10秒目をつむったら…

 日本語を勉強中の中国人です。外国人の私の読書の方法についてお伺いします。読書を通して、次の目的に達したいと思います。

1.日本語の語感を養いたい。
2.現代でも使える語彙を増やしたい。特に、動詞をたくさん増やしたい。例にあげると、「見る」のような基本レベルの動詞ではなく、「見てとる」のようなレベルの動詞を習得したい。
3.豊かな表現方法を身に付けたい。たとえば、次のような質問に答えられるように。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4946433.html

 近代の小説(夏目漱石、森鴎外など日本の文豪たちが書かれた小説)と現代の小説(現代の作家が書かれた小説)と二つの系統があるのですが、どちらを読んだほうが良いのでしょうか。あるいは、それぞれから何を得られるのか、教えていただけないでしょうか。

 また、質問文に不自然な日本語の表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (6件)

読書量は多いほうではないので詳しい方にお任せしたいと思いますが、ほんの少しだけ触れてみます。




夏目漱石は晩年「則天去私」という心境に達した作家で、基本的には欲や煩悩との葛藤に悩む人間像を描いた作家と言えるように思います。
#1さんおっしゃるように読み継がれ、淘汰されてきただけの魅力ある作品が多いはずです。
ただ、味のある文体なのですが、ご存知のように当て字も多いですし、会話文をはじめとして古い言い回しがどうしても多くなっています。
その意味では、「現代的な日本語の勉強」には不向きかもしれません。
興味がおありでしたら、文芸作品と割り切ってお読みになるのは良いのではないかと思います。


日本語の勉強という点では、やはり現代文学が良いのでしょうが、1mizuumiさんご自身が興味をお持ちになれる内容かどうかを確かめたほうが良いでしょう。
>何を得られるのか
:は作家によって異なりますし、 1mizuumi さんが興味をお持ちになった内容によって違ってくると思います。

現代的な日本語表現という点では、
小説以外にも良いものがあるかもしれません。
私たちが中高生の頃は、
朝日新聞のコラム『天声人語』を読むのが読解力を養うのに有効だとよく言われたものです。
受験勉強の一貫としてもよく推奨されていたことを思い出しました。
文章力のあるベテラン記者が、日常社会・政治・経済・家族・科学・文学・美術などなど、あらゆる角度から随筆のようなタッチで新聞に毎日掲載しています。

たとえば次のような内容です。
字数も手頃と思います。
http://www.asahi.com/paper/column20090506.html
それらをまとめた本もあるようなので、ご参考までに掲載しておきます。
http://search.books.rakuten.co.jp/bksearch/nm?g= …
  

この回答への補足

書き間違いました。疑問点は一箇所だけです。

>興味がおありでしたら、文芸作品と割り切ってお読みになるのは良いのではないかと思います。

「文芸作品と割り切って」はどういう意味でしょうか。

補足日時:2009/05/13 23:16
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この回答へのお礼

 早速のご回答ありがとうございます。夏目漱石の特徴をご紹介いただき、大変助かりました。『天声人語』に一時期はまっていました。やはり読解力を養うのに有効なんですね。また読んでみます。ご回答文に二箇所意味がわからないのですが、教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

お礼日時:2009/05/13 23:06

#2です。



>「文芸作品と割り切って」はどういう意味でしょうか。
:「割り切る」は「単純明快に結論を出す」というような意味です。
「文芸作品と割り切る」は、
『「漱石の作品は文芸作品である」と単純明快に結論を出す』
という意味になります。
『漱石の作品で「現代的な日本語の勉強」をしようとする』のではなく。
ということを示唆しています。

このように、
「○○と割り切って~」という表現は、通常、
「△△ではなく、○○と割り切って~」という構図になっています。

(ex)
・B さんは、自分の責任ではないことで上司から叱られて「こんな会社辞めてやろう」とその時一瞬ですが思いました。
でも、生活のためと割り切って仕事を続けました。

のように使います。
「でも、辞めるのではなく、生活のためと単純明快に結論を出して仕事を続けました」
という意味になります。
「割り切って~」は『(自分自身に)言い聞かせて~』と解釈できることも多いでしょう。

改めて今回の場合に当てはめてみると、
「漱石の作品は、日本語の教科書としてではなく、文芸作品である(芸術作品としての価値を楽しむ)とご自身(1mizuumiさん)に言い聞かせてお読みになるのが良いでしょう」
ということになります。

どちらにしようか迷っている状況での表現としてよく使われる慣用句と言っても良いでしょう。
 
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この回答へのお礼

 たびたびありがとうございます。意味はよくわかりました。またいい慣用句を覚えました。詳しく教えていただきありがとうございました。

お礼日時:2009/05/14 21:28

#2です。


『天声人語』に関して一部リンクできないurlがあるようです。
「朝日新聞社の速報ニュースサイト(asahi.com)」
http://www.asahi.com/
から、ニュース→コラム→天声人語 と検索なさると過去一週間分の内容が常にご覧になれます。

このコラムはネイティブからも一目置かれている「正しい日本語」の見本みたいなもの、という印象が私にはあります。
実際の大学入試問題にもよく採用されているようです。
ご参考になさることを改めてお勧めします。


全体的に違和感はありませんし、大きな間違いもありません。
十分通用する内容ですが、少しだけ手直ししてみます。

A.《外国人の私の読書の方法についてお伺いします。》
a.
「外国人の」でも構いませんが『外国人である』とするほうがベターです。
【外国人という立場にいる(私の読書法)】というニュアンスが伝わりやすくなります。

b.
また、「方法」について聞きたい時には「お知恵を拝借」という慣用句を使っても良いでしょう。
あまり重要でないことに使うと堅苦しくなりますが、今回のような場合は有効と思います。
「読書の方法」は「読書法」と略して差し支えありません。

c.
『外国人である私の読書法について、皆様のお知恵を拝借したいと思います』
『外国人である私の読書法について、皆さんのお考えをお聞かせください』
『外国人である私の読書法について教えてください』
などのように表現できます。
むろん、原文のままでも特に問題はありません。

B.《読書を通して、次の目的に達したいと思います。》
このままの構文であれば、#4さんおっしゃるように「目的」を「目標」に置き換えたほうが良いでしょう。
個人的には、
『因みに、次のような目的で読書したいと考えています』
という表現のほうがしっくりきます。

C.《あるいは、それぞれから何を得られるのか、教えていただけないでしょうか。》
「あるいは」ではなく『また』を使うべき箇所だと思います。
「あるいは=or」
「また=and ・ moreover 」
です。
 
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この回答へのお礼

 お気遣いいただきありがとうございます。『天声人語』を見ることができました。ぜひチャレンジしてみます。質問文の添削にも感謝いたします。「お知恵を拝借」という慣用句を覚えました。早く使いこなしたいです。本当にありがとうございました。

お礼日時:2009/05/14 00:06

そういう目的でしたら、鴎外や漱石はおすすめできません。


古い言葉づかいをしているので、現代でそのまま使用したらマチガイみたいになってしまうものもあるからです。
(有名なところでは、副詞の呼応が現代と違っていたり。あと太宰なんかは「死ぬ」の終止形を「死ぬる」と書いていたり。)

現代小説から得られるものは、現代の日本の風俗や習慣ですかね。
何気ないところで、たとえばスイカで買い物していたり(フルーツのスイカとは関係ありません)、味噌汁とハンバーグを一緒に食べていたり、メールが来ないと嘆いてみたり、そういう日常の感覚が習得できます。

質問文の不自然な日本語については、「次の目的に達したいと思います」は、「次のような目的を果たしたいと思います」か「次のような目標に到達したいと思います」の方が自然です。
でも指摘してくれといわれていなければ、気づかないぐらいの齟齬感です。
徹頭徹尾自然な日本語なのでびっくりです。
(ちなみに私は「中国人です。外国人の~」の言い換えは不自然に思いませんでした。視点が変わってるんですよね、そこで。前の方ごめんなさい。)
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この回答へのお礼

 近代小説と現代小説についてそれぞれご助言をいただきまして誠にありがとうございます。大変参考になりました。質問文へのご指摘にも感謝いたします。これから気をつけます。本当にありがとうございました。

お礼日時:2009/05/13 23:54

1mizuumiさん、歓迎、歓迎。



> 外国人「の」私「の」読書「の」方法についてお伺いします。
 →この前文に「私は中国人です。」と説明しているので、
 「外国人」は省略する方が読みやすいです。
 →「の」が連続使用されているのは、読みにくいです。
 省略すると良いです。
 →お伺いします は、正しいですが、少し表現が硬い(丁寧過ぎ)です。
 ここは学校ではないので、もう少し友達感覚でもOKです。
 →私の読書方法について、ご相談が有ります。 とか。

近代小説は、文語文で書かれているものが多いので、
「正しい日本語の使い方」を学習するのに適しています。
日本語を深く学習のにも適しています。
しかし、表現が硬い(古い)ので、会話には適していません。

現代小説は、口語文で書かれているものが多いので、
会話を学習するのに適しています。
日本語について、色々な表現方法が使われているので、
幅広く学習するのにも適しています。
しかし、言葉として乱れている部分も多く有るので、
正しい日本語の学習には不適格です。

どちらも一長一短ですね。

1mizuumiさんの正しい日本語能力は、すでに一般日本人のレベルを超えています。
日本語のテストをすれば、100人中、上位10人の中に入れるでしょうね。

私は学生ではないので、楽しみながら外国語を学習するようにしています。
私の中国語学習方法は、メインが映画や、ドラマ、読書です。
色々な表現、会話を楽しみながら、少しずつ覚えています。
登麗君さんの大ファンなので、中国語でカラオケも歌います。
でも残念ですが近くに中国人の友人がいないので、
会話はまったくダメです。

1mizuumiさんも善良な日本人友達を見つけて、会話を楽しんでください。
そうすれば、日本語表現の幅も広がりますよ。 ヽ(´ー`)ノ
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この回答へのお礼

 いつもお世話になります。近代小説と現代小説の一長一短を説明していただき、大変助かりました。どちらも読みたいのですが、何を中心に勉強するのか、わかりませんでした。テレサテンの曲がいいですね。十八番の曲でしょうか。ちなみに、「善良な日本人友達」という言い方は面白いですね(^-^*)。

お礼日時:2009/05/13 23:37

まず、「二つの系統」があるわけではありません。

日本文学は何百年も昔から書かれていて、時代によって、言葉遣いや仮名遣いが変わってきただけの話です。そして、当然、古い物は、優れた物だけが出版し続けられます。

さて、目的がそういうことなら、現代の作家が書いたものを読むようおすすめします。しかし、現代の作家の作品は、文章が下手な人の物もたくさん出版されていますので、賞などをとっている作品を選ぶといいでしょう。

小説がお好きなら、それもいいのですが、目的がそういうことならエッセーのほうが、現実的かもしれません。きどった表現が少ないからです。

おすすめの作家としては、さくらももこ、村上春樹などです。文章が上手だからです。でも、お好みもあるでしょうから、書店や図書館で適当な本を手に取ってみて、読みやすい作家のものを選ぶといいでしょう。芥川賞を受賞した小説なども、読みやすいうえに、語彙に工夫があっていいかもしれません。

反面、古い作品は言葉も古いです。例えば、夏目漱石や森鴎外は、ほんの100年前の人たちですが、今では使わない言葉をたくさん使っています。しかし、それはそれで読んでおくと、教養になりますし、語彙も増えます。ただし、現代作家のものが読めないうちから古い物に挑戦すると、難しすぎるかもしれません。手に取ってみて、読めそうだったら、ぜひトライしてくださいね。

参考URL:http://www.bunshun.co.jp/award/akutagawa/list1.htm
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この回答へのお礼

 アドバイスをいただきまして誠にありがとうございます。きちんと説明していただき、大変助かりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2009/05/13 22:45

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