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(1)仕事上は誰とでも一緒に仕事をするが
  勤務時間外のつきあいは断る人
(2)勤務時間外のつきあいはマメだが
  勤務時間中に嫌いな人がパートナーになると拒む人

(A)周りと比べて動作が遅い人
(B)Aが許せず怒鳴りつける人

(あ)自分の趣味を相手に押し付ける人
(い)自分の趣味に合わないものをはっきり断る人

(a)世の中のルールを守らない犯罪者
(b)世の中の為にaを死刑にするべきという人

私の個人的意見ですが
日本の風潮では(1)(A)(い)のほうが協調性がないと
判断される傾向にあるように感じます。
でも私自身は全く逆だと考えています。

「断る」「人の輪から外れる」が協調性がないと判断されがちですが
本当は「無理やり押し付ける」「無理やり支配しようとする」などの
集団の中で自我を押しつける人のほうが
周りに対して協調性がないのではないか、と。
本当の迷惑な人なのではないのか、と。
でも、これらはあくまでも私の個人的意見ですので
お気になさらずご自身の意見をご回答ください。

A 回答 (5件)

本当の協調性といっても、何が本当なのかは人によると思うので、あくまで私見です。



>(1)仕事上は誰とでも一緒に仕事をするが
>  勤務時間外のつきあいは断る人
>(2)勤務時間外のつきあいはマメだが
>  勤務時間中に嫌いな人がパートナーになると拒む人

仕事人としてプロの自覚を持つべきだと思うので(2)です。
個人的には、仕事外のつきあいも、非常に大切だと思っていますが。

>(A)周りと比べて動作が遅い人
>(B)Aが許せず怒鳴りつける人

これは状況によると思います。
動作が遅いのが能力の限界だとしたら(B)
単なる怠慢だったとしたら(A)だと思います。

>(あ)自分の趣味を相手に押し付ける人
>(い)自分の趣味に合わないものをはっきり断る人

これは、断然(あ)です。迷惑です。
逆に、趣味が合わないことをハッキリ言う方が、双方にとって無駄な労力を使わず、
結果的に良いことも多いのではないでしょうか。

>(a)世の中のルールを守らない犯罪者
>(b)世の中の為にaを死刑にするべきという人

断然(a)です。協調性がない最たるものだと思います。
(b)は単なる意見として、尊重すべきかと思います。
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(1)・(2)


私は信頼も尊敬もできない相手とは仕事をしません。嫌いな人は信頼も尊敬もできないからであってそんな人と仕事をしてもいい仕事はできません。

(A)・(B)
速い動作に価値を求められるのか、動作の速さよりも結果の質を求められるのかで異なります。
怒鳴ることで何かが改善されるのであれば怒鳴ることにも価値はあるでしょう

(あ)・(い)
勧めるのはいいかもしれませんが、押し付けはよくありませんんw
試しもしないで無下に断るのも新たな世界が広がる可能性をつぶす行為でしょう
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たぶん、和して同ぜず、同じて和せずを言いたいのでしょうが、


質問ペアはすべて協調性の判断にはならないかと。
特に後ろ3つは明確に受け手と送り手の立場になっています。よって、これは恐らく体験に対する不満を訴えたかったのだと推測できます。


協調性の定義が書いてあります。
>集団の中で自我を押しつける人のほうが周りに対して協調性がないのではないか、と。
定義がそうなら、別にそうでいいとおもうのですが。


さて、日本は農耕民族であり、人はあるグループに属していることが前提になっています。組織は会社、家族、友人などの短期では不変の(揮発的でない)ものを指します。
とりわけ農耕民族は家族を超えた社会的作業を重んじます。

協調性には、組織全体のスケールである場合と2者間である場合と、いろいろ考えられます。
組織と、今協調すべきグループが一緒の場合は、「組織ルール」に従うことが協調性のある人です。

設問(1)(2)は、会社内での体験と推測します。「会社内で定義する協調性のある人はどちらか」ということになります。仕事外、仕事内では、グループが違うため同一の協調性を定義できません。ここのところを混同してませんか?汎用的な定義なんて、各自が自分勝手に作っておしまいです。(遺伝子配列と記憶の総体に左右される定義なんて。)
仕事内での協調性なら、「勤務時間外のつきあい」は判定外。よって、
(1)誰とでも一緒に仕事をする
(2)嫌いな人がパートナーになると拒む
に書き換えられ、協調性がないのは明らかに(2)です。

(A)(B)は、判断が付きません。(A)は能力に対する言及で、Aは選択外。協調性とは2者以上の関係で定義できるので、1卓問題です。(B)はなにがしかのルールにそむいた人への注意とも取れます。すくなくとも他人に対する関与(重要)が取れますので、この選択肢だと協調性があるのは(B)、無いのは不明。ただし、怒った内容が独善的かどうかは別です。たとえわがままな怒りかたでも「協調性」はあります。協調性とは温和なことではなく、協調していれば協調性ですから。

(あ)(い)では、両方とも関係がありますが、記述だけで判断すると、(あ)は、意思が型方向に行ったっきりです。(い)は1往復しています。なので(あ)に協調性がなく(い)が協調性があります。

(a)(b)は、両方ともわがままです。(a)は「犯罪」と定義しているので、社会が決めたルールにそむいたということが見て取れますが、(b)は、批判や報復的感情はルール違反のうちではありません。
この記述だけだと(a)に協調性がなく(b)が協調性のある人間です。

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全般的に、質問者様は判定をいくぶんどんぶり勘定をしてることと、多少「協調性」の定義と判定に、利害がからんでいるように思われます。
協調性の名をかたって、好き嫌い判定に帰着されてはなりません。

何度も言いますが、定義されたグループ内でルールが決まり、協調性が定義されます。
また、協調とは温和である事でもなく、事なかれ主義でもなく、複数者間での関係を集団内で安定的に維持することだと思います。
(集団内で関係が変わってもいいのです。つまり、A,Bと強かった結びつきがC,Dになってもいい。すなわちA,Bとの喧嘩自体は構わない)

以上を以てすると、質問者様の定義はやや基準を外しています。
>「断る」「人の輪から外れる」が協調性がないと判断されがちですが
>本当は「無理やり押し付ける」「無理やり支配しようとする」などの
>集団の中で自我を押しつける人のほうが
>周りに対して協調性がないのではないか、と。

人間間で、どんな意思が投げられ、どんな意思が返され、結果どんな風に人間関係リンクが変化しましたか?それを持ってしないと協調性の判断はつかないはずです。


私は協調性のある人を(1)(B)(い)(a),
協調性の無い人を(2)(*)(あ)(b)と導出しました。

>「断る」「人の輪から外れる」が協調性がないと判断されがちですが
これって本当ですか?


人は仮想敵を定義し、打ち勝つことで自己を安定させることがあります。
以下はその例です。
・世間を愚か者寄りに定義して、それを批判する。集団至上主義、恋愛至上主義など。
・自分を被害者、世間を加害者に見立てて、それを批判する。金持ちたたき、学歴社会など。


質問自体は普通ですが、もし仮にこの質問が、上記の一端にあたるものであれば、今度は逆の視点も考えてみてください。
また、アンケートコーナーでアンケートを取って、質問時にリンクを張る形式の方が、主張と事実確認を分ける意味ですっきりすると思います。
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ナンセンスです。


協調性と個人主義は対立概念ではないですよ
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協調性を問う設問になっていません。



あえて言えば(1)(2)の例ですが、
(1)の人は仕事において協調性があるが(2)の人はアフターファイブの協調性があるということになります。
好ましいのは仕事においても仕事外においても極端でなく、ほどほどに自分の都合を優先しながら、ほどほどに自分を犠牲にして仲間と合わせる人ですか。
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