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にわか三国志ファンです。
赤壁の地名の由来について、教えてください。
以前、何かで赤壁の戦いのことを初めて聞いた時は、「戦争で燃やされた船の炎が岩壁に赤く映って壁が赤く見えたため、赤壁と呼ばれるようになった。」という説明に納得しておりました。
ところが、映画レッドクリフでは、戦争の前に曹操が見る地図には赤壁の地名が載っていました。
羅貫中の「演義」では、黄蓋が曹操軍の方へ船で向かう場面で赤壁の地名が出て来ています。(勿論、原書ではなく、日本語訳ですが。)
吉川英治版では、曹操軍の船が炎上する場面で、赤壁の名が出て来ていました。
北方謙三版では、戦争後に赤壁と呼ばれるようになったと書かれています。
ネットや他の書物でも、戦争後に名が付いたとする説明が多いようです。そうすると、羅貫中版や吉川版、映画版には強い違和感を持ちます。
どなたか詳しい方、教えていただけませんでしょうか?

A 回答 (2件)

戦後で合っていると思います


その辺は読み手に分かりやすくするためでしょう
たとえば名前だって劉備というように名前で呼ぶことは
ほとんど無く字で呼ぶのが普通ですが字の知名度が
低い方ばかりなので大抵名前で呼ばれています
小説なのだから史実に忠実よりも読み手が楽しむほうを
重視するのはやむ得ないと思います
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/06 22:24

吉川氏や北方氏の著作をはじめ日本の小説家の作品のほとんどは、自分の創作したエピが多く含まれているそうです。

横山漫画もしかりです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/06 22:24

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