回答専門者の理論で、「調べりゃわかる」という言い方がよくありますが、それは専門カテの問題、コンクリートな問題の場合です。「調べりゃわかる」と常套句を吐いているような、回答者の心理にかんする質問は主に「心」をあつかっていますね。なぜ回答専門者はこういう心理なのかとか。それはどう調べたって答えがあるはずがありません。それから、心理哲学のカテにあるような、もろもろの人生問題、心理問題、そういう人間の答えのないところの好奇心、そういうものをどう思っているのか。
その答えのない問いをどうして発しないのでしょうか?人間に興味がないから?心が枯れているから?すべてを受容して疑問を持たないから?いずれにしても、人間としてかなり終わっていると思うのですが。
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
心の問題という事は、人間はどうして心が苦しくなるのか、漠然とした不安や、死を考えた時の、苦しい想い、或いは、究極の苦しさ、気が狂うのではないのかという、深淵をのぞきこんだ時の感じ、或いは恐怖感。
という事を貴方は問題にしているのかと思います。この感じ、何時も不安にさいなまれていて、人生そのものが不安ではないのか?という事を他人は感じていなのか?という事を貴方は不思議に思っているようですが、他人が感じていないと思っている貴方は勘違いしていると思います。
私は素人です、精神科医では有りません。ですが14歳から32歳まで「死」という事に取りつかれた経験が在ります。四六時中「死」には悩まされた18年を過ごした経験が在ります。死を考えた時に、心は休まらなくなります。絶えず苦しい想いは続きました。18年間毎日死刑執行の日という気持ちで生きて来たものです。
その「心の休息が欲しい」という状態が長く続いた事から、神経症の中の「離人症」というものになって、森田療法というものを受けた者です。鈴木知順先生の診療所に2ヶ月間入院森田療法受けた者です。
入院中に先生は言っていました。今はどんな話をしても、判らないだろうが、聞いておくように、分かる時がきたなら、ピタリと分かるから。という話から話を始めていました。「ノイローゼの1年は坐禅を10年した事と同じ」「ノイローゼは悟りを開かないと治らない」
そうして講話という時間に、禅の話、弓道の話、剣道の話、その他にも沢山の話を聞かせてくれました。その時は全て、ちんぷんかんぷんでした。自分の神経症と「禅」の何処が関係しているのかという事が、まるでわかりませんでした。
退院してから四年後の事、自分の自我意識が、自分の「無意識の意識」に出会うという体験が在りました。それ以後「死」が怖くなくなりました。神経症も完治しました。今まで不安で仕方が無かったものが、絶対の安心という風に替った経験が在ります。この経験から、貴方に書いてみます。心の秘密というものがどういうものかという事を書いてみます。
人間は何かしらの不安を抱えています、それが大きいか?小さいか?或いは強いのか?弱いのか?という程度の差は有りますが。この不安が何処から来るのかが分かりました。是は人間の心が二つ在る事に因ります、自我意識は顕在意識です、しっかり意識出来ます。是は多分左脳に在る意識と思います。それに比べてもう一つの意識「仏性」は分かり難くなっています。どうしてかと言いますと「無意識界」を司っているからです。
人間の心は意識と無意識で成り立っています。無意識は意識出来ません。この事が精神疾患を難しくしています。
貴方が抱えている不安を他人は感じていないと貴方は思っていますが、感じている人達は沢山居るようです。その最たる人達とは、精神疾患で苦しんでいる人達です。精神疾患とは自我意識が仏性と仲たがいをしている状態の事です。何時も自分の心と自分の心が「言い争い」をしている状態という事です。そしてその事が分からなくて自我意識が仏性から圧迫を受けています。是が精神疾患の辛さという事です。自分の心が、自分の心に圧迫されているという事です。
その中でも軽いものが「神経症」と昔、呼び名が付いていたものです。神経症とは、症状は様々在りますが、自我意識が「仏性」の存在が分からなくて、「自我意識だけで」生きて行こうとしている事です。或いは自我意識が仏性が教えてくれるものに対して、恐怖心を抱いてしまって、仏性の働きを無視している事に相当します。
その他にも仏性と対立と矛盾を起こしていて、その不安のために、体に影響が出ているものが在ります。是が自律神経失調症というものです。或いは過敏性腸症候群など、機能的に異常が無いのに症状を訴えて本当に症状らしきものにまでなっているものです。
是等の心の疾患等も元を正すなら、「不安」がその元をなしています。人間の不安はもう一つの心の存在が分かりにくい事から難しそうに見えています。ですが本当は単純で簡単な事が原因と言えます。
この事は聖書などにも在ります。人間の心が安定している状態を「天国」という風に呼んでいます。人間が幸せな心で生きている事の例えです。天国に一番近い存在は幼子という風に書いて有ります。この事の意味は「まだ脳の機能が発達していないので、一つの心で生きている」という事になります。大人の脳に近くなる頃すなわち。「脳の機能の分化が完成に近くなる頃」人間の悩みが始まります。
この事は心に矛盾が生じ始めると言う事になります。もっと言うならば「心が分裂」をしてしまうという事になります。この心の対立と矛盾を自我意識は「漠然とした不安」という風に感じます。この矛盾の大きさが不安の大きさと比例すると言えます。
今の時代に心の問題を教えてくれるところが無いという事かと思います、心の問題の専門家、精神科医でさえも神経症の起こる原因を特定出来ないでいる事が多いように見受けられます。例えば、上がり症でも、書痙でも、吃音やその他の症状でも、「神経症の起こる原因は良く分かっていませんが」という言い方から始まって薬が処方されて治療が始まっています。
神経症の原因は「自我意識」だけで世の中を見て、自我意識だけで、世の中を渡ってゆこうとしている状態です。無意識を利用しない、或いは出来ない、或いは無視しているという事がその元になっている事が原因です。
精神疾患というものも自我意識だけを相手にしていて、自我意識だけで心の調子を整えようとしている事に当たります。
自律神経失調症など体に係わる、悪くないのにもかかわらず、症状らしきものが出ている状態は、自我意識だけで体を心配して、体の調子を整えようとしている事に当たります。
心の苦しみ、悩み、人生問題などに共通している事も今言った事と同じ原因が在ります。それは自我意識(左脳)に問題を抱えている状態と言えるからです。自我意識の機能は分別する事が出来るという事です。他の言い方をするなら、分別出来ない問題には対応できないという事になります。
分別するという事は、論理的に出来ていて、計算できる事という条件が付いているという意味になります。分かり易い表現をするならば、割り切れる事が得意な脳と言えます。出来ない事は割り切れない問題を解くと言う事になります。
この事が昔も今も人間を苦しめています。割り切れない問題というものは、矛盾している問題という事になります。つまり人間が生きて行く事は矛盾に満ちているという事です。
割り切れる問題は有限の範囲に入るという事になります。自我意識は有限の事を担当しているという事になります。割り切れない問題は無限に属しているという事になります。割り切れない事を普通は無限という言い方をしているからです。無限とは言い方を替えたなら永遠という事になります。
人間の不安を題材にしてその不安を乗り越えて来たものが在ります。西洋では、ユダヤ教、キリスト教などです。東洋では仏教という事になります。仏教の中でもお釈迦様の「悟り」というものを直に心から心に伝えて来たものが在ります。是は不安解消の心理学と言っても良いものです。
人間の心に湧き上がる、不安や恐怖心などのその元を掴み取れ、という事を目指しています。人間の不安は、その不安を起こしているものが人間の心の中には存在している、という事です。その不安を起こしているものを直に掴む事によって、「人間の心に湧き上がる不安を根こそぎ解消しよう。」という事です。
禅問答というものがその元を掴むためのテキストという事になります。その理論です。人間の心を不安にしているものは人間の中に在り、それは普通の考え方では掴む事は出来ない。人間の心は自我意識だけで出来ている訳ではない。しかしその事は判り難い、人間の苦しみは人間自身の心の働きによってそうなっている、しかしこの事は分からないに等しい、しかし分からせなければならない。ではどうするのか?
という事が禅問答の前提に在ります。
これから書く事も理論でしかありません。人間の苦しみは、人間の心の矛盾である。自我意識の他のもう一人はどうしたら出てこれるのか。という事が禅問答の前提条件です。
人間の苦しみとは分別脳で、分別出来ない事を解決しようとする事。感情、未来、過去、失敗、成功、不安、意識する、意識をしない、生きると言う事、死んでゆくという事、或いは死にたくないという事。是等は、理論では先に進みません。
或いは、この人と結婚をしたら幸せになれるのか?という事でも、自我意識には回答できません。なぜならば、論理的に組み立てる事が出来ない事が前提条件に在るからです。「誰も明日の事は分からない」からです。この事が人間の心を不安にしています。
どうする事も出来ない、でもしたいという希望、或いは願いが在る。この心の矛盾が人間の苦しみとなります。
死ぬ事は決まっています、ですが死にたくないと思います。それは神の座を狙っている事になります。永遠の命を欲しいという衝動が在ります。この心の落差が心の苦しさとなります。生き難さという事になります。
この障害が全ての人間の心に動いている不安にかられるという事の潜在的な原因、動機となって人間の心に深い闇を見せています。この狂気とも思える心境、狂人の心が分かるような気がする瞬間。これらに共通する事は、全てが「心の分裂」によって自我意識が圧迫される現象です。
この事の解消が禅問答を解く事の中に存在します。この問題解決方法、人間の究極の心の癒しが禅問答を解く中に在ります。
人間の苦しみとは、「有限の壁」を越えられない苦しさと言えるからです。如何して越えられないかというと、人間の頭の使い方に在ります。分別脳で考えているから「永遠が」手に出来ません。自我意識(左脳)の能力に限界が在るからです。
人間の自我意識には出来ません。その事を分からせる事を目的にして生まれたのが「禅問答」と言えるからです。人間には出来ます。ですが自我意識には出来ません。
精神疾患等も同じ原因でつまずいているという事になります。人間は健康になる事、或いは健康に生きて行く事は出来ます。ですが自我意識だけで生きて行こうとした場合には出来ないという事です。
自我意識だけを認めて、それ(左脳の意識)だけで生きて行こうとする事が人間の苦しさ、生き難さを招いています。
禅問答は、自我意識の限界を教えています。有限の事しか出来ない脳に永遠の原理を教えてくれようとしています。仏性は永遠で出来ています。永遠という事は「神」という事を意味しています。禅問答が教えようとしている事は、心の分裂の終結という事です。
計らいで生きて行く事の限界を教えています。計らいを捨てよ!「我」を捨てよ!という事になります。その時に自分自身の「もう一つの心=仏性」が出てきます。それは「神に会って和解」という事が成立した事になります。ここを持って心の分裂が終結します。
この心境が「神の御心のままに」という事になります。仏教的に言うならば「あるがままに」或いは「平常心」という事です。今まで自我意識は仏性の教えようとしている事を認めようとしませんでした。目の前を「妄想で」見ていました。今度は現実を認めています。現実を受け入れる事が出来ます。
この事で心は二度と矛盾と対立を起こさなくなります。心に平安が訪れます。心が騒がなくなります。この事を「涅槃」と言います。不安の元が自分自身であった事が判るからです。不安が安心に変わるという事になります。それは絶対の安心という事になります。
それは「神と和解が成立した」という意味が在るからです。すべての障害の終決という事を意味しています。人間の苦しみとは「今を受け入れられない事」と言えるからです。絶対肯定という立場になった時に、もう人間の心には「苦しみ」が無くなっているからです。
ありがとうございます!
大変感銘し、また過去の自分がこのことについて体験したこと、あるいは伝聞したことの査証が得られた気がします。
私は、過去かなり長い間、心身症、自律神経失調に苦しんできました。それが結局は「現実を受け入れない」という頑なな、しかし当時の私としては不可避なことであったのです。その結果、長い間分裂してしまったのですね。広大な無意識領域(仏性)をないがしろにしてきたのです。心の分裂です。「こうでなくてはならない」をがむしゃらに押し通してきました。そして無残に敗れたのです。それ以来、心がsosを発して人生を支配する、心身症を起こすということを実感経験いたしました。だから、無意識領域の話は実に身近なのです。
その仏性と折り合わなくてはいけないことを改めて思い知ったしだいです。
No.9
- 回答日時:
補足読みました。
どうもあなたは回答なり参考意見なりを求めているのではなくて、議論を吹っかけたいのですね。
私の回答の主旨を読み解くよりも更なる反証の追及を優先される方にお付き合いすることに意義を見出しかねます。要するに回答のしがいがないのです。
一つ指摘しておきますが、私が思索する事とあなたへの回答は別ですよ。ごっちゃにしないで下さい。心理カテに質問をしない理由で思索を出しているのであって、あなたへの回答で思索などこれっぽっちもしていません。
>その回答とも解答ともどちらとも判然としない回答を引っさげて、こんなところに書き込みをする必要もありますまい。
ですから、私の回答の意味が解からないのでしたらそれでいいですということです。確かにあなたには私の話が通じないのだから、書き込みする必要はない。それは理解できましたよ。あの回答が気に入らないならそうおっしゃればいいだけなのではないかなと、私なんかは思いますけどね。別の問題の答えと強引にくっつけて不要論に持っていくより余程すっきりします。
>もし、本当に思索するんだったら、人の意見も聞いてみたいと思うでしょう?そんな必要もないほどに、自身の思索に自信を持っているのですか?
逆ですというか、そのレベルまで行ってないからお聞きしないという事は考えられないのですか?特に心理学を勉強しているわけではないですし、必要なとき必要な勉強をしています。ぶっちゃけ、私はラカンが途中で理解できなくなってしまいましたし、ユングも解かったようなわかってないようなレベルなのです。問題提起なんてとてもとても。
ただ、あなたの質問は別にラカンやユングを理解できなくてもわかることだったから書き込んだだけです。私の思索とあなたの問題はなにもクロスしていませんし、単純な言葉のロジックや事象でしかないから述べただけです。
どちらかというと、あなたの問題にされていることは心理というよりロジックの問題なのかなとの印象も強いです。実際、あなたの文章はその点で非常に扱いづらい。整理されていなさ過ぎて、私への補足のように関係ないものを関係付けてしまう。心理よりそちらが大きいから指摘しただけです。
例えば、もう一つの質問の「まともな質問にケチつける回答者でかつ常識をたてに取らない人」もそうです。あなたがお聞きしたい事は、「たてに取らない人」がどうなのか、その先を明らかにされていない。そういう人は多いのか少ないのか、多いのはなぜか。そういう風にきちんと文章を書き上げてあればいいのに中途半端に投げ出してます。更に常識派が多数なことの質問かと思いきや、セットなのはなぜかときます。何が聞きたいのか。
そんなに問題にするほどでもないことをあえてそれぞれ完結させない事によって、いかようにも議論できる余地を作っているともいえます。
常識派が多数になるのは在る意味自明でしょう。皮肉屋が特に多い集団でなければ。非常識論法で行くとしたらちょっとひと手間ふた手間、ひねりが要ります。しなければ自爆してしまいます。それだけの理由なのではと思えるのですけど。
皮肉ではなく、あなたの「国語」の問題が事態を起こしている。もしかして、あなたは承知の上なのかもしれません。
どうもあなたには通じないようですから、これで終わりにしたほうが良さそうです。
なあるほどねぇ、とすっかり理解できましたよ。で、この回答にもなにやら付けるんでしょうね。で、逃げたと。
ハイハイ。逃げますよ(笑)。確かに質問なんか出来ませんよ、うっかり。とてもいい勉強になりました。失礼します。
この回答への補足
ユングやラカンでなく、このカテで出ているようなくだらない疑問についての話ですよ。そのくらいわかりませんか。日常の疑問疑念をどうしてもはらしたいという思いのことです。
補足日時:2009/04/09 21:59No.8
- 回答日時:
garcon2000さんはたてつづけに質問をされていますね。
あなたの文は、私が理解力が低い事を割り引いても、わかりづらい文章です。質問の整理が出来ていない印象です。
どうやら何か、ここのカテやその他のカテで不愉快な思いをされたのだということはわかります。それがどうやら回答ばかりで質問をされない方のようだ。だからって、その回答者が質問をされないことに対して憤っても仕方がないような気がするのですけど。
いや、私憤で質問しているのではなくて、例えば、心を扱っているカテなら、そういう問題に解答する以上は、
>もろもろの人生問題、心理問題、そういう人間の答えのないところの好奇心、そういうものをどう思っているのか。
そういう関心はあるだろう、当然、なのになぜ質問しないのだ?
とこういう疑問ですよね?
それに対して、勝手に、
>人間に興味がないから?心が枯れているから?すべてを受容して疑問を持たないから?いずれにしても、人間としてかなり終わっていると思うのですが。
言い切るというか、問いかけるというか。。。。
正直いって、どういうからまれ方をされたのか知りませんが、あなたにも問題はあるということわかりませんか?
その回答者は私ではないのは確かだから、どういう方でどういう考え方かわかりません。ただ、私自身の事ならわかります。私も人や人の心それにまつわるもろもろの事、関心を持っている人間です。でも質問しません。
それは人に興味がないからでも、枯れているからでも、ましてや人間終ってるからではないですよ。
その答えのない問いを発しない事を問題としていますが、人に発するより、自分で思索する事が人の心を考える事の真髄ではないかと思っているからです。勿論判らなければ聞けばいいのです。でも聞く必要のない人にまで質問しないことをもって、勝手にその人の人間性まで憶測、非難できるという事に驚きを感じます。
確かにもしかしたらその人は何かの魂胆があるのかもしれません。それで警戒して質問をしないのかもしれません。あるいはまるで心の問題など興味もなければ悩みもしていないもかもしれません。ただ単にあなたの質問文のどこかの不合理性を突いただけなのかもしれません。どれなのか私にはわかりません。
ただ、はっきりしている事は、その回答者があなたの思うことをしてくれないからといって、勝手に決め付けをするのはやめたほうがいいです。
あなたは多分まだお若い方なのでしょう。自分がしている事の意味が良くわかっておられない。あなたの問いかけは、本来こうであろうという装いも持った、その回答者に対する煽りですよ。
そうではないといわれるのなら、質問をされる前にもう一度、聞きたい事はなんなんだ、なぜ自分は聞いているのかをはっきりさせて、読み手にわかりやすい文にしてください。そういう作業をしていくとあなた自身もわかっていくことが多くなると思います。
この回答への補足
ではなぜ、回答をするのでしょうか?まったくのナンセンスではないでしょうか?問いは発しないが、人の問いにだけは答えることの不均衡をどう考えていらっしゃる?思索することが人の心を考える真髄ではないかとおっしゃる。それならば、その回答とも解答ともどちらとも判然としない回答を引っさげて、こんなところに書き込みをする必要もありますまい。もし、本当に思索するんだったら、人の意見も聞いてみたいと思うでしょう?そんな必要もないほどに、自身の思索に自信を持っているのですか?
補足日時:2009/04/09 18:08文章がわかりづらいのはたしかにそうですね。
失礼いたしました。心理カテの他の質問も読んでおられるカナという前提を勝手に立ててしまっていました。また文章もおっしゃるように、自分本位な表現です。
で、今回のご回答内容で感じたことです。
つまり、あなたの姿勢は、
発表だけして受容しない。ギブだけしてテイクしない。自分流のものしか受け入れない。人の流儀のものなんて歯牙にもかけない。そういう、著しい意固地な姿勢だとしか思えませんね。
No.6
- 回答日時:
ぽこぺろぽです。
ガーコンさん、あなたにはわかっているではありませんか。彼らは質問が存在しなければ、回答も存在しないことさえわからないのです。キリストも十字架の上で叫びました。「父よ、彼らを赦し給へ、その為す所を知らざればなり」と。彼らには質問の仕方さえわからないのです。私は彼らを赦します。まともな人間だと思うから腹が立つのです。どうせなら笑ってあげましょう。
たとえばこのカテで「質問しかしない人の心理とは」と質問を立てても、質問専門者からの回答は期待できないでしょう。それと同じくらい彼らにまともな心を持つことは期待できません。「調べればわかる」もし質問したらどういう回答が返ってくるのかわかるわけはありません。それを知りたくないと思うくらい彼らは知的に怠惰なのです。
ガーコンさん、養老さんの「バカの壁」をお読みください。彼らのような人について詳しく書いてあります。ついでに私の「嫌な回答」運営者が無断で締め切っちゃいました。ガーコンさんも新しい質問を立てられたらお伝えください。
ぽこぺろさんの精神的聡明さと意志の強さを感じますね。
私にはその包容力行動力が欠けておりますが、そのエネルギーと洞察力に敬意を払います。
結局
行動力
の問題かもしれませんね。
やってみりゃわかる、つまり、自分を耕す行為、PCの前に座って文句をたれているだけでなくて、なにか「創造的」になること。なりたいこと。自分を開発したいこと。そ言う動機、つまり、「自分」って何だっと言う問いです。その問いを発し向き合うことができるかどうか。人間素直なのかどうか。そのことってすごく大事じゃないですか!
そこを通り抜けてしまってずるずる文句たれている人間って、可哀想ですね。というか、中毒症状社会迷惑です。
「質問しかしない」の質問立てるのもまた一行だと思いますね。教えてクンの思考、何も与えてやるか、損するじゃないかってね。それで、お礼なんてめんどくさい、回等が集まったからいいや、今度質問するときに足りなくなったら締め切っちまえばいい。
だから、質問しかしないんです。の回等は期待できない。
回等しかしない。なぜか、それは質問していやな思いをしたくない。そういう感動する心とか疑念を持つ素直な心がない?だからの回等もない。
一種の翻訳作業ですかね。便りがないことの意味、行間の意味とかね。
馬鹿の壁を読んでみたいですね。
No.5
- 回答日時:
>これはずいぶんと勝手な思い込みですね。
どう読んだらそんなことを感じるでしょうか。質問の趣旨は、「なぜ、心の質問をしないのか」といっているじゃありませんか。私の最初の回答の一部繰り返しになります。
「なぜ、心の質問をしないのか」というのは貴方が質問文に書いているように「答えのない問い」です。
「答えのない問い」には「私はこう思う」といった意見が返ってくるだけです。
自覚していなければ別ですが、「答えのない問い」であることをわかっている人が、そのような問いを発して答えを求めるはずがありません。
したがって、私は貴方が意見を求めているものだと判断しました。
どこが「勝手な思い込み」なのでしょうか。
私にはさっぱり理解できませんので、教えていただけませんか。
私の最初の回答に対して「なるほど。最もですね」と答えていただいたのはなんだったのでしょうか。
なお、「WHY DON'Tの趣旨」であっても「答えのある問い」「答えのない問い」両方が成立しうるので、この問題とは話が違うのではないですか。
〉ひとつ言えることは、感動する心を失ってマニュアル化しているってことじゃないですかね?質問しなければいられないような感動や疑念あるいは憤りなんていう感情は、想像もできないのじゃないですかね?
これも最初に書いたことですが、「感動」してもそれをここで表さないだけです。
それを理性が勝っていると捉えるか、それとも感情が乏しいと捉えるかはお任せします。
この回答への補足
「こう思う」は意見であり、またそれは≒回答ですよ。そんな「解答」なんてあるこんな分野でわけないじゃないですか。
ororinさんが理性的で聡明で精神的にも根が張っている人だということはよくわかります。
しかし、理性が勝っている ということを自負している状態というのはどうなのかなと感じますね。それは自負することなのか?
私は、感動が勝っている人間なので、理性的な人間にどうしても嫌悪感があるのです。わかりますよね。感動が勝っている人間を心では軽蔑しているのではないでしょうか?その断絶感というものがこのやり取りで感じられますよね。
No.3
- 回答日時:
私はここで意見を求めたことはありませんが、それによって他の人が求めるのを戒めたいわけでもありません。
その辺はもはや個人の好みの問題ではないかと思います。
それに意見を求めることをすべて禁止にしてしまうと、相談系の質問が成り立たなくなってしまいます。
今回の場合、貴方の質問が「私はこう思う」という意見を求めているものだと判断しました。
ただし、私は回答専門者なので、私の「私はこう思う」は回答専門者の心理として、ある意味では正しい答えとなりえます(普遍的かどうかは別問題です)。
ですから、これを踏まえた議論ということはありうるでしょうが、私の発言そのものに関しては議論の余地がないはずです。
それと、「大学の心理学科で学ぶ」ことを現在や未来のこととして受け止めている人はいるでしょうが、私にとってそれは過去のことです。
ですから、私がそのような相談に乗ることはあっても、もはや私からそのような相談・質問を提起することはありません。
そういうこともあって、回答専門者になっている面もあるのです。
なんだかよくわかりませが、ひとつ言えることは、感動する心を失ってマニュアル化しているってことじゃないですかね?質問しなければいられないような感動や疑念あるいは憤りなんていう感情は、想像もできないのじゃないですかね?
No.2
- 回答日時:
ネット上のそれもその質問の一面しか見てない限定された人に訊くの?
どうして発しなきゃいけないのかこっちが訊きたいけど
ビートたけしじゃないけどこんな掲示板にマジになっちゃってどうすんの?
じゃないですかね~。
そういう質問は親しい友達や先輩と面と向かってしてます。そういうこと友達に
訊けない人のためだけにネットがあるわけじゃないでしょ。
どちらかっていうと都や市町村のお悩み相談にでも電話したほうが
マシじゃないの?
まあ神経質なぐらいマジな質問ぶってくる人は結構追い詰められてる人
が多いのかもしれないけど。
至極最もですね。しかし誤解なきよう申し添えますが、身の上話じゃあなく純粋に心の疑問とか好奇心という問題ですね。そいつを日常的に感じないのかという感じです。回答者さんはしかしそういう限界点を自覚しながらそのな手の質問に得意げに回答するわけでしょう?矛盾してますね。
No.1
- 回答日時:
「答えのない問い」を発しても「私はこう思う」といった意見が返ってくるだけで、正しい答えが得られるとは思えないからです。
なにせ「ない」のですから。
それは議論のネタにはなるでしょうが、私の場合そういう議論は身近な人と済ませてしまいます。
ここは意見を聞くところではなく、答えを問うところであると弁えて、発しないだけです。
なるほど。最もですね。しょせんは議論ネタになるだけでしょうからね。しかしその限界を自覚して回答者さんはこの手の質問に答えるんですよね。自分は例外的な回答をしているという感じでしょうか?
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