、生徒の側が恋愛感情を抱いたとして、それがリスクのある行動につながりやすいのを教えるのは教員の仕事だと思います。
それを先回りして、生徒に好かれないスタンスを貫こうとする教員も必ず一定の割合で存在します。

ですから、「私的な関係」をコントロールするべき、という主張は、決して教育関係者の総意とは言いかねるのですが、個人的には、それなしでは、権威に反発して伝統的な指導が逆効果になっているようなケースで、対応の方法はないと考えています。
けれども、そうした指導は、質問者さんのご意見以前に、すでにかなりやりにくくなっています。

教員も保護者も一枚岩ではなく、メディアの過剰報道も意図的です。
そういう状況の中で、教員不信が育ってしまうのは、ある意味当然とは思います。
とはいえ、それが子どもにとって不幸なことであることは、ご理解いただきたいと思っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>メール禁止でない学校でも、「元気?」とか「今日ママが○○買ってきた」・・・

これは隠さないといけないような内容のメールではありませんよね?
それに、みんなが、あるいは上司等の第三者がメールを見れる状態にしておけば、報告の手間はありません。

>ご指摘のように、生徒の側が恋愛感情を抱いたとして、・・・

いつものことながら、なぜこんな風に話が飛躍するのが理解に苦しみます。
校内でメールの管理体制を作るだけなのに、権威や伝統、メディアの報道姿勢まで変えなければいけないなんてことはありません。
話を飛躍させる前に、身の回りでできることを考えましょう。

それから、あなたが以前、例として挙げた、“朝食実践”は教師と生徒のオープンな関係があったからこそ出来たということでいいですか?

お礼日時:2009/02/08 13:06

NO.60です。


イタズラについて
良く言えば、子供も先生も健康的だったのかなとも思います。
少しぐらいのイタズラは咎められる事もありませんでした。
ユーモラスな先生とのやりとりも沢山あったように思います。
でも中には、ひどい体罰を受けて強い憎しみをもって、仕返しのように
やった暗いイタズラもあったのです。
中学生後半から高校生時代になると、もうケンカ状態に近くなってしまう事もありました。(私ではないですが)
今だったら大変な騒ぎでしょうが、あ-また始まったな、ぐらいの感じ
で見ていたものです。
猥褻行為に対しての仕返し?
これも女生徒が騒いでいた事がありましたが、一部の度の過ぎた事を除いては、明るい話題?だったように思います(当事者が仕返しをしたかどうかはちっと不明ですが・・・)

とにかく体罰も日常茶飯事、イタズラも日常茶飯事でした。
まあ先生とじゃれあっていたというか、そういう事をやりやすい仲の先生がいたものです。
前に言ったように、不思議とイタズラをできない先生もいましたが・・・

「知らない人に着いていっちゃだめよ」は正解です。
校長や教頭先生に話しを聞いてみると、実際に不審者の数が多いのには驚かされました。
広い区域で見ると殆ど毎日のようにそのような不審者が現れている、というのです。
これには先生方も相当神経を使っているようです。
言うまでも無く、子供達の安全を守るためにも、それはぜひ教えておくべきだと思います。

学校で不審者対策の訓練をやっているのを見て、少し悲しい感じがしました。
こんな時代になぜなってしまったのかな、という感じです。
学校はいつも明るいところ、子供達も先生もです。
そうあってほしいですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

失礼かもしれませんが、漠然としていて言いたいことがいまいちつかめませんでした。
以前の回答で、学校教育の実情についてよくわからない、と仰っていましたが、教育関係の新聞報道などを注意して読んでみるだけでも、少しずつわかるようになると思いますよ。

お礼日時:2009/02/11 22:39

NO.58です。


お恥ずかしいながら現在の学校教育の現場での実情については、私はよく分からないというのが本当のところです。
この前申し上げた事は、私自身の体験の一端をお話したのにすぎません。
昔、私らがやっていたイタズラなどは現在はもう殆どない無いと思われます(残念ながら)

私は仕事柄、地元の小学校や中学校や高校へ長年にわたり時々行っております。
外からですが、先生方や子供達の姿を見たり、時々話しもしたりしています。
学校の管理職の先生方とお話をする機会が一番多いのですが、この頃のお話しの中で気になる点が幾つかあります。
 学校外での不審者(痴漢の類)の多さ
 登校拒否の子供への対応
 給食費の滞納や立替の事
 若輩の先生への指導
 父兄との対応
 限られた予算や一般からの寄付の活用・・・等 
さすがに、学校内でのいじめや先生方同士のお付き合いについてはお話しずらいのでしょうか、それとなく感じ取るものはありますが、殆ど話題になりません。
 
子供達とは挨拶程度の話ししかしませんが、昔から比べたら今の子供達は随分と程度が良くなっていると思います。
きちんと挨拶のできる子が多いです。
子供の方から挨拶をされると気持ちのいいものです。
私らの頃は貧しかった事もあり、荒れた性格やひねくれた子もいたのです。(わたしも・・・?)
今の子供達はいろいろな面で恵まれているとも思います。

先生もきちんと挨拶のできる人は、なんとなく信頼のおける感じがするものです。
そのような先生方を昔よりも多く見かけるような気がします。
昔のように強烈な個性をもった先生はいなくなりました。
子供達もそうです。
それで良いのでしょうが・・・少しさみしい気もします。

私は時代は変わっても、子供達の純粋な眼は変わらない気がします。
学校の先生に限らず、沢山の人達を純粋な眼でいつも見ていると思います。
人の親として大変ご心配とは思いますが「先生を信用するな」と教える事は「人を信用するな」と教えるのと同じです。
どうか、お子さんの純粋な眼も信じて、良い先生を信じるように教えてあげて下さい。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。

>昔、私らがやっていたイタズラなどは現在はもう殆どない無いと思われます(残念ながら)

やはり当時の子供たちは、教師の体罰や猥褻行為の仕返しとしてあのようなイタズラをしていたのでしょうか?
私はそういう風には思えないのですが。

>人の親として大変ご心配とは思いますが「先生を信用するな」と教える事は「人を信用するな」と教えるのと同じです。

親は子供に「知らない人に着いていっちゃだめよ」などとよく言いますが、そういうのもやめるべきとお考えなのでしょうか?

お礼日時:2009/02/01 19:07

>現状は野放し状態です。



これは現場の実感とは異なります。

近年、各地の学校現場では、校長・教頭以外の管理職をどんどん増やしてきました。
パワハラ・セクハラの温床になる恣意的な人事管理システムも全国的に強化されてきています。

さらに、今後は10年ごとに、免許の更新のために学校現場をよく知らない大学教授の講義を受け、テストに合格しないと失職するという制度になりました。

管理強化が良いというお立場なら、常識の範囲を大きく踏み込んでその方向に進んでしまったと言っても過言ではないと思います。

>教員同士では情報交換するべきだと思います。

その通りです。

>例えば、「誰にも言わないで」と言われても生徒が犯罪に巻き込まれそうな事例なら相談するでしょう?

これも言うまでもないことです。


>絶対秘密にしなければならないほど重大で

ここには誤解があると思います。
生徒が守秘を明言しようが、そうでなかろうが、客観的に重大でない場合は、指導上どのようにふるまうのか(誰とどのように情報を共有化するか)考える余地があるということです。
「秘密だから重大」とは必ずしも言えないのです。

教員にもよりますが、複数の生徒が、日常的に私的な情報を持ち込むことは普通です。
秘密にする必要のない内容でも、それを全部他の職員に報告することはありませんし、どの生徒とどのような頻度で私的な会話をしているかということも詳細に報告するゆとりはないと思います。

それがメールであっても、よほど重大なもの以外は他の職員と情報を交換する時間的・精神的なゆとりがない場合が多いでしょう。
「メールはダメ」という内規があると、「とても全部は報告できないから全面禁止」という自主規制をした方が当座は楽です。

しかし、生徒と教職員に公的な関係しかないと、何か重大事件があったとき、裏情報が入って来ないので、苦労します。
苦労で済めばよいのですが、全国的には、生死に関わる事件が何件も発生していますから、そのような場面では大変困るはずです。

こうしたことに代表されるように、生徒と教員の私的なつながりは「両刃の剣」ということです。

朝食実践の話を出したのは、「私的」のライン引きは微妙であると言いたかったわけです。
当時はメールも携帯もない時代でしたが、「1対1の私的な関係」が複数ないと、このような実践はあり得なかったと考えています。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。

>>現状は野放し状態です。
>これは現場の実感とは異なります。

人事管理と免許の更新だけで、教員の不祥事を予防する対策特に取られていないことがよくわかりました。
やはり野放し状態ですね。

>ここには誤解があると思います。

繰り返しで恐縮ですが、具体例を挙げて説明してみてください。

>朝食実践の話を出したのは、「私的」のライン引きは微妙であると言いたかったわけです。
>当時はメールも携帯もない時代でしたが、「1対1の私的な関係」が複数ないと、このような実践はあり得なかったと考えています。

メールのある現代に、この“朝食実践”を行うとしたら生徒と教師のメールを隠さないといけないということですか?
そんなことないと思いますが。

お礼日時:2009/02/01 18:59

学校の問題からは少し離れた者なのですが、年寄りの意見という事でお聞き下さい。


先生を信用するな、とは驚きました。
時代も変わったものです。
私が子供の頃は体罰などは日常茶飯事で当たり前のことでした。
猥褻行為などもけっこうありました。
まあ憎しみもありましたし、いつもゴタゴタしていたように思います。
ただ、今と違うのは先生にやられっぱなしではなかった事です。
ストレス解消というか、とにかくやり返せる事は何でもやったのです。
黒板消しをドアに挟んだり、授業前に黒板いっぱいに落書きをしたりとか、チョークを残らず捨ててしまうとか・・・
ささやかな抵抗というやつでしょうか。
そんな中でどうしてもいたずらを出来ない先生がいました。
格別厳しくて怖いわけでもなく、かっこいいわけでもない
いなくなると悪口は言いましたが、いたずらをする気になれない
悪ガキどもが丸くなってしまうのです。

年をとってからようやくその訳がわかってきました。
結局その先生は優しかったのです。
まず叱らない、叱ってもまじめに叱る、優しく叱る
いつも熱心におしえて、ふざけたところが無い
素晴らしい先生とは思わなかったのですが、いつも授業は誰も真面目に聞いていました。
優しい心と真面目さが自然と子供達に伝わっていたのだと思います。
深い優しさには誰もかなわないですね。

今の子供達だって先生をよく見ていると思います。
先生を信じるな、ではなく
先生をよく見て信じなさい、でいいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>黒板消しをドアに挟んだり、授業前に黒板いっぱいに落書きをしたり…

教員の体罰や猥褻行為への抵抗として、子供がこういうイタズラをやっているとお考えですか?

お礼日時:2009/01/31 14:06

教育が定型業務でなく、高度に複雑な営みであることを申し上げたいと思います。



しかし、教員自身も「ルール」を決めてそれに従った指導「だけ」やりたがる人は少なくありません。

複雑な条件を詳細に判断して、かなり細分化されたマニュアルよりもずっと細かい分岐でどう指導するかを決定するのは、それ自体が大変な作業です。
その上、失敗の責任を自分一人で請け負わなければならないとなれば(近年その傾向は強まっています)それよりマニュアルの奴隷となり、「決められた通りにやったから、結果がダメなのは知らないよ」と言い訳することを選びたいという誘惑が大きいのも当然です。

>メールも管理のやり方があるんじゃないでしょうか。私的メールではなく、他の教員も見れるような形にするとか。

行政の発想は基本的にこの方向です。
質問者さんは、それだけでは不十分というようなご意見であろうと読みました。

「ガイドライン」として何が指導上の留意点として大切かを考えるたたき台を示すのは必要と思います。
しかし、罰則付きルールをあまり細かく決めてしまうと、指導の手段を狭めてしまう危険があります。

教員には、警察のような役割を発揮しなければならない場面も、医者やカウンセラーとしての役割を発揮しなければならない場面もたいていあるものです。
「誰にも言わないでください」と1対1で相談を受ける教員も決して珍しいわけではありません。
そういう場面で、私的な面会はルール違反だからと相談内容を指導者集団に流してよいかどうかは意見が分かれると思います。

「特定の児童、生徒を特別扱いしていないか」というルールは、「同じ条件で同じ扱い」という意味なら当然の法則ですが、条件の異なる子どもに異なる指導を行ったとき、それを「特別扱い」と見る大人はゼロではなく、その中に教員も教育委員会も含まれる可能性が多々あります。

例えば、家庭が崩壊していて、朝食を食べることができなかった「不良少年」がいました。
彼にクラスメイトが交替で朝食を届けるという教育実践が過去にありました。
その少年の更生が、朝食作戦によるものかどうか論評できるだけの資料を持ち合わせていませんが、その可能性はあるし、マニュアル主義からはこのような指導方法が生まれないということは断言できます。

同時に重要なことは、不祥事根絶のためにも、管理一本槍のシステムは見直した方が良い、ということです。
不祥事イコール心の病気ではありませんが、心の病気の増加の大きな要因として、政治が持ち込んだ、不毛な管理システムがあることは現場の実感と言ってよいと思います。

また、組織的犯罪の全てが、組織全員の総意で行われるのではありません。
学校教育の現場で言えば、管理職にどんどん権力を集中してきているので、自浄能力が低下しているということも併せて言及しておきたいと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

前回の「お礼」で“煙に巻かれたよう”と申しましたが、今回その煙幕がさらに濃くなったような感じがします。
お題目や抽象的な話しが多すぎるので、なるべく実際に起こった、あるいは起こる可能性のあるケースを基に話しをした方がよいのではないでしょうか。
大筋においては、管理の弊害を説いているのだと思いますが、質問文にも書いたように現状は野放し状態です。
それなのに、“マニュアルの奴隷”とか“管理一本槍”と言いだしても、まるで栄養失調の人にコレステロールの弊害を説明するようなもので、大きな違和感があります。

>質問者さんは、それだけでは不十分というようなご意見であろうと読みました。

メールだけを管理しても不十分かもしれませんが、「だから何もしないでいい」、ということにはならないでしょう。

>「誰にも言わないでください」と1対1で相談を受ける教員も決して珍しいわけではありません。

教員は職務上のことで生徒に話せないことは多々あると思いますが、教員同士では情報交換するべきだと思います。そうでないと組織で仕事してる意味がないでしょう。例えば、「誰にも言わないで」と言われても生徒が犯罪に巻き込まれそうな事例なら相談するでしょう?そうじゃなきゃ困ります。
それでも、内密にするべき相談があったら、そのときは「内密にするべき相談があった」ということを報告して、万が一、不祥事が起こったときは後で追跡できるようにしておけばよいのではないでしょうか。
具体例を仰らないのでよくわかりませんが、絶対秘密にしなければならないほど重大で、しかも教員一人で解決できるような相談なんて、そもそもそんなにないでしょう。

>例えば、家庭が崩壊していて、朝食を食べることができなかった「不良少年」がいました。・・・

これは、教員の不祥事予防とは関係ないですね。
教師と生徒間の私的メールを管理すると、この教育実践が不可能になるわけじゃないでしょう。

お礼日時:2009/01/28 21:56

あのー、みなさん


この質問者って、結局のところ他者とのコミュニケーションの中ですり合わせを行う意思がないまま、自分の欲求を満たすためだけの「大好きな議論」を続けているだけでしょ。議論になってないけど。
典型的な困ったちゃんでしょ、リアル世界でも。

何か過去にあったようですが、それを善意の第三者に押しつけられてもねえ。
アスペルガーなうえにボーダーがかかって、あとひとつふたつ入っているのは、専門家なら文脈の追い方、自己評価の脆弱性、他者への攻撃性などなど手がかりありすぎで、かーんたんにわかりますよね。

こたえ1:親は子供に「先生を信用するな」と教えるべきではない
こたえ2:親は子供に「先生を信用するな」と教えるべきか?と尋ねるような大人は人格的に信用できない

以上 あとは放置ね>ALL
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この回答へのお礼

質問文に沿った回答をいただければと思います。

お礼日時:2009/01/26 22:02

大切なのは先生の中に不祥事を起こした人がいること、被害を受けた子がいるということを教えてあげることだと思います。



その上で、先生といえども二人っきりは避ける、何かあったらすぐに言いなさいなどの教育をしてあげればよいのです。
(信用できない人と信用しきってはいけない人では大きな違いです。)

また、保護者面談や家庭訪問で、そのようなニュースを見て心配していることや学校での対策の必要性を先生に伝えればよいと思います。
(まともな先生なら苦笑されるでしょう。先生も組織の人間なので教 育委員会に働きかけるまでの危険な行動は取れないと思うので期待 はしないでください。)
親子で何でも話し合う関係だとそれとなくアピールすることも、もし先生が危険人物だった場合の抑止力となるでしょう。

「先生を信用するな」と猜疑心を植えつける教育はやめて、知らない人についていかないの延長線上で対応をするのがいいと思います。(特定の思想教育をしてくる先生なら話は別です。)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「先生を信用するな」とだけ言うのではなく、○○の場合は○○するように、という具体的にアドバイスする、という意見はこれまでもあり、
私もその方がよいと考えていますが、貴殿の意見も大筋はこの意見に沿ったものだと思います。

>「先生を信用するな」と猜疑心を植えつける教育はやめて、知らない人についていかないの延長線上で対応をするのがいいと思います。

普通、保護者は子供に「先生の言うことを聞きなさい」とは言いますが、「その辺の知らない人の言うことをききなさい」とは言いませんから、先生は“その辺の知らない人”の延長線上というわけにはいかないでしょう。
特別な対応が必要だと思います。

お礼日時:2009/01/26 22:01

補足欄は自動的にメール送信されないようで、拝見するのが遅くなり失礼しました。



以下は個人的感想であることをお断り申し上げておきます。

>同じ学校であるいは同じ地域の学校で不祥事が起こったとき、どのような感想を持つのでしょうか?
>“行政や教育委員会が悪い…”などと思うのでしょうか?

生徒や保護者の信頼を裏切り、学校不信の火種をつくるような行為に寛容な教員はいないと思います。
発覚した不祥事には、徹底的に事実関係の究明を管理職に求め、被害者のプライバシーに配慮しつつ情報公開していくことを求めるのは当然です。

しかし、不祥事を起こしていない教員同士が、お互いを「これから不祥事を起こすかもしれない」という目で見るということは通常あり得ないことです。

不祥事根絶のガイドラインを示すこと自体は必要なことかもしれません。

ただ、何事にも例外はあります。
異性の生徒への身体接触は通常は小学校高学年以上で避けるものですが、生徒から抱きついてきた場合に、はっきり拒絶するのが一番というわけではありません。
誤解を避けるには、逃げるべきなのですが、複雑な事情のある生徒に対して、親密さを損なわない程度にソフトに距離をとることを優先させる考え方もあると思います。

メールのやりとりも、それでなくては指導が通らない場面がゼロとは断言できないのです。
「恋愛関係に発展する可能性があるから禁止」は単純なルールです。
当然その配慮は厳しく求められます。
「私的」の線引きがあいまいだから、全部やめておけば無難という考え方もあり、それは少数派ではないでしょう。

生徒は個別に様々な課題を抱えていて、特定の生徒に多くの時間を割いて指導することは常識ですが、それを「特別扱い」と言われるのはつらいはずです。

困難な条件下では、裏技も駆使して指導を展開しなければ、大きな事件の解決の見通しが立たないという事例はあると思います。
むしろ、指導力のある教員であり、誠実な教員であるからこそ、すべての方法を選択肢として検討しつくして、何とか指導の見通しを立てるのだと言えるでしょう。

これらは厳格にルール化することは困難と思っています。
ルール化することで事なかれ主義に陥り、指導が萎縮して、その結果子どもが荒れるという事例は、過去様々な地域で発生しています。

不祥事が起こったとき、現場の教員はそれでいいとは思っていません。
昔なら、職員室で話題になり、その中でセクハラの基準やら指導の具体的な留意点について自主的な話し合いにもなったと思います。

そのような職場の条件が多忙化によって奪われる中で、「教員の努力が先」というこだわりはかえって子どものためにならないでしょう。
また、全体的な増加傾向の背景にあるものに目を向けない限り、個人の努力では歯止めは難しいと申し上げたかったわけです。
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この回答へのお礼

再度回答ありがとうございます。

>生徒や保護者の信頼を裏切り、学校不信の火種をつくるような行為に寛容・・・

発覚した不祥事の記事を読むと組織全体が事実関係の究明ではなく、隠蔽の方向で動いているケースが多いのですね。

>メールのやりとりも、それでなくては指導が通らない場面がゼロとは断言できないのです。

生徒との私的メールを禁止していると、回答していた先生もいました。最後でズッコてしまいましたが。
具体的なケースがないと話にくいのですが、メールも管理のやり方があるんじゃないでしょうか。私的メールではなく、他の教員も見れるような形にするとか。

後半の部分で、特別扱い、困難な条件下、裏技・・・等々ありますが、具体的に何を指しているのかよく判らないので、煙に巻かれた感じがします。
その後で、ルール化が困難、個人の努力では難しいという結論に飛躍してしまうので残念です。

お礼日時:2009/01/26 21:48

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