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教員による不祥事報道がよく見られます。
特に猥褻事件は、報道されるだけでも毎月20件前後あるようです。

以前、「教員が不祥事を起した時の周りの対応が理解できません。」
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4388669.html
というタイトルで質問をしたところ、何人か先生と思われる人から回答をいただきましたが、
教育委員会も含めて学校側は、教員の不祥事を予防するためにほとんど何もしていないことがわかりました(せいぜい文書や口頭で呼びかける程度)。
また、猥褻行為等の教員の不祥事が生徒や地域に与える影響についても、先生自身はほとんど何も考えておらず、
中には、教育的影響は存在しないかのごとく、警察の問題だと開き直る人もいましたが、たぶんこれは先生の本音なのかもしれません。

要するに、学校では教員の不祥事は野放しのようなのですが、
自衛の必要から、「先生を信用するな」と自分の子供に言い聞かせてる人も出てきているようです。
学校側が何も対策を講じない以上、これも当然だと思います。
大変残念なことなのですが、子供に「先生を信用するな」と教えるべきかどうか、意見を聞かせてください。

なお、上に揚げた別の質問でのやり取りも見ていただければ議論が深まるでしょう。

A 回答 (80件中61~70件)

あえてレスを読まずに書きます。


言えばいいんじゃないですか?「先生を信用するな」って。

あなたのお子さんの人生に関して最終的に責任を持つのは、あなたとお子さん自身です。
そう教えることでどんな子供が育つのか、よく検討してください。
その結果予想される成長後の姿があなたの理想通りであればぜひそう教えてください。


ところであなたは、中学生が犯罪を犯せば「最近の中学生って怖いのね」
政治家が犯罪を犯せば「政治家なんて信用できない」
統合失調症患者が犯罪を犯せば「精神病患者って怖いのね」
ってコメントをするタイプでしょう?
ある意味楽な生き方ですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
レスを読まずにとのことですが、質問文は読んだのですよね?

>>あなたのお子さんの人生に関して最終的に責任を持つのは、あなたとお子さん自身です。
やはり自分の身を守ることは教えるべきだと意見ですね?

そのあとに、中学生や政治家などことをお話のようですが、ここでのテーマではありませんのでコメントは控えさせていただきます。

お礼日時:2008/12/30 22:48

中学校教員です。



>子供に「先生を信用するな」と教えるべきかどうか

教えるべきではありません。
あまりにもオールマイティな言葉なので、いくらでも子供が悪用できます。あなたの子供が悪用しなくても、周りの子供が悪用することだってあり得ます。

教員の生活面での不祥事(特にわいせつ事件?)について問題にされているようですが、「先生を信用するな」では授業でも委員会でも部活動でも全てに於いて、自分に面白くない事柄に「いや、うちの親は先生を信用するなと言っているんで、それは信用できません」と言えてしまいます。

すでにあるように、
・(特に異性の)生徒と二人きりになることを避ける
 教育相談や生徒指導などで二人きりになる必要がある場合は、大声が誰かに聞こえる範囲の場所にする。
・メールのやりとりをしない
・身に危険が迫ったときには蹴り飛ばしてでも逃げる
という、自分の身を守るための具体的な方策を子どもと一緒に考えて行くべきでしょう。

学校での取り組みが見えないと言うことですが、取り組みをあえてアピールすることはありませんからね。

たとえば、私の勤務校では生徒とのメールは禁止です。特例として、不登校の生徒との連絡手段がそれしかない場合には認められていました(家庭訪問しても部屋から出てこないので、それ以外のコミュニケーション手段が存在しなかった)。

また、教育相談や生徒指導で二人きりになる場合は、誰と何処で話をしているかを管理職や他の教員に告げるのが原則です。
前任校では、異性の生徒と二人きりになる場合は、戸を開け放すか、窓越しに廊下から見える場所で行うというルールがありました。
これらは、生徒の身を守るためだけではなく、教員の身を守るためにも必要です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>あまりにもオールマイティな言葉なので、いくらでも子供が悪用できます。
信用するな、と言うだけでは子供もどうしてよいかわからないので具体的なアドバイスをした方がよいとの指摘はこれまでもありました。

>学校での取り組みが見えないと言うことですが、取り組みをあえてアピールすることはありませんからね。
不祥事が起こったときの謝罪会見等で、“今後指導を徹底していきたい”と述べるなどのアピールをしているようです。
実際は、口頭で指導があるとか、紙で訓示がある程度との報告がこれまでの回答にはありました。
なかなか具体的な予防策まで踏み込んでいないのが現実のようです。

>たとえば、私の勤務校では生徒とのメールは禁止です。
>また、教育相談や生徒指導で二人きりになる場合は、誰と何処で話をしているかを管理職や他の教員に告げるのが原則です。

私は具体策が必要だと思っていますが、残念ながらこのような具体策を聞いたのは初めてで、感心いたしました。
口頭で注意したり書類を回覧するだけでは不十分なので、教員自らが予防策を講じていくという姿勢が、どの学校でも当たり前にならなければいけないと思います。
いずれにしろ貴重な報告ありがとうございました。

お礼日時:2008/12/30 22:42

過去の質問・回答にもざっと目を通させて頂きましたが、katsutukiさんの教員に対する不信感はかなり強いものだと感じました。


そこまで不信を抱いておられるのならば、「先生を信用するな」とおっしゃらてもよろしいのではないでしょうか。
ただその場合、言い方はよく考えねばならないと思います。
今の世の中、信用できないのは教員だけではありません。
犯した罪に比例する裁きを受けない人間は大勢います。
「他人を信用するな」ならばともかく、「先生を信用するな」では、「教員」という特定の者だけに言及しているため、お子様がまっとうに成長した場合、いつか必ず疑問を持つでしょう。
katsutukiさんが真に日本の教育界の不正に対し怒りを覚えておられたとしても、広い目で世の中を見た上での言葉でなければ、それは単なる教員蔑視でしかありません。
>なお、上に揚げた別の質問でのやり取りも見ていただければ議論が深まるでしょう。
この言葉がなぜ削除対象となってしまわないのか疑問ですが、
>意見を聞かせてください。
としておられるのに、他の方からの回答に対し「たわけた」「身勝手な」という言葉で返答される姿勢も甚だ疑問です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>ただその場合、言い方はよく考えねばならないと思います。
過去の質問・回答も読んだとのことなのでご存知とは思いますが、より具体的に言った方がよい、との意見もありました。
どのような言い方がよいか貴殿の考えがありましたらお教えください。


>今の世の中、信用できないのは教員だけではありません。
子供は、先生を信用しなさい、などと教えられるのが普通ですから、子供たちにとって今の世の中の他の人たちと教員は同じではありませんね。

>犯した罪に比例する裁きを受けない人間は大勢います。
子供に「先生を信用するな」と教えることは裁きをすることだとお考えですか?それは大変な誤解です。
これは子供自身を守るためです。裁きをするためではありません。

>この言葉がなぜ削除対象となってしまわないのか疑問ですが、
どこが悪いのかよくわかりません。

>他の方からの回答に対し「たわけた」「身勝手な」という言葉で返答される姿勢も甚だ疑問です。
回答していただいた方々には、まず最初にお礼を述べるよう心がけています。
しかし、内容についてはなるべくわかりやすく伝わるように書いています。
とは言え、「たわけた」という言葉については他にも表現方法があったかもしれないと再考しています。
「身勝手な」は単なる描写です。「自己中心的な」と言い換えてもよいですが、好みの問題でしょう。

お礼日時:2008/12/28 01:13

>不祥事を犯した教員の処分は、自治体によって、あるいは、ケースによってバラバラというのが現実ではないですか?



教員を雇っているのは、多くの場合、地方自治体です。
不祥事に対する処分もそうですが、給料・勤務時間など、「働かせ方」は自治体ごとに差があります。
そして、不祥事の内容ごとに処分内容も変化させているということも事実ですから、その意味では、「バラバラ」という言い方も決して間違いではないでしょう。

しかし、世論に押されて、全国的に処分規定を見直し、厳罰化に向かっているという点では足並みが揃っていると言えるでしょう。
個人的には、厳罰化が不祥事根絶の切り札にはならないという考えです。
そして、全国的にどんな不祥事でも同一の厳しい処分を科すというご意見をお持ちでしたら、それは、現場を混乱させ、教員の事なかれ主義をますます加速させるということをお考えいただきたいと思います。

>どのように採用試験を明朗化すれば、新規採用の教員が5年後10年後に犯すかもしれない不祥事を予防できるのかお教えください。

学校教育の内情にあまり精通されていないと勝手に推測し、一番わかりやすい「採用」の問題を強調しましたが、もちろん、理想的に採用試験を運用すれば未来がバラ色などという単純なものではありません。

そもそも、教育委員会が自治体の首長が任命するという現在のシステム自体が、様々な問題を含んでいます。
大分の問題に代表される恣意的な採用制度の運用の背景には、少なからず、「行政に批判的な教員を採用しないためには、裏で工作しても良い」とする考え方があるのだと思います。
人格的に優秀で、子どものことを真剣に考えるからこそ、教育行政の問題点に気づくというケースが多いのです。
行政は、そうならないように、血縁で批判を封じ込めることができたり、自己判断力がなく従順な者をあえて採用するという傾向が見られる地域が少なくないのです。

採用の時点で、基礎的な学力を持ち、使命感にあふれる人物を選び、さらに、その使命感に応えて、子どもをどう指導するのが子どものためになるのかという視点で研修を行うことが、不祥事根絶のためにも、学校の教育力向上のためにも必要なことだと考えています。
これは個人的な考えではなくて、多くの教職員団体に共通するスタンスです。

具体策は様々と思いますが、まず第一に、問題・回答・面接内容・採点基準を公開することからスタートしなければならない地域が多いと思います。
管理職試験についても同様に透明性を高めるべきでしょう。

今、学校現場は、「子どものための教育」より「行政のための仕事」を優先させられているということをご理解いただきたいのです。
「教育委員会や管理職の言うことを聞かないとダメ教員と認定してクビにするぞ」という暗黙の脅迫で、教育上問題の多い仕事であっても、なかなか断れない状況が広がっています。

行政は「教員がスーパーマンなら教育問題はなくなる」という発想です。
マスメディアも、「教員は信用ならない」という声が大きく、「どのように大人同士が協力するか」という見方を失っている報道が少なくありません。

学校の外にいる方々にとって、教育行政と教職員をひとくくりにしてとらえる感覚は無理もないのでしょう。
信頼を回復するために、行政や教職員が取り組む課題もたくさんあるということは同感です。
しかし、そういう中で、「学校に不満があるうちは敵対し続ける」という保護者が増えるようでは、事態の改善は難しいとも感じています。

対策の5項目のうち3項目が保護者の行動指針であるのは、質問のタイトルが「親は」となっていたためで、他意はありません。
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この回答へのお礼

再度回答ありがとうございます。

>しかし、世論に押されて、全国的に処分規定を見直し、厳罰化に向かっているという点では足並みが揃っていると言えるでしょう。

どこだか忘れましたが、懲戒免職にした教員の実名を発表することにしたのに、
すぐ匿名発表に戻した県がありましたから、足並みもバラバラじゃないでしょうか?
たしか千葉県で、“被害者から氏名を公表しないでくれと言われたから”教員の不祥事を匿名で発表したところ、
その被害者から“そんなことは言っていない”とクレームがついたというみっともない例もありましたが、
結局、“足並み”とは文科省の掛け声だけで、自治体や現場レベルではあくまで隠したい、というのが実態に近いのではないでしょうか。


>個人的には、厳罰化が不祥事根絶の切り札にはならないという考えです。

教員の不祥事が少しでも減るならやるべきです。バラ色の切り札やスーパーマンじゃなくてもよいのです。

あと他にも、教員採用のこととか行政の問題など、長々と書いていただきましたが、教員の不祥事とは関係が薄いと思いますね。
念のために言っておきますが、
“うちの娘が猥褻事件に会うかもしれないけど、行政や採用試験が改善されるまで待とう”と思う親はいません。
こういうたわけたことを考えている先生は多いのかもしれませんが、よけいに不信感が広がるだけです。
現在の行政あるいは採用試験を改善しなくても、現場の教員ができる不祥事予防対策はありますので、そういうことを考えてみましょう。
現場でできる予防対策を教員自身がまずやってみてから、保護者に協力を求めるのがスジです。

あなたの言うように、“バラ色にならないなら何もしない、でも原因は採用試験と行政だから、保護者は協力してください”
と本気で考えている先生も結構多いようですが、こういう身勝手な人たちには反感を覚えるのが普通です。

お礼日時:2008/11/25 22:34

前スレの私の回答から要約すると



(1)行政は厳罰化によって不祥事根絶をめざしている。
(2)教員団体の多くは、教員のストレスを減らし、採用試験を明朗化して資質向上などという不祥事根絶の道を提言している。
(3)個人的には、教員と保護者が相互に協力・信頼できる関係づくりが使命感の向上=不祥事根絶につながると考えている。

ということでした。

わかりにくい文章であったためか、質問者の方からは「何もしていないことがわかりました」という評価でしたが、ここから導き出される回答は

(1)保護者は、学校の指導に対する疑問をどしどしぶつけるべきである。
(2)学校は、保護者の、理不尽とも思えるものも含めて、疑問や意見に誠実に対応するべきである。
(3)保護者は、可能な範囲で学校の運営に関わり、意見も出すが協力もするべきである。
(4)学校は、保護者をお客さん扱いせず、意見を受け入れるとともに仕事も分かち合うべきである。
(5)保護者は、子どもに「先生を信用するな」とは教えず、「おかしいと思うことがあったら、どんどん質問するんだよ」「それでも納得できなかったら親が代わりに聞いてあげるからね」と教える。

学習指導と生活指導は指導の両面であって、片方だけを信頼させることは不可能です。
教員の指導が、時としておおいに問題を含むケースがあることは否定しません。
個別の事例では「先生を信用するな」と言わなければならない場面はあるかもしれません。
ただ、あくまでも、基本的なスタンスは、「敵」でなく「パートナー」としてお互いが歩み寄る以外に、この教育に不利な条件だらけの現代日本で、子ども達を豊かに育てる道はないと考えています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>>(1)行政は厳罰化によって不祥事根絶をめざしている。

どこで厳罰化と言っているのか知りませんが、不祥事を犯した教員の処分は、自治体によって、
あるいは、ケースによってバラバラというのが現実ではないですか?

>>(2)教員団体の多くは、教員のストレスを減らし、採用試験を明朗化して資質向上などという不祥事根絶の道を提言している。

どのように採用試験を明朗化すれば、新規採用の教員が5年後10年後に犯すかもしれない不祥事を予防できるのかお教えください。

>>わかりにくい文章であったためか、質問者の方からは「何もしていないことがわかりました」という評価でしたが、

文章のわかりにくさではなく、実際に何もしていないに等しいということがわかったのでそのように判断しました。
今回の貴方の上の回答を読んでみても、厳罰化以外は、どこかの団体が提言してるとか、個人的に考えている、というだけで、
やはり実際には何もしていないということが確認できました。

>>(1)保護者は、学校の指導に対する疑問をどしどしぶつけるべきである。
>>(2)…

上記はどれも抽象的なきれいごとばかりで具体性に欠けるわけですが、
それよりひどいのは、学校側がやるべきことがほとんど書いてないことですね。
信頼を回復したいなら、まず学校側だけでやるべきことがあるはずですから、まずそれを考え実行しましょう。
保護者の協力やパートナーシップを求めるのはその後の話です。
本来あってはならない教員の不祥事を許したのは学校側です。
この基本を忘れないようにすれば、保護者に責任転嫁するようなことは自ずとなくなると思いますよ。

お礼日時:2008/11/23 22:28

なんか盛り上がっていますね。



以前、「先生を信用するな」と言うだけでは、子供もどうしていいかわからないだろう」と言った者です。
そのときも、「先生と二人きりにならないようにする」とか「メール・アドレスの交換はしない」と子供に言った方がいいのではないか、と申しましたが、
もっと不祥事を一つ一つ調べてみるべきではないでしょうか?

先日、滋賀県の方で不祥事を起した先生は、「女生徒の制服が欲しいから教師になった」と言っているそうで、こういう人は採用の段階ではじかないとしょうがないと思いますが、
条件が違えば不祥事を起さなかったかもしれない、という例もあると思います。

「教師を信用しないと子供に言おう」「それはよくない」と押し問答しているだけでは、いずれにしろ空理空論です。
不祥事を細かく見ていけば、子供にどのようなアドバイスをすればいいか、
また、学校側が取るべき具体的対策も出てくるのではないかと思うのですが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>「教師を信用しないと子供に言おう」「それはよくない」と押し問答しているだけでは、いずれにしろ空理空論です。
>不祥事を細かく見ていけば、子供にどのようなアドバイスをすればいいか、
>また、学校側が取るべき具体的対策も出てくるのではないかと思うのですが。

そうですね。具体的に言った方がいいと思います。
教育委員会や学校は、教員の不祥事を隠したり火消しをするだけで、不祥事の細かい研究などは全くやっていないと思いますが、
保護者はここからやらないといけないのでしょうかね。

お礼日時:2008/11/16 13:03

『信用するな』と教えると、学校での授業の吸収力は確実に落ちます。


この点だけは、念頭においてください。

なかなか難しい問題ですよね。
やはり、先生と常にコミュニケーションをとることが重要だと思います。
先生も、見られている感があると、対応も変わってきます。
それに、危なさそうなら、気づけますしね。

でも、本来であれば、学校は、絶対に安全であるべき場所ですよね。
行政の対応も早急に望まれます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>『信用するな』と教えると、学校での授業の吸収力は確実に落ちます。

ここで問題にしているのは、学業のことではなく、素行面に関することですね。
ただ、「先生を信用するな」と言っただけでは、授業も信用するな、と曲解されてしまいますので、それは気をつけるべきだと思います。

>行政の対応も早急に望まれます。
行政の対応は、綱紀粛正に努めるなどと言いつつ、口頭や文書で注意喚起をする程度だそうです。
私は行政の対応には限界があるような気がしますが、何かアイディアがあればどうぞ。

お礼日時:2008/11/16 12:57

No15ですが



>親が対策立てないから教員も対策立てなくていいという意見ですか。
>このように親の悪口を言って自己満足するような人が、特に教員に
>多いようですが困ったものです。

誰もそんなことは言っていないと思うのですが・・・むしろ逆ですよ。

親も教師も民間人も警察も全員万全の体制を立てられない。だから自分達のことを棚に上げて相手の悪口を言うよなことはやめようと言っているのです。親の悪口を言って自己満足したいのではありません。

教員も不必要に親を責めない。親も不必要に教員を責めない。
そういう関係を構築すべきという話です。


>例えば、不祥事が多い、との批判に対して、警察が「一般人の
>方が犯罪が多いじゃないか!」って言ったらどう思いますか?
>いかに馬鹿なことを言っているかわかるでしょう。

その通りです。ですから同様に・・・
最近の親は児童虐待が多い、との批判に対して親が「教師だって体罰などをやっているじゃないか!」って言ったらどう思いますか?
いかに馬鹿なことを言っているかわかるでしょう。

==参考==
親の問題も増えている。

【虐待相談対応件数の推移】
平成9年:5,352
平成10年:6,932
平成11年:11,631
平成12年:17,725
平成13年:23,274
平成14年:23,738
平成15年:26,569
平成16年:33,408
平成17年:34,472
平成18年:37,323
([主たる虐待者]を見るとその9割以上は両親です)
========

現代は虐待や育児放棄している親が学校に文句を言っているという構図です。

結局、自分を棚に上げて教師を叩く親達も、自分を棚に上げて教師を叩く親達もどちらもおかしいんですよ。

お互いに完璧ではない存在ということを受け入れてどうやって協調すべきかを考える問題で、ごくごく一部の不祥事を持ち出して教師100%を信用するなというのはむちゃくちゃな話です。日本では殺人事件が年に数千件あるから日本人全体を信じるな、交通事故が年に数千件もあるから外は危険だから外に出るなと言うようなものです。
教師だけを信じられないとする理由が全くありません。
それこそフリーターや学生の犯罪もありますが、そういう人に近づくなというアドバイスはしないのでしょうか?(例えば、「コンビニに一人で行くな」とか。また、外食レストランで食事をしていたら店員に拉致されてレイプされたという事件もありましたが、「レストランで食事をするな」とか。


私もロクでもない教師には腹を立てることもありますが、それでも自分たちのしつけの悪さなどを棚に上げて吊るし上げをやっている親の方が人として信用できないと感じています。
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この回答へのお礼

>>親も教師も民間人も警察も全員万全の体制を立てられない。

教員の不祥事を1件でも減らすために対策を立てるべきですね。
不祥事がゼロにならないから何もしない、というのでは話しになりません。

>>だから自分達のことを棚に上げて相手の悪口を言うよなことはやめようと言っているのです。

悪口ってどれのことですか?
先生でも不祥事を起こす人がいて、学校は何も対策をしないので、子供に気をつけよう、と言うだけです。
外に出たら交通事故に気をつけよう、と言ったらドライバーの悪口を言ったことになるのですか?


それに、前にも言ったと思いますが、教員以外の人の不祥事や犯罪が多かろうが少なかろうが、教員の不祥事を野放しにしていい理由にはなりません。
むしろ、「○○だってやってるんだから、教員の不祥事に文句言うな」などという考えは、恥じるべきなのですが、
最近の先生方には、恥を知る、ということから教えないといけないのでしょうか?

お礼日時:2008/11/16 12:51

先生を信用するな・・・は行きすぎですよね。




>しかし、それに対して何も対策をしないようでは、組織全体が疑われても
>仕方がないわけで、現実にはもうこの段階まで来ているんですね。

それなら親による子どもの虐待など酷いものです。どちらかの親がとめることもせずに酷い場合だと一緒にいじめる。親族も対策を立てていない。行政も家庭の案件に入ることをためらっていてまともな対策など出てこない。命を落としたり、重傷を負った子どもののニュースなどが報道されますが、その影にはたくさんの犠牲者がいます。


・一部に問題な先生がいる
・組織的な対応が無い

これが理由で先生を信用するなと言うのであれば、よっぽど親の方が信用できません。
教育がダメとはいってもまだ先生の方が第三者の目が光っていて幾分かはマシです。
何年にもわたって監禁したり、毎日のようにタバコの火を押し付けたりされることが隠されているようなことはありません。父親から何年も性的暴行を受けていることはあっても学校で日常的に先生から性的暴行を受けるようなことはまずありません。しっかり周りが止めてくれます。


>同じ学校に勤める同僚教師が、生徒にハレンチな行為をするのを
>目撃したら、その生徒が告訴するかしないかに関わらず、即刻止め
>させるべきだと思います。

はい。
同じ家庭にいる親が、子どもに虐待行為をするのを目撃したら、その子どもが告訴するかしないかに関わらずに、即刻止めさせるべきだと思います。
→でも、現実には止めない親がたくさんいます。むしろ、一度虐待が始まったら、たいていはもう片方の親も黙認します。または加担します。よく聞くセリフが「自分も暴力を振られるのが怖くて逆らえなかった」ですかね。で、祖母や祖父も特別これに対して対策を取っていない・・・


個別の資質でも、その組織としての予防策の稚拙さでも、いずれにしてもそれを基準にしてしまうのならば、やはり教師より親の方が信用できませんよ。親になるには学歴も試験も必要ないのですからこれは当然でしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>それなら親による子どもの虐待など酷いものです。どちらかの親がとめることもせずに酷い場合だと一緒にいじめる。
>親族も対策を立てていない。

親が対策立てないから教員も対策立てなくていいという意見ですか。
それなら、親は給料もらってるわけじゃないし、教員にも給料払わなくていいってことになるんでしょうかね。
最低な意見ですが、このように親の悪口を言って自己満足するような人が、特に教員に多いようですが困ったものです。

>教育がダメとはいってもまだ先生の方が第三者の目が光っていて幾分かはマシです。

組織的な対応がない、つまり第三者の目が光ってないのが問題なのですね。

こういうたわけた考えを持ってる人に言っておきますが、教員の不祥事と教員以外の人の不祥事は全く別の話です。
例えば、不祥事が多い、との批判に対して、警察が「一般人の方が犯罪が多いじゃないか!」って言ったらどう思いますか?
いかに馬鹿なことを言っているかわかるでしょう。

どうしようもない意見だとは思いますが、口にださないだけで内心このように考えてる教員は多いようです。
そういう意味では、はっきり言ってくださってありがとうございます。
あなただけでなく、他にもこのようなたわけた考えを持っている人はいると思いますが、この質問を読んで、反省するようになるといいと思います。

お礼日時:2008/11/13 23:52

(他の方と内容がダブる点、申し訳ありません。

)

いくつかの点で、子供にそのまま教えるのは、子供にとってよくない結果になる可能性が高いと思います。
1.先生への不信感から学業不振になる可能性が高い。
 教育や指導を受ける相手をある程度信頼していないと、習うべき事柄を習えないと思います。相手が嘘や間違っていることを教えているとか、不誠実な人だと思うと、その人が言うことは聞かないのではないでしょうか。わたしも中学時代に英語の先生がキザな感じがして嫌いでした。そのためか英語の成績はわるかったです。高校へ入って英語の先生に気の合うタイプの人がいて、中学の時ほど不得意ではなくなりました。信頼とは違うかもしれませんが、教師への態度は学業への態度、成績と関連すると思います。
 信頼しないというのは、学習より身の安全が大事というような学校環境であればそうかもしれませんが、大多数の学校や教室は安全だと思います。担任や顧問に不安があれば、「その先生には注意しなさい」とか、「先生も人だから、場合や状況によっては間違いを犯す可能性がある。故に全面的にすべての指示を受け入れてはいけない。変だと思ったら逃げる、さらに他の大人に相談しなさい」というところが実際的な指示ではないでしょうか。

 実際に、教師や学校に対して強い不信感を持って大学へ入学してくる学生は、成績、人格、社会性などに関して伸びが小さいことをよく感じます。同様に、無批判(思考することなく)に教師に従順な学生も、伸びません。生徒、教師ともに相手に対して、適度な距離感をもって接していくことは、セクハラ、アカハラ等の発生を避け、自立的に学ぶ姿勢を身につけるのに大事だと思います。

 個人的には、(教師にも注意が必要ですが)友人関係、親子関係が原因のトラブルの方が目につきます。適切な人間関係に関する教育が行われるべきだと思います。

2.不信の連鎖はどこで止まるのか?
 他人への不信の強調は、どこで止まるのでしょうか。教師、親、友人、近親、恋人。。。教師だけが不信で、友人は信頼できるという根拠は無いのではないでしょうか。たとえば、殺人事件において、加害者と被害者の関係は、家庭の関係(親子等)が高かったと思います。暴力事件もたしか近親や友人関係にある人の間での発生率が高いという指摘があったように思います。教師の次は、親、友人、恋人、近所の人となっていきませんか。
 不信をベースに教育すべきではなく、信頼すべき事柄、場面は何かを教育すべきではないでしょうか。また単に「教師」だからとか、「警察官」だからといった属人的な特性によって判断させるのではなく、どんな状況が危ないのか、どんな流れだと危険性が増すのかという属事的な特性によって、子供や学生が判断できるように指示すべきだと、私は思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>いくつかの点で、子供にそのまま教えるのは、子供にとってよくない結果になる可能性が高いと思います。

「先生を信用するな」と子供に言い放つだけでは、確かにどうすればいいのかわかりませんね。
具体的な場面を想定して指示を与えるべきだと思います。「教室で先生と二人きりになるな」とか。

>1.先生への不信感から学業不振になる可能性が高い。

学業について不満のある方はいると思いますが、ここでは問題にしていません。

>、「先生も人だから、場合や状況によっては間違いを犯す可能性がある。故に全面的にすべての指示を受け入れてはいけない。
>変だと思ったら逃げる、さらに他の大人に相談しなさい」というところが実際的な指示ではないでしょうか。

いつも先生を信用してはいけない、と子供に言うということですね。
ただ、もっと具体的に言ったほうがよいと思いますが。

>他人への不信の強調は、どこで止まるのでしょうか。教師、親、友人、近親、恋人。。。

あなたが揚げた人間関係の中で、教師以外はプライベートな関係ですね。信用できない友や近親者を持つ人はいるでしょうが、それは個々の問題です。
プライベートな関係と教師という職業集団を混ぜてしまうと、大変奇異に感じます。
例えば、「他人への不信の強調は、どこで止まるのでしょうか。不二家、親、友人、近親、恋人。。。不二家だけが不信で、友人は信頼できるという根拠は無いのではないでしょうか。」と言っている人がいたら奇異に感じるでしょう?
ここで問題にしているのは、不祥事が多いにも関わらず、教員という集団が
何も対策をしないために起こる不信なので、勘違いしないように。

お礼日時:2008/11/12 21:11

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