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○○大学と○○大学ではどちらが就職に有利か
また、三流大学でも高卒より有利かなど、数えたらきりがありませんが
このような疑問が世の中にはたくさんあると思います。

これらの質問自体が、日本の堕落を象徴していると私は感じていて
目的意識が無かったり、大学に入るために最善の努力をしない者が
みんなが行くから、やりたいことが特に無いから、なんとなくという
不明瞭な考えでだらだらと進学している人が多く見受けられます。

このような考えのまま、無駄な大学生生活4~8年間を続けるならば
高卒や中卒ですぐに就職して、社会人として働いた方が日本のためになると思います。
ここでいう無駄とは、4年間がたんに無駄になるとかではなくて
親や国そして大学側が、本当の意味でその人を育てることになっているのかということです。

勉強というのは、とてもとても時間とお金がかかるものであります。
高校と大学は義務教育ではありません、本当に勉強したい人に高水準な
授業や環境をもっと使って欲しいのです。

これらをまとめると、3流大学を廃止するべきだ!みたいになってしまいますが
そうではなくて、就職準備期間のためだけの学業に意味は無いとまではいいませんが
本当に学業に専念したい人の足かせになっていると感じています。

難関大学、難関大学院、高等専門学校などは絶対に必要ですが
どこかの大学を卒業してとりあえず大卒ですみたいな自体を廃止しないと
これからの日本がどんどん壊れる!!

と、友達に話したら何も分かってない馬鹿だねと言われました。
日本はもう壊れているからどうしようもないそうです。

そこでふと疑問に思ったので、質問させて頂きます。
・日本の教育制度は本当に大丈夫なんですか。

A 回答 (11件中1~10件)

まず、ひとつあなたか勘違いされていることを申し上げます。



難関大学というのは相対的に入学するのが難しい大学を指します。
従いまして、難関大学以外を排除した場合、難関大学は難関大学
ではなくなります。

あなたの論理を大げさに拡張すると
大学進学者に、馬鹿な人はいらないということになります。

働き蜂理論というのをご存じですか?

良く働く 働き蜂  は25%
普通に働く 働き蜂 は50%
働かない働き蜂   は25%

というやつです。

この場合、
働かない働き蜂 と 普通に働く働き蜂を排除した場合。
よく働く働き蜂のみが残り、最も効率よい精鋭集団が集められ
そうであるが、実際、この作業を行うと。

よく働いていた働き蜂の中で再び3種類(働く、普通、働かない)
に分かれ、期待した状態にはならないのです。

私はたとえば人間社会に犯罪がなくならないのも
こういうことではないかと思っています。
たとえは、犯罪者やおれおれ詐欺などを全員排除したとしても
その後、善良(だったはずの)な市民の中から一定の割合でその
ような人が再生成されると考えられるでしょう。

だらだらと書きましたが、言いたいことに入ります。
高等教育の質を高めることは一定の割合で勉強しない学生が
いたとしても、母集団を多くすることができるので、
働く蜂(勉強する個体数)は増やすことができます。

もう少しわかりやすく申し上げますと
あなたの論理を解釈すると、大学に限定しなくても
普通科の学問(大学受験に必須な科目)はやらず
中学卒業で働けばよいという論理になります。
もっと徹底して解釈すれば、人間は生まれた時に選別されて
研究者と労働者に分かれてもいいということにもなります。

しかし、このように行うと学問を行う集団が低くなり。
働き蜂の論理を適用すれば、一段階上の高等教育に進むにつれ
(よく勉強する人)が進学するということになるとすれば、
先細りになって、現在の日本社会を維持することはできないでしょう。

何を言いたいかと申し上げると
大衆に高等教育を施すことは、全体の底上げを行うために行われている意味合いがあるということです。
日本が明治維新やそれ以降の富国強兵に成功したのは、
よく寺子屋をはじめとして、日本の識字率や教育水準が
アジア諸外国にくらべて高かったのが大きな一因であると
言われています。

全体を底上げしておくことは極めて有為であると私は考えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
とても具体的に私の考えの間違っている所などを
指摘していただいて、いろいろと考えさせられました。

確かにそうですね。働き蜂理論、昔どこかのテレビで見た記憶があります。
私が特に実感したのは、高校に入学した時ですね。
オール5の成績(満点)で入学したのにも関わらず、高校デビューする人も
結構いて、あーこれが俗に言う働き蜂理論なのかと思い知らされました。

全体を底上げすることの有用性、これをよく勉強してみたいと思います。
今はまだ明らかになってないかもしれませんが、物事には必ず表と裏があるので
全体を底上げすることによって、もしかしたら弊害が生まれるかもしれません。

今の日本は時代に合った、または未来を見据えた
全体の底上げをしているかどうかについても考えてみたいと思います。

お礼日時:2009/02/12 21:43

今の時代はそもそも大卒は高学歴ではありません。


大卒という表現は死後です。学部卒が正しいです。
年輩の方が質問しておられるのでしょうか?
(大卒は学部止まりで高等教育を受けていない人です)
共通一次世代からの大卒は一部の大学を除き、高卒と同等です。

企業だって学部卒ではマトモな人材を獲得できませんから、基本的
に院卒をメインに入社させてます。私は共通一次世代ですが、学歴
を改造しました。学部卒では生き残れないからです。
但し、大学院も乱立状態ですので、修士を沢山ただ作るだけでは
意味がありません。

院卒の場合はやはりある程度は選ばれえた人というようにしない
と教育制度は本当に崩壊です。すでに壊れてますが。
早稲田大学も自己推薦を導入してから印象が悪くなりましたが、
慶応大学も現役のレベルは低いですよ。受講してみると分かります。

大学や大学院への進学動機については父も祖父もみな、行くのが
当たり前だからということで進学してます。ビートたけしさんも、
日本はそういう国だと主張しておられましたよね。
(日本は全体主義だから、逆にいかないと村八部です)
私も動機はどうでもいいと思ってます。むしろ適当な動機の人の
方が大学から伸びてるのをいくらでも見てるからです)

私の義理の弟なんて東海大学出身ですが、税理士と公認会計士の
資格を持ってます。弁護士で東大出の同級生より稼いでいます。
ですから底辺の大学が不要とも思ってません。
もうちょっと広く長い目で教育をを考えることも必要ではないで
しょうか?

目的もないなら就職しろということだと医学部の学生なんていなく
なってしまいますよ。通常は親の希望で家業をついでるだけですよ。
医学部の学生なんてそんなものです。それでも入学してからそれ
なりに目的意識も出てくるわけです。

ゆとり教育には批判的な立場は私も同意ですけど、もっと柔軟に
考えましょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かに、文系学部でも院に行く方がかなり増えましたよね。
その中で今なぜ、大卒という言葉を使うか
それは学部卒では万人に意味が伝わらないからです。

>大卒は高学歴ではない
今までの回答者の方とは相反する意見なのでとても興味深いです。
参考になります。

ちょっと気になったのは
東海大学は底辺大学どころか素晴らしい大学ですよね。
ここで、もうずれが生じていると感じました。

医者、弁護士、公認会計士、社会のトップレベルの話ですね。
昔は、日本全体の教育を考える時にこれらを中心に私も考えていました。

>共通一次世代からの大卒は一部の大学を除き、高卒と同等です。
この言葉については少し検証してみたいと思います。

今までの回答者の方はどちらかというと
大卒までの考え方、そしてこの回答者様は学部卒以上の考え方そして
上のほうを中心に考えて頂いたようで、とても参考になりました。

お礼日時:2009/02/14 11:12

すでに、入口の段階で間違ったことが行われてます。


http://bbs68.meiwasuisan.com/bbs/bin/read/news/1 …
まあ、これでも見てみて下さい。

あと、そのように純粋培養されたゆとり世代の大学生の学力低下の様子が示されています。
http://news.goo.ne.jp/article/diamond/nation/200 …
http://u-tmame.cocolog-nifty.com/u_tmame/2008/07 …
http://sankei.jp.msn.com/life/education/080901/e …

ゆゆしき事態だと思いますね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

これはもう末期ですか、と疑ってしまいました。
みんな平等、格差なし、社会主義が理想なのでしょうか。

学力低下はたしかに問題ですね。
これは大学生が増えたことに起因してると思いますけどね。
トップレベルの学生たちは現状をキープしてると見受けられますゆえ。

ゆゆしき事態、まさしくその通りだと思います。

お礼日時:2009/02/14 10:34

 これといった目的のない人ほど大学に行くべきだ、というのが


私の持論です。そもそも、自分の生まれ育った街のことしか見聞
していない高校生に、目的を持てというほうが無理があります。

 だから私は、医者や弁護士を目指す高校生をこれっぽっちも
偉いと思いません。彼らはただ、外形的にわかりやすい職業に
憧れているだけです。実現可能性が高いだけで、プロ野球選手に
なりたいとかマンガ家になりたいとかと、動機的には一緒ですよ。

 我々は営業をやったり開発をやったり総務をやったり、ほとん
どの人が高校の時には考えてもいなかった職業についているはず。
そして高校の時には存在も知らなかった会社に入った人のほうが
はるかに多いでしょう。そういった世の中の仕組みを学ぶことが、
大人と子どもの中間を過ごす大学生活で求められることです。

> 本当に勉強したい人に高水準な授業や環境をもっと使って欲しいのです。

 最初の話に戻りますが、産業立地論とか梁の構造計算などを
本当に学びたい高校生なんて世の中にいませんよ。そういった
学問が世の中に存在するということを、大学に入って初めて知
るのです。だからこれといった目的のない、ある意味真っ白な
人材を、高等教育の場に送り込むことに意味があるのです。

 そもそも、高校までは事実上の義務教育なのでイヤでも毎日
学校に行くし、就職してからは喰うためには働き続けなければ
なりません。そういう一生において、自分の人生について考え
たり、自分の趣味を精一杯生かせる大学生活は貴重ですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私の質問文の内容と私が今ここに書く意見は矛盾しているかもしれませんが
目的が無い人ほど大学に行くべきこれは正しいと思います。

なぜならば、高校でてすぐ働くよりも、大学に行けば
選択の幅は広がり、また環境も整っていますものね。
さらに能力が開花する可能性もある。

本当にそうでしょうか。
大学に行けば良いことだけか、物事には必ず裏があります。
国民全体がもし大学に行けるようになったらどうなるでしょう。
少し考えてみたいと思います。

>そういう一生において、自分の人生について考えたり、
>自分の趣味を精一杯生かせる大学生活は貴重ですよ。
私もそう思います。これが大学の理想ですよね。

お礼日時:2009/02/14 11:22

大学に進学「できない」人の、進学を諦めた理由のトップは、「学力」ですが、2番目の理由をご存じですか?


「お金がない」です。

日本は、どんなに頭が良くても、大学に進学できない仕組みがいつの間にかできあがってしまっています。

「奨学金」がどうこうと、平然と書き込む人がいますが、現実には奨学金の実態は単なる「貸与」であり、「給付制」の奨学金はよほどの運がない限りありつけません。また、そういう家庭では、「全入」といわれる高校への費用で、すでにその家庭環境では返済できるか怪しいくらいの金額にいなってしまっていたりします。
肝心の、受験勉強、受験料、初期の入学金を支える「奨学金」が日本には無いんです。
ご存じかと思いますが、離婚率が高い国の中では、日本ではあからさまに母子家庭の進学率が低くなっています。収入格差があまりにも大きく、層の切り方によっては、生活保護以下の年収しかないという家庭のお子さんが相当数いることが分かります。

ご質問者は、「大学に進学する」層について話されていますが、教育制度の最大の病根は、高い高校進学率と、受験にはあてにならない公教育、そして、本来、勉強したいと考える社会階層の人が進学できないという構造にあると私は思います。
今、総合大学の中で、学生の親御さんの年収が一番高い大学をご存じですか? これ、私立大学じゃないんです。本来、最も貧しい家庭からの進学を支援してもおかしくない大学が、そういうテイタラクなんです。

日本の大学進学率は、OECD参加国の中で、ほぼ最低です。韓国などアジア各国の半分くらいです。その意味では、「大学全入」なんてのは嘘っぱちです。高校教育までほぼ全員に課しておいて、肝心の大学への進学の部分で本人の資質ではどうしようもない差別が起きているのが現状です。
総合科まで全国各県に作って、高校進学を煽っておいて、その先が全くの無策なのは、恣意的なじゃないかと疑いたくなるほどのはしごの外し方です。
一度、どの科目でも良いので、各社の高校の教科書を全て集めて見比べてみてください。大学入試がどれほど不平等な状況で行われているかが分かるかと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

大学に誰でも入れると考えてる人は確かに多いと思っています。

>教育制度の最大の病根は、高い高校進学率と、受験にはあてにならない公教育、
>そして、本来、勉強したいと考える社会階層の人が進学できないという構造にあると私は思います。
なるほど、これはいい見方ですね。義務教育で無いにも関わらず
高校は出るのが当たり前な風潮がありますものね。

>一度教科書を~
全てではありませんが、予備校に通っていた人たちとの会話のなかで
授業の進度や、内容、そして教科書自体のレベルについて出ましたね。
教科書の内容をどんどん飛ばして、全部やらない学校があるのは正直驚きです。

お礼日時:2009/02/14 10:29

#2の回答に激しく同意です。



>目的意識が無かったり、大学に入るために最善の努力をしない者が
みんなが行くから、やりたいことが特に無いから、なんとなくという
不明瞭な考えでだらだらと進学している人が多く見受けられます。

それは一理あるでしょう。しかし、同じ感覚で社会に出てこられることの方が、もっと迷惑だと思いませんか。



>高卒や中卒ですぐに就職して、社会人として働いた方が日本のためになると思います。

なりません。
それですと、日本社会には、単純労働レベルの仕事しかできない人ばかりを増やすことになります。知的労働のできる人が減る一方です。資源もろくにない日本では、知的労働のできる人材こそ増やす必要があります。でないと日本の将来を揺るがしかねません。


>どこかの大学を卒業してとりあえず大卒ですみたいな自体を廃止しないと

質問者さんの論法から行くと、「目的意識もなくこの世に生きているものに生きる資格はない」と言うことにもつながってきますよ。
そこまで言わないにしても、目的意識もなく大学に行くのは悪いけれど、目的意識もなく社会に出てくるのはかまわない、という説明くらいはする必要があると思います。


>日本の教育制度は本当に大丈夫なんですか。
愚問です。
何をもって完璧(大丈夫)と言えるのか、その基準を示した上で言ってください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
激しく同意とは、かなり同じ意見ということで解釈しました。

同じ感覚で社会に出てこられたら確かに迷惑ですね。
知的労働の出来る人材こそ増やす必要があります。仰るとおりだと思います。
しかし、果たして本当にそうでしょうか。
私は単純労働の中にこれからの将来を見出せると思っています。

目的意識もなく大学に行くのが悪いかについては
回答者様と論ずる部分がちょっとずれていますので割愛します。

戦後何も無い、日本は知的労働のできる人を増やし続けて
先進国の仲間入りを果たし、現在に至ります。素晴らしいことです。
それはこれからも正しいことなのか、考えてみたいと思います。

最後の質問は抽象的過ぎましたね。すみませんでした。
このような質問に、貴重な回答をありがとうございました。

お礼日時:2009/02/12 22:40

無駄になるとは限りません。


その中で才能を発揮する人や何かに目覚めて猛勉強する人は居ないわけではないですから。
目的の有無は、特に文系に於いてはどうでも良いかもしれません。
なにせ、それを生かせる職業など無い場合が殆どですから。先がないのですから。

というわけで、
> どこかの大学を卒業してとりあえず大卒ですみたいな自体を廃止しないと
> これからの日本がどんどん壊れる!!

これはあり得ません。
なにせ最高峰の東京大学がそういう大学ですから。
目標が無いなら無いで、それなら努力できないという方が問題なのです。

とはいえ、
どう考えても、少なくとも下位1/3の大学、ひょっとすると下半分の大学のありようはおかしいでしょう。
高校の勉強ができていないことが明らかになっているというだけですから。
ですから、そういうところは大学をやめてしまえば良いんです。
予備校なり何なりの別の形の教育機関になる方が良いです。
この辺り、文科省の硬直化した行政が悪いのだと思います。

そろそろ文科省も事態を看過できなくなっていて、統一テストをやるなどという話が出ていますが。

若者が進路に迷うんでその時間を、というのはありかとおもいます。
しかしそれは、高校3年間あれば十分でしょう。

また、大学の前に小中高がもうおかしくて。
猫も杓子も同じ事をさせようとします。
できない者がやり直したくても、そういう場がありません。
アホアホ大学に行っておくしかないのです。
できる者は簡単なことをいつまでも無駄にやらされます。
小中高のカリキュラムをできる子にはできる子用にすれば、おそらく高一になる年齢で東大の一年生という奴はゴロゴロ出てくるでしょう。今のレベルなら。
仮にそこから3年、もはや高校とは言えない高校で勉強させて、そいつらが東大に行くのだとしたら、東大は普通の人間には本当に手が届かないところになるでしょう。

難関大学には問題がないかというとそれは違います。
なまじ学生が勉強するために、講義は酷い物です。
良い講義をすれば優秀な人材が育つとは限らないにしても、優秀な者をより良くする講義はあって良いはずです。
最低でも教科書を読む方が早いような講義は無くさないと。
アホがアホであるのはまだ放っておけばいいでしょう。
それでもまだ全体の真ん中より上の連中でしょうから。
でも、上が伸びないというのはもっと問題かも知れません。

すくなくとも、そういう問題に対して文科省は何をやっているのか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>無駄になるとは限りません。
>その中で才能を発揮する人や何かに目覚めて猛勉強する人は居ないわけではないですから。
>目的の有無は、特に文系に於いてはどうでも良いかもしれません。
>なにせ、それを生かせる職業など無い場合が殆どですから。先がないのですから。

これはとても大切なところですね。私も文系って何だろうと考えることがあります。
統一の紙”ペーパー”テストが始まりましたね
結果を開示するか、しないか、なども問題になっていましたね。

一番共感したのは後半部の、上が伸びていないというところでしょうか
全体の底上げをするのを重視したために上がおろそかになってしまった
というのは私の考えすぎだと思いたいです。

上を伸ばすと、今度は下との格差が出てきてしまう
そのためにとりあえず、上をキープして下を底上げしてから
考えるといった所でしょうか。もっと深く考えてみたいと思います。

お礼日時:2009/02/12 22:22

というかその発想はかつて寺脇研という文部官僚が提唱して


いた「ゆとり教育」の発想そのものですね このゆとり教育は
今はかなり批判されていて廃止の方向で動いています

国が教育から手を引いて生徒任せにした結果教育格差が広がり
金持ちの子供だけが優遇されるようになりました
要は高額な私立へ入れられる家庭とそうでない家庭で不平等な格差が
ひらくわけです

いわゆる三流大は一流大程の価値はないにしろ多数が大卒枠に入れる
という点では格差防止に一役買っています

質問者の方の発想ですと東大や京大は現状のまま残すのでしょうから
枠だけ減って入れる人間と入れない人間の差が広がります
それはやる気は実力というより親の財力なんかで決まる部分が
増えるでしょうね その結果家庭の財力がないのならやっても
無駄みたいに風潮になり国が荒れる事になります

現状において重要なのは教育システムも時代に合わせることだと
思います 子供もやっても役に立たないと悟っているからとりあえずに
なるわけですから
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
過去にそのような意見が出ていたのですね。

三流大が格差防止に役立っている、これは今まで考えたことがありませんでした。
多数が大卒枠に入れるようになることで、ますます高卒と中卒の立場が無くなったら
ということについても少し考えてみたいと思います。

教育システムも時代に合わせること、これは私も同感です。
格差が無いことが本当に良いことなのかも考えてみたいと思います。

お礼日時:2009/02/12 22:10

私は、大学で遊びほうける事にも意義があると思います。

高校までの勉強は基本的には先生に与えられてやるものです。しかし、大学では取りたい授業を選び、うまい具合にサボりつつも卒業に必要な単位数は達成するという事が求められます。単位を落としても、大学側はサポートしてくれません。そういった環境で、自立する事を学びます。ぽーっとしているだけでは、絶対に大学は卒業できませんよ。去年の過去問を仕入れたり、友達にレポートを写させてもらったり、高度なコミュニケーション力が必要です。それは中学・高校では絶対に学べません。

ご質問の裏を読むと、これは深読みしすぎかもしれませんが、たとえば何の目的もなく難関大学に入ってしまう人の影で、本当に勉強したい人が落ちてしまっている事に対しての問題提起でしょうか?

私はその考えは間違っていると思います。日本の社会が必要としているのは「勉強をやりたい人」ではなく「勉強ができる人」です。イチローは単に「野球をやりたい人」ではなく「野球ができる人」だからメジャーリーグへ行けたのです。勉強もそれと同じだと思います。

あと、少子化により労働人口が減少し、近い将来、移民を受け入れないと社会がたちゆかないのではとも言われているこのご時世において、これ以上、日本人の中卒・高卒のブルーカラーを作りだしてどうするのでしょう。(それとも中卒・高卒でホワイトカラー職に就けるという事が理想だというのでしょうか?世界初の先駆的な試みとはおもいますが、うまくいくとも思えません)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
大学でしか学べないこと、なるほどと思いました。

友達にレポートを写させてもらったりはちょっと悲しかったです。
それも処世術といえばそうなのですけどね。

私は浅はかな人間なので問題提起なんて大それたことはできません。
あえていうなれば、学力が足りない、やる気が無い方に
時間とお金をかける必要があるのかということだと思います。

野球のたとえはとても分かりやすく、的を射てました。

今度は逆に大学まで義務教育にしたらどうなるのかについて
少し考えてみたいと思います。

お礼日時:2009/02/12 22:02

日本が駄目なのは教育制度以前の問題だと思っています。


考えられる原因は沢山あります。
その中で重要視していることが幾つかあり、その中の1つには、
現代の子供を育ててる親世代(非行世代と言われていた世代です。この辺にモンスターペアレントと呼ばれる人達がいます。)は何が善くて何が悪いかを学んでこなかったため、子供にそれを教えることができません。
またトラブルが生じると他人に責任を押し付けます。
これは、現代の親世代がその親世代から善悪に関してしっかり教育がされてこなかったためだと思っています。
そして、そんな親を作ったのは日本という国で、その日本を作ったのがアメリカなどの先進国なのかな~っと私は考えています。
この事に関しては去年インターネットで誰かが似た意見を言っていました。
私だけが考えていた問題じゃないことは確かだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、教育だけに目を向けるのではなくてもっといろいろな角度から見る必要もありそうですね。

正直な話歴史の知識は、教科書と授業、受験勉強レベル、大学での講義
そして図書館の歴史書を読み漁ったぐらいの付け焼刃しかありません。
残念ながらそのレベルだと歴史をどう見ていいのか全然分からないのが現状です。

アメリカは短期間で素晴らしい成長を遂げてよい国だと思っています。
しかし、回答者様が仰るように、今の日本の状況を作ったのには
アメリカが大きく関わっていることは事実ですね。
また日本も短期間で素晴らしい成長を遂げて、先進国のうちの一つとなりました。
その反面、悪いものも出てきているのが今の状況といったところでしょうか。

私たちが出来ることは何だろう。パッと思いついたのを書いてみます。
親のせいにしない、総理のせいにしない、アメリカのせいにしない
自分たちでもっと良く考えて行動せねばならないといけないのかもですね。

お礼日時:2009/02/12 21:54

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