プロが教えるわが家の防犯対策術!

心に浮かんだ言葉を思いのままに書き出すので、少し読み辛かったり文章が変になるかもしれませんがすみません。

先日20歳になったばかりなのですが、もう自分は子どもではなく大人であるということが信じられません。不可能だということは分かっているものの、「子どもの頃に戻りたい」と強く思います。
昔はよく家族で遊園地へ行ったなぁ、でももうそんなことは無いのだろうなぁと思うと、悲しくて悲しくて涙が出てきてしまいます。昔のアルバムを引っ張り出しては「ああ、幸せそうだな。この頃に戻れたらどんなにいいだろう」と思います。
子どもの頃のようにお父さんやお母さんやおばあちゃんに無邪気に抱きついたりしたいけれど、この歳になってそんなことはもうできません。
自分は精神的にも少し子どもっぽいところがあるので、よく「もっと大人になりなさい」「もう大人なんだから」と注意されるのですが、そう言われるたびに悲しいというかとても寂しい気持ちになります。

もちろん、将来は結婚して子どもも欲しいです。
でももし結婚できなかったらどうしよう。60歳になっても70歳になってもひとりだったらどうしよう。お父さんもお母さんも私より先に死なないで欲しい。
ずっとずっと変わらないままでいたいのに、嫌でも時間は過ぎていくし、最後にはみんな死ぬ、それが怖くて悲しくて寂しいです。

私は何よりも家族を優先していて、家族が一番大切です。今当たり前のようにみんなでご飯を食べたり出掛けたりしているのに、いつかはそれさえも出来なくなるなんて、信じられません。

みなさんはこんな気持ちになることは無いのですか?
今この文章を打ち込んでいる最中も涙が止まりません。どうやったらこの辛さから逃れられるのでしょうか。

A 回答 (4件)

無理しなくて言いのです。


遊園地に行きたければ行けばいいのですし、
お婆ちゃまに抱きつきたければ、そうしてもいいのです。

1つの方法として
アナタの場合、<願望列挙法>で
ああしたい・こうしたい・あれが欲しい・これがほしい・
ああならば・こうならばetc.といったことを
思い浮かぶままに全てを書い出してみましょう。
で、次のステップで、
列挙した願望を実現するにはどうしたらいいのかを
現実・空想etc.の方法でプライオリティを決めながら
ロードマップをデザインしてみましょう。

直ぐに可能なことは直ぐに実現しましょう。
空想で可能なことは空想の世界で実現して遊べばいいのです。
努力を積み重ねれば実現しそうなことは
小さな成功体験に喜びながら努力を積み重ねればいいのです。

とにかく、たのしくないのは
思い込みによる決めつけです。アナタは、
この<思い込みによる決めつけ>とは縁を断ってください。

あるいは別に<欠点列挙法>で
嫌なこと・不快なこと・不便なことetc.の全てを書き出して、
どうすれば改善できるか極限思考で考えてみましょう。
それで実現できることは実現したり、空想の世界で実現して喜んだり、
知恵をだし創意工夫を積み重ねれば実現しそうなことは、その
プロセスを楽しみ、小さな成功体験を喜びながら
更に工夫を積み重ねればいいのです。

あるいは
<願望列挙法><欠点列挙法>で挙げたことを題材にして
<詩>をつくってみるのも楽しいでしょう。
楽しみ勝ちといった感覚で、日々、楽しんでしまいましょう。

視角・視点を変え見ると同じモノでも違って見えますね。
<短所>にも、いい面や肯定的な点が見つかります。
しばらく、これを楽しんでみませんか。

アナタの恩人は大別して、3種類に分けられませんか。
<プラス恩人>
<マイナス恩人>
<姿を現さずに支えてくれている恩人>
《オトナになりなさい》と言ってくださる人は<マイナス恩人>かな。

とりあえず、おもっていることの全てを
A3サイズの紙か模造紙に書き出してしまいましょう。
そこから始めてみてください。

アナタの質問から、童話・絵本・小説・シナリオetc.が
何本も書けそうです。
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どちらにしても人生は一回しかないのです。


だから、常にそれを念頭に置いて、
今自分がしたいことをすればいいです。
人生は誰にでも一回しかないので
後悔しない生き方をするしかないですよ。
そうしたら充実してきますし、
時が経つこと自体楽しめるようになりますよ
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時間がたつというのは生きているからです。

しかし一瞬一瞬で実は過去の自分は現在の自分ではありません。実は過去の自分は現在の自分の前に死んでいるのです。周囲の人でも全く同じです。写真を見ればもっとはっきりします。だから何重の錯覚によって自分は今まで一貫して生きてきたし、これからもずっと生きられるように思えるのです。家族が大切というのも矛盾しています。あなたは伴侶は別の家族の一員から選ばなければなりません。あなたの伴侶は最も大切な存在だと思います。そしてその伴侶との間に子どもができたらその子とあなたとではどちらが先に死ぬべきなのでしょうか。立場が変わればすべて逆転してしまうようなことは錯覚だと思います。錯覚を捨てたくないということもあると思いますが、結局錯覚はどこかで破たんしてしまうと思います。そもそもすべては移っていくのに自分だけは変わらないと思えることがむしろ不思議なことではないでしょうか。
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いくつか、違う視点で見てみましょう。



・お父さんもお母さんも、昔は子供だった
・自分の子供も、いつかは自分のように成人するだろう
・お父さんもお母さんも、子供が先に死ぬのは悲しい

このように、考えるとみんな時間の流れを受け入れて、家族を築いて生きているんだな、と思えます。

私の場合は、祖父母が皆亡くなったとともに、葬式というのは故人の良い思い出を共有すべく親族が集まる場なのだな、と実感しました。

そのように、互いのきずなを確かめ合うきっかけとなるとともに、そういう集まるきっかけになることは亡くなったご先祖様の喜びであり冥福そのものではないか、と思っています。
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